059
−杖突きの決断(3)−

 龍輔は手にかけたばかりの真知子の死体をまじまじと見つめている。仕留めた獲物の大きさに満足するハンターのごとく、至福に満ち溢れた目つきをして。
 圭子は自分の身体がぶるっと震えるのを感じた。当然だろう。全身から殺意を漲らしている猛獣のようなこの男を前にして、少しの恐怖も抱かないなど、気が正常である限りはありえない。
 だが、圭子の中を支配する感情は、すぐに悲しみと恐怖のどちらでもなくなった。圭子の中を満たした感情、それは龍輔に対する怒りに他ならない。
「黒河くん! どうしてこんな酷いことを――どうして真知子を殺したのよ!」
 口が勝手に動く。
 龍輔は人を小ばかにするような顔をした。
「どうして殺したかだと? お前、それ本気で聞いてるのか? クラスメート同士で殺し合い、最後に生き残った一人だけが帰れる――これがプログラムのルールだろ。俺はそのルールに乗っ取ってごく自然に行動しただけじゃないか」
 驚くほどすらりと言い放つ龍輔は、何が楽しいのかにやにやしながら、言葉の最後に「な。優秀なあんたなら理解できるだろ。委員長さん」と皮肉るように付け加える。
 言葉の一つ一つに神経を逆撫でされた圭子は顔を歪めながら、微笑みつつこちらを見据えてくる龍輔のふざけた目を、きっと睨み返した。
「ふざけないでよ!」
「ふざけてなんていねぇよ。それよりもお前、頭がちょっとおかしいんじゃねぇか? プログラムに巻き込まれちまったら、自分が生きるためにクラスメートを殺さなければならないなんてこと、小学生でも知ってる常識だぜ。俺はあくまでも法に従ったのみ。なのにどうして俺が責められなきゃならねぇんだ?」
 たしかに彼の言い分は、大東亜という国の中では常識とされている。しかし、圭子は反政府の人間ではないけれど、共和国戦闘実験についてのみは賛同できない。
 三年も一緒に過ごしてきた仲間同士で命の奪い合いをするだなんて馬鹿げている。と、いつもそう思ってきた。だからこそ、プログラムに巻き込まれたことを言い訳に、簡単に殺しに手を汚してしまう者のことを、許すことが出来なかった。
「私は真知子を殺したあなたを許さない! そして、これからもクラスの仲間を殺し続けるであろうあなたの横暴に、これ以上黙ってはいられない!」
 折り畳まれていたバタフライナイフの刃を立てて、圭子はその切っ先を相手の喉元へと向ける。眼前にまで迫っている敵から自分の身を守るためでもあったけど、それよりも、武田渉に会って話を聞きたいという願いを叶えるよりも前に無残に殺されてしまった真知子の無念を晴らしたい、といった思いの方が、その行動に含まれる意味の大部分を占めていた。
 龍輔は何か面白いものでも見たように、くくっと笑いをこらえる。
「まさか、そのナイフで俺を止めるとか言うんじゃないだろうな? 無駄だぜ。俺の身体は悪魔の薬『ホワイトデビル』によって強化されているんだからな」
「ホワイトデビル?」
 龍輔の言葉に眉をひそめる。
「ホワイトデビルといえば、近年出回り始めたという新種のドラッグ……」
「へぇ、良い子ちゃんでも基礎知識くらいなら知ってたんだな。そう、俺はその薬で悪魔との契約を果たし、人外の力を手に入れたのさ。もともと俺よりも体力的に劣っていたお前が勝てる可能性など、もはや塵ほどにも残されてはいない」
「ふんっ。自分の力が信用できなくなって、悪魔に力を借りなければならなくなったってことでしょ。落ちるところまで落ちたものね」
 これまで傲慢な態度をしていた龍輔も、呆れたような圭子の口ぶりにはさすがに気を悪くしたのか、少しむっと顔を歪めた。
