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−エピローグ(4)−

 兵庫県立梅林中学校三年六組を対象に行われた六年前のプログラムで優勝したのは、当時十八歳だった少女、蓮木風花だと一般には報道されている。だが『生き残れるのはたった一人』という従来のルールに反して、実はこの時に限ってはもう一人、生還を果たした少女が存在していた。世間的には広まっていないが、政府のごく一部の限られた人間達の間ではよく知られている事実である。
 分校が鎮火した後、鬼鳴島から出港した船に乗り込んでいた春日千秋。それが優勝者ではないものの生き延びることができた唯一の生徒である。
 千秋が生還できたのは、いくつかの偶然が重なったおかげだったと言っても過言ではない。もしも御影霞が分校に爆弾を仕掛けていなかったら、あるいは桂木幸太郎や木田聡がプログラム会場にいなかったら、島から出ることは叶わなかったはずだ。
 分校が炎上して兵士の殆どが犠牲になったために、プログラムは異例の中断を喫した。
 そして桂木の意志を継いだ木田の助けがあって、二人の生徒が帰還するという例外が実現した。
 複数の生徒を助けるために木田が考えた方法とはこうだ。適当に選んだ一人を優勝者とし、残りはプログラム中に死んだことにしてメディアに報道させる。政府にとって一番不都合なのは、優勝者でない生徒が生き延びたと世間に知られてしまうことなので、第一にそれさえ避けることができれば、説明次第でどうすることも可能なのである。とはいっても、今回のような異例の話を実現させるためには、政府の中枢を納得させられるだけの理由は必要だ。梅林中プログラムの時に関しては、プログラムが中断させられるに至った事件に、千秋たちが一切関与していなかったのが大きかったようだ。
 分校にいた兵士が死滅して、千秋達が脱出を企てていた事実が明るみにならなかった以上、もはや千秋達に厳罰を下さなければならない理由は見当たらない。自らの素性を隠してこれからを生きていくことを条件に、優勝者以外の生徒をも開放するに至ったのである。
 ちなみに、この際に生徒達は一つの選択を迫られる。誰がプログラム中に死んだことにして、誰が優勝者として生きていくかだ。
 プログラムで死んだことにするならば、過去の自分を捨て、これからは全く別の人物として生きていかなければならない。名前を捨て、住み慣れた土地を離れることになってしまうのだ。
 優勝者になれば、もちろんありのままの自分を捨てずに生きていくことを選択することができるが、人殺しとして一生、後ろ指や好奇心に満ち溢れた眼差しを向けられることを覚悟しなければならない。
 どちらの選択肢も手に取るにはそれなりの勇気が必要な内容だ。いずれにしろ、以前と全く同じ日々が帰ってくることは無い。要はどちらのほうが心にかかる負担が小さいかという個人的な問題だ。
 木田にこの話を持ち掛けられたとき、風花は自らを優勝者に、そして千秋を死んだことにするべきだと考えたそうだ。怒りと悲しみを募らせたクラスメート達の遺族が放つ重圧に、千秋が耐えられないだろうし、プログラム直前に父親を亡くして孤独になった千秋のほうが、別人を演じながら生きていくのが比較的容易そうに思えたのだそうだ。
 ただ、帰りの船上で重傷を負っていた千秋が途中、意識を失ってしまったので、そもそもプログラムについて報道していたニュースなどのインタビューに答えられるのは風花しかおらず、千秋に相談も無いまま、どちらを優勝者とするか決まってしまったのだが。
 風花がインタビューに答えた後に政府は都合の良い説明をしたらしく、メディアはこう報道している。
 プログラム本部に軍が設置した新たな設備に問題があり、コンピューター内部の配線から発火。核となる回路にまで火が及んでしまい、プログラムは中断せざるを得なかった。なお、この時に生徒は複数生存していたが、一人は容態が芳しくなく回復は難しいと思われた。案の定、そこから長くはもたず、結局は従来の通りに生還できたのは一人だけとなった。以上。
 プログラムでは過去に、コンピューターの誤作動で全ての首輪が爆発してしまうなどの事故が実際にいくつかあったので、人々は意外にもこの報道を事実としてあっさり受け止めたようだった。
 こうして千秋と風花がこの国で再び生活を始めるための土台は固まったわけだが、今思えば二人を助けてくれた木田にとってはここから先もまだまだ大変だったに違いない。
 プログラム本部にいた数少ない生き証人として、事故について色々報告しなければならなかったであろうし、千秋が全くの別人として過ごしていくために、架空の住民登録をでっちあげる手続きなど、面倒そうなことも色々としてくれた。
 木田には本当に感謝の思いでいっぱいだ。住民票が無ければ働くために必要な履歴書すら書けなかった。
 店に顔を出してくれたときに改めて面と向かって礼を言いたかったが、私用があったとのことで早く帰ってしまって残念だった。

