058
−杖突きの決断(2)−

 木の葉がガサガサと音をたてるたびに、三上圭子(女子二十一番)はびくりと身体を震わせる。しかしそれは風に揺らされた植物達の悪戯だと分かると、持ち上げた肩をほっと撫で下ろす。
 だが今のところ敵らしき姿は見られないとはいっても、視界を狭めている木々や茂みといった障害物の裏に誰かが隠れているとも限らないので、気を抜くことは許されない。
 圭子はそんなことを考えて、安心したせいで緩みかかった緊張の糸をぴんと張り直す。そんなことを幾度となく続けてきた。
 森林の奥地、木々の間に生茂る野草を踏みつけるように腰を下ろし、圭子は方膝を立てながら背中の倒木にもたれかかり、少し外側へとカーブを描くミディアムショートの黒髪を手で撫でつつ考え事をしていた。もちろん、どうすればクラスメートたちと戦わずにプログラムから脱することができるか、ということについて。
 松乃中に通っていた頃からずっと学級委員長を務め続けてきた圭子は、今までにも数々のクラス問題と真正面から向き合い、それらを解決に導くために努力してきた。
 被災してから保健室へと入り浸るようになってしまった小島由美子を元気付けようとクラスじゅうに呼びかけたのも彼女だったし、また、松乃中に通っていたころ、木の上の巣から落ちてしまったツバメの雛をクラスで飼ってあげようと、担任教師に頭を下げて許しを請うたのも彼女だった。それに圭子は、六条寛吉や田村由唯をイジメていた黒河龍輔(男子六番)の前に立ちはだかり、真っ向から止めに入った唯一の女子でもある。
 行動力も度胸もあるそんな彼女が、三年間ずっと委員長に推薦され続けてきたというのは、もはや当然のことであった。
 しかしそんな圭子であっても、目の前に立ちはだかった今回の問題に対しては、まったく歯が立ちそうにない。プログラムのセキュリティはあまりにも万全で、僅かな隙すら見受けられず、いくら考えても頭が疲れるだけだった。
「委員長、大丈夫?」
 疲れた様子の圭子の顔を見て、隣に座り込んでいた女生徒が心配そうに顔を覗き込んでくる。
 長きに渡って委員長を務めてきたせいなのか、クラス内での圭子の呼ばれ方は、もはや「委員長」で完全に定着していた。最初の頃は違和感のあるその呼ばれ方を嫌がっていた圭子だったが、今やもう慣れてしまった。
 圭子に話しかけてきた女生徒は、長く伸びたストレートヘアーをオールバックの要領で後ろに返し、うなじの辺りで一まとまりに束ねている。全体的に線の細長い感じの圭子とは対照的に、ふっくらとした丸みのある体型をしていて、笑ったときに浮かび上がる笑窪がとても可愛らしい少女だと、圭子はいつも思っていた。その少女の名は横田真知子(女子二十三番)という。
「気にしてくれてありがとう。だけど、心配しなくても大丈夫よ」
「そう。それならいいけど」
 自分を心配してくれる真知子を少しでも安心させるために、本当はうんざりとしているにも関わらず、圭子は元気があるように装った。「委員長たるものクラスの人間を心配させてはならない」というのが彼女のポリシーだったからだ。
 だがそのバレバレな演技を見て、圭子のウソを見抜けない者などいない。真知子もおそらく圭子の態度はただの空元気にすぎないと気づいているだろうが、優しい彼女はいちいちそんな所に突っ込んではこなかった。それが今の圭子にとっては、なによりもありがたかった。
「しかしこれからどうしたものかな。このままじゃあジリ貧だよ」
 何気なく言った圭子の言葉に、真知子はデイパックの中に入っていた固形タイプ栄養調整食品『カロリーブロック』を口へと運びながら、
「そうだね。前の二度の放送のせいで、級友を殺してまわってる人がいることも証明されちゃったし、そのうち私達もやられちゃうよ」
 と悲観的な返事をする。
 宅配会社で働く父の影響なのか、娘の真知子も力に関しては相当なものであるはずなのだが(前に理科の教科書がいっぱいに詰まったダンボール箱を軽々と持ち上げていたのを見たことがある)、争い事を嫌う性格の彼女は、その能力をプログラム中に発揮しようなどとは毛頭考えてはいなかったようだ。
 また、真知子が悲観的な考えをする気持ちも分からなくもない。なにせ自分達二人に支給された物といえば、強力な武器を前にしては全く歯が立ちそうにないものばかりだったからだ。
 真知子に支給されたのは鉄扇。カンフー映画かなにかで器用にそれを扱っている役者は見たことがあるが、戦闘に秀でているわけでもないただの女子中学生に、これをどう扱えと言うのだ。
 それと比べれば圭子に支給された折りたたみ式のバタフライナイフの方が、まだいくらか使い勝手が良さそうだが、それでも銃などを相手にしては、まるで歯が立たないだろう。
 つまりは導き出される結論は一つ。勝つことのできない戦闘を回避するために、他者との遭遇も避け続ける。
 そのあまりに平凡な考えに、これまで数々の問題と向き合ってきた身である圭子は、少し情けなく思った。
 圭子がその考えを口にしようとしたとき、まるで遮るようにして真知子が口を開いた。


