024
−水場の死闘(4)−

 誤って濁流の中に転落してしまった久川菊江を助けるために、荒れ狂う水の流れの中に飛び込んだ宮本正義、岸本茂貴、長谷川誠。そんな彼らはたった一匹の鬼の手にかかり、一人残らず水中へと沈められてしまった。
 川際にたった一人取り残されていた武田渉(男子十一番)は、その一部始終を目撃していた。
 飛び込んだ後、彼らが菊江を救出するまではよかった。問題はその後、鉄橋の上にいた人物に姿を見られてしまったことが災いの始まりだった。
 鉄橋の上からライフルのような物で狙い撃ちにされ、誠、菊江、茂貴は次々と水面下へと没した。唯一岸へとたどり着くことができた正義も、鉄橋の上から駆け下りてきた鬼の手によって、ナタで胴体を破壊された後、再び濁流へと転落してしまった。
 それらは本当に瞬く間の出来事だった。
 渉は離れた位置からそんな恐ろしき場面を目撃し、恐怖に打ち震えた。
 誰なんだ? 三人を溺れさせ、正義をも水中に沈めたあの人物は?
 しかし怯えてばかりはいられない。川に沈められた四人は早く救出しなければ、皆窒息してしまうことは確実だ。
 渉はすぐにでも川に飛び込んで皆を救出したいという衝動に駆られた。しかし、それは不可能なことであった。渉の片足は、二年前の松乃中火災以来、全く機能しなくなっていたからだ。
 こんな身体で川に飛び込んでも、一瞬にして自分が沈んでしまうのは目に見えている。だから彼は、今いる場所から一歩も動けず、ただ手をこまねいて川のほうを見ていることしかできなかった。そんな自分が情けなく、そして憎らしく思った。
 そんなとき、渉は見た。
 正義を水中に沈めた後、しばらく岩場の上から川の様子を伺っていた正体不明の人物だったが、もう誰も岸に這い上がってこないことを確信したのか、足元に置いていた荷物を担ぎ上げて移動を開始した。こともあろうに、渉がいるこちらへと向かって。
 渉の頭の中に、正義が川に転落する直前、最後に叫んでいた言葉が思い浮かんだ。
『逃げろ』
 渉はその場に残されていた四人分の荷物を側の茂みの中に押し込んで隠し、自らもすぐ近くの茂みと大木の影となっている場所に身を隠した。足が不自由で松葉杖を突いての歩行を余儀なくされ、すばやくその場から離れることはできない渉にとっての、今できる精一杯の防衛策であった。
 俺は、誰かが側にいて支えてくれていないと、一人では生きていけない。
 自分一人の身を守ることすら満足にできないでいる渉は、そんなことを改めて思った。
 いかに今までクラスメートの助けを受けて生きてきたかということが、はっきりと浮き彫りになった今、死の縁に直面している仲間達に対して何もしてやれないでいる自分のことが、本当に嫌になった。
 今までに他人の手を借り続けてきたくせに、それに何も返してやらないとは、なんて卑怯な人間なんだ。
 渉は頭の中で自らをののしった。そして、そうなる原因となった二年前の松乃中火災という出来事そのものを恨んだ。
 いろいろと考えているうちに、どこかから雑草を踏みしめる足音が聞こえてきた。先ほど正義たちを水中に沈めた例の狙撃者が近づいてきているようだ。
 急いで息を潜めようとする。しかし緊張のためなのか、逆に息は荒くなる。渉は必死でそれを抑える。
 ゆっくりと近づいてくる足音は、いつしか渉の隠れ場所から十メートルとない所にまで近づいてきていた。
 動いてはならない。動けば見つかってしまう可能性が高い。
 そう思っていた渉だったが、ただ単純に四人を沈めた犯人の正体を明らかにしたいという思いに押し負けて、木陰から少しだけ頭を出して足音のする方向を見た。
 一瞬覗き込んだ後、一秒もしないうちに頭を引っ込める。
 辺りが暗いため、一瞬見ただけではその正体を明確に見極めることはできなかった。ただ、梅林中女子制服を着ているということは分かった。



