026
−約束の場所(1)−

 東の空が徐々に青色に変色し始めている。真っ暗な夜が明ける時が刻一刻と迫ってきているのだ。
 春日千秋(女子三番)磐田猛(男子二番)は、目的地の廃ビルを目指して険しい山中を歩き続ける。
 夜明けが近いとは言っても、深き森の中の暗さはまだ全く解消されておらず、視界が悪いのは相変わらずだ。そのためか、千秋の心底に染み付いている恐怖感は未だに拭いきれない。もうすぐで仲間達と再会できると自分に言い聞かせたりして、幾分か気を楽にしようと勤めても無駄だった。彼女が抱いていた恐怖感は、それほどまでに絶大なものだったからだ。
 千秋の恐怖感を高めてしまったもの、それは数時間前に目にした一人の人間の死体だった。
 手で首を絞められ殺害された後に、大木に杭で打ち付けられた新田慶介の磔死体。そのあまりにも残酷で何者かの巨大な悪意が立ち込めていた現場を見てしまって以来、恐怖からか胸の奥が妙に苦しくて、常に吐き気が付きまとって離れなかった。
 そんな状態での山歩きに、千秋が疲れを感じないはずがなく、本人も気づかぬうちにその歩行ペースは確実に落ちてきている。
「おい大丈夫かよ春日」
 前方に気を配りながら先行していた猛が千秋へと振り向き言った。後方の千秋の歩行ペースが落ちてきていることにより、そろそろ疲れだしているのだということに気づいたようだ。
 しかし千秋は猛に迷惑をかけてはならないと気づかい、毅然とした様子を装って「大丈夫だから気にしないで」と返した。
「そうか。まあもうすぐで目的地の廃ビルに到着するから、それまでがんばってくれ」
 冷静に物事を見定められる猛は、どこか演技くさかった千秋の態度が腑に落ちなかったようだが、彼女の気遣いを無駄にしてはいけないと判断したらしく、千秋が言うように気にせず再び歩き出した。
 猛が言うように、目的地までは残りそうは遠くないはず。二人はそろそろ廃ビルのあるE−6地点へと差しかかろうとしており、目的地までは残り三百メートルと無いはずだ。
 そろそろその姿も見えてきて良い頃だろうと思ったそのときだった。
 遠方の暗闇の中、ごく僅かな光を受けて浮かび上がる建造物の姿が木々の隙間から見えるのを、千秋の目は見逃しはしなかった。
「磐田君、あれ」
 千秋が指差す方へと猛が向く。
「ああ、あそこに間違いないな」
 自分の目でゴールの姿を見た瞬間、猛の顔にも安堵の色が浮かんだ。終わりの見えぬ移動に疲労していたのは、何も千秋だけではなかったのだ。
 当然だろう。先行して歩いていた猛は常に前方に気を配り続けなければならず、千秋の何倍も精神をすり減らしてきたのだから。
「さあラストスパートだ。気を抜かずに進むぞ」
 猛の声に応じ、千秋は再び歩き出す。もうすぐでトラックの中で再会を誓い合った仲間達と会えるのだと思うと、いくらか元気が沸いてきたように思えた。
 だがその反面、自分と猛を除く八人の仲間のうち一名が既に亡くなっているという事実を知っている千秋は、はたして皆が目的地にまでたどり着けるのかと心配になった。
 再び脳裏に浮かぶ大木に磔にされた慶介の姿。
 彼も皆との再会のために、希望を持って約束の場所へと歩を進めていたことだろう。だがその願い叶わず、途中で何者か敵と遭遇してしまい、あのような悲惨な姿とされてしまった。
 恐怖に引きつる慶介の姿を思い浮かべると、志半ばでその生命に幕を閉ざされた彼のことが可哀想でならなかった。
「……新田のことを考えてるのか?」
 暗く沈んだ千秋の表情を見て猛が聞いた。
「新田君、皆に会えると希望を持ってただろうに、まさかあんなことになっちゃうなんて……」
「ああ、奴だってその僅かな希望のために、必死に運命に抗おうとしてただろうに、運が無かったためにその祈願を達成させることはできなかった。本当に残念だ」
 しばし沈黙が訪れる。千秋と同じように猛の頭の中にでも様々な思いが駆け巡っているのだろう。
 一度閉口してしまった猛が次に言葉を発したのは十秒ほど経ってからだった。
「それにしても気をつけなければならないのは、新田を磔にした犯人だ。どういう理由があって杭で大木に死体を打ち付けなければならなかったのかは疑問だが、とにかくそいつにはクラスメート殺しになんら躊躇が無いことは確かだ。そいつが今もまだ死なずにこの島の中を徘徊しているのなら、他の生存者達全員にとっての脅威となるだろう」
 猛の言葉を聞いて思い出した。慶介を磔にした凶悪な殺人者は、今もまだその正体が明らかになっていないのだ。ゆえに、これから誰に注意しなければならないのかという判断すらままならない。
「いったい、私達はこれからどうしたらいいんだろう……」
「それはこれからじっくり考えないとな。とりあえず今言える事は、信用の置ける者以外との遭遇は極力避け、戦闘を回避し続けるのが妥当だろうということのみだ」
 千秋の言葉に即答した猛。そんな彼だったが、急に足を止めて千秋の方を振り向いた。そして急いで屈むように合図をした。
「何? どうしたの?」
「静かに! 氷室がいる」
 千秋が茂みの影から頭を出して前を確認すると、猛が言うように確かに氷室歩(女子十六番)の姿があった。
 歩は頭を後ろへと傾け、視線を斜め上へと向けたままの何処を見ているのか分からないような体勢で、ふらふらと歩いている。はたして何処に向かっているというのだろうか。
「仕方が無い。ここに隠れたまま奴がどこかに消えるのを待つぞ」
「声をかけないの? もしかしたら仲間になってくれるかもしれないよ」
「バカ言うな。あんな精神不安定な人間を仲間にしてみろ。俺達が危険に巻き込まれるだけだ」
 猛の言うことはもっともだった。
 二年前の松乃中大火災を経験して以来、氷室歩という一人の少女はおかしくなってしまった。
 精神バランスが著しく低下してしまった彼女は、高ぶった気持ちがある一定ラインを越えたときに、決まって見えるはずの無いような幻覚を見て、発狂したかのように叫んだりする。
 おそらく、プログラムに巻き込まれたという事実は、彼女の不安定な精神をかなり揺さぶったはずだ。そんな状態で、歩と合流するということは確かに危険極まりない。
 それに彼女の手に握られている武器、暗闇の中かすかに見えた拳銃も千秋たちにとっては脅威だ。
 結局二人はそのまま息を潜め、歩が去るのを待つことにした。
 しばらくしてから猛が辺りの様子を伺い、歩の姿が消え、危険な者の姿は無いと確認できた後に、二人はようやくして進行を再開した。
 歩から隠れている間、いくらか体力を取り戻していた千秋の足どりは、先ほどよりも軽やかになっていた。そのおかげで、既に目に見えていた目的地にまでたどり着くまで、さほど時間はかからなかった。
 徐々に迫るコンクリート造りの建造物。所々の窓を無残に割られ、長きに渡って雨に打たれ続けて黒ずんでいる五階建てのそれは、下から見上げるとなかなかに迫力があった。
 千秋たちは建物の周りを歩き、入り口を探す。その途中、頭の上の窓から何者かの目がこちらを見ていたということに、二人はまだ気づいていない。

【残り 三十三人】
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