019
−誘惑と偽り(2)−

 兵藤和馬と須王望。
 学校内ではほぼ接点が無かったこの二人が、密かに裏で繋がるようになったのは、今からおよそ一年前のこと。

 中学二年生に進級して間もなかった当時の和馬は、既に授業に顔を出すことはあまり無く、昼夜問わず学区外で遊び歩いていることが多かった。
 特に彼が好き好んでよくふらついていたのが、夜の繁華街。ありとあらゆる酒場が乱立し、その隙間で門を構えるのはパチンコ店やゲームセンターといった娯楽施設。キャバクラやホストクラブのキャッチが右往左往している中、中学生なんかが歩いていたら目立ちそうなものだが、身体が大きく厳つい外見であるせいか、不思議と和馬の姿は街に馴染んでいた。
「和ちゃんさぁー、この後Juliaでオールしねぇ?」
 色とりどりのネオンの光を帯びたセルシオの中で、短い金髪をツンツンに立てた男がハンドルを切りながら提案する。
 夜なのにサングラスをかけた彼がアクセルを踏むと、片側一車線程の狭い道を歩いていたカップルや大学生連中が、ヘッドライトの接近に気づいて、慌てて脇によけてスペースを作る。
 リアシートに深く座り、サイドウィンドーに肘を付きながら眺めていると、人々を蹴散らして走っているようで、少し愉快な光景に思えた。
「Juliaねぇ……、いいんだけどさー。トシ、お前また一般客の女捕まえて、一人でどっかに消えちゃったりすんじゃねーの」
「つかあそこ最近、来てる女のレベル低くね?」
 坊主頭に剃り込みで模様を入れた筋肉質な男がワイルドセブン、ロングヘアーをオールバックにしたチャライ感じのホスト風男がマルベリライトを吸いながら口々に言う。
 タバコの臭いが充満したこの車内にいる四人は、遊び仲間とはいえ年齢はバラバラ。最年長の剃り込み坊主が二十五歳。
 いずれも繁華街で遊んでいる最中に知り合った仲で、付き合いこそ浅いものの、中学のクラスの連中より、つるんでいてよっぽど刺激的な面々だった。
「トシさぁ、そもそも和ちゃん未成年だけど、Julia大丈夫なの?」
「心配すんな。俺あっこも顔パスだからさ。和ちゃんともこないだ行ったしな」
 Juliaとは、広いダンスフロアとバーカウンターから成るクラブで、都心で一、二を争うナンパ箱として知られている。
 周囲にラブホテルが立ち並んでいることもあって、“そういうこと”が目的の人間たちにとって非常に好都合な立地条件と言える。
 目的地の傍にあるパーキングに車を停めたとき、時刻は既に零時を回っていた。
 深夜にも関わらず明るいのは、通りに沿って立ち並ぶ建物のネオンのせい。建物全体で見ればラブホテルよりかなり大人しい色彩のclub Juliaも、その出入口付近だけは眩いばかりの光の装飾が施されている。


「お、イイ女」
 剃り込み坊主がJuliaの前に並ぶ列を見てテンションを上げた。
 ピチピチのホットパンツからすらりと長い足を出したセクシーな二人組が、入口付近の黒服に手荷物検査と身分証確認を受けている。身分証不携帯や未成年の者は、本来ここで追い返される。が、顔パスのトシの付き添いなため、和馬もノーチェックで入場できるわけだ。
「一般入場の方ですか?」
 先頭にいたオールバックに訊ねた黒服は、すぐに背後のトシに気づいて訂正する。
「なんだ、トシさんじゃないっすかー。これは失礼。どうぞ、こちらの扉から入ってください」
 と言って、一般入場口とは別の扉を案内。
 ほとんどVIP待遇だ。実際、関係者やゲストしか本来通されないVIP席を、前回来たときに既に体験済みだった。
 もちろん黒服も、和馬が未成年であることに感づいてはいるだろうが、そこは関係者の連れということでの特別扱い。一般には知られていない、このクラブ独自の暗黙のルールである。
 少し重い扉を開いて中に入る。
 通路の脇にあるロッカースペースを通り過ぎると、ミラーボールの光が舞い踊る開けたフロアに出た。バーカウンターの周囲で、多くの若者が酒を飲み交わし、各々夜のひと時を大いに楽しんでいる。
「ねぇお姉さんたち、俺らと一緒に飲まない?」
