023
−水場の死闘(3)−

 な、何だこれは?
 正義は誠の首元に突き刺さった物の正体を明らかにするために、食い入るようにしてそれを見た。しかし辺りは暗く、そのうえ目の前を跳ねる水飛沫のせいで視界が悪いために、その姿ははっきりとは見えない。だがその本体は透明な筒、要するにシリンダー状であるということと、その先からは細い針が伸びているということは分かった。いくら見ても正義にはそれが注射器であるように思えてならなかった。
「おい、何してるんだ! こんなところさっさと上がるぞ!」
 なかなか後についてこない二人に気づき、茂貴が菊江を抱きかかえて泳ぎながら、岸へと向かう途中で振り向いた。だがそのとき、彼は自分の背後でなにやらただならぬことが起こっていると察したらしく、岸にたどり着くや否や、再び正義たちに向けて叫んできた。
「どうした! なにかあったのか!」
 その声は正義の耳にもはっきりと届いた。だが彼はその声に答えることはできなかった。なぜならば、正義も誠の身に何が起こったのか理解できていなかったからだ。
「痛っ!」
 誠は首元に刺さっている注射器らしき物を自ら引き抜き、すぐさま投げ捨てた。誠に投げ捨てられたそれはすぐに水中へと没した。
「お、おい。大丈夫なのか長谷川?」
 正義は痛みに表情を歪めている誠の身を心配した。だが何とかして岸にたどり着こうと必死ながらも泳ぎ続けている姿を見て、とりあえずは一安心した。
「大丈夫だな? さあ、さっさと岸に上がるぞ」
 誠に背を向けて再び泳ぎだす正義。しかしすぐにまた後ろを振り返ることとなる。
「み、宮本ぉ」
 背後から聞こえる誠の情けない呼び声。
「なんだ、どうした?」
 正義は再び振り向いた。そして気がついた。先ほどまでは必死ながらも何とか泳ぎ続けていた誠だったが、表情を強張らせて明らかに様子がおかしいということに。
「ととと突然、か、身体が痺れて、動かな……」
 そこまで言ったとき、誠は急に体力を使い果たしたかのように沈み、水面から姿を消した。
「おい! どうした長谷川! 長谷川ぁ! 畜生め、大変だ来てくれ岸本!」
 正義が叫ぶまでもなく、事態を察した茂貴は、菊江を岸の岩にしっかりとしがみつかせてから、既にこちらへと泳ぎ始めていた。
「どうした! 長谷川に何があった!」
「わからねぇ! 奴の首元に何か透明な筒状のものが突き刺さったと思ったら、身体が痺れたとか言って沈んじまったんだ」
「なんだって! とりあえずこのままじゃマズイ! 急いで長谷川を探し出すんだ!」
 二人は一斉に水中に潜り、沈んでしまった仲間の行方を必死になって探した。しかし濁った水のせいで視界は限りなくゼロに近く、どれだけ目を凝らしてもその姿を見つけられるはずなどなかった。
 ほどなくして二人共が水面から顔を出した。
「駄目だ見つからねぇ!」
「くそっ、こっちもだ! このままじゃあいつ死んじまうぞ!」
 二人は焦っていた。ここはほんの少し気を抜いてしまうだけで、数メートルもの距離を流されてしまうほどの激流のど真ん中。急がなければ誠のみならず、自分たちもがどこまでも流され続けてしまうのだ。
「長谷川っ! 返事しろ長谷川ー!」
 必死に呼びかけを始める正義。そんな時、彼は頭の中に妙なもやもやが残されていることに気がついた。
 そもそも何故、誠は水中に沈んでしまったのだろうか。
 あの時の出来事を思い出す。
 菊江を抱きかかえながら岸へと泳いでいく茂貴。その後を追うように同じく岸へと向かい始める自分と誠。そんなとき何処からともなく飛んできて、誠の首元に突き刺さった透明シリンダー状の謎の物体。その直後、突如力を失って水中へと消えた誠。
 間違いない。この事態を引き起こす原因となったのは、やはり誠の首元に突き刺さったあの注射器みたいなやつだ。
 バラバラだった情報が頭の中でまとまり一つの塊となった途端、あるとてつもなく恐ろしい事に気づき、例えようの無いほどの緊張感を覚えた。
 頭を上に向けた正義の目に映ったのは、谷底より十数メートル上で川を横断する形で伸びている赤い色をした鉄橋。そしてその上に、雲間から覗く月を光源に浮かびあがっている人影。その手にはなにやら長い棒状のものが握られているように見える。
「岸本、あれを見ろ!」
 正義が叫んだ。
 茂貴は正義が指差す方を振り向いた。それと同時に、人影の手に持たれていた棒状の物の先が川へと向けられ、その先から何かが飛び出したように見えた。
 それはほんの一瞬のこと。人影が橋の上から撃ち放った物体は、岩場に必死にしがみついていた菊江の腕に突き刺さった。
「ああっ!」
 突如腕に走った痛みに驚いたのか菊江が叫んだ。
「まずいぞ宮本! ありゃあおそらく麻酔銃だ!」
「麻酔銃だと?」
「ああ。麻酔銃ってのは空気の力で弾を発射する一種のエアガンみたいなもので、麻酔弾そのものはシリンダー状の注射器のような形をしているんだ。もしこんな川中で着弾してしまったら最期、体内へと送り込まれる麻酔薬に全身をマヒさせられて、そのまま溺れちまうのは確実だ!」
「なんだって! それじゃあ……」
 正義が岸の方を見たちょうどそのとき、菊江がこれまでしがみついていた岩場から手を離し、そして川の流れに飲み込まれた。麻酔弾が着弾した腕が痺れ、耐え切れず岩から手を離してしまったのだろう。