「ねえ委員長、聞いてくれる?」
「えっ?」
 半分まで口を開いたところで真知子の声に邪魔をされた圭子は、急遽相手の言葉を聞く体勢に入る。この辺りの臨機応変さは、三年にも渡る委員長経験の賜物といえよう。
「何かあったの? 聞いたげるから話してごらん」
「ありがとう。あのさ、私、死ぬ前にどうしても会いたい人がいるんだ」
「会いたい人?」
 圭子は少し興味を抱き、さらに深く話を聞こうとする。
「まさか、その会いたい人って男子じゃないでしょうね」
 すると真知子は少しはにかむような顔をして、「男の子だよ」とだけ短く返した。
「男の子って、誰?」
「武田くん……」
 少し意外だった。先ほどのはにかんだ顔から考えると、彼女が会いたがっている男子のことを、真知子は本当に好いているのだろうとは容易に予想することが出来た。しかしまさかその相手が、武田渉といった平々凡々な人物だったとは、全く想像すらしていなかった。
 てっきり土屋くんだとか、あるいは比田くんだとか、その辺りのちょっとイケてる面々の名前が飛び出すかと思っていたけど、真知子って結構素朴な感じな人がタイプだったんだ。いや、武田くんだって優しくてなんか可愛いところもあるし、異性に好かれてたっておかしいとは思わないけどね。
 圭子がそんなことを考えているうちに、真知子はなにかを話す決心をしたらしく、再びゆっくりと口を開いた。
「私ね、助けたんだ。瓦礫の下敷きになって身動きできず、迫る炎に飲み込まれようとしていた彼を」
「炎って……つまり二年前の火災の時のことだよね。そのときに真知子が、武田くんを?」
「そうよ。もはや眼前にまで火の手が迫っている中で誰かを助けようとしたなら、自分も命の危険にさらされるだろうとは分かっていた。だけど、クラブ活動中に飛び跳ねるように走り回っていた彼の生き生きした姿を思い出すと、放っておくことは出来なかった。もしも武田くんが死んでしまったら、一番悲しい思いをするのは自分だと分かっていたし」
 正直、圭子は驚いた。松乃中で火災が起こったときに、渉が足を怪我したのは誰もが知っていたことだが、彼がどうやって瓦礫の下から抜け出すことができたのかは、ずっと謎のままだった。それがまさかこんな形で明らかになる日が来るとは、思ってもいなかったから。
「だけど私は彼に酷いことを言われ、そして傷つけられた。だから私はどうしても聞きたい。いつも優しくて他人を傷つけるような人間ではなかったはずの彼が、どうして私のことをあんなに酷く言ったのか」
「酷いことって、何?」
 圭子は恐る恐る聞いた。すると真知子は僅かにうつむき加減になりながら、小さく小さく呟いた。
「武田くんはこう言った。私のことを……」
 だがその言葉が最後まで言い切られることはなかった。
 真知子と向き合う圭子の視界の右側から、なにやら細長いものが飛んできたかと思いきや、次の瞬間にはそれが真知子の左側頭部に深く突き刺さった。真知子の頭を貫通し、鋭く尖った先端を右側頭部から露出させた血濡れのそれは、どう考えても矢にしか見えない。
「真知子!」
 ぐらりと身体を揺らした真知子の身体を、圭子は懸命に支えようとした。だが自分の1.5倍近くもあるその体重を支え続けることは出来ず、頭を右から左へと貫かれて意識の全てを放散させてしまった真知子は、結局すぐに地面の上に伏すこととなった。
 死してもなお温かみを残している真知子の身体に、圭子はすぐさま泣きついた。
「真知子ぉ! どうして、どうしてこんなことに!」
 自分の隣に座っていた者の突然の死を信じられず、圭子は真知子の亡骸へと向けて、死んじゃダメだよ、だの、武田くんに会って聞きたいことがあったんでしょ、だの、一生懸命に話しかけた。しかし当然のことながら、もはや返事か戻ってくることなどない。
「へへっ、一丁上がりだ」
 どこかで聞いたことのある声が聞こえた。
 圭子はすぐさま矢が飛んできた方向を振り向く。そこには、右手に携えたボウガンに次の矢を装填しながら、爬虫類系の顔を憎たらしくにやつかせている黒河龍輔が立っていた。


 横田真知子(女子二十三番)――『死亡』

【残り 二十三人】
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