 先ほど入口付近にいたホットパンツの二人組を見つけるや否や、剃り込み坊主とオールバックが話しかけに行った。
 いきなり女の子に顔を近づけて耳打ちしているのは、まともに会話もできないほど大音量のハウスミュージックに、カウンター付近が支配されているため。地の利を生かしたクラブナンパの初歩である。
「和ちゃんはこれからどうする? あいつらみたく女の子捕まえに行く?」
 二人に置いて行かれたトシが、唯一傍に残った和馬に聞く。
「いや、とりあえずどっか座りてぇ」
 入口で渡された1drinkチケットをバーテンダーに差し出しながら、席が空いていないか周囲を見渡す。だが、オープンからそれなりに時間が経っているクラブ内は混み合ってきており、席は既に人でいっぱいだ。
「んじゃあ、また例によってあそこ入れてもらうか」
 プラスチックのカップを片手にトシが指さしたのは、カウンターに隣接したDJスペース脇にあるVIPルーム。
「よう、タケちゃん」
  DJスペースの前を通り過ぎる際、トシがガラス越しに声をかけると、曲のリズムに合わせて身体を揺らしながらDJが手を挙げて応えた。
 トシが扉を開き、和馬はその後に続いて入室する。
 オレンジ色の鈍い照明だけで照らされた、六畳程度の薄暗い部屋。マジックミラーの壁越しにバーカウンターを一望でき、反対側のガラス窓からは階下のダンスフロアを見下ろすことができるようになっている。黒いソファーがコの字型に配置されており、既に先客が酒を飲みながら談笑していた。
「おう、トシじゃん。久しぶり」
 ソファーの一番手前に座っていた男が立ち上がり、軽々しくトシとハイタッチする。
「そっちにいるのは?」
「ああ、俺の連れの和ちゃん」
 トシに紹介されながら、和馬は部屋の中にいる人物たちを見回した。
 前回来たときにはいなかった、初めて見る面ばかりだ。
 ダンスフロアを見下ろしニタニタと笑いながら、怪しい煙を吹かせている男二人。
 既に酒がまわっているのか、抱き合ってのディープキスに興じている男女。
 しかし和馬の視線はすぐに、部屋の一番奥に陣取っている、とある人物に集中することとなった。
 厳つい外見の男二人を左右に従わせた、ひときわ体格の小さな女。しかし、小さいながらも独特の風格のようなものを漂わせ、まるで女王であるかのように一番どっしりと腰を据えている。
 薄暗い中でも目を凝らすと、その容姿がはっきりと見えてきて、落ち着き払っていた和馬もこれには驚かずにはいられなかった。
「お前、なんでこんな所にいるんだ?」
 和馬が声を上げると、一番奥の席の女もこちらに気づいたようで、立ち上がりこそしなかったものの、下品に組んでいた足を正した。
「兵藤? あんたこそ、なんでここにいるのよ?」
 そう言って女は眉を潜める。肩を露出させたシャツに、超ミニのフレアスカートといった大胆な格好が見慣れないが、どこからどう見ても同じクラスの須王望であった。
 星矢中で有数の優等生と知られ、クラス委員を務めている彼女が、なぜこんなところにいるのか理解できない。飲酒、深夜徘徊、未成年は入れないはずの施設への入場……校則破りの積み重ねではないか。
「なに? 知り合い?」
 二人が知人だということを面白がって、急に和馬と望に注目しだす周囲の面々。しかし和馬の意識はそちらには向かず、望にだけ集中したままだった。
「あーもう、ここなら誰にも見られないと思ってたのに。まさか同じクラスの奴が来るなんて……。地道に築き上げてきた、あたしの優等生なイメージが……」
 そう言って彼女は一度後ろに大きく仰け反ったが、すぐに前を向いて開き直った様子を見せた。
「でも、ま、心配することないか。あたしのことをいちいち周囲に言いふらすなんて下らないこと、兵藤はしないだろうし」
 望の言う通りなのは癪だが、確かに、この程度のことを、いちいち教師やクラスメートに告げ口する気など毛頭ない。そういうセコイことは、弱いくせに正義漢ぶってるような小者だけがすればいいのだ。
 望は、一度は正した足を再び組ませた。
「あたしさ、まだまだ良い子だと思われておきたいのよね。先生達からの視線も緩くなるし、学校生活色々やりやすいからさ」
