057
−杖突きの決断(1)−

 土屋怜二(男子十二番)は、薄暗い曇り空を不安そうに見上げた。果てしなく広がる天空を、鼠色をした雲が埋め尽くしている様子には、いつ雨が降り出してもおかしくないように思わされる。
 プログラムに雨天中止なんてあるわけでもないし、本当に雨だけは勘弁してくれよな。
 サッカー部の練習中に、濡れた地面の上で派手に滑ったことがあるためか、怜二は普段から雨があまり好きではなかった。
 あてもなく森林の中を歩き続けてきた彼の左右の肩には、二人分のデイパックがぶら下がっている。当然一つは自分に支給されたもので、もう一つは数時間前に合流することが出来たサッカー部のチームメイト、武田渉(男子十一番)の物だ。
 昔の事件で左足を悪くしてしまって以来、松葉杖を突きながらの歩行を余儀なくされていた渉だったが、その松葉杖も数時間前に氷室歩によって折られてしまい、もはや山林内をただ歩くことすらままならない。だから怜二は渉を背負って移動しようかと思ったが、気を遣った渉がそれを拒んだため、せめて荷物だけでも持ってやることにしたのだった。
 渉はどこかで拾った太い木の枝を杖代わりにして、前を歩く怜二に迷惑をかけぬよう、懸命に後についていこうとしている。もちろんただの枝と松葉杖とでは使い勝手の良さには歴然の差があるはずなのだが、片足での生活に慣れっこになっていた渉にとっては、支えになるものであればたとえ木の枝だろうと十分に代用できていたようだ。といっても、それは歩けるかどうかということについてで、歩行のスピードに問題がない訳ではなかったが。
「そこ、足元に石が落ちてるから、躓かないよう気をつけろよ」
 怜二は常に背後に気を配りながら、時折こうやって渉に注意を促す。そのおかげもあってか、ゆっくりではあるが、今のところは渉も順調に歩を進めることができている。
 渉は怜二の言葉にきちんと従い、足元に転がっていた少し大きな石を避けながら一歩前に踏み出した。
「ありがとう怜二」
 渉のそんな声もちゃんと聞こえる。氷室歩から逃れる際に使用した炸裂閃光弾によって一時的に奪われてしまっていた聴覚も、今やだいぶ元に戻ってきているようだ。
 それにしても、まさかこれほどの威力を発揮するとは……。次に使用するときは、またも自分までもが被害を受けないよう、慎重に扱わないとな。
 そんなことを自分に言い聞かせながら、怜二は左右のポケットの中に一つずつ忍ばせてある炸裂閃光弾を、服の外からやさしく撫でた。
 しかし、渉と再会できたのは良かったが、これからはいったいどうすれば良いのだろうか。
 怜二が悩むのも無理はなかった。以前なら“武田渉を見つけ出し合流する”という明確な目的を持って行動していたため、自分の向かう先を見失うこともなかったが、渉との再会を見事果たし、はっきりした目的もなくなってしまった今となっては、敵からただ逃げ回るといった延命措置を続けることしか考えられない。
 だが、怜二と渉の二人共がいくら生き永らえようとしても、たった一人しか生きて帰れないというプログラムルールの前では全く意味がない。
 くそ、いったいどうすれば……。
 怜二が頭を悩ましていたそのとき、どこか遠くのほうから聞き覚えのある声が聞こえた。
『はーいウンコちゃん達ぃ、元気してますかぁ? 今現在の時刻は昼の十二時ジャスト、プログラム開始からちょうど半日が経過しましたぁ!』
 このネチネチした声の主を聞き間違えるはずがない。間違いなく担当教官田中一郎の声だった。
「怜二! これって」
「ああ定時放送だ! 急いでメモの用意をするぞ!」
 放送時間になっていたことに気がついていなかった怜二は、ポケットの中に折り畳んで入れてあった地図と名簿を取り出し、地面の上に急いで広げた。そしてキャップを外したボールペンを、右手でしっかりと握り締める。
『ではウンコちゃん達が楽しみにしていたでしょう二度目の定時放送を始めまぁす! まずは六時間以内に死んだウンコちゃんたちの名前の発表なぁ。それではご存知の通り死んだ順番に。男子十四番、鳴瀬学くん。女子十一番、田村由唯さん。男子十九番、諸星淳くん。女子十六番、氷室歩さん。女子十八番、藤木亜美さん。男子九番、杉田光輝くん。女子七番、小島由美子さん。以上七名でぇす! それでは次に禁止エリアの発表を……』
 田中の口から死者の名が読み上げられるたびに、怜二は名簿の上に打ち消し線を書き加えていく。そして今後の禁止エリアについての情報も聞き逃すことなく、地図上に綿密にメモしていく。
『それでは今回の放送はこれにてお終いでぇす。生存者の数は残り二十四人にまで減っていますが、最後まで気を抜くことなく戦ってくださいねぇ』
 田中の声はそこで急に止まり、島内に静けさが舞い戻る。
 怜二はその場に座り込んだまま、クラス名簿に引かれた二十一本の打ち消し線を見つめていたが、その一本一本が死んだ皆の存在を否定しているように思い、恨めしく感じた。
 だが今の放送のおかげで分かったことがいくつかある。例えば同じサッカー部のキャプテンである磐田猛をはじめ、信頼できる人物がまだ何人か生き残っていること。そして――。
 あいつもまだ生きている……。
 川の上流から流されてきた瀕死の宮本正義に出会って以来、怜二の頭の中はある人物の姿によって支配され続けてきた。そして、頭の中に張り付いたまま離れないその人物も、未だ生き延びているらしい。
 彼はとある理由からずっと気にし続けてきた人物について、深く悩み出していた。
 もしかして、これまでは正しいことだと思っていた二年前の俺の行為は、本当は間違っていたのだろうか、と。
 だが怜二の思想は横から割り込んできた声により、すぐに中断させられることとなる。
「ねえ怜二、聞いてる?」
 深く考え込んでいた怜二は、ふと誰かに話しかけられていたことに気づく。この場にいる人物といえば、怜二以外には渉しかいないので、当然話しかけてきた人物とは彼以外にありえない。
 そういえば、氷室歩から逃げようとしたとき、渉のやつ、しきりに俺に話しかけようとしてたっけ。
 自らが放った炸裂閃光弾によって耳をやられていた怜二は、渉の話をきちんと聞いてやれていなかったということを今さら思い出す。
「なんだ、渉?」
 地面の上に広げたままだった名簿と地図を畳みながら、怜二は後ろに立つ渉を振り返った。
 渉は少し落ち着きのない様子で、
「俺、どうしても会わなくちゃならない人がいるんだ」
 と言う。
「会わなくちゃならない人? まさか、死ぬかもしれないというこの期に及んで、誰か好きな人にでも会いたいとか言うんじゃないだろうな」
 怜二はわざとにんまりと笑みを浮かべながら、サッカー部員同士で話すいつものノリで、からかうように渉の話に口を挟んだ。(本当は笑ってなどいられないほどに気が重かったが)
 しかし怜二の予想は見事に外れてしまったらしく、渉は真剣な目つきで怜二を見返し、
「俺の話を最後まで聞いてくれ」
 と強く言い放った。
 怜二は渉の態度に、なにやらただならぬものを感じ取った。
「今の放送で、俺が探している人はまだ生きていると分かった。俺、どうしてもその人に謝らなくちゃならない」

【残り 二十四人】
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