025
−水場の死闘(5)−

 四人もの人間が川に沈められるという惨劇が起こった場所から、およそ三百メートルほど下流へと下った地点に、やはり川沿いを歩く一人の男の姿があった。
 全体的に整った顔立ちをしているその男の名は土屋怜二(男子十二番)。梅林中サッカー部のゴールキーパーであり、磐田猛や宮本正義、それに武田渉のチームメイトでもある彼は、ある目的のために島の中を一人でひたすら移動しつづけていた。
 これまで怜二は住宅街の中を中心に移動し続けてきたが、運がよかったのか悪かったのか、誰一人の人間にも出会うことなく今に至っている。
 だが、プログラム開始から約二時間半後に島中に鳴り響いた二発の銃声(風間雅晴と烏丸翠が亡くなったときの音)は、当然彼の耳にも届いている。
 どこかで殺し合いが始まっていることを意味するそれを聞いてしまったことにより、まだ一人の敵にも出会っていない彼ですら、常に緊張感を抱えながら行動し続ける羽目となっていた。
 五感を研ぎ澄まして、周りの気配に注意しながら歩く怜二。だが怜二がいる住宅街はずれを流れる川付近には、今のところ人間がいる気配はない。感じるのは、勢いを増した川の流れと、怜二の長髪を揺らすそよ風など自然の気配のみ。
 それにしても、どうして俺達がこんな事をしなければならないんだ。
 怜二はふとそんなことを思った。彼もまた、このプログラムのルールに納得の出来ていない人物の一人だった。
 そんな彼の頭の中では、過去の出来事がスライドショーのごとく順に映し出されていた。
 クラスメート達とすごした日々。クラブ仲間達との思い出。ごくありふれた日常的な光景ばかりだったが、そんな日々ももう戻ってはこない。
 そんなことを考えているうちに悲しさがこみ上げてくる。そして、自分達をプログラムという地獄の中にぶち込み、怜二にとって大切だった日常を奪ったあの男に対しての怒りが込み上げてきた。
 ありありと思い浮かぶアフロヘアーの中年男、担当教官田中一郎のヘラヘラとした姿。
 許せるわけが無い。彼は自分達をプログラムへと導いただけでなく、その手で怜二のクラスメートの一人、相沢智香を平然と葬りまでしたのだ。奴は人間の命を何だと思ってるんだ。
 特別智香と仲が良かったわけではないが、正義感ある怜二は、クラスメートが手にかけられたという事実に対しての憤りを覚えずにはいられなかった。
 だがしかし、いくら田中のことを許せなくても、武装した政府軍を前にしては、ほんのわずかな抵抗すら出来なかった。
 いくら正義感ぶっていても、所詮は自分の命が一番大切だということか。
 自分自身に不満を募らせていると、突如右手にわずかな痛みを感じた。かつて大火災で焼かれたときに負ってしまった火傷の痕からだった。
 怜二は二年前のあの事件以来、火傷の痕を隠すように手袋をつけ始めた。自分一人のとき以外、人前でそれを外すことは絶対に無かった。それは火傷そのものを見られることに恥じていたというよりも、できる限り火傷を見ないことによって、当時の悲惨な光景を思い出さないようにするためという理由からだった。
 二年前の大火災。当時怜二が見た光景は、まるでこの世の終わりを絵に描いたようだった。
 炎の手から逃れようと校舎三階から飛び降り、地面に身体を叩きつけて命を落としてしまった者。倒壊した建物の瓦礫に押し潰された者。有毒ガスを体内に取り込みすぎて倒れてしまった者。もちろん、炎に直接身を焼かれた者もいた。
 怜二はそんな者たちの叫びを耳にしても救済することもできず、その多くの生命が消え行くのを見ていることしかできなかった。事件当時校舎の最上階にいて逃げ遅れた彼が見たものは、ほとんどが手遅れで手の施しようがなかったからだ。
 はたして、あの時俺がもっと早く駆けつけていたなら、いったい何人の命を救うことできただろうか。
 そんなことを思っていた怜二だったが、ふと何かを思い出したようにその思考を中断させた。
 馬鹿な。俺は今さら何を考えているんだ。今はプログラムの最中だぞ。余計なことを考えている余裕など無いというのに。
 雑念を振り払うようにぶんぶんと頭を振る怜二。しかし、当時の強烈な光景は頭の中にしっかりとしがみついて、なかなか離れてはくれなかった。もちろん、自分の力の無さが原因で右手に深い火傷を負うこととなった“あの出来事”についての記憶も。
 プログラムの妨げとなる余計な思想が頭から離れるまで、実に数分間の時間を要した。
 それからも怜二は川沿いを歩き続けたが、相変わらず人の気配は無い。
 やはりこの辺りには誰もいないのかと思いかけたとき、ふと気になるものの姿が目に入った。
 水面に浮かび上流からこちらへと流れてくるなにやら大きな塊。岸近くを流れてきたそれは突き出した岩に引っかかり、怜二の目の前で止まった。じっくりと見るまでも無く、それが人間の身体だと分かるまで時間はかからなかった。
 怜二はそれに近寄って急いで水場から引き上げた。そしてその正体を知るために顔を確認すると、久川菊江だと分かった。
 まるで何かに驚いているように目を見開き、身動き一つとらないそれは死んでいると一目瞭然だった。身体には目立った外傷は見られない。おそらく溺死なのだろう。
 怜二は見開いていた菊江の目を閉じさせ、その身体を川辺の端にゆっくりと寝かしつけた。眠っているようなその姿は、今にもう一度起き上がりそうにも思えたが、そんな夢物語のような話は起こりえない。
 自分とほぼ同じ長さを生きてきた人間が一人、目の前で死体となっているのを見て悲しさが込み上げてきた。
 だがこの出来事はこれで終わりはしなかった。
 怜二は驚かざるを得なかった。何気なく再び視線を川の方へと向けると、またしても人間の身体が流れてきているではないか。
 川の中へと足を踏み込み、浅瀬を流れる人間の身体へと駆け出した。
 下流へと流れていくそれを何とか捕まえることができた怜二は、急いでまた岸へと引っ張っていく。今度の身体は男子だ。先ほどの菊江よりも重量があり、引き上げるのも多少困難ではあったが、体力ある怜二はなんとか岸へとたどり着くことができた。
 今回引き上げた男子は、菊江とは違って肩に深い損傷を負っていた。巨大な刃物で切りつけられたのか、傷は胸部にまで達しており、見ていてとても痛々しかった。だが驚いたことに、彼はまだ死んではいなかった。
「……怜二……か?」
 閉じていた目をゆっくりと開いたその男子、宮本正義は怜二の姿を見るなり、消え入るようなとても小さな声でそう言った。傷が痛むのか時折表情を苦しそうに歪めているが、同じサッカー部のチームメイトに出会えたということに、どこか安心しているようにも見えた。



