079
−仮面下の真実(11)−

 霞が投げた物体の正体は分からない。だけど千秋はただならぬ予感を覚えて、「目と耳を塞げ」という圭吾の声が聞こえると、反射的にそれに従っていた。
 瞼を下ろすと光が遮断され、手のひらで力いっぱい耳を押さえると、ほとんど何も聞こえなくなる。その場にいる人物達の姿は闇の中に消え去って、誰の声も耳に届かない。かろうじて、雨風が激しく吹き荒れている様子のみ肌で感じることができるが、それがなければまるで無の世界そのものだった。
 塞いでいたはずの耳に、正体不明の大音響が飛び込んできたのはすぐのこと。手のひらを突き破って鼓膜を震わせるそれは、何かが派手に破裂した音のようだった。あまりに大きな音だったからか、手で塞いでいたにもかかわらず耳鳴りがひどい。
 ふいに身体が浮くような感覚を覚え、何事かと目を開けてみると、どうしたことか千秋の身体は圭吾の凄まじい腕力によって、肩の上に担ぎ上げられていた。それだけではない。千秋を担ぎ上げている方とは逆の肩には真緒の身体を乗せ、彼はそのまま全速力で走り出した。
 アスファルトの地面を駆け抜け、視界の狭まる森林の中へと迷うことなく飛び込み、振り返りもせずにただひたすら奥地を目指す。前から次々と迫ってくる木々が、一瞬にして脇を通り過ぎていく。二人の人間を担ぎ上げているというのに、男の走るスピードはとてつもない。千秋が手ぶらで走っても、追い抜くことができるだろうか。
 しばらくして、圭吾はようやく足を止めて、担ぎ上げていた二人の身体を草の上に下ろした。それから初めて来た道の方を振り返る。
「追って来てはいないようだ」
 肌に張り付く濡れた草を手で払いながら、千秋もつられて振り返る。無数に立ち並ぶ木々や茂みが広がっているだけで、人の姿なんて確かにどこにも見られない。自分の足で走ってきたわけでもないし、霞や利久がいた場所からどれくらい離れることができたのかよく分からないけど、どうやら強敵達の手中から脱することはできたようだ。突然のことで荷物は全て置いてきてしまったけど、こうして無事でいられるなら、それだけでもう充分というべきだろう。
「おい、ハンカチ貸せ」
 草の上に寝そべったままの真緒の側で屈みながら、ぶっきらぼうに圭吾が言った。
「ハンカチ? いったい何に使うの」
「いいから黙って貸せ」
 棘のある言い方にはちょっとカチンときたが、この場は素直に従うことにした。理由はよく分からないけど、幼馴染共々助けられたわけだし、反発できるような立場ではない。
 キュロットスカートのポケットから、正方形に折り畳まれたまま未使用のハンカチを取り出し、圭吾に差し出す。何に使うつもりか分からないけど、思いのほか湿ってはいなかったから大丈夫だろう。
 圭吾はそれを受け取ると、二発の銃弾によって傷つけられた真緒の腕を手前に引き寄せ、ブレザーの袖を捲り上げてから、症状のひどい下腕の患部にあてがった。刹那、真緒が痛みに顔を歪めたが、圭吾は全く気にする様子もなく、彼女の胸元のリボンを解いて、それを腕に強く数回巻いてから結び、ハンカチを固定させた。即席の包帯とガーゼというわけか。
「ねえ、さっきいったい何が起こったの?」
 霞が何かを放り投げた途端に、目と耳を塞ぐよう圭吾が指示した訳も、マシンガンを構えていた湯川の手前から、こうもあっさりと逃げ切れた理由も、分からない。
「御影がスタングレネードを放り投げた」
「スタングレネード?」
 初めて聞いた名称だ。武具の一種ではあるのだろうけど、そういう知識に疎い少女には、それがどういう効力を秘めているものなのか、想像することすら難しい。
「いわゆる炸裂閃光弾とかいうやつだ。形状は手榴弾とよく似ているが、それだとあの距離で爆発すれば使用者もが巻き込まれてしまう。すぐに閃光弾だろうと想像できた。その名の通り、発動時には目を焼くほど眩い光と、耳を突き破るほどの大音響が周囲に放散される。まともに受ければ視聴覚はしばらく使い物にならない」
「いわゆる目眩ましのような物ね」
 なるほど、だから事態にいち早く気付いた彼は、千秋たちがその被害に遭わぬよう注意を呼びかけた、という訳らしい。そして利久の気が閃光弾に向けられた隙に、女二人を担ぎ上げて逃げることができた、と。
「そういうことだ。それより――」
 圭吾はこれまでの話を切り上げて、別の話題を振ろうとする。
「磐田は本当に、お前達といっしょにいたのか?」
 これまで千秋たちを守ってきてくれた男、磐田猛は御影霞の手によって既に殺されている。そのため彼のことを思い出すと、悲しくてやりきれない気持ちになる。
 それはともかく、理由はよく分からないけど、どうやら圭吾は猛のことを気にしているようだ。そういえば以前、信頼できる人間として、猛が彼の名前を挙げていたが――。
 一見何の繋がりも無いように思えるこの二人の間に、いったいどんな接点があるというのだろうか。
「ええ、磐田くんの働きのおかげで、皆で集まることができたの」
「皆というと?」
「私と真緒、それから亜美と由美子に杉田くん。それと……」
 千秋はどうしても最後の一人の名を出すことができなかった。プログラムの最中でもお互いのことを信じ合おうとしていた大切な仲間達と、それを手の平の上に乗せて勝手気ままに弄んだ凶漢を、同じライン上に並べたくはなかったのだった。
「もういい、分かった。湯川だな」
 怒りに打ち震えている千秋が言わずとも、最後の一人が誰なのか、圭吾はなんとなく察したらしい。
 ところで、話している間に、真緒の応急処置は終わったようだ。比較的症状の軽い上腕の傷には、千秋のものより一回り大きい圭吾のハンカチがあてられ、腕の付け根――いわゆる止血点にも彼が外した男物のネクタイがきつく巻かれている。色とりどりの布が巻きつけられたせいで、血の気の引いた真緒の細腕は、今や無意味にカラフルになってしまった。
「止血はしたが、これだけでは何の解決にもならない。いずれちゃんとした治療が必要だが、それまでは患部をなるべく心臓より高い位置に上げておけ」
「ありがとう」
 千秋や真緒の命を救ってくれた恩人に礼を言うのは当然のこと。相手の喋り方は相変わらず淡々としたものだったが、それでもこちらにできる限りの謝意を込めたつもりだ。
「ところで、お前達はこれからどうするつもりだ?」
 圭吾に聞かれたが、千秋は黙り込んでしまう。
 これまで自分達を引っ張ってくれていた猛が死んだ今となっては、これから先に行く当てなど当然無いし、そのうえ親友が大怪我を負っているともなれば、もう途方に暮れるしかない。どうするつもりかなんて聞かれたところで、答えようがないのだった。すると、これまた圭吾は千秋の返事を聞かずとも状況を察したらしく、小さく溜息をついてから「行く当てがないならついて来い」なんてことを言った。
「ついて来いって、いったいどこに行くつもりなの?」
 向かう先も分からずに、「はい分かりました」とついていくのは、さすがに少々気が引ける。
 既に歩き始めていた圭吾は、切れ長の目を横に動かして、もう一度千秋の方を見た。
「これから『発案者』のもとに向かう」
 彼はそれだけ言うと、相手の返事も待たずに、さっさと歩き出してしまった。
 発案者――。いったい何者なのだろうか。

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