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−雨上がりの断罪(2)−

 許し難き罪は根を深く張り巡らせて、いつしか大きく成長してしまっていた。力ずくで引っこ抜こうとしても、こうなってしまった後ではもう無駄だ。
 悪性の異物をいつまでも取り除かないでいると、断続的に偏頭痛が襲いかかってくるというのに、どうにもならないというのがとてつもなく歯痒い。
 この苦しみから逃れるためにはどうすればよいか。
 何度も何度も考えた。その結果、導かれる答えは一つしかなかった。

「この中に一人、断罪されなければならない人物がいる」
 そう言い放つや否や、怜二の手の中で揺れていた拳銃が、ぴたりとその動きを止めた。銃口を怜二自身の頭に向けた状態で。
「ば、馬鹿なことはやめろ!」
 木田は駆け寄ろうとするが、すぐに足を止めてしまう。引き金にかかった指には既に力が入っており、少しでも刺激を与えてしまうと、相手は今すぐにでも頭を撃ち抜きかねなかった。
「……俺なんだよ。本来死ぬべきだったのはさ」
 力無い言葉に深い感情が篭っている。
 怜二の内に正体不明の闇が突然見え隠れしだしたように感じた。
「どういうつもりか分からないけど、とりあえず銃を下ろしなさい」
 そんな風花の言葉にも耳を傾ける様子を一切見せない。怜二がどういうつもりでこのような行為に及んだのか理解できなかった。
「出港前にちゃんと身体検査したというのに……、いったい何故、君は銃なんか持っているんだ!」
 凶器を持ち込めないはずの状況下で起こった出来事に、木田は困惑しているようだった。
 それを見て、怜二は呆れたような顔をする。
「御影の時と同じですよ。あなた達がちゃんと策を張り巡らせているつもりでも、必ずどこかに穴はある」
 と、彼は見せびらかすかのように、少し焦げ目のついた兵士の帽子を後ろから取り出して掲げて見せた。
「本部の火災から救助されて船に担ぎ込まれた兵士が何人かいただろ? 俺はそこに目をつけた。御影が持っていた銃の一つを回収して、一人の兵士のポケットに仕込んでおいたのさ」
 思い返せば、炎上する本部を前にした周囲の混乱に乗じて、彼が自由に動き回るということは不可能ではなかった。出港後、隙を見て兵士のポケットから銃を回収することくらい、プログラムの中で生き延びるよりも遥かに容易かったに違いない。実際、周りの目を盗んで実行に移すチャンスは何度かあったように思う。
 単純だが、これは相当上手く、理に叶った策といえる。まさか兵士同士で、しかも重傷者を相手に身体検査することはないであろうし、仮に銃が見つかったとしても、それが怜二による仕込みだと気付かれることはまず有り得ない。
 霞が使った『ヌイグルミ爆弾』作戦と少し似ているが、それよりも安全面において秀でていたといえる。
「まったく……、駄目じゃないですか。一度ならまだしも、同じ過ちを繰り返しちゃあ……」
 指導するかのような言い方をして、怜二は口元を歪ませる。
「自殺なんかするために、土屋君はわざわざ銃を船に持ち込んだというの?」
「そうだよ」
「分からない……。あなたが自分を殺したがっている理由はもちろん、どうして今頃になってそれを実行しようと思ったのかも……」
 風花の言う通りだ。何らかの理由で怜二が死にたいと思っていたとして、自殺するチャンスなんていくらでもあったはず。プログラムという殺し合いゲームなんて、まさにあえて命を落とすことのできる絶好のタイミングだったはずだ。なのに彼はプログラムに巻き込まれている間は、必死に死を回避し続けてきていた。
 あまりに大きな矛盾である。
「そんなに難しく考えるようなことではないさ。俺がすぐに自害しなかったのは、死ぬ前にやらなければならないことがあったから。ただそれだけのこと」
 火傷に支配された手を、もう片方の手で優しく包む彼。
「御影さんの暴走を先に止める必要があった、ということ?」
「それもある。が、全てではない」
 と、雨が上がって間もない空を仰いでみせた。
「死ぬ前にどうしても知りたかったのさ。沢山の命が失われた松乃中学の火災の全貌を――」
 自ら頭に銃を突き付けているとは思えないような、とても穏やかな口調だった。
「まあ、俺みたいな罪人なんかに、真相を求める権利があったのかどうかは疑問だけどな」
「ざ、罪人って?」
 怜二がいかなる罪を抱えているのか、全く想像すらできない。
 正義感があり誠実な印象の彼に、「罪」という一文字があまりに似つかわしくなかった。
「聞きたいか? ろくな話じゃあないぞ。俺が何に苦悩して、死のことばかり考えてきたのかなんてさ」
 誰も反応できない。しかし、知るべき――もとい知らなければならないという気持ちが皆の中にあるのは間違いなかった。
 怜二はそれを汲み取ったらしく、明確な反応も目にしないまま、胸の内を打ち明け始めた。