 迷いなく四人ものクラスメートを手にかけた人物の正体が女の子であったということに、渉はショックを受けずにはいられなかった。全体的に他人を思いやれる人物が多い自分のクラスの女子たちの中に、まさかこのゲームのルールに乗ってしまう者がいるとは思っていなかったのだから。
 とにかく、今の渉は、その正体不明の女子がこの場から過ぎ去ってくれるのを、だだじっと待つことしかできなかった。こんな身体ではまともに戦闘できないのはもちろんのこと、そもそも渉にはクラスメートとやり合う気など微塵もなかったからだ。
 もしも見つかってしまったならばもうお終いだ。木陰から相手を覗き見たとき、その手にライフルらしき武器が握られていて、肩から下がったデイパックの口からは、大きなナタの頭が覗いていたのが確認できていた。そんな強力そうな武器たちを前にして、自分に支給された“あの武器”では向かい撃つこともできるはずは無い。当然逃げることも不可能だ。
 足音はまだ消えない。よほど辺りを警戒しているのか、その歩みはとてつもなくゆっくりで、なかなか渉の側から去ってはくれなかった。
 早くどこかに行ってくれ。
 渉はとにかく身動き一つとらず耐え続けた。そうしているうちに、足音はようやく、徐々にだが遠ざかっていった。それにつれて渉の内で最大限にまで膨らんでいた緊張から空気が抜けていく。
 気分的に楽になったところで、渉は脇に挟んでいた松葉杖をゆっくりと地面の上に置き、茂みの葉と葉の隙間から、立ち去る相手の後姿を覗き見た。
 相変わらず暗いこの森林内では、数メートル離れた人物の正体を特定することはたやすくない。しかし、一瞬しか相手を見れなかった先ほどとは違い、相手がこちらに背を向けている今はじっくりとその姿を観察することができる。暗さに目が慣れてきている渉には、時間をかけさえすれば相手の正体を見極めるということも不可能ではないはず。
 茂みの隙間からという狭い視界の中で目の焦点を合わせているうちに、鬼の輪郭がはっきりと見えるようになってきた。
 だが渉の視線を感じたのか、立ち去ろうとしていた謎の人物が、突如こちらを振り向いた。
 頭の中で鋭く尖った緊張が走った。
 見つかった?
 だがそんな緊張の時もつかの間、麻酔銃を右手に構えた謎の人物は、すぐまた前へと向き直り、そのままどこかへと歩き去った。
 渉は見た。こちらを振り向いたあの顔は御影霞(女子二十番)。2.0の視力で捉えたそれは間違いなどではない。彼女こそが、正義たち四人を水中へと沈めた犯人だったのだ。
 恐怖のため身体の震えが止まらない。振り返ったときに、暗闇の中だというのに彼女の目はなぜかとてもはっきりと見えた。とてつもなく強大な殺意に満ち溢れていたその目には、もはや情など微塵も感じられなく、まさに鬼のそれそのもの。
 ただでさえ自由に動かない身体であるのに、渉は恐怖のためにさらに全身を凍りつかせてしまった。
 しばらくその場でじっとしていた。緊張がほぐれ、ようやく立ち上がることができたのは、十数分もの時間が過ぎた後だった。
 渉は川の方へと這い寄って、その流れをじっと見つめた。おそらくもう四人とも上がっては来ないだろうと思った渉は、ゆっくりと目を閉じて、両手を合わせた。
 みんな、助けてくれてありがとう。そして、助けてやれなくてすまない。死んで謝罪しても足りないくらいだと思っている。だけど死ぬ前に一つやり残したことがある。だから俺はもう少しだけ生きさせてもらうつもりでいる。本当にすまない。みんなの事は絶対に忘れないから……。
 今何処に行ってしまっているのかも分からない仲間達に向けて、自分の想いを必死になって伝え続けた。
 渉の目から滴り落ちた涙の雫が、その想いを届けようとしているかのように、皆が飲み込まれた水中へと消えた。

【残り 三十七人】
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