035
−現れぬ同盟者(4)−

 千秋たちと再会を誓ったメンバーの一人、諸星淳(男子十九番)は、人一人通るのがやっとの細い林道を必死に走っていた。
 まだついてきてやがる。あいつ、何があろうと俺を殺す気か。くそっ! 来るな、来るなっ!
 時折、彼は走りながら振り返り、背後の様子を確認する。そしてそのたびに目に入る、後ろから来る“追走者”の姿に恐怖していた。
 彼がこの死のオニゴッコに恐怖し、表情を強張らせてしまうのも無理はない。というのも、いかつい感じの老け顔や、がっしりとした体格に似合わず、淳には昔から臆病なところがあったからだ。
 柔道で県大会上位にでも食い込めそうなほどの実力を持つ彼が、未だに良い成績を残せていないのも、その臆病な部分が災いし、必要以上に緊張してしまうからだという。
 しかし、今のこの状況に陥ってしまえば、何も臆病な淳に限らず、誰もが身を震わせることになるだろう。
 標的を追い詰めることに快楽でも感じているのか、殺気立った目を見開きながらも笑みすら浮かべ追いかけてくる相手の姿には、誰もが怯えてしまうほどの迫力があるからだ。
 ちくしょう! どうして俺がこんな目に遭わなくちゃならないんだ! 俺はこれまでに、もう十分すぎるほどの苦みを味わってきたというのに……。

 二年前に消失した兵庫県立松乃中等学校の校舎は、自然との調和をコンセプトに建てらた、大部分が木によって構築された建造物だった。
 近年では珍しい、木造が中心となったその校舎建設計画に、当時数々のメディアが食いついて、ちょっとした話題となっていたのは、まだ記憶に新しい。
 この校舎建設の計画には、淳の父親が営む小さな会社『諸星建設』が一枚噛んでおり、このところ低迷し続けている業績を回復する糸口になりえるのではないかと、会社関係者の中では密かに期待されていた。
 その期待通り、校舎建設が完了するやいなや、計画の後押しをしていただけに過ぎなかった諸星建設にも運気向上の時が訪れた。世間で注目を浴びた計画の一員として残した実績が評価され、僅かながらも舞い込む仕事の数が増大したのだ。
 この異変に淳の父親は、小躍りしてしまうほどに喜んでいた。しかし、それは長くは続かなかった。
 数年後、淳が松乃中に入学したその年の十月、校舎は突如原因不明の火災発生によって焼失し、七十名以上の生徒が命を落とした。
 運良く淳は怪我もなく生還することができたが、火災によって建設会社が受けたダメージのほうは大きかった。
 予想だにしなかった大事件が発生したことによって、これまで学校建設に良い意味で注目していたメディアたちの態度が一転。もしも校舎が木造でなかったなら、これだけの被害は出なかっただろうという話を誰かが始めたのをきっかけに、さらには、計画に安全面への配慮が欠けていたのではないか、と唱える輩まで出現した。
 その後の調べで、確かに校舎のつくりには、非常時の脱出経路が万全といえるほどには用意されていないなど、些細な欠陥がいくつか見つかった。
 それから建設に関わっていた多くの組織が責任問題に問われ、いつしか計画自体が、「注目を浴びるためだけに考えられたずさんな計画」とさえ言われるようになっていた。
 事態はさらに悪化。全国から発せられる罵声は飛火し、計画の末端を担っていただけの諸星建設にまで降り注いだのだ。 
 予想だにしなかった責任問題に、諸星建設の信用は急落。業績も創設以来最低の数値を叩き出した。
 だがこのまま淳の父親も黙ってはいない。失った信頼を取り戻すために、父はメディアたちから向けられるカメラ越しの視線を浴びながら、計画自体には問題など無かったと主張し始めた。しかし、既に諸星建設を悪者だと思いこんでいた世間は、彼の演説を真剣に聞く耳など持っておらず、ただ無駄な時間が流れていくだけだった。
 父がメディアの前に顔を出すようになってから、淳の家には悪戯電話が頻繁にかかってくるようになった。そしてさらには、こんなファックスまでもが届くようになった。
『オマエガ七十人コロシタ コノ成金ヤロウ 死ンジマエ』
 父も母も外出中のときに届いたこのファックスを、偶然手にして見てしまった淳は思った。
 なんで俺の家が、こんな目に遭わなきゃならないんだ……。