「ああそうだ。正義、俺の声は聞こえるか?」
 怜二が言うと、正義ははっきりと首を縦に振った。
「そうか良かった。ところでその傷、いったい誰にやられたんだ?」
 正義は苦虫を噛み潰したような表情をした。
「御影……御影霞だ。あいつが振り下ろしたナタにやられてこの様だ……。怜二、聞いてくれ。俺の他にも岸本や長谷川、あと久川もやられた……」
 怜二はつい先ほど流れてきた菊江の死体を思い出した。どうやら近くにいた正義たち四人が一斉に襲われてしまったらしい。
「ああ、お前よりも少し先に久川も流れてきたよ。既に事切れてたがな……」
「そうか……。その調子じゃあ、岸本や長谷川ももう駄目だろうな……」
 正義の顔色が徐々に悪くなっていく。仲間達の死に落胆しているからではなく、どうやら肩から血を流し過ぎているようだ。
 生気を失いかけている正義だったが、気力を振り絞って話を続ける。
「怜二。一緒にいたのはその三人だけじゃないんだ……。渉も……俺達と一緒にいた……。だけど仲間が皆やられて、あいつは今たった一人だ……。だがあいつは一人では到底生きていけない……。頼む、渉を助けてやってくれ……。お願いだ」
「ああ分かったよ。絶対に見つけ出してやる。一人でみすみす死なせはしないさ」
 正義と同じく、武田渉は怜二にとっては大切なチームメイトだ。勝気なところが無いのが欠点だが、それに補って他人を思いやれる心を持った本当に良いやつだった。
 火災以来、足が不自由となってしまった渉を支え続けてやりたいと思っていたのは正義だけではなく、怜二も同じ考えを抱いていた。頼みを断る理由など無い。
 怜二の解答を聞き、正義は安心したように微笑んだ。
「頼むぜ……。だが……気をつけろよ……。特に……御影のやつにはな……」
 そう言ったのを最後に、正義はゆっくりと目を閉じた。もう二度と目を覚ますことも無い。
 力なく手足をだらりと垂らす正義の身体を、ゆっくりと川岸に寝かせた。
 友人が死に行くのをただ見届けることしかできなかった怜二は、悔しさに側の岩を殴りつけた。その瞬間腕に痛みが走る。しかしそれよりも精神に受けたダメージのほうが遥かに大きかった。
 とにかく、こうして怜二は渉を見つけ出すという目的を果たすために、今後行動することとなる。
 だが正義の死に際の言葉を耳にしたことによって、怜二の頭の中にはもう一つ別の思いが浮かび上がっていた。そしてその思いが、これからも怜二を苦しませ続けることとなるのだった。


 長谷川誠(男子十六番)―――『死亡』

 久川菊江(女子十五番)―――『死亡』

 岸本茂貴(男子五番)―――『死亡』

 宮本正義(男子十八番)―――『死亡』

【残り 三十三人】
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