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−仮面下の真実(2)−

 瞬時に大脳が受け入れを拒否したのだろうか、目の前で話していたはずの猛の声が、千秋には何故か一瞬聞こえなかった。何と言ったのかは口の動きから辛うじて読み取ることはできたが、しかしどうにも解せない。
 羽村には気をつけろ――これはいったいどういう意味なのだろうか。このビルの中は危険だから、一人きりにさせないよう真緒の動きに気をつけろ、ということなのかと思ったが、どうも彼はそういう意味で言ったのではない気がする。
 こういうときは自分一人で下手に考え込んでいるよりも、発言をした本人に聞くのが一番手っ取り早い。
「真緒に気をつけろって、どういうこと?」
 頭の中でなにやら嫌な予感がよぎり、表情が自然と固くなる。そんな千秋の様子を見つつ、猛は先の自分の言葉を訂正する。
「言い方が悪かったな。どうもお前は羽村のことを気にしすぎる傾向があるから、先に彼女の名を出してしまったが、正確には羽村と湯川、この二人ともの動きに注意しろということだ」
 なおさら分からない。どうして仲間である二人の動きに気をつけなければならないと言うのだろうか。
 怪訝そうにしている千秋に理解を求めるためにと、猛はさらに話を続ける。
「いいか、順を追って説明していくぞ。まず杉田を殺した犯人の正体だが、これはおそらく小島に間違いないだろう。状況証拠も十分に揃っていることだしな。だけど藤木殺害に関しては、彼女は関与していないだろうと思われる」
「どういうこと?」
 杉田光輝の時とは違い、たしかに藤木亜美殺害に関しては、今のところ由美子が犯人だと断言できるほどの有力な材料はない。だけどそれとは反対に、彼女は犯人ではないと否定する材料だって無いのだ。それなのに猛はどうして、由美子は亜美を殺していないと考えたのであろうか。
「思い出してみろ。羽村の呼び声を聞きつけて一階に降りた時、俺達は初めて藤木の死を知っただろ。そのとき死体はどんな状態だった?」
 決して思い出したくもないことだが、嫌がっていては話が前に進みそうにないので、仕方なく当時の光景を思い出すことにする。
「えーと確か、両足をロープで結ばれた状態で、吹き抜けの三階から逆さに吊られて……」
 そこまで言ったところで、猛が「もういい」とでも言うように割り込んでくる。
「そう、これ以上ないほどに残酷で派手な演出。あのときは羽村が最初に気がついていたが、もしも彼女よりも先に俺達が一階へと下りてきていたとしても、死体にはすぐに気がついただろう」
「そりゃあ、まるであたし達に死体を見せ付けるのが目的であるような、そんな吊り下げ方だったからね」
 何気なく思ったことを言っただけのつもりだけど、猛は「それだ」と言って食いついてきた。
「そう、問題はそこだ。藤木の死体をあんなに目立つ場所に吊るした犯人が、杉田の死体は見つからないようにコソコソと隠すだなんて不自然だろう」
「あっ」
 そう言われれば確かにそうだ。亜美と光輝は同じ建物の中で殺されてはいるが、二つの事件は一貫性が無いどころか、むしろ状況が違い過ぎている。
「つまり亜美を殺して三階から逆さに吊るしたのは――」
「小島とは別人だと考えるのが妥当だろうな」
 なんてこった。つまり謎の殺人者は今も生きていて、どこかに隠れているという可能性が高いということではないか。
 この後も猛の推理はまだまだ続き、由美子は初め、殺人に手を汚すつもりなんて無かったのだろうけど、クラスメート達が死んでいくのを目の当たりにしているうちに、精神的に不安定になって、そして犯行に及んでしまったのではないかと説明された。それから、千秋が襲われたのは光輝の死体を見つけてしまったのが原因だろう、とも。話に筋が通っており、疑いの余地はまるで無い。
 今になって思えば、証拠がまるで残されていなかった亜美殺害の一件と、犯人の正体が一目瞭然だった光輝殺害を、同一犯によるものだと欠片でも考えたこと自体がナンセンスに思える。
 既に十分すぎるほどに驚いていたが、猛の推理はまだまだ止まることを知らない。
「話はこれで終わりじゃない。藤木を殺した犯人は杉田殺害には関与していないだろうとほぼ断言できるが、その代わりに別の件には関わっていた可能性がある。この廃ビルに集まったメンバーの中で、俺と春日の二人だけが目撃した――」
「あっ、もしかして新田君の?」
 今度は千秋が猛の言葉を遮る形で、頭の中にピンと閃いたことを口にした。
「そう。俺達がここに到着する以前に見た、森の中で大木に磔にされていた新田の死体。似ていると思わないか? まるで死者を弄ぶかのように、わざと死体が人目にさらされるようにする、その残虐極まりない犯行手口が」
 磔と逆さ吊り。言われなければ気づかないかもしれないが、たしかに人目にさらすという意味では、どちらもよく似た犯行であるとも考えられる。
「それじゃあ、亜美の死体を下ろしてから磐田くんが呟いた、『同じだ』って言葉は――」
「ああ、藤木の首元に、新田の死体にも見られた“手で締められた跡”が残されていたからな。殺害方法も全く同じ。なあ、似てるだろ。この二つの犯行」
 猛が言おうとしていることが読めてきた。つまり彼はこう言いたいのだ。藤木亜美を殺した犯人は、杉田光輝殺害には関与していないけど、ここを訪れる前に新田慶介を殺してはいたのだ、と。そして――。
「その犯人が真緒か湯川くんのどちらかかもしれない、ということなんだね」
 千秋の真剣な眼差しに見つめられた猛は、話しにくそうな顔をしつつも「そうだ」と間違いなく言った。
 集まって初めの頃は、仲間の中に裏切り者がいるなどとは夢にも思っておらず、亜美が殺された時だって、犯人は別にいると信じて疑わなかった。だけどいくらビル内を捜査してまわったところで、自分達以外の存在など見つからなかった。潜んでいたという痕跡すら。そして思った。もしかして犯人は自分たちの仲間の中にいるのではないだろうか、と。
 猛が真緒たちにも注意すべきだと考え出したのには、そういった経緯があったらしい。ちなみに、プログラム開始直後から一緒に行動していた千秋は、初めから容疑者から外されていたのだそうだ。
 しかし千秋は納得することができなかった。いくら今がプログラムの最中であり、よく知る者同士でも腹の内を探り合うべきだと忠告されたところで、幼い頃から手を繋いで歩いてきた真緒に疑いの目を向けるなど、できるはずがない。それに慶介や亜美を殺した犯人が真緒だとすると、どうしても矛盾が生じてしまう。
 千秋はそれを材料に、真緒が犯人の可能性もあると唱える猛に反撃することにした。
「でもやっぱりおかしいよ。だって真緒はここに着くまで、亜美と一緒に行動してたんだから。亜美が見ている横で新田くんを殺すだなんて、それはいくらなんでも不自然じゃない?」
「藤木と合流する前に犯行に及んだのかもしれない。単独行動だった湯川と比べれば時間は絞られてしまうものの、犯行は十分に可能だったはずだ」
 さすがは冷静沈着な猛。この程度では意見を曲げてはくれない。だけど千秋もまだ負けてはいない。
「犯行時間はあったとしても、真緒には人間を木の表面に磔にするなんて出来っこないよ。新田くんってどちらかと言えば小柄な方だけど、持ち上げながら杭を打ちつけるなんて、相当な力持ちじゃなきゃ無理だよ」
 特に真緒なんかは小柄な体躯を見ても分かるように、かなり非力な部類に入るために、こんなあからさまに力が必要そうな犯行をやり遂げられるはずがない。少なくとも千秋はそう思っていた。だけど猛は千秋の想像を凌駕する強敵だった。絶対反撃不可能だと思われた千秋の意見に対して、既にちゃんとした回答を用意していたのだった。
「たしかに、普通の方法では人間を木に打ち付けるなんて単独では不可能だ。だがな、ちょっとした工夫さえすれば、力の無い者でもあの現場を作り出すことは十分に可能だ」
「ちょっとした工夫?」


