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−雨上がりの断罪(1)−

 青く澄んだ海が四方に果てしなく広がっている。
 海面に写る晴天を見ていると、つい数時間前まで雨が降っていたなんて嘘のように思えた。
 生き残った生徒三人は現在、船の甲板にいる。
 校庭の真ん中で呼び掛けを続けていた男のことを信じて、千秋達は自らそちらへと赴いたのだった。
 その判断は間違っていなかった。木田聡と名乗る男は快く三人を迎えてくれた。分校の火災に気付いて駆け付けてきた警備艇の兵達に事情を説明して、島から出るための手配もしてくれた。
 実は、その警備艇の兵達が生存者達の帰還を許してくれるかどうかが一つの大きな心配事だったのだが、意外にあっさりと木田の申し出を了解してくれたようだった。燃える校舎を目の前にして判断能力を失っていたのかもしれないが、そもそも醍醐や御堂のように全体を統率できるような指揮者が他に存在しなかったことが大きかったようだ。
 頭を失ってしまった今、彼らのみでプログラムを続けることはできない。
 その巨大さに似合わず、組織とは意外に脆いものだった。
「見て……。凄く綺麗」
 洋上で揺れる船の甲板から、千秋は大きく身を乗り出した。そして、背後で座り込んでいる風花や怜二に、自分が見ているものの素晴らしさを伝えようとする。
 段々と小さくなって景色の奥に消えつつある鬼鳴島に、大きな虹が架かっている。海面の煌めきをバックにした、雨上がりにだけ見られる七色の芸術だ。血生臭い出来事があった島が生み出した光景だなんて、到底思えない。
 しかし疲労困憊の男女は、その程度のことに興味を持ったりはしなかった。
「おめでたい人ね……。あなたみたいに陽気になれたら、どれだけ気が楽になることか……」
 浴びせられたのは冷めた言葉。こちらを一瞥した風花だったが、すぐにまた目を反らしてしまった。
 別に、あたしだって好きで陽気に振る舞っているわけではないのに……。
 重苦しい空気に堪えられず、少しでも場を和ませようと努めただけだったが、どうやら風花達にそんな気遣いは無用だったようだ。
 同じ死線をくぐり抜けてきた人間でも、精神状態はそれぞれ異なる。千秋なんかは、精神にかかる負荷を少しでも和らげなければ今にも泣き崩れてしまいそうなのに、他二人にとってその圧迫は、膨張して割れそうになる高ぶりを抑えるために必要らしい。
 難しい話だが、精神に大きな亀裂が走っているという意味では双方共に変わりは無い。親しく大切だった友人達が、たった二日間で何人も亡くなってしまったのだ。千秋にしてみれば、桂木が亡くなったのも悲しい出来事であったし、同じくプログラム本部の火災の犠牲となった田中一郎が、親友の醍醐葉月の父親だったという事実にもショックを受けていた。
 結局、島にいた人間で生き残っているのは千秋たちと、幸運にも火事の中から救出された数人の兵士のみ。それらは皆、数隻の船に別れて本島へと向かっているが、酷い火傷を負っている者が多く、ほとんどは回復の見込みは無い。島にいた人間で生還の可能性があるのは、千秋、風花、怜二、木田くらいだろう。そしてその四人の中にすら、未だに生命の危機から逃れられずにいる者はいる。
「――なるほど、確かに酷い容態だ。これは早く病院でしっかりとした手当てをしないと、冗談抜きで危ないかもしれない」
 壁にもたれている風花の様子をざっと見て、木田は至極真剣な顔をした。
 そう、生き残った生徒の中で最も危険な状態にあるのは、当然ながら風花である。
「それにしても無茶をしたものだ……。自分の血を他の人間に輸血したなんて」
 真緒の身体に血を移したとき、首輪の盗聴回路は不能になっていた。だから木田はその時のことを一切知らなかった。風花が先程自ら説明をして、初めて理解してもらえたのだった。
 この船に乗ってから皆で色々なことを話した。それぞれが見たこと、聞いたこと、経験したこと、全てを包み隠すこと無く。その中には竹倉学園や松乃中等学校の火災に関する話も多々あった。一人一人が元より知り得ていた情報があれば、プログラムの最中に判明した新事実もあり。羅列してみると、これがまた結構な情報量となった。そして、持ち寄ったそれらをパズルの如く上手く組み合わせていくと、自ずと全貌が見えてくる。
 火災が発生したそもそもの原因。被災者や遺族達が抱いた思い。それによってもたらされた影響。などなど。
「しかし未だに信じられない……。あの湯川が学校に火を点けたなんて……」
 と呟いたのは怜二。この船に乗っている人物の中で、利久の凶行を知り得ていなかったのは彼一人だった。
「でも、その湯川も、ある意味では被害者と言えたわけね。父親が薬物エンゼルに魅了されなければ、彼もこんなことをせずには済んだ」
 風花がポツリと言う。これは利久の供述を拾っていた木田からの情報。
「この一連の悲劇は、誰かに責任を押し付ければ解決するような、そんな簡単なものじゃないさ。様々な要素が偶然にも積み重なって起こった、とてつもなくタチの悪い奇跡といえるだろう」
「こんな奇跡なんていらないよ……。どうせ起こるなら、皆がもっと幸せになれるような奇跡がよかった……」
 木田に言ってもしょうがないと分かりつつも、千秋は自らの思いを吐き出さずにはいられなかった。
 皆の証言を総合した結果、明らかになった事実はこうだ。
 薬物エンゼルを摂取し続けていた利久の父親が発狂し、学校内で頭から灯油をかぶって焼身自殺。そうして竹倉学園大火災が発生。
 木田の息子が巻き込まれて死亡。風花は重傷を負って入院し、後に中学二年生をやり直すこととなった。
 時は流れて一年後、松乃中等学校に入学した利久は科学教員の北見と出会い、色々と相談に乗ってもらっていた。しかし北見が事故死し、校舎の天井裏の薬物貯蔵庫の存在が発覚。北見の行為を裏切りと捉らえ、激昂した利久は校舎もろとも薬物を焼き払った。
 松乃中等学校大火災が発生。
 七十余名もの命が失われ、生き残った者達も心身に大きな傷を負った。
 大切な親友を失って、千秋たちは悲しんだ。
 たった一人の少女を救うために、怜二は自らの肌を焼いた。
 そして元の外見を奪われた霞は、灼熱地獄の中で意識を失ってしまっていたために、怜二たちの決死の奮闘も知らず、生還者達に復讐することを心に決めた。
 娘を失った醍醐教官もまた、憎しみのみに突き動かされることとなった。
 これが竹倉学園の火災発生から、プログラムが開催されるまでの大方の全体像。
 初めて明るみになった真実を前に、一瞬誰もが言葉を失わずにはいられなかった。火を点けた犯人は誰か、なんて簡単な話で片付けられないほどに、あまりに多くの絶望と憎悪が渦を巻いている。
 分かれ道がいくつもある迷路の中で、何者かに意図的に導かれたかのような最悪な流れと結末。
 はたして悲劇を避けることのできる横道は存在したのだろうか。無かったとしても、新たに道を切り開くだけの力を私達は発揮できなかったのだろうか。
 とめどなく押し寄せてくる後悔と無念に胸を締め付けられる。奈落の底へと続いている通路に、うっかりと踏み入ってしまっていた間抜けな自分達のