069
−仮面下の真実(1)−

 いったいどこで計算違いが生じてしまったのだろうか。
 プログラム開始の直前、同じトラックの荷台の上に居合わせた十人の生徒達は、緑樹栄える山中にそびえ立つ鉄筋の城へと集まると誓い合った。
 監視の目が行き届き、厚い壁によって外界から守られているこの建物の中に隠れてさえいれば、いつまでも安全は保証されるはずだった。しっかりと噛み合った歯車はスムーズに回り続けるはずだった。回り続けるはずだったのに、隙間に小さな小石が詰まるというほんの些細なトラブルが発生した事によって、歯車の傘下で活動する大車輪の全てが、ぎしぎしと音を立てて軋み、やがて動きを止めてしまった。
 無事に集まった仲間が一人二人と順に死んでいき、気が付くと、七人集まっていたはずのメンバーも四人にまで減っていた。そして先の放送にて、鳴瀬学、諸星淳、田村由唯の名前が読み上げられた事で、待ちわびた他の仲間たちはもう約束の場所に辿り着くことはないのだと知った。
 残されたのはたった四人だけ。五階までしかない小さなビルでさえも、今やとてつもなく広く感じられるから不思議だ。
 ビル内部に人が活動する気配はまるでない。ガラスの割れた窓から入り込んでくる雨音が、より鮮明に聞こえるように感じるのはそのせいだろうか。
 悲惨な騒動が過ぎ去った後、メンバーたちは吹き抜けの側の三階フロアへと集まった。そこは藤木亜美が逆さ吊りにされた現場のすぐ側でもあったが、遺体はもう一階へと降ろされていたため、さほど気になりはしなかった。
 積もりに積もった砂埃にお尻が汚されるのも気にせず、ちょうど輪になるような形で、床の上に直に座る四人。しかし仲間たちの様子が一望できるそんな体形であっても、顔を地面へと傾けたまま誰一人として声を発さない。連続して起こった事態のせいで精神が参ってしまっているのであろう。
 降りしきる雨はまるで四人の心境をそのまま表しているかのよう。気力の失せた仲間たちの姿を見ているうちに、春日千秋(女子三番)はふとそんなことを思った。
 千秋から見て円の右側に座っているのは、幼馴染の羽村真緒(女子十四番)。もとより色白ぎみな肌からはさらに血の気が引き、黙って座ったままじっとしていると、人形か何かと見間違えてしまいそうだ。
 左側に座る湯川利久(男子二十番)の顔色はまだいくらかマシであるようだが、『いつでもどこでも笑顔を絶やさない』という特記事項を消すべきかと考えてしまうほどに、今の彼の表情はどんよりと曇りがかっている。
 そして方膝を立てた状態で正面に座る磐田猛(男子二番)。顔色こそいつもの具合を保ったままだが、一番辛い思いをしているのはおそらく彼。なにせ猛は仲間の一人を殺めてしまい、その手を血に汚してしまったのだから。偶然とトラブルが重なり合って起こった不幸。それは猛の意思に反した不慮の事故、及び正当防衛に他ならないが、人一倍の正義感を持つ彼にとっては大きな負担となったはず。
 嫌な事を思い出したくないからか、猛は袖に染み付いた小島由美子の返り血の上に手の平を被せていたが、肘の辺りまで飛んだ二、三滴が隠し切れておらず、あまり意味はないようにも思える。
 息が詰まる場の雰囲気とはこういう事を言うのだろうと、なんとなく思う。そんな余計な事を考えられるだけ、メンバーの中で精神的に一番安定しているのは千秋であると言えるのかもしれない。もちろん客観的に見た自分の姿はどうなっているのか想像もできないけど。
 あまりに重苦しい空気に耐え難く思い始めた千秋は、何か喋るべきだと自分の中の自分に言い聞かせた。
「あたしたち、これからいったいどうなるんだろう」
 質疑でも応答でもない、至極当たり障りの無い言葉。しかしたったこれだけの言葉を発するだけでも、普段では考えられないほどの労力を要した。しかも困った事に、千秋の言葉に続く者はなかなか現れず、必死になって絞り出した声は場に何の変化をもたらす事も無く、そのまま空気中へと溶け込み始めている。努力が無駄になってしまうという経験は何度かあったが、これほど悲しい思いをしたのは初めてかもしれない。
 ところが、千秋の言葉の余韻がまだ空気中に残っているうちのことだった。今まで黙り込んでしまっていた猛が、固く閉ざされていた口を突如開封した。
「すまない。全て俺の判断が間違っていたせいだ」
 千秋が発した言葉との繋がりなど芥ほども見られなかったが、彼が口を開くきっかけにでもなっていたなら、これ幸いと言うべきだろうか。たとえようやく発された言葉が、明るさを微塵も感じさせてくれないようなものであっても。
 猛は続けた。ビル外部の監視ばかりを優先させ、メンバーたちをバラバラにさせてしまった事。恐怖に脅えて正気が保てなくなっていた小島由美子を、すぐに見つけてやらなかったこと。正体不明の殺人者を早く探し出すためにと、ビル探索チームを分断してしまったこと。それらは全て間違いであり、指揮をとっていた自分に責任があるのだと。
