034
−現れぬ同盟者(3)−

 午前六時の放送が入ったちょうどそのころ、トラックの中で千秋たちと再会を誓い合った十人のメンバーの一人、田村由唯(女子十一番)は島の最北端に一人でいた。
 目下に広がる大海原を前に、絶壁の縁に座り込んでいた彼女は、禁止エリア情報を書き込んだ地図をカバンにしまい、死亡者の名前の上に打ち消し線を引いたクラス名簿を、地面の上に置いたままだった木刀の隣に広げて見つめた。
 まさか、もうこんなにも死んでるなんて……。
 先ほどの放送を聞いてから、確実に進行している殺戮ゲームに恐怖してしまった由唯には、もはやそこから移動する気力など無かった。
 なぜ彼女は約束の集合場所へと向かわず、こんな島のはずれで佇んでいるのか。
 じつは彼女、他の九人と再会を誓ったものの、ゲーム開始後になってから突然、ある理由から『私が合流すれば、他の皆に迷惑をかけてしまうかもしれない』などと思い、集合場所に向かうことを躊躇ってしまったのだ。そのため、ロッカーから外に出て以降六時間、海の側にそそり立つこの断崖絶壁の上から一歩たりとも動こうとはしなかった。

 由唯には十歳年上の兄がいる。
 二人は二桁も歳が離れているというのに、それを思わせないほど仲の良い兄妹だった。
 兄は唯一の兄妹である幼い妹のことを、誰よりも可愛がってくれていたので、由唯の側も兄のことが、誰よりも好きでたまらなかった。
 そんな由唯の兄は消防士だった。燃え盛る建造物の中にも果敢に飛び込み、自分の生命を危険にさらしながらも人命救助に勤しむなど、なんとも勇敢で頼りがいのある人物である。
 由唯はもともと気の強い方ではなかったためか、救助に伴う危険に怯みもせず、燃え盛る炎に果敢に立ち向かう兄のことを、頼りに思ってやまなかった。
 ある日、兄に向かって冗談でこんな事を聞いた。
「お兄ちゃん。もしも私が火事に巻き込まれたら、命を賭けてでも、私のことも助け出してくれる?」
 回答はもはや聞くまでも無い。間髪いれずに帰ってきた兄の回答は「当然」の一言。そして二人はお互いの顔を見つめながら笑い合った。
 だが皮肉にも、この他愛も無い日常的な会話が現実となる日が訪れてしまった。兵庫県立松乃中等学校大火災である。
 当時、由唯は火災の発生になかなか気づかなかったために逃げ遅れてしまい、熱で劣化して崩れた校舎の瓦礫に足を挟まれてしまって、身動きがほとんど取れなくなっていた。
 四方を囲む炎は徐々に迫りつつあり、それを見て恐怖した。
 お兄ちゃん、助けて。
 心の中でそう叫んだ。そんなとき、炎の壁を隔てた向こう側に、防火服を着込んだ消防士の姿が見えたような気がした。
 煙が染みて涙が止まらない目を必死に見開き、その姿をもう一度よく見ようとする由唯。するとそこに、瓦礫の下敷きになった男の子を懸命に救い出そうとしている消防士の姿が、たしかにはっきりと見えた。
「お兄ちゃん? お兄ちゃんなの? 助けて! 私を助けてー!」
 由唯は叫んだ。すると少年の救出作業を行っている最中だったその消防士が、確かにこちらを振り向いて「由唯か?」と叫んだ。驚いたことに、炎を隔てて向こうに見えた消防士の正体は、本当に彼女の兄だったのだ。
「そう、私よ! お兄ちゃん、早く私を助けて!」
「待ってろ由唯! この子を助けたら、すぐに必ず助けに行く! だからそれまで頑張れ!」
 少年の上に被さった瓦礫を必死に持ち上げながら、励ましの声をかけてくれる兄。だがしかし、恐怖によってもはやパニック状態に陥っていた由唯は耐え切れず、
「嫌ぁ! 怖い! 怖い! お兄ちゃん、今すぐに私を助けてー!」
 と悲痛な大声を上げた。
 兄もしばらくの間は少年の救出を先行し、妹には「頑張れ」と励ましつづけていたが、彼女のあまりにも苦しげな様子に耐えかねたのか、ついに「ちっくしょー!」と叫びながら、少年の救出を投げ出して、由唯の方へと駆け寄ってしまった。
 結果、兄の手によって助け出された由唯は、ほとんど怪我も無く生き延びることが出来たが、途中まで兄が助けようとしていた少年の救出は間に合わなかった。
 事件後しばらくして正気を取り戻したとき、由唯は自分の行為の愚かさに気づき、苦しんだ。
 助かるはずだった少年は、差し伸べられた生還への糸が突然切られてしまったために命を落とした。
 そして兄も、人間の命という価値を比較してはならないものを天秤に乗せてしまったという罪に苦しみ、消防士を辞めてしまった。
 どちらも、私の身勝手さのせいだ。
 以来、彼女は『結局私なんて、自分のためなら誰がどうなってもいいと思ってる人間なんだ』と考えるようになっていた。
