084
−操られ人形(1)−

 見てはならない物を見てしまった。
 知ってはならない事を知ってしまった。
 二年前のある日、禁断の事実に一歩踏み込んでしまった少年は、あまりに信じがたい光景にまず我が目を疑った。しかしそれはどう見ても幻なんかでは無く、間違いなく真実。そう自分の中で断定するや否や、彼はまるで何かに操られるようにして、ポケットの中から取り出したジッポライターに火を灯していた。それがあの悲劇の幕開けだった。
 炎は瞬く間に燃え広がって、半木造の校舎はすぐに飲み込まれてしまう。その地獄のような光景を瞳の中に写しつつ、彼はただぼんやりと思った。
「何もかも焼き尽くされてしまえ」

 とても軽い足どりで鬱蒼たる森林の中を進む一つの影がある。
 湯川利久(男子二十番)。意気揚々と歩くその姿は、プログラムという極限状況に巻き込まれている人物のものとは、到底思えない。
 彼はゲーム開始以後からこれまでに二人のクラスメートを殺害し、その死体をわざわざ木に磔にしたり、廃ビルの三階から逆さに吊るしたりと、かなり残忍な行為を繰り返してきた。全ては生存者達の脳裏に恐怖心を植え付けるため。結果、手を結んでいた者たちは内部決裂を起こし始め、そして自ら壊滅への道筋を歩んでいった。その様は見ていて本当に愉快だった。
 事は恐ろしいほど思惑通りに進んでいった。そのためなのか、気分はひたすら高揚の一途を辿り、身体中の血が沸き立ってしかたがない。冷め遣らぬ興奮は新たなる欲望を生み出し、利久はそれに突き動かされるまま、さらに潤いを求めて行動し続ける。
 自分を除いても、生存者は十数人はいるはず。まだまだ楽しむことはできそうだ。
 自称『演者』である彼はうっすらと笑みを浮かべながら、次の楽しみを求めてさまよい歩く。その姿からは余裕すら感じられる。右手に携えたマシンガンと、ブレザーのポケットに入ったビーコン。これら優秀な武具たちの存在が、彼に絶大なる自信を与えているのだ。
 優れた探索力と、最高レベルの攻撃力を手にしている今、利久はまさに敵無しの状態。怖いものなどあるわけがない。事実、これまでに何人もの生徒達と接触する機会があったが、その中で身の危険を感じたことなど一度もなかった。
 だけど、あまり調子に乗らず、少しは気を引き締めるべきかもしれない。現在生き残っている生徒の中に、注意すべき人物が何人か存在しているのを確認しまった以上は。
 それは、絶対的に利久優位な状況から、見事に逃げおおせてみせた二人の強者。
 一人目は御影霞。もともと松乃の火災の生存者たちに対して深い憎悪を滾らせていた彼女だが、校舎に火を放った人物の正体を知って、標的を利久一人に絞り直したはず。とてつもなく巨大に膨らんだ復讐心を抱きつづけてきた彼女のことだ、生きている限りは、必ずもう一度こちらに近づいてくるはず。そしてその時はきっと、マシンガンにも引けをとらぬほどの強大な力を手にしているであろうし、油断はできない。
 そして比田圭吾。霞のような復讐心をむき出しにしてはいないけど、こちらの正体を知られてしまった以上、次に出会ったときに衝突は避けられないだろう。
 霞が放り投げた物体を、一瞬にして炸裂閃光弾と見切った動体視力は恐ろしいものがあるし、春日千秋と羽村真緒の二人を連れて走り去ったあの身体能力はまさに驚異的。敵に回してはかなり厄介だ。
 もちろんどちらを相手にするとしても、現状ではビーコンとマシンガンがある分こちらが圧倒的に有利ではあるが、双方とも色々と計り知れない部分が多い存在であるので、注意するに越したことは無い。
 下克上。番狂わせ。言い方は色々あるけれど、こういったことは人類の歴史上に何度も起こっていることだし。
 不意に、頭上にびっしりと繁る葉を伝って、一滴の雫が垂れてきた。濡らされて重みを得た前髪が額に張り付いてきたので、利久はとっさにそれを手の平で払う。この辺りの木の葉の層は比較的分厚く、それが雨避けになってくれているのだが、そのせいで雨が激しく降っているということを忘れかけていた。
 そういえば、廃ビルに向かう途中、何か役に立つものがあるかもしれないと考えて忍び込んだ山小屋で調達したレインコート一着が、デイパックの中に入ったままだ。傘はさすがに目立つのでプログラム中に使うことはできないけど、レインコートならさほど問題ないだろう、ということで、同時に見つけたテント用の杭数本と一緒に、ビニールパッケージ未開封だった新品のそれも拝借したのだ。だけど、建物の中にいたときはレインコートを使う機会なんて当然無かったし、今も木の葉の屋根が雨の勢いを和らげてくれているので、まだビニールを開封する必要は無さそうだ。今後豪雨に晒されるようなことがあれば話は別だけど、そうでなければできるだけ軽装のままでいたい。もうしばらく着用することは無いだろう。
 茂みの枝に引っかかってずり落ちそうになったデイパックを、きちんと肩にかけなおそうとしたその時、ブレザーのポケットの中から、小さな電子音が聞こえだした。
 ビーコンが反応。つまり、ここから六十メートル以内の場所に首輪――すなわち誰かがいるということ。
 スコーピオンサブマシンガンのトリガーに指をかけ、利久は慎重に辺りを探り始める。
 発信源に近づくほど音のスピードが速まるという特性を考慮に入れつつ、ゆっくり慎重に歩く。音のスピードが落ちれば、それは目標から遠ざかっているということ。そういった反応に注意しつつ、時折進む方向を変えたりしながら、着実に前へと進む。
 ピッピッピッ。
 五分も歩いた頃には、音同士の間隔はかなり狭まっていた。距離的にはもうスコーピオンの射程範囲に入っているはず。だけど、深い森だけに茂みなど障害物が多く、人の姿はまだ見られない。
 隠れているのだろうか――。
 そう思ってさらに奥へと進もうとした時、利久の両眼は立ち並ぶ木々の向こうに、人の姿を今度こそしっかりと捉えた。
 男が一人と女が一人。茂みの影に隠れるようにして座っているが、残念ながら頭のてっぺんが少しはみ出て見えている。
 利久は自然につり上がる口の両端を押さえて、笑いが漏れるのを慌てて止めた。

【残り 十九人】
←戻る メニュー 進む→
トップに戻る



SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送