 聞いてもいないことをベラベラと喋る。正直なところ、そんな話に興味はない。気になることがあるとすれば、何故この女がここにいるのか、という一点のみ。
「中坊はここには入れないはずだが?」
 和馬が言うと、彼女は編み込んだ髪の束を指先で弄りながら笑った。
「ウケるっ! あんただってここにいるじゃん」
 果実酒入りのグラスからつまみ出したチェリーを、口に含ませつつ話す望の態度の悪さが、教室内で普段見かける優等生な雰囲気とあまりに違っていて、本当に同一人物なのか疑わしくすら思えてくる。
「ここはね、あたしの城なの。そんで今この部屋にいる人たちは、あたしの言うことなら、な〜んでも聞いてくれる兵隊さん達」
 望が持つグラスが空になるタイミングで、脇の男が自然とシェイカーを振り始めた。
「城に、兵隊だぁ?」
「あ、これで全部だと勘違いしないでね。あくまでもここは複数ある城の一つで、兵隊も色んなところにもっと大勢いるんだからね」
 などと言う彼女は、まるで沢山の玩具を自慢しているかのよう。
 新たなカクテルが注がれたグラスを眺めながら、目を細めて笑うその表情は、上品ながらもどこか淫靡で、中学生らしさを全く感じさせなかった。
「結局のところね、支配者になるのに中坊かどうかなんて関係ないのよ。重要なのは、財力、威厳、魅力、これがあるかどうか……。金を持ってて、強くて、そして超可愛いあたしみたいな完璧人間の前では、そこいらの一般市民なんて言いなりも同然」
 詳しくは知らないが、彼女の親は政府のお偉いさんだとか何とか耳にしたことがある。
 親が親なら、子供も子供。人の上に立つという思想が、若くして育まれていると感じられる。
「それでね、言うことを聞いてくれた良い子ちゃんには、とっても美味しいご褒美をあげるの。これ重要」
 空になったボトルを片付けていた男に、望は何やら白くて小さな紙の包みを差し出した。男は躊躇する様子もなく、むしろ喜んでそれを受け取る。
「ご褒美って、それがか?」
「そう、美味しくて、とーっても気持ちよくなれる、魔法のお薬」
 望は悪戯っぽくにやけながら、ソファーに深く体重をあずけて頬杖をついた。
 和馬はこの頃になってようやく、普段の望は偽りで、目の前にいる今の姿こそが、本来の彼女なのだと理解できるようになっていた。
「さすがの兵藤君でも、あたしの本性を知って幻滅したかな?」
 わざとらしく首を傾けて、困ったような顔をする望。正体を現した後の彼女は、可愛らしさの裏に小悪魔っぽさを見せ、何やら不思議な魅力を醸し出している。
「いや……むしろ興味が沸いたわ」
 冗談でもお世辞でもなく、口から飛び出したのは割と本気で思ったことであった。
 同い年の、しかも女に、こんなにも刺激的な人物がいるとは思わなかった。
 関口康輔(男子十二番)田神海斗(男子十六番)、女なら根来晴美(女子十三番)など、ただ悪ぶっているだけの同学年の奴らとは、あらゆる面で厚みが違う。
 うふふ、と望が笑った。
「ありがと。あたしも兵藤のことが少しずつ気になってきたわ」
 その日から、和馬と望の密かな交際は始まった。
 優等生を演じる望の都合で、学校内で絡むことは皆無に等しかったが、それでも互いの悪意の塊は混じり合いながら、日々拡大を続けていった。



「あーきっしょ! 血の味がなかなか取れない」
 和馬が豪の荷物を漁っている横で、望はペットボトルの水で入念に口の中を濯いでいる。
 幸い、豪は支給された飲料水に一切手を付けていなかったようなので、望がここでボトル一本分を消費するとしても、問題にはならない。
 三日間過ごすのに、十分な量とは言い難かった食料を補給できたのも大きい。
 既に動かなくなっている豪の亡骸を見やり、和馬は口の端を吊り上げて笑んだ。
「まあ殺されたとはいえ、こいつも最後に良い思いができて本望だったろうよ。見たか? お前とキスしてたときの嬉しそうな顔を」
 周囲に人の気配が無いのをいいことに、まるで緊張感なく茶化す和馬。
 望は、ペッ、と水を吐き出しながら、半分ほど中身が残ったボトルの口を閉めた。
