50


 雅史の思考は、だんだんと闇の中に飲み込まれていった。
 どうしたんだ、いったい…。
 自分に降りかかっている状況がよく理解できなかった。とにかく体がだるい。そして眠い。それだけである。
 あまりのだるさに、雅史はこのまま眠気に自らの身体を預け、意識を完全に深淵の闇の中に引きずり込まれそうになった。
「危ねえ、避けろ名城!!」
 突如誰かの声が聞こえた。大樹の声だ。そしてこの大樹の声が、雅史の意識を一瞬だけ、深淵の闇の中から引きずり出してくれた。
 雅史は閉じかけていた目をはっと見開いた。そして、自分の視界にあるものが見えたことによって、体は反射的に“それ”を避けようと自然に動きだしていた。
 それはヒュンと雅史へむかって来た。雅史はそれをなんとかかわそうと、身を左へ振った。だが、それは一瞬遅かった。雅史に向かってきたそれは、雅史の心臓は外してしまったものの、左腕の二の腕のど真ん中あたりに突き刺さった。同時に、雅史の腕じゅうに激痛が駆け巡った。
「ぐあぁ!!」
 雅史はうめき声を上げた。
 何が起こったのか、はっきりと分からない意識の中で、雅史は自分の左腕を見て確認した。そこには、深々とまでは言わないが、頭のてっぺん数センチを雅史の腕の中に潜らせているシャープペンシルの姿があった。
 誰かが雅史を殺そうとしたのだ。心臓に向けて突き出されたシャープペンシルを何とかギリギリのところでかわしていなければ、雅史は今頃この世にいなかったかもしれない。とはいえ、シャープペンシルが突き刺さった左腕の痛みは相当なものであった。
 雅史は自分の目の前に立っている人物、つまり雅史を殺そうとした人物の正体を見た。そこに立っていたのは、なんと武であった。
「坪倉、まさかお前」
 雅史は驚いた。一応手を組んでいるはずだった、言うならば仲間であったはずの武。その武が自分を殺そうとしたのだ。
 武は雅史を見ながらブルブルと震えていた。
 裏切り…。
 雅史の脳裏に突如こんな言葉が浮かんだ。あれだけ大樹がタブーとして念を押して言っていた“裏切り”という行為を、武は行ったのである。当然そのことに大樹が黙っているはずがなかった。
「坪倉、てめえ裏切ったな」
 大樹の迫力ある声に、武は顔を引きつらせ、一歩後ろへとたじろいた。しかし、大樹はなぜか立ち上がれなかった。必死で膝を手で押さえながら立ち上がろうとしているが、どうしても足に力が入らない様子だった。
 一体どういうことだ。
 突然の眠気に襲われ、体中から力が抜けていったこの現象。そしてこれは雅史のみならず、大樹の体にも全く同じことが起こっているのだ。雅史は考えたが、結局訳が分からなかった。
「くそっ、何だ。体に力が入らない」
 大樹も何故そんなことになったか分からず、それでもとにかく立ち上がろうと必死の様子だった。
「どうしたの大樹?」
 辺りの騒ぎで忍が目を覚ましてしまったようだ。忍は不思議そうに辺りを見回した。そして雅史の腕に刺さっているシャープペンシルに気が付いたのだろう。不思議そうに雅史の腕を見ながら、
「一体どういうこと?」
 と言った。
「坪倉だ!坪倉が裏切った!」
 雅史はとにかく必死になって言った。なぜなら今、雅史は体を全く動かすことができないという無防備な状態なのだ。次に武が襲い掛かってきても、反撃どころか避けることすら難しい。大樹も体の自由が利かないこの状況で、頼りになるのは忍のみなのだ。
「忍!坪倉を取り押さえろ!」
 大樹のその言葉をきっかけに、武は雅史に飛びついた。しかし、それは雅史に対しての攻撃目的で飛びついたわけではない。武が飛びついたのは雅史の右手。そして雅史の手から無理やり銃を奪い取ろうとしたのだ。
 雅史はあせった。武はおそらく、今このまま忍と戦うことの不利さに気づき、唯一忍に勝てるかもしれない方法、雅史の銃を奪い、それで対抗するという方法を思いついたのだろう。つまり、このまま銃を奪い取られてしまっては、武の手によって自分達は全滅させられるかもしれない。そう思い、雅史は力の入らない、銃を持つ右手を出来るかぎり必死で握り締めた。武はその雅史の手を必死でこじ開けようとしている。
 だめだ。このままでは銃を奪われてしまう。
 雅史がもうだめかと思った時だった。ほんの一瞬の出来事であった。
 突然雅史の手から銃を奪い取ろうとしている、武の手の力が抜けたかと思うと、武の体はそのまま後方数メートル吹っ飛んでいった。
 武が銃を奪い取るよりも、忍の強烈な蹴りが武の顎に炸裂する方が早かったようだ。
 雅史のそばに、突如何かが落ちてきた。それを見て驚いた。歯だ。武の歯である。おそらく忍の蹴りがもろに顎に炸裂したことによって、武の歯のうちの一本が抜け落ちたのだろう。その証拠に歯の抜けた跡から出血している武の口からは、おびただしい量の血が流れ出していた。
「くっ、くそぉ」
 武は自分の顎を抑えながら、自分の荷物などにも目もくれず、そのまま一目散に逃げ出そうとした。それを見た忍は武を追いかけようとした。
「逃がすか!!」
 だが、それを制したのは大樹の声であった。
「待て、忍!深追いはするな!!」
 その声に反応し、忍が足を止めた。
「でも大樹。あいつはあたしたちを裏切って殺そうとしたのよ。許せるわけがないわ」
 忍がそう言っている間、武はすでに駆け出していた。忍は急いでそれを視線で追った。
「待ってて大樹!すぐに戻ってくるから!」
 そう言って、忍は自分の金属バットを握り締め、すでに十数メートル距離が離れてしまっている武に追いつこうと駆け出した。
「待て!忍!」
 大樹は忍を止めようとしたが、忍が止まることはなかった。武に続き、忍の姿もすぐに見えなくなってしまった。
「あのバカ…。単独で追いかけて行きやがって」
 大樹はうなだれた。雅史も同じ事を思った。いくら裏切り者に制裁を加えるためとはいえ、林の中に一人で追いかけるのは、途中で誰かに見つかるかもしれないので、大変危険である。
 もしかしたら、あのまま武は放っておくべきだったのかもしれない。しかし、それは忍の正義が許さなかったのだろう。
 裏切り者には制裁を…。これが忍の選んだ選択であったのだ。
「これからどうするんだよ」
 雅史ははっきりとしない意識で、大樹に向けて意見を求めるように言った。しかし、大樹はそれを聞いていない様子で、地面に手をつけながら、ほとんど這うような体勢で、どういうわけか4人の荷物の置かれている場所へと移動していった。
 荷物にたどり着いた大樹は、なぜか武のカバンを開いた。そして中からペンケースを取り出していった。
「おそらくお前の腕を刺したペンはここから出したんだろうな」
 そう言ってそのペンケースを雅史に投げてよこしてきた。雅史が中を確認すると、なるほど、確かに中にはシャープペンシルの芯はあるのに、ペンそのものは入っていなかった。雅史を刺したシャープペンは武の私物だったと見て間違いはないだろう。
 大樹は今度は武に支給されたデイパックを開いた。そしてすぐにある物を見つけ、呟いた。
「やっぱりそうか…」
 雅史の訳が分からないという不思議そうな顔を見て、大樹は再びそれを投げてよこした。雅史はそれを両手で受け取って見た。それは小さな小瓶であった。そしてその瓶に貼られたラベルにはこう書かれていた。