「言ってくれるじゃねぇか、クソ女のくせによぉ。決めた。お前はすぐには殺さない。ゆっくりじわじわと痛みつけて、出来る限りの苦しみを与えながら死に導いてやる」
 龍輔のその言葉を合図に、怒りに打ち震えた圭子がバタフライナイフを構えながら、一心不乱に相手の懐めがけて駆け出した。だがそれを見た龍輔もすかさず、既に矢を装填し終えていたボウガンの先を圭子へと向け、引き金にかかっていた人差し指に力を入れ、矢を発射する。
 凄まじい勢いで飛び出した銀色の矢は、空中に直線を描くようにして真っ直ぐ圭子へと向かう。
 龍輔の手元の動きをしっかりと見ていた圭子はとっさに身を捻り、襲い来る矢を回避しようと試みた。しかし凄まじきスピードで向かってきた矢から避けきるには至らず、頬の辺りを掠めた切っ先が薄皮一枚を剥ぎ取っていく。
 痛みに一瞬怯んでしまいそうになったが、すぐさま体勢を立て直して再び突き進む。
 相手との距離はおよそ十メートル。龍輔にはもうボウガンに次の矢を番える暇も無いはず。
 そう考えて、圭子は走る勢いを殺さずに、そのまま真っ直ぐ突っ込んでいく。右手に構えていたバタフライナイフをしっかりと握り締めて、相手の姿が目前へと迫るや否や、素早くそれを突き出す。
 どすっ、と刃物が人体に突き刺さる音が聞こえた。だけど不思議なことに、相手を仕留めた手ごたえなど圭子は微塵も感じていない。それもそのはず。相手を仕留めたのは圭子ではなく、いつの間にかボウガンからファイティングナイフへと武器を持ち替えた龍輔の方。聞こえたのは、彼が握るナイフの刃先が圭子の腹部の皮膚を突き破りながら、体内へと深く埋もれていく音だったのだから。また、バタフライナイフを突き出した圭子の腕は、薬で強化された龍輔のもう片方の手に掴まれて、動きを完全に封じられていた。
 龍輔はナイフを圭子の腹部に突き刺したまま、それを軽く捻ってみせる。
「あぁぁぁぁぁぁっ!」
 傷口を広げられる痛みに耐えかねた圭子が、大きく悲鳴を上げながら、死の恐怖から逃れたい一心でナイフを握る龍輔の腕を押しのけた。
 体からナイフは抜けたものの、あまりの痛みにこれ以上立っていることも出来ず、腹の傷を両手で押さえながらその場に膝をついて崩れ落ちてしまう。
 喉の奥から湧き上がってきたのだろうか、口の中に血の味が漂う。
「いい様じゃねぇか委員長さんよ、ひゃっひゃっひゃっ」
 半身に返り血を浴びたその男は、圭子の苦しむ様子を見ながら下品に高笑いする。
 圭子は腹部の焼けるような感覚に苦しみながら、悔しさから、ぎりっと歯を噛み締めた。
「へへっ、痛いか? そりゃあ痛いだろうなぁ、そんなに深く刺されちまったら。どうだ、地面に頭を擦り付けながら、助けてほしいと媚びるなら、この場は見逃してやっても良いんだぜ」
 そんなことを言いながらこちらを見下ろしてくる龍輔。だが彼のことだから、こちらがいくら言うとおりに行動したとしても、きっと約束を守りはしないだろう。だから彼の言葉に従うつもりなどない。そもそも生還の可能性を得るために、身も心も腐ったこの男の足にすがりつくだなんて、惨めすぎるにも程がある。
「自分よりか弱い女の子を一人仕留めたぐらいで、随分と嬉しそうにしているわね。やっぱりあなたはその程度の男に過ぎなかったってことかしら」
 学級委員という立場上、普段は言葉遣いに人一倍気を遣っていた圭子。だが今回はあえて気遣いというものを徹底的に排除して、返す言葉の中に、自分に出来る限りの憎々しさを詰め込んだ。その言葉が癇に障ったのか、龍輔はあからさまに表情を歪めて不快感を露にした。
「態度を翻す気は全くないというわけか。それならちょうどいい。委員長面して、俺のすることにいちいち絡んでくるお前のことは、前々から気に入らなかったことだしな。こうなったら徹底的に、お前を痛めつけてやるとしよう」