「ウッザー。嫌なこと思い出させないでよ、気持ち悪い」
 眉を潜める望の苦い顔が、無性に面白く思えて、和馬は笑いを堪えることができない。
「スマンスマン。しかし、相変わらずすっげー豹変っぷりだな。さっきまでそこにいた優等生と同一人物とは思えねぇわ」
「人を騙すことに関して、あたしは神の域に達してるからね」
 笑いながら話す和馬に不満そうにしながらも、自信満々に胸を張る望。
「いや、相変わらずマジではんぱねぇ演技だな。ありゃあゴリラ君もまんまと騙されるわ」
 クラスメートはおろか、教師までもを欺いてきた、望の作りキャラは完璧だ。和馬もjuliaで彼女に偶然会っていなければ、今日まで本性を知ることはなかっただろう。
「そこまでのもんじゃないわよ。これでも普段より、だいぶ肩の力を抜いて演技していたつもりだしね。ここには厄介な奴がいなかったからさ」
 望は何気なく話したのであろうその内容に、どこか引っかかりを覚えた。
「厄介な奴だぁ?」
 豪のバッグから出てきた衣類を乱雑に除けながら、和馬は怪訝な顔をして聞いた。余裕な態度を崩したことが無い彼女が、いったい誰を厄介に思うのか、想像もできなかったのだった。
 しんと静まり返った中、一呼吸おいてから望が話し出す。
「ウチのクラスにね、やたらと注意深く周囲を観察してる奴がいるのよ。まるでクラスメート達の内心を、見透かそうとしているかのように」
 語っている最中、その厄介な奴とやらの姿を思い出していたのか、望はどことなく真剣な顔つきになっていた。一年間の付き合いがある和馬でも、なかなかお目にかかれなかった表情だ。
「で、それは誰なんだ?」
「沖田秀之」
 そう言われて、和馬は一瞬考える時間を要したものの、なんとか沖田秀之(男子四番)の姿を思い出すことができた。
「ああ、あの養護施設から来てるヤローか」
 だがピンと来ない。なんとなく口数が少なくて暗そうな男という印象があるだけで、望がそんなに警戒する必要がある相手だとは思えなかった。
「あいつを侮ってはダメよ。気を抜いていたら、ほんの些細な仕草や言動から、こちらの頭の中を、隅から隅まで読み取られてしまいそうだから」
 望がそこまで言うのなら、不可解に思いつつも、無理やり納得するしかなかった。
 しかし、誰を相手にしても常に余裕を見せている彼女が、そこまで本気で身構えなければいけないなんて、沖田秀之という男はいったい何者なのだろう。
「たぶん彼を前にしては、本性を隠し通せる人間なんて、あたし以外にいないでしょうね。プログラム中においても同じ。密かに殺意を抱いて近づこうにも、向こうはすぐに危険を察知して逃げ出すはずだわ」
「俺には分からねぇけどさ、お前、沖田に探りを入れられてることなんかに、よく気づけたよな?」
「あたしはさ、特別な存在だから」
 右耳のピアスを指先で弾きながら、望は語る。
「ウチの家系――須王の一族は代々、先天的な障害で右目が全く見えていないの。でも、たとえ片方の目だけしか見えなくても、他の誰よりも世の流れを鮮明に見据え、人々を支配する力があった。そんな王の家系についに生まれたエリートが、弱視とはいえ見える右目を持ったあたし。分かる? ただでさえ片目だけで何もかもを見透かすことができた須王家に、両目が見える状態で生まれたあたしに、見えないものなんて何もないって訳」
 自らの長所を力強く自負する彼女。
 もちろん、その“見える”というのは、どんなに遠くの小さなものでも見えるとか、視力そのものに左右されるような事でないのは分かる。人の些細な仕草や目線に気づく、注意深さに近いものなのかもしれない。
「とはいえ、あたしが見据えることができるのは、例えば“沖田に見られている”などといった、ごく表面的な部分まで。沖田の奴が厄介なのは、さらに心の内側にまで探りを入れようとする所なの。だからあたしはそれに対抗して、全身全霊を込めた本気の擬態で、彼の探りを全面的に欺くことに徹した」
 和馬は、へぇ、と適当な相槌を打った。