―睡眠薬―

 これが武に支給された武器だったのか。そうか、武が荷物をごそごそやっていたのは、この睡眠薬を俺達の水の中に混入していたというわけか。そして眠ってしまった俺達を一網打尽にするつもりだった。くそっ、坪倉の奴、あの時点ですでに裏切りを実行していたのか。だから武は何時までたっても眠らず、そして俺達が水を飲んで眠るまでの様子をうかがっていたわけだ。
 雅史は悔しがったが、今さらどうにもならなかった。
 雅史の腕が再び痛み、苦痛に表情を歪めた。それを見た大樹が今度はがんばって立ち上がり。よろよろと歩きながら近づいてきた。
 雅史の側に来た大樹は、ポケットから折りたたまれているバンダナを取り出し、手馴れた手つきで雅史の腕の付け根付近をぎゅっと縛った。
「とりあえずはこれでガマンしておけ」
 そう大樹が言った。
「なんか、お前こういうことに慣れてるみたいだな」
「当たり前だ。空手に怪我はつきものだからな。応急処置ぐらい慣れたもんだ」
 大樹のその言葉が、なんだか心強く感じた。
 大樹は水を少量しか飲んでおらず、何とか持ちこたえているが、雅史はそれよりも大量に飲んでしまっている。当然大樹のように、意識をいつまでも持ちこたえさせるなど出来そうになかった。
「無理するな。見張りは俺がやっといてやるから、お前はもう眠っておけ」
 大樹が雅史の体の状態を知ってか、そう言った。しかし、今は大樹の体も睡眠薬によって万全ではない。そんな大樹に一人で見張りを任せることは、いくらなんでも不安であった。しかし、今はそうは言っていられない。雅史は意識を持続させるのにすでに限界を感じ始めていた。そしてしかたなく言った。
「悪い…。俺本当にもう身体動かねえや。後頼む…」
 雅史はその言葉を最後に、すぐに眠りについた。

 大樹はその場に座り込み、フウッとため息をついた。
「やれやれ、探し出さなければならない奴が増えたかもな」
 大樹は呟いた。果たして忍は無事に戻ってくるのだろうか。


【残り 23人】



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