 しかしそれは仕方の無いことであった。まさかビル内部に自分たちの生命を脅かすような異分子が存在しているだろうとは、千秋を含め誰もが思っていなかっただろうし、藤木亜美の死体を見つけて一種の興奮状態に陥ってしまってからは、冷静な判断など出来るはずもなかったのだから。
「それで結局、亜美たちを襲った犯人はどうしちゃったんだろう」
 真緒が呟いた。「殺した」を避けて「襲った」という言葉を使ったのは、おそらく彼女なりの配慮だったに違いない。いずれにしろ、猛と同様にしばらく口を開く事すらなかった真緒が声を発した事から推察すると、息が詰まるほど劣悪だった場の雰囲気は、少しずつ和らいでいるようだ。
 それはともかく、真緒が言った『殺人者のその後』は確かに疑問に思うところだ。亜美たちを殺した犯人が、もしもまだ外へと出ていっていないのだとすると、今もどこかからこちらの様子を窺っているのでは、とも考えられる。もしかしたら、背後に立っている柱の影からでも――。
 余計な事を考えて身を震わせていると、これまたしばらく閉口していた湯川がぼそりと呟いた。
「藤木さんたちを襲ったのって、もしかしたら小島さんだったんじゃないかな?」
 真緒に倣って、一応「殺した」という言葉を避けるようにはしたらしい。だけどそんな配慮を全く無意味にさせるほど、今の利久の言葉には全員の心臓を高鳴らせるだけの力があった。
 千秋は以前に自らの目で見た光景を思い出した。暗く狭い部屋の中で、ブルーのビニールシートにくるまれた杉田光輝の遺体を、一生懸命になって棚の奥に隠そうとしていた由美子の姿。あれこそまさに彼女が殺人者であった証拠と言えるのではないだろうか。それに何より、千秋は一度由美子の手によって殺されかかっている。
 殺人者は由美子だった。そう断言できるだけの材料は手元に揃っている。だけど、本当にそうなのだろうか?
 千秋が深く考えている横で、利久はそれと全く同じ考えを仲間たちに向けて熱弁している。由美子が死んだ今となっては、もう何も脅える必要はないとでも言って、皆を安心させるつもりなのだろうか。
 猛は利久の顔をじっと見つめながら、真緒は少しうつむき加減になりながら、二人ともがその真剣な話に耳を傾けているが、それぞれ何を考えているのかがイマイチ掴めない。
「確かに、春日たちに聞いた話から推察すれば、杉田を手にかけた犯人は小島に間違いないだろうが――」
 まだ何か続くような口振りだったが、猛は言葉を途中で切ってしまった。猛の左隣で体操座りしていた真緒が、急に立ち上がったからだ。
「真緒?」
 突然のことに驚いた千秋の口が上下に割れて、幼馴染の名が勝手に飛び出す。だけど真緒は千秋の言葉に反応を見せる素振りも無く、なぜかフロアの端に見える扉へと歩き出してしまった。
「どうしたんだよ、羽村さん」
 慌てた様子で利久も立ち上がるが、真緒はまるで相手にすることもなく、扉の向こうへと姿を消してしまった。
 勝手に部屋を飛び出してしまったワガママなお嬢様の行動に、すっかり置いてきぼりにされてしまった使用人たち。ばたんと重い音を立てて閉まった扉を、鳩が豆鉄砲くらったような顔をして見つめる三人の姿は、まさにそんな感じだったのではないだろうか。もちろんワガママお嬢様なんて、真緒のイメージとはかけ離れ過ぎているのだけれど。
「僕ちょっと見てくるよ。三人もの仲間が死んだこの建物の中で、女の子を一人にさせてしまうなんて、やっぱり心配だし」
 たった今まで熱く語っていた『小島由美子犯人説』を真っ向から否定してしまうような利久の発言には、突っ込み所が満載だけど、真緒を一人にしては心配だという意見は一致。
「あ、あたしも行く」
 真緒が入った部屋へと向かう利久の背中を追おうとした。が、フロアを出ようと足を動かしているのに、なぜか身体が前に進まない。不思議に思って振り返ると、猛が千秋の腕を掴んで止めていた。
「大丈夫だ。羽村たちがいる部屋に入るには、俺たちのいるこのフロアを通らなければならない。殺人者がこの建物の何処かに隠れていたとしても、今回は手を出せやしないさ。それよりも、春日にちょっと話したいことがある」
「話したいこと?」
 猛の眼差しがあまりにも真剣だったので、腕を掴む手を振り払うこともできなかった。
 観念した千秋が足の動きを止め、話を聞く体勢をきちんと整えると、猛は言った。
「羽村には気を付けろ」

【残り 二十人】
←戻る メニュー 進む→
トップに戻る



SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送