「あの野郎! よくも二人を!」
 叫びながら茂貴は支給武器のファイブセブンを橋の上へと構えた。だがいくら引き金を絞っても弾は飛び出さない。銃を腰に携えたまま川に飛び込んでしまったことにより、銃口から入り込んだ水によって機能を停止させられていたのだ。これは冷静だった茂貴にとっては珍しいミスであった。
 正体不明の敵に反撃できないのは正義も同じだった。自分に支給されたのは夏祭りででも手に入りそうなパチンコ。攻撃するどころか威嚇にすらなりはしない。
 激流のど真ん中で喚いている正義と茂貴に構うことなく、鉄橋の上の人物は麻酔銃に次弾を装填し始めた。正義はそれに気がついた。
「マズイぞ! このままじゃ全滅だ! もう一撃がくる前に一度岸に上がるぞ! 二人を助けるのはその後だ!」
 分かっていた。水中に消えた誠と菊江は今一刻を争う事態なのだと。だがこのまま二人を探していては、茂貴や自分までもが危うい。もしも自分たちもが沈んでしまえば、二人の救出は不可能なのだ。だから正義は、まずは自分たちが助かるという不本意な選択を選ばざるを得なかった。
 茂貴は正義の言葉に頷き、岸へと向けて懸命に泳ぎ始めた。それと並んで正義も岩場へと手を伸ばす。
 だがそれを見ていた鉄橋の上の狙撃者も、みすみす彼らを逃がしはしない。バレルの長いライフル型の麻酔銃の照準をしっかりと合わせ、必死に泳ぐ二人の男へと向けて発射した。だが一発目と二発目を見事に標的へと命中させてきた狙撃者の狙いは完璧ではなく、三発目にして初めて獲物を仕留めることに失敗した。
「外れたぞ! 今のうちに上がるんだ」
 麻酔弾が水中へと姿を消したのを確認すると、ようやく岩場に掴まった二人は、激流からの脱出を試みた。だがここで思ってもいなかった事態が発生した。
 激流を跳ねる水飛沫によって濡らされた岩場は想像以上に滑り、そのうえ崖のように角度が急だったため、思うように這い登ることができなかったのだ。
「急げ! あいつが弾を詰め終わる前に上らないと、またあの麻酔銃で狙われちまうぞ!」
 正義は岩の出っ張りになんとか手をかけることができた。懸垂の要領で手の力だけで身体を浮かび上がらせて、そのまま隣の岩の頭の上に足を乗せる。
 もう少しで川から出られる。
 安心しかけたそのとき、隣で茂貴がうなり声を上げた。
 正義はそちらを振り向いて愕然とした。岩に必死にしがみついていた茂貴の背中に、あのシリンダー状の麻酔弾が突き刺さっているのが見えたからだ。三発目の狙撃はなんとか免れたが、四発目も外れるという幸運は起こらなかったようだ。
「岸本、急ぐんだ! 薬が全身に循環しちまったら、痺れた身体じゃこんなところ上れなくなっちまうぞ!」
 転がるようにしてようやく岩の上によじ登ることができた正義は、未だ悪戦苦闘している茂貴へと手を伸ばし、その手を掴んで引き上げようとした。だがその手はギリギリのところで届かない。あと数センチ茂貴が上に上がってこなければ、手を取ることすら不可能だ。
「頑張れ岸本! あと少し! あと少し頑張れば俺が引き上げてやるから!」
 表情を歪めながら上へ上へと手を伸ばそうとする茂貴。だがしかし、立ちはだかる頑強な城壁の如し岩場が彼の身体を滑らし、その苦労を全て水の泡へと変えていく。そんな中、麻酔薬は徐々に茂貴の全身へと浸透していく。
「ちくしょー! 身体が、身体が痺れて動かねぇよぉっ!」
 ついに茂貴は岩場の中腹に掴まったまま、身動き一つ取れなくなってしまった。そうなってしまったら最期、滑る岩場はこのときを待っていたかのように彼の身体を押し戻し始めた。
 もはや誰の手にもそれを止めることはできない。なすすべなく茂貴は激しい流れに水中へと押し込まれ、正義の視界から姿を消してしまった。
「岸本ー!」
 正義は叫んだ。だが水中に沈んでしまった彼からは返事が戻っては来ない。
 ほんの一瞬のことであった。瞬く間に三人ものクラスメートが水中へと沈み、自分は何もすることができなかった。
 畜生! 諦めてたまるか! 自分の身がどうなろうとも、俺は三人を助け出してやるんだ!
 再び濁流へと飛び込もうと思ったちょうどそのときだった。背後からとてつもなく強大な殺気が流れてきているのを感じた正義は、ほとんど反射的に後ろを振り向いていた。



 正義は見た。全身に包帯をまとった白き夜叉、御影霞(女子二十番)が、血にまみれた巨大なナタを頭上に掲げ、今まさに振り下ろそうとしているのを。
 右手にナタ、左手に麻酔銃という姿を見て、正義は、誠、菊江、茂貴、この三人に麻酔弾を撃ち込み水中へと沈めた犯人は、間違いなくこの霞であると確信した。
「御影、お前が三人を!」
 正義の声と同時に、霞が振り下ろしたナタは肩から胸へと深く食い込んだ。骨を砕かれ、肉を切り裂かれた正義の血液が派手に飛び散り、既に血塗られていた霞の制服は、さらに鮮やかに彩られた。
 肩に深い損傷を負った正義は、そのまま崩れるようにして濁流の中へと転落した。
「渉! 逃げろーっ!」
 そう叫んだのを最後に、正義の姿は水面下へと消えた。

【残り 三十七人】
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