 望が話していることだから信憑性は高いと思うが、だからといって、プログラムが始まった今更になって、秀之に注意しようという気にはなれないのだった。ゲームに乗る、とサンセット号の中で高らかと宣言した後だし、もはや読まれて困る考えなど、和馬の頭の中には残されていない。
 そんなこんなで興味無さげに反応していると、望はまた不満そうな顔になった。
「もぉーっ、質問にちゃんと答えてあげたのに、他人事だと思って……。本性バレてないあたしには、まだ気が抜けない話なんだからね」
 もし本性を知られてしまえば、豪のときのように相手を油断させて近づくなんてことは不可能だろう。それどころか、クラスの他の人間にまで、望の危険性を広められてしまう恐れもある。
 彼女が秀之を警戒するのは、至極当然の話であった。
「分かった分かった、悪かったよ。そうだよな、お前が動きにくくなったら、共謀してる俺だって面倒なことになるもんな」
「そういうこと」
 分かればよろしい、とでも言いたげに、望は肩から力を抜いた。
「ところでさ、念の為にもう一度聞いておくが、お前に協力すれば本当に、俺ら二人で島から出ることが出来るんだよな?」
 ゲーム開始後に望から提示された、二人共に生き残る方法。確かに魅力的な話ではあるが、都合が良すぎやしないかと心配に思う節もある。
「なーに、柄にもなく心配してんの? 大丈夫よ。あたしが頼めば、パパは何だって言うことを聞いてくれるんだから」
 その言葉を聞いて安心した和馬。
「それなら良いんだがな。ところで、ホッとしたら急に“あれ”が欲しくなってきたんだが、そろそろ貰えねぇか?」
「なんのこと?」
 わざとらしく惚ける望。先ほど、他人事のように話を聞いていたことへの仕返しか。
「分かってんだろ? 『フォーカス』よこせっつってんだよ」
 フォーカス――それは、Juliaで望と出会った日に初めて知った、この世で最も美味で魅惑的な、魔性の果実。
 摂取した者を快楽の底へと導くとのことで、若者を中心に広まっている、違法ドラッグである。中毒性が高く、副作用もあり、乱用し過ぎると目の焦点がズレるという現象から、この名が付いたと言われている。俗説によれば、現在フォーカスの中毒者数は全国で数万人に上るとのことだ。
 近頃は検閲が強化されているため、以前より手に入れることが難しくなっているが、望が抱えている入手ルートはまだなんとか生きているらしい。
 そもそも和馬が林間学校なんて糞下らない行事に参加したのも、フォーカスが久しぶりに手に入った、と望から昨日連絡があったためだった。まさかプログラム参加という楽しいおまけまで付いてくるなんて、思いもしなかったが。
「もう少しあたしのために働いてくれたらね。だから今はこれで我慢して」
 ふいに、爪先立ちになった望にキスされた。
「童貞ゴリラ君じゃねぇんだから、今更キスくらいで喜ぶかよ」
 不服さから望の身体を軽く押し返してみるが、彼女は、ふふふ、と不敵に微笑むのみだった。
 なんだか、まんまと餌で釣られているようで釈然としない。だが、これまで女王として君臨してきた彼女に歯向かっても無意味だということは、誰よりも分かっている。
「ったく……、後で絶対よこせよな」
 和馬は仕方なく、ここは甘んじて彼女のペースを受け入れることにした。
 とっくに豪の荷物を漁り終え、出発する準備も整っている。いつまでもこんなところでダラダラと過ごす必要はない。
「さあ話が付いたところで、さっさとここから移動しよっか。死体と一緒にいるところなんて、誰かに見られたら難儀だし。それに、早く他の奴らを殺しまくらなきゃね」
 スイッチを切り替えた望はたちまち女王から姫に戻り、屈託の無い笑顔を浮かべて歩き出した。
 相変わらずの見事な擬態には感嘆するばかりだが、正体を知っている身からすると、本性を裏に隠した姫の姿のほうがむしろ脅威に感じる。
 もし彼女が敵だったならどれだけ恐ろしい存在になったかを考えると、手を組んでいて正解だったと思わずにはいられなかった。


【残り四十一人】

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