 彼にとって幸いだったのが、クラスメート達は誰一人として、淳の家を敵視してはいなかったということ。淳のことを、自分達と同じ被害者であり敵ではないと、皆分かってくれていたのだ。
 そうやってようやく苦しみを振り払った彼だったが、ここにきてまさかさらなる不運、プログラムに巻き込まれてしまうとは思ってもいなかった。
「ちくしょー! なんで追いかけてくるんだ! やめろ! 俺はお前に手出しするつもりはない! だから来るなぁ!」
 淳は背後に迫る追走者に向かって叫んだ。こちらに戦う気がないと分かれば、もしかすれば向こうも追いかけては来ないかもしれないという、僅かな望みに賭けて。だが追いかけながらライフル型麻酔銃を構える包帯ずくめの彼女、御影霞(女子二十番)はまるで聞いていないらしく、一向にその足を止めようとはしない。
 やっぱ走って逃げるしかないのかよ、くそぉ!
 全力疾走する淳。そんな彼の数メートル前で、どこかから飛んできた透明の筒らしきものが地面にぶつかって割れた。麻酔銃の照準を定めた霞が、淳の足を狙って背後から発射してきたのだ。
 追いかけっこの最中だったのが幸いした。もしもこちらがじっと突っ立っていたら、それこそ格好の的になっていただろうし、相手も走っていたからこそ、麻酔銃の狙いがずれてしまったのだから。
 しかし、霞の攻撃はこれで終わったわけではない。きっと次なる攻撃に備えて、麻酔銃に弾を込め始めるはず。このまま何度も相手の攻撃を許してしまえば、いずれは命中させられてしまうだろう。
 ジリ貧だ、くそっ。
 突如視界が開けた。これまでずっと続いていた森が、目の前の深い谷によって断絶されている。
 谷の底では両岸の岩場に挟まれた川が、夜間降り続いた雨によって勢いを増せ、ごうごうと唸りをあげている。落ちてしまえば、たちまちその流れによって飲み込まれてしまうだろう。
 そんな谷底の数十メートル上にかかっている一本のつり橋。これだけが谷の向こうへと渡ることのできる、唯一の通路である。だが相当古いつり橋なのか、橋全体を支える木の杭はかなり腐食が進んでおり、どうにもここ数年の間、人によって使われていた様子はない。
 はたして、このつり橋を渡って大丈夫なのだろうか。
 悩んでいる暇など無かった。背後に迫る霞から逃れるには、この橋を渡って谷の向こうに行くしかないのだ。
 デイパックを担ぎながらつり橋の上へと一歩踏み出した途端、つり橋が大きく揺れ、古びたロープが音を立ててきしんだ。途端、淳の臆病な部分が危険信号を発し、彼の足をそこで止めてしまった。
 言い知れぬほどの恐怖を感じた淳は、つい下を見てしまった。
 自分の足の下から数十メートル下に見える地面。万が一橋が壊れて下に落ちたならば死は確実だろう。
 しかし恐怖に怯えながらも彼は前に進んだ。下に落ちる恐怖よりも、迫る霞の存在への恐怖のほうが大きかったからだ。
 彼はとにかく、霞から逃れたいという一心のみで、危険度の高い不安定なつり橋を突き進んだのだ。
 つり橋の真ん中にまでたどり着いた頃には、彼のつり橋に対する恐怖感はかなり和らいでいた。
 なんだ崩れやしないじゃないか。脅かしやかって。
 背後を振り返って霞の方を確認すると、彼女はまだつり橋を渡り始めてはいなかった。
 このまま逃げ切れる。彼がそう思ったとき、左足に強い痛みを感じた。見るとそこには、なにやら先端から針の生えた透明シリンダー状の物体が突き刺さっているではないか。
 直後、淳の足から急速に力が抜け始め、ついには立っていることができなくなり、つり橋のど真ん中で膝をついてしまった。彼女が撃った麻酔銃が見事命中し、淳の足から力を奪い去っていったのだ。
 身体が……身体に力が入らねぇ。前に進めねぇ……。
 麻酔が全身へと浸透し始め、淳の身体が自由に動かなくなっていく中、霞はつり橋の入り口に立ったまま、今度は血のついたナタを振り上げていた。
 それを見た淳は青ざめた。



「待ってくれ! 降参だ、降参! だからもう何もするな!」
 そう叫びながら、支給武器の白旗(明らかにハズレだ)を振ってみせる。だが霞はまたしても聞いていないようで、振り上げたナタを、そのままつり橋のロープめがけて振り下ろした。
 古びたロープはいとも簡単に切れ、淳が乗ったままだったつり橋を一気に傾けた。
 重心を崩した淳は、もはや自由の利かなくなった身体では体勢を立て直すこともできず、そのままつり橋から落下してしまった。
 数えること数秒後、水の流れる音に紛れて、谷底からグチャリと何かが潰れる音が聞こえた気がした。

 こうして、千秋と猛が廃ビルに着いた際、まだ姿を現していなかったメンバーたちは全滅してしまった。


 諸星淳(男子十九番)―――『死亡』

【残り 二十八人】
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