なるほど、俺を狙っていたのはあいつか。
茂みの向こう側を走って追いかけてくる襲撃者の正体を明らかにした龍輔だったが、頭のどこかで予想していたのか、自分も全力で走りながらやはりと思っていた。
プログラム開始前、分校でのデイパック選びのとき既に、龍輔は和歌子の動向に気付いていた。
御影霞に続き、迷うことなく山積みにされたデイパックへと足を向けた龍輔に並び、和歌子もまた臆する様子もなく、堂々とプログラム参加への第一歩を踏み出していた。
こんな所で死んでたまるかという思いから、プログラムのルールに乗っ取り、容赦なく同級生達を殺すと決めた龍輔には、迷いなく横に並んでくる人物の考えていることなど、頭を捻らずともすぐに分かる。
自分と同じく、このプログラムのルールに乗った。それ以外に考えられない。
だから彼はその時、自分よりも先に一歩を踏み出した御影霞と、それに遅れながらも堂々と戦場入りすることを決意した和歌子のことを、いずれ戦うことになるかもしれない強敵と見なして、警戒する必要があると判断した。するとどうだ。龍輔が強敵視した人物の一人は、今こうして他者を殺そうという考えのみに突き動かされる殺人機械となって、再び目の前に姿を現したではないか。これを案の定と言わずして何と言う。
自分と同じ考えを持つ者の出現に、流石の龍輔も気を引き締め、そして本気になって迎え撃たねばならなかった。そこにはもはや微々たる余裕もない。
一瞬だけ見えた相手の姿へと向けて、龍輔は走りながら発砲した。だが体制が悪かったためか、またしても外してしまったようだ。
「ちっ、クソがぁっ!」
毒づく龍輔。相手をなかなか仕留められないそのイライラは、射撃の腕の悪い自分へではなく、銃そのものへと向けられる。
そんな彼を嘲笑うかのように、再び茂みの裏へと姿を消してしまった和歌子が矢を放つ。
茂みの中から飛び出した矢は、先端の刃を鋭く光らせながら、恐ろしいほど正確に龍輔へと向かっていく。だが相手も走りながらの弓的のため、ほんのわずかなズレが生じたらしく、標的を射抜くには至らなかった。
頭の真ん中から狙いがずれ、顔のすぐ前を横切った矢は、龍輔に不気味な風圧を感じさせた。
武器の形態が違うとはいえ、その狙いの正確さに歴然の差があるのは明確だった。もちろん、相手の位置をどれだけ正確に把握できているかの違いも、お互いの狙いの正確さに差を生じさせていただろうが、それよりも、それぞれが自分の武器をどれだけ使い慣れているかということこそが、大きな差を生み出す原因となっていたのだろう。
誰もが存じている通り、龍輔は真面目に学校生活を送ってはいなかった不良だ。それとは違い、和歌子はプログラムに巻き込まれる以前、かつては学校中から将来を期待されていた陸上部のエースだった。
誰もに目を輝かして見られていた和歌子の地位は、生まれながらに持ち合わせていた才能のおかげで確立されたのではない。全ては彼女の血が滲むような努力が報われた結果にすぎない。
陸上部の厳しい練習に毎日無欠席で参加し続けるのは当然のことで、学校が休みの日でさえも、早朝と夕暮れ時のランニングは欠かさなかった。そのおかげで、和歌子は今の俊足を手に入れた。
要するに、和歌子は努力に抜かりの無い女なのだ。そしてその性格は、プログラムに参加している今にも存分に役立っている。
龍輔の知るところではないが、春日千秋と磐田猛の二人から逃げ去った後、和歌子は先に殺害済みの徳川良規の遺体が転がっている場所へと戻り、そこでまだ回収前だった彼の武器、ボウガンを手に入れて、以後少しの間はその弓的練習に勤しんでいたのだ。
もちろん、いつ現れるか分からない敵に隙を見せてはならないため、それはほんの十回程度しか行われなかったが、その少しの差が、今、大きな違いとなってあらわれたのだ。
