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−終わらぬ地獄−

 私は春日さんに一つだけ隠していることがある。
 いや、本当は久々の再会を果たしたときに全て包み隠さず話すつもりだったのだが、今を生きる幸せそうな顔を見ているうちに決心が緩んでしまったのだ。もし、私が考えている説を話してしまえば、彼女の笑顔は消え去ってしまうと分かりきっていた。

 大学の獣医学部に入った私は専攻分野だけでは飽き足らず、ほどなくして薬学についても勉強し始めた。医療知識を吸収していく過程で、様々な薬物の効能や使用方法などについて興味が湧いてきたのだった。
 幸いにも薬学部に知人は何人かいたので、そのつてを最大限に利用して、薬学部の研究室に出入りする許可を得ることはできた。
 こうして私はたまに暇を見つけては、他学科の研究室に出入りするようになった。それが、あのとんでもない薬物と直に対面することとなるきっかけとなった。ホワイトデビルの前身とされる薬物、エンゼルを手に取る日が来たのである。
 今や大東亜じゅうを探してもほとんど流通しておらず、入手困難になってしまった品であるが、過去に薬学部の教授が研究対象として独自に入手していたらしく、校内にごく少量だけ残されていたのだった。もちろん危険物として人の目にとまらぬよう、鍵のかかった棚の一番奥に保管されていたのだが、私は別の用事で棚を開錠したことがあり、その時に偶然見つけてしまったのだ。
 少量の粉末が入った小瓶に『エンゼル』と書かれたラベルが貼ってあるのを見て、動揺せずにはいられなかった。目の前にあるものこそ、竹倉学園と松乃中等学校の火災の原因となった薬物に他ならなかったからだ。
 全てが終わってしまった今となっては、何をしても意味が無いとは分かりきっていた。だが、それでも私はエンゼルについて調査してみたいという衝動を抑えることができなかった。憎しみの対象である薬物だが、研究を進めていけば、今後事件の再発を防げるようになるかもしれないし、また過去の事件について何か分かることがあるかもしれないと思った。
 そして研究を進めていくうちに、私は驚くべきことを知ることとなった。
 エンゼルの融点は六十八度、沸点は百七十度ほどだったのだ。これは蝋燭に点された火程度の熱で蒸発してしまうような数値である。
 ということは、八年前の松乃中等学校大火災のとき、湯川利久が理科実験室の天上裏で発見した大量のエンゼルの粉末は、炎の熱で全て気化して校内を漂っていたはずである。しかも爆風に乗って建物内の広域にわたって広がっていたと思われる。となると、多くの生徒が知らず知らずのうちにエンゼルをまともに吸引してしまっていたと考えられる。
 エンゼルの投与方法は、他の麻薬類と同様に複数あり、その中でも火で炙って気化したものを煙草の要領で吸い込むというのが一般的だ。注射器による血管への直接投与と比べて症状は低くなるが、大火災の時はかなり高濃度の気体が漂っていたと予想され、呼吸の際に取り込むだけでも十分な麻薬作用が起こったと考えられる。
 避難の最中に、空気と共にエンゼルを吸ってしまった多くの生徒達の精神は興奮状態に陥り、冷静な思考力は失われただろう。理科実験室の近辺にいて、より濃度の高い蒸気を吸ってしまった者は幻覚すら見てしまったと思われる。


 そんな状況下では、迅速な避難なんて出来るはずがなかった。
 おかしいと思っていたのだ。いくら生徒達がパニックに陥っていたって、七十人もの人間が一斉に命を落とすなんて被害があまりに大き過ぎたし。また事件後に検死を行った医師が、当初は「あたかも人の手によって命を奪われたかのようにも見える、不可解な致命傷を負った遺体が何体か見付かった」と公言したものの、数日後には「多くの遺体は損傷が激しく、明確な死因を特定することは非常に困難」と自らの発言を打ち消すような発表をした、とネットの裏サイトで噂になっていたことがあり、どうも頭に引っ掛かっていた。
 もしも、先の私の仮説が真実なら、全て説明することができる。
 手足の痺れ、痙攣を起こした生徒は、歩行すること自体困難になり、逃げる手段を失った。


 動ける者たちも、冷静な思考力を欠いた結果、我先にと押し合いながら逃げ惑い、脱出口へと続く通路に人詰まりを発生させた。
 追い詰められた生徒の何人かは三階の窓から外へと身を乗り出し、幻覚症状のせいでたいした高さではないと誤って認識してしまい、そのまま地面に向かって飛び降りた。
 また、興奮状態に陥っていた者は些細なことをきっかけに暴れ、他者を傷付けた。力の加減も分からなくなっているために、殺しに発展したケースもあって、これが後に『他殺体のような死体』の発見に繋がった。


 実際、薬物の濫用者が幻覚や妄想に支配されて、自傷、他害行為、及び殺人事件に至ることは度々あるのだ。
 この異常とも言える集団薬物中毒は規模があまりに大きいので、すぐに人々の知るところとなりそうだが、実際のところ救出活動を行った消防士や、重傷者の治療にあたった医師など、事件直後に生徒たちの傍にいた人達ですらも気付くことができなかった。様子のおかしい生徒がいたとしても、単に火事のせいで動転しているだけだと思われてしまったからだろう。
 全焼した建物の瓦礫の中から見つかった遺体も黒焦げで、ろくな検死も行うことが出来ず、その結果、不可解な損傷を負った遺体も事故死としか結論付けることができず、もちろんエンゼルの成分が検出されることも無かった。

 私がこの仮説を春日さんに話さなかったのは、彼女にショックを与えることを避けたかったためだ。
 親友を助けるために校内に長く留まっていた千秋もエンゼルに侵されていた可能性は高く、これまで彼女の悩みや苦しみの原因となっていた記憶ももはや真実とは限らないのである。
 春日さんは本当に醍醐葉月を助けようとしていたのか? いや、助けようとしていた時点で、相手にはまだ息があったのか? それは本当に醍醐葉月だったのか? そもそも千秋の目の前で誰かが瓦礫の下敷きになっていたという話自体が確かなことなのか?
 今となっては全てが疑わしい。
 千秋に限った話ではない。当時を知る者達がこれまでにした証言の全てが、今や信用するに値しない。
 目に映るものが偽りに支配される空間の中で、何人が正確な光景を目に焼き付けることができていたのか、予測すらできないのだ。
 一度は真実が見えたかと思われた松乃中等学校大火災は、またも闇に包まれてしまった。
 いったい迷宮はどこまで続いているのだろうか。
 出口が存在しているのかどうかも分からない迷路でさ迷い続けているうちに、私は一つの決意をした。
 この残酷とも言える仮説は、春日さんのみならず誰にも絶対に話しはしない。第三者に過ぎない身であるにも関わらず、これ以上事件を掻き回すような真似はしたくなかったからだ。
 私は自ら作成してきた研究資料を一枚残さず焼き払った。

 事件はまだ何も解決していない。

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