「ああ。まずは長めのロープを一本用意して、片方の先っぽを木の幹にでもしっかりと縛り付けておく。そしてもう一方の先に石か何か錘を結び付け、放り投げて木の枝の上に通す。そして新田の胴体を半周するような形で遺体の両わきに通し、そして最初にやったのと同じように、もう一度ロープを木の枝の上に通す。これで準備は完了だ。あとは錘のついた方のロープの先を引っ張れば、木の枝との摩擦を差し引いても、人間一人を引き上げるのに必要な力の何割か減で、新田の遺体を宙に浮かせることができる。いわゆる滑車の原理ってやつだ。これなら体重の軽そうな羽村でも不可能ではないはず。新田の体が十分に上がったら、今度は引っ張っていたロープの先をどこかに結びつけるなりする。そうすればもう手を離したって遺体は宙に浮いたままだ。あとは遺体がロープからずり落ちないように気をつけてさえいれば、木の表面に打ち付けるのに力なんて必要ない。打ち付け終わった後は木の幹に結んでおいたロープを解いて回収すれば、世にも不思議な磔死体の出来上がりってわけだ。もちろんこれは俺が考えた一案に過ぎず、犯人も同じ方法を用いたとは限らないけどな。要するに人間を磔にすることは不可能ではなかったというわけだ」
「でも、逆さ吊りにされた亜美の件は――」
「それはもっと簡単だ。両足を結んだロープの反対側を手すりに結び付けて三階の吹き抜けから遺体を放り投げれば、一瞬にして逆さ吊りにすることができる」
 頭をハンマーで殴られたような感覚。まさか本当に凄惨な現場を作り出すための術があるなどとは考えてもいなかっただけに、それらの回答にはただただショックを与えられた。これをもしも推理ドラマの回答として聞けたのなら感心すらしただろうけど。しかし幼馴染に殺人罪がかかるかもしれないという一大事とあっては、のん気に拍手するわけにもいかない。
 このまま真緒を殺人の容疑者にさせたくないという一心で、猛の推理から穴を見つけ出そうとするものの、計算されたかのように筋が通っており、つけ入る隙がなかなか見つからない。
 一度「そんな時間がかかりそうな大掛かりな作業を、プログラムの最中といういつ誰に襲われるとも限らない状況下で、本当に行えるものだろうか?」と切り出し、猛を唸らせることにも成功したが、「これだけ用意周到な計画を実行した犯人なのだから、敵に見つかることをも想定して、なんらかの対策は立てていただろう」と返されて、結局は意見を捻じ曲げさせるには至らなかった。そもそも新田を磔にするという犯行は本当に行われていたのだから、「行えるのか?」なんて疑問は今さら全くの無意味だ。
 真緒が怪しまれるという現状に、そして友人一人の弁護すら十分に行えない自分に、だんだんと苛立ち始めた。
「羽村を信用したいという春日の気持ちはよく分かる。だが今は自分が生きることを最優先に考えて、あの二人にも少しは注意した方が良い。俺が言いたいのはただそれだけ――」
「真緒は人殺しなんかじゃない!」
 苛々がついに限界点を超えて、千秋はついに我慢しきれなくなってしまったのか、これまでずっと信用し続けてきた猛に向かって、初めて突っかかってしまった。ほとんど無意識の内に。
 猛は千秋の豹変ぶりにただ驚いているようだった。

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