自分の武器を何度か試し、その性能をある程度把握できていた和歌子。敵と離れた状態での銃撃は、今回が初めての龍輔。その二人の狙いのどちらが正確なのかは考えるまでもない。
つまり、いくら和歌子のボウガンが、龍輔の武器とは違って連射がきかずとも、茂みに隠れながら素早く次の矢を装填できさえすれば、十二分に渡り合えることが出来る。そういうわけだ。
さらに和歌子には最大の武器、自ら磨き続けた足がある。彼女は、もはや生半可な実力者では倒せぬほどの俊足の殺人山姥へと成り果てていたのだ。
全ての要素を考慮すると、総合的に有利な立場に立っているのはもはや龍輔だとも言い切れない。ほんの少しの小さなミスを犯してしまえば、そこに付け込まれて致命的ダメージを負わされる可能性は高い。
龍輔は僅かながらに焦り始めていた。
このまま逃げ切れぬ逃走劇を続けることは、自分にとって危険以外のなんでもない。
もう一度茂みへと発砲するが、やはりはずれ。何らかの打開策を見出さない限りは、現状を好転させることは難しそうだ。
そんな彼に、さらに追い討ちをかけるかのような事態が発生した。
自分にぴったりとくっついてくる相手を引き離そうと、これまで懸命に走っていた龍輔だったが、何故か急に足を止めてしまった。広大に広がっていたはずの森林が突如途切れ、この先はとてつもなく急な崖になっていたからだ。
ほぼ九十度に近い急角度の崖は十メートル近い高さがあり、下でひしめき合っている木々雑草達がクッションになってくれたとしても、ここから転げ落ちたなら無傷ではすまないだろう。
切り立った断崖の手前でギリギリ止まった龍輔は、その下に広がる光景を一瞬見て息を呑んだ。
しかしそんなことでビビっている場合ではないと、すぐさま後方を振り返る。自分を追いかけてきた山姥が、今もそちらから狙っているはずだからだ。
「テメェ、隠れてねぇで出てきやがれっ!」
だが案の定、相手から言葉での返事は返ってこない。そのかわりに茂みの一部が大きく揺れて、そこから飛び出した何かが龍輔へと向かってくる。
また矢か!
そう思った龍輔は急いで横へと飛び退き、回避しようと試みた。だが、それは罠だった。
茂みの中から飛び出してきたのは矢ではなかった。それはその辺の地面にいくらでも転がっているただの石ころ。茂みの中から和歌子が投げたそれを、龍輔は矢だと思い込んでしまっただけだったのだ。
龍輔がそれに気付いたときには、時既に遅く、一瞬遅れて茂みの中から飛び出した矢が高速で迫ってきて、対処する暇すらない彼の手から拳銃を、神業とでも言うべき正確さではじき飛ばした。
手から離れた拳銃は宙を舞う。
龍輔はすぐさまそれを捕まえようと手を伸ばしたが、あと少しのところで届かず、最も信頼していたその武器は崖の下へと落下してしまった。
あの深い森の中に落ちてしまったなら、探して見つけ出すのはほぼ不可能だろう。だが今はそんなことをしている余裕はない。
ガサリという葉と葉が擦れ合う音を耳にした龍輔は、ゆっくりそちらへと視線を向けた。
右手にボウガンを携えた山姥が、髪に絡み付いた草木を手で払いながら、茂みの中から悠々と出てきた。龍輔は他に飛び道具を持っていないと分かっているらしく、無表情なその顔にも、どこか余裕があるように感じられた。そんな彼女の姿が、憎たらしく思えてならなかった。
「……腕、狙ったんだけどね、まさか銃そのものに当たっちゃうとは思ってなかったよ。ま、私としてはどっちでも良かったんだけどね」
身体を手で払いながら、彼女は感情の込められていない口調でそう言った。
和歌子の制服は、何者かの鮮血で鮮やかに彩られている。既に誰かを殺害済みなのだろう。