 そして今、二人っきりのディナーを終えた私たちは、タクシーの後部座席に並んで座っている。
 時刻はもう夜中の三時をまわっており、明かりを点けている民家はほとんど無い。外灯が灯っていない道を走っている間は真っ暗だ。
 揺られながら運転手の頭越しにフロントガラスの外を眺めていると、ヘッドライトに照らされる景色が見覚えのあるものになってきた。
 小さい頃に水疱瘡の治療のために父親に連れられてきたことがある医院の横を通り過ぎた。また、何度か渡ったことがある歩道橋の下をくぐり抜けた。
 自分達が住んでいた町はもう近い。
「すみません。この辺りで停めていただけませんか」
 風花の言葉に従って、タクシーは道の端に寄せて停められた。深夜なので他に走っている車は無いが、周囲に分かるようにウインカーの点滅が“一時停車”を示している。
「支払いはやっておくから、先に出ていていいわよ」
 私は言われた通り外に出て、大きく深呼吸した。空気なんて何処で吸ってもそう変わらないと思っていたが、この時はとても美味しく感じられた。故郷特有の香りでもあるのだろうか。それとも夜間の空気が特別冷やされていたために感じ方が違ったのだろうか。
「お待たせ。深夜料金だから、十五駅分の距離ともなると結構値が張るわね」
 私は控え目に笑いながら、代金の半分を差し出した。
「でもさ、なんでこんな中途半端な場所で降りることにしたの? 目的地までそのまま届けてもらえばよかったのに」
「向かっている場所が場所だからね。運転手も昔のニュースで私の顔を見たことくらいあるだろうし、あんな目的地に行ってくれなんてそのまま言っちゃあ、思い出されてしまう恐れがあるし」
 つまり彼女は運転手に好奇心を持たれたり、余計な詮索をされるのを避けるために、目的地から離れた場所でタクシーから降りたわけだ。まあ確かに、いくら暗くてこちらの顔を確認し辛かったとはいえ、深夜に“あんな場所”まで乗せていってくれなんて言われれば、運転手だって不審に思うだろう。
「しかし懐かしいわね」
 私たちはしばし辺りの景色を懐かしみながら、ゆっくりと夜道を歩いていく。
 かつて使っていた通学路の脇に、覚えのある建物が立ち並んでいる。時々新しい民家や商店が姿を見せるが、町の様子はほとんど変わっていないと言って良いほどだ。しかし、千秋が以前に住んでいた家は、いくら見渡しても見つからなかった。取り壊されて更地になっていたのである。空き地の隅にある『土地。買い取り手募集』と書かれた立て札は朽ちかけており、長い間風雨に曝され続けてきたことが窺える。
「もうすぐね」
 風花がぽつりと呟いた直後、角を曲がると目的地が遠くに見えてきた。松乃中等学校跡地である。
「よかった。誰もいないみたいね」
 せっかくここまで人に会わずに来ることができたのに、最後の最後に誰かに見られてしまっては、なんの為にこんな遅い時間に出てきたのか分からない。素性を隠して生きなければならない千秋は、この町の人に姿を見られることは避けなければならないのだ。
「いくらマスコミでも、流石にこんな時間まで張り込んでいたりはしないか」
 昨日は松乃中等学校大火災から、ちょうど八年が経過する日だった。亡くなった生徒の遺族や支援者達を中心に、黙祷や献花の為にここを訪れる人は未だに多くいるらしい。また、事件を忘れてはならないと運動が起こっており、毎年この日が来ると決まって、マスコミ達は八年前の大火災にスポットを当てているのである。そのため昼間はマイクとカメラを構えた人達が、跡地をぐるりと取り囲むように徘徊している。
「事件の日から数時間遅れてしまったけれど、しょうがないわね。まあ、気にする必要は無いか。大事なのは日時じゃなくて気持ちだし」
 月明かりの下、敷地内に足を踏み入れると、甘い香りに包まれた。
「凄いことになっているわね」
 風花が驚きの声を上げた。昼間にやって来た人達が供えたらしい花の束が、慰霊碑の半径一メートルほどの地面を完全に埋め尽くしていたのだ。
「亡くなった子達も幸せだわね。未だにこんなにも想われているなんてさ」
 千秋は「うん」と頷いた。
 梅林中にいたころは、もっと早い時間に献花をしに来ていたので、最終的にはこんなにも花が集まるなんて知らなかった。
「私達のなんて必要なかったかしらね」
「そんなことないよ。一本でも多くの花がもらえれば、それだけ喜んでもらえると思うよ。それにせっかく持ってきたんだから、お供えしよ」
 千秋の言葉に促されて、風花は隅のほうに控えめに花を置いた。そしてそのまま黙祷を開始する。
 数十秒間の沈黙。
 次に目を開いたときには、パラパラと雨が降り出しており、つい先程まで見えていた月が、雲の後ろに隠れようとしていた。風花が持参していた折り畳み傘を開き、その下に千秋も引っ張りいれた。
 そういえば八年前の今日――梅林中三年六組プログラムが開始されたときも雨が降っていた。
「葉月さんのこと想いながら黙祷してあげた?」
 傘の下から覗き込むように風花がこちらの顔を伺ってきた。
 葉月のことを想ってあげたかというと、それくらいは当然のことだ。
「葉月だけじゃないよ。真緒のことも、智香のことも、磐田くんのことも、比田くんのことも、土屋くんのことも――皆のことを想っていたよ」
 すると風花はおかしそうに微笑んだ。
「皆のことを……って、ここはプログラムで亡くなった生徒達のお墓じゃないのよ」
「でも、皆ここにいると思う」
 千秋は至極真剣な顔付きをして、雨に濡らされた慰霊碑を見つめた。
「皆が流した汗と涙はやがて大粒の涙になって、世界のどこかに降り注ぐ」
 千秋はおもむろに傘の下から出て、身体中に雨を受けた。
「皆の想いがあたしと同じなら、きっとここに戻ってきてくれるはずだから」
 雨粒と混ざりあって風花には分からなかったかもしれないが、千秋は自分でも気付かないうちに涙を流していた。


 【完】

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