「本当はさ、俺のせいなんだよ……。松乃中学が燃えたのも、火事で沢山の人が死んじまったのもさ」
「えっ」
 思えがけない言葉に驚愕したのは千秋だけではない。同時に発せられた複数の人間の驚き声が見事に重なった。
「今になって思えば、あの時の俺はどうかしていた。火事の前日の放課後、部活動に遅れた俺は、グラウンドに向かって校舎内の廊下を走っていたんだ。サッカーボールを蹴りながら……」
 何かに気付いたのか、木田はハッとした顔で口元を押さえた。
「ところで、火事が起こった当日に、出火元となった理科実験室の近くにあったはずの消火器が消えていたのは知っているか? そのせいで消火活動が遅れて、火は建物全体に広がってしまった」
「まさか……その消火器は君が……」
「ええ。勢い余って蹴ったボールが命中してしまって、その衝撃で中身が噴き出してしまったんですよ。まあ、このことをすぐに先生にでも話していれば、なんとか対応してもらえていたかもしれない。だが俺はそうしなかった。部活動のことを最優先に考えてしまい、どんな面倒事をも避けたい一心で、空になった消化器を投棄してそのままグラウンドへと向かってしまった。それが翌日にどんな大事を招くかも想像せずにな」
 急に吹き付けてきた強風が大波を起こし、船が激しく揺れて傾いた。
 千秋は慌てて傍らの手摺りにしがみついた。
 自らへの怒りで打ち震えている怜二の心中が、大気にまで伝播しているかのようだった。
「消火器のことなんて後日報告すれば大丈夫だろう、などと無責任なことを考えていた当時の自分が憎くてたまらない。翌日学校で火事が起こり、七十人もの生徒が死んで、初めて俺は自分のしたことの愚かさに気付いたんだ。そして一生悔やむこととなった」
 昔のことを思い出したためか、彼は今にも泣き出しそうになっていた。涙こそ流さなかったが、悔しさに顔をくしゃくしゃに歪ませている。自然と声も上擦ってきていた。
「かつての罪を償うために、俺は色々頑張ってきたけれど、所詮は苦しみから逃れたいがために起こした偽善に過ぎなかったのかもしれない……。結局のところ、過去の大罪を埋め立てることなんて到底叶わない……。ならばもう、根源である自らを葬り去るしかない」
「やめてっ!」
 千秋は立ち上がって声を荒げた。
「いくらなんでも、消火器を破裂させてしまっただけで死ぬことなんてないよ! それに、土屋君は色々頑張った! たとえ神様であろうと、もうあなたを責めたりしないよ!」
「……この苦しみを知らない人間は黙っていろ」
 怜二の様子が急変した。頭を抱えて座り込み、見開いた目を苦しげに足元へと落とす。
 彼の荒い息遣いが耳に入ってきた。
「考えても見ろ……。自分のせいで約二クラス分もの人数が死んだんだぞ! 消火器にボールをぶつけたという行為そのものは大したことなくとも、耐えられるはずがない! 大好きなサッカーをしている最中だってそのことが頭から離れないし、寝ている時は悪い夢となって甦ってくる……」
 怜二の手首の筋がピクリと動く。それを感知するや否や、千秋は無意識のうちに走り出していた。
 思い切り手を伸ばすが、間に合う距離ではない。
「今まで必死に耐えてきた……だがもう我慢の限界。ごめんな……。せっかく皆で生きて帰れると喜んでいただろうに、俺、期待に答えられなかった……」
 その言葉は柔らかく、そして温かみを持っていた。しかし、今最も聞きたくない言葉であった。
「じゃあな……。こんな俺のことを真剣に庇ってくれて、ありがとう……」
「待って!」
 千秋の悲痛な叫びが響くと同時に、至極近距離から発せられた銃声が耳に飛び込んできた。鼓膜が激しく揺さぶられ、酷い耳鳴りに襲われる。
 次の瞬間、目の前に広がったのは赤に支配された凄惨な光景だった。伸ばした手はあと少しのところで怜二に届かず、無情にも何も無い宙を掻いたのだった。
 勢いのまま体勢を崩した千秋は亡骸を前にひざまずく。近距離から反り血を浴びて全身真っ赤になっていた。


「あ……あっ……」
 下を向いていると、大きな血だまりに映った自分の姿が鮮明に見える。
 血みどろの少女が両目を限界まで見開き、わなわなと震えていた。
 何も知らなかった。何も出来なかった。そんなどうしようもない後悔に襲われた。

 大洋に絶叫がこだました。



 本島の港はもう近い。
 ほどなくすれば馴染みのある地面に再び足を着けることは叶うだろう。
 しかし達成感など微塵も無い。
 悪い感情ばかりが押し寄せてくる。
 体中の傷という傷が急に熱を発しだしたように感じた。重ねて胸も痛い。熱い。
 疲れが溜まり過ぎたためか、次第に景色が霞みがかって黒に染まっていく。

 意識が完全に途絶えたのは、そこからほんの少し経ってのことだった。


 土屋怜二(男子十二番)――『死亡』

【残り 二人】
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