 そんな中、突然にして巻き込まれた今回のプログラム。
 由唯は心の中のどこかで、これは私に対する当然の報いなのかもしれない、などと思った。
 トラックの中で九人の仲間達と再会を誓い合いもしたが、『私と一緒にいる人に、また迷惑をかけてしまうかもしれない』と思うと、もはや目的地に向かう気すら起こらない。
 断崖の端に座り、眼下に広がる海を見下ろしながら、空中で足をぶらぶらと揺らす。
 このまま海の中に吸い込まれてしまえば、どれだけ気が楽になることか。などと時々考える。だけどそれを実行する勇気など彼女には無い。
 そうやって何もせず、ただ時が過ぎ去っていくのを待っているようだった。そんな彼女の背後に、一人の男が近づきつつあった。
「田村さん?」
 由唯はその声に驚いて飛び上がりそうになった。そして恐る恐るゆっくりと振り向き、背後に立つ男の姿を見た。成瀬学(男子十四番)、トラックの中で再開を誓い合ったメンバーの一人だった。
 支給武器の拳銃(由唯には分からないが、コルトキングコブラだった)は腰に据えられているので、少なくともいきなり撃ってきたりはしないだろう。
「成瀬君……どうしてまだこんなところにいるの?」
「いや、地図を見ながら歩いてたつもりだったんだけど、どうやら方向を間違えてたみたいで、参ったよホント」
 恥ずかしそうに頭をかく学を見て、由唯は妙に納得してしまった。
 鳴瀬学といえば、過保護な家庭で育ったと有名な男子だ。どこかに出かけるにしても両親に頼りっぱなしで、きっと地図を見ての見知らぬ場所の一人歩きなんてしたことが無かったのだろう。
「それより、田村さんこそどうしたのさ? 集合場所はたぶん向こうだよ」
 学はそう言って遠くに見える森林のほうを指差す。だが由唯にとっては、もはやそんなことなどどうでも良かった。
「気にしないで。私は皆のところに行く気なんてないの」
「どうしてさ? 皆で集まるって約束したじゃないか」
 由唯の思いは通じなかった。学は乱暴に由唯の腕を掴んで引っ張ろうとする。
「さあ行こうよ。場所はなんとなく分かったから、きっともう迷うことなく行けるよ」
「いいの。ほっといて」
「なんでだよ。きっともう皆待ってるよ」
「私に関わらないで!」
 由唯は皆のところに行きたくないという一心で、とくかく学の手から逃れようと必死に抵抗する。それに対して、なんとしてでも連れて行くと意地になっているのか、学はがむしゃらになって由唯の腕を引っ張る。
 腕を引っ張る学と、引っ張られる由唯。両者の力が相殺し、断崖絶壁の縁という危険な場所で二人は硬直状態に陥った。 
「痛い! やめて、やめてー!」
 耐え切れなくなった由唯は、学の手を振り払おうと暴れだした。それがいけなかった。
 突如暴れだした由唯に驚いた学は手を滑らせたらしく、嫌がる由唯の腕を離してしまった。すると相殺されていたはずの力の片方が消え、学の身体は自らの“引く力”によって後ろにたじろぐが、その先には地面がない。
 後ろに踏み出した足が空を蹴った瞬間、学の表情が引きつった。
「あっ」
 同時に発された二人の声が綺麗に重なった。そして、学の身体は重力にしたがって、崖下へと落下を開始した。



「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
 眼下に迫る岩場を見て絶叫する学。だが彼が下の岩に叩きつけられて即死したことによって、その叫びもすぐに止んだ。
 壁に叩きつけられて潰れたトマトのような姿に成り果てた、崖の下の学の死体。それを見た由唯は震えた。
 私が殺した? 私が殺した? 私が殺した?
 気がつけば、彼女は何かわけの分からないことを叫びながら走り出していた。自分の目の前で起こった信じられないほどの恐ろしい出来事に恐怖してしまい、もはや物事を正常に考えることができなくなっていたのだ。
 彼女は絶壁の縁を走っていたが、混乱した状態での不安定な走りが災いして、足を踏み外してしまった。 
 自分の身体が落下していくのを感じながら、由唯は思った。
 なんで……なんでこんなことになるのよ。私はただ、皆に迷惑をかけたくないと思っていただけだったのに……。
 直後、彼女の身体は絶壁の下の岩に叩きつけられた。その様は学と同様に、ぐちゃぐちゃに潰されたトマトのようだった。


 鳴瀬学(男子十四番)―――『死亡』

 田村由唯(女子十一番)―――『死亡』


【残り 二十九人】
←戻る メニュー 進む→
トップに戻る



SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送