 そう言ってファイティングナイフを足元に放り投げ、代わりに拾い上げたボウガンに矢をセットし始める。そして、
「まずは四肢の動き全てを封じてやる」
 矢を番えたボウガンの照準をしっかりと合わせてから、発射した。
 撃ち出された矢に左手二の腕あたりを貫かれ、あまりの痛みにうめき声を上げる圭子。しかしそれだけでは龍輔は満足せず、さらに次の矢を装填し、また発射する。
 左足に突き刺さる。この男には弱いところを見せたくないという圭子の意思に反して、口から「あぁぁっ」と悲鳴に近い声が勝手に出てくる。
「なかなかいい泣き声を上げるじゃねぇか。だがこの程度では俺の気分は満たされねぇ」
 龍輔は三本目を発射する。四肢を封じるといった言葉の通り、どうやら今度は右腕に狙いを定めていたらしかったが、軌道が少しずれたらしく、放たれた矢は腕ではなく脇腹の辺りに突き刺さった。
 もはや耐えられるような痛みではない。体中を掻き毟り悶えようとも、この苦しみはとても拭えそうなものではなかった。
「チィッ、狙いがずれたか。でもまあ、おかげでお前の悶絶寸前のいい表情も見れたことだし、よしとするべきか」
 圭子はもはや座っていることも困難だったが、ここで倒れてしまっては負けだと自分に言い聞かせて、無傷である右手だけで身体を支えながら、座った状態をなんとか保った。だが、ここから反撃する手立てなど無く、せいぜい相手に向かって悪態をつくことくらいしかできない。
「あんた、絶対に良い死に方しないね」
「へぇ、まだそんな強気な態度を続けるつもりか。気に入らねぇな。こうなったらもう、とっておきの苦しみを与えてやるしかないようだな」
 龍輔は次なる矢をボウガンにセットする。その動作はもう何度も見てきたが、今回は何かが違う、と、圭子の本能が危険信号を発する。
 発射の準備を整えた龍輔は、張り裂けそうなほどに口の端を吊り上げて、醜悪な笑みを浮かべてみせる。
「こいつは今までの矢とは訳が違うぜ、毒矢だ。切っ先に塗られている毒は少しでも体内へと侵入すると、細胞の一つ一つを順番に壊死させながら、ゆっくりと全身へと浸透していく。そのときに感じる苦しみは、普通の矢に貫かれた痛みとはとても比べものにならないぜ」
 まるでその毒性を前々から知っていたかのように話す龍輔。一瞬ただのハッタリかとも思ったが、ホワイトデビルについても詳しく知っていたようだし、この男、もしかするとボウガンの毒の効能も存じていたのかもしれない。
 圭子の胸がどくんと波打つ。
「お前にはこいつで、死ぬことよりも辛い苦しみを与えてくれる!」
 龍輔の手元から、毒矢は勢い良く飛び出す。体中を何箇所も貫かれてしまっている圭子にはそれを回避する術など、もはや残されてはいない。
 毒矢は右足の付け根付近に突き刺さり、その衝撃で上を向いたまま倒れてしまう圭子。もう一度起き上がることもできない。
 筋肉の内側へと潜り込んだ鏃が、体内に存在する全ての細胞たちへと向けて毒を発散し始めたらしく、ゆっくりと体中が麻痺されていく感覚に襲われる。生きてきた中で感じたことも無いような、とてつもない苦しみも同時に感じた。
「一度その毒に侵されちまったら、もはや助かる方法など無い。苦しみながら、勝手に死ねや」
 そう言ったのを最後に、龍輔は悠々とその場を立ち去っていく。背中を見せる相手にももはや立ち向かえず、圭子は倒れたまま悔しがり、その姿をただ見送るしかなかった。

【残り 二十三人】
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