右手のボウガンには、早くも次の矢も装填済みで、いつでも次の攻撃を仕掛けてきそうなその様子に、龍輔は悔しながら息を呑んでしまった。
「テメェ、ナメたマネしてくれるじゃねぇか! どうなるか分かってるんだろうな!」
威勢良く吠える龍輔。しかし冷静なる和歌子は全く動じない。だが劣勢でありながらも態度を変えないその姿は気に入らなかったのか、少し眉をしかめて怪訝そうな顔をした。
「あんた、どうやら自分が置かれている状況を理解できていないようね」
和歌子はボウガンを構えた。そして狙いを定めて矢を放つ。
途端、龍輔の左足に痛みが走る。高速で向かってきた矢の先端が、彼の太ももの表面を抉り取っていったのだ。
「今のはほんの脅し。だけどこれで分かったでしょ。私には、いつでもあんたを殺せるだけの力があるの。だけどすぐには殺さない。一つ、あなたが死ぬ前に、どうしても聞き出したい事があるからね」
痛みに耐え兼ねて傷ついた足を、手で抑えながらひざまずく龍輔を、じっと見つめたまま和歌子は次の矢を装填し始めた。
「クソ野郎がっ! 何だ? 俺に聞きたいことって」
「なんてことはないわ。このクラスの人間誰もが体験した二年前の火災についてよ。火の発生元は校舎西側の一階の理科実験室。常備されていた薬品とかガスに引火して爆発が起こり、炎の勢いが増した事によって、被害は驚くほどのスピードで拡大した。これは警察の後の捜査によって判明しているわね。だけど未だに明らかになっていないことがある。そもそも火は何故発生したのかということよ。調べによって、授業の実験ミスなどによって起こった火災ではなかったと分かった。器具はきちんと片付けられていたし、ガスも閉められていたと、最後に実験室を使用したクラスの担当教師は証言している。ならば、考えられる原因は一つしか残されていない」
「何が言いたい?」
「要するに、何者かによって放火されたのではないかと考えられるわけ。私は、もしかしてあんたが火を付けたんじゃないかと思い続けてきた。日ごろの行いも悪かったし、あんたならやりうる事だと考えた。ズバリ聞くわ。私のその考えは、正解? それとも不正解?」
和歌子の言葉を聞いて、龍輔は反吐が出そうになった。
確かに事件直後、日ごろから行いの悪かった龍輔に、疑惑の目が向けられることは何度かあった。だが、学校に火を付けたところで、いったい何の得がある。いくら龍輔といえど、理由も無しにそこまで大それた行動を取りはしない。つまり、犯人は別にいるということだ。
まさか、今ごろになってもこんな馬鹿げた想像をしているやつがいるとはな。
彼はあえて意地の悪い回答をすることにした。
「答える義務はねぇな。テメェの陳腐な脳みそでせいぜいがんばって考えてみな」
すると和歌子はあからさまに機嫌の悪い顔をして、
「生かしておく価値が無くなったわ。死になさい」
と言って、既に矢の装填を終えているボウガンを、またしても龍輔へと構え直そうとした。
くそっ、このままじゃあ矢の餌食だ。せめてこの足の痛みを抑えなければ、まともに戦うこともできそうにねぇ。
常に他者を踏みつけながら生きてきた龍輔にとって、一人の人間、しかも女にここまで追いつめられてしまったということは、生涯至上最大の屈辱だった。そのため、このまま相手の思うつぼのまま事を運ばれるのは許せなかった。
絶対にこの女は殺してやる。
そんなとき、突如彼は思い出した。自分の懐には、未知の可能性を秘めている“あの武器”がまだ隠されていたのだ。
龍輔は最後の望みにすがり付くような気持ちで、懐に忍ばせていた、ホワイトデビル入りの注射器へと手を伸ばした。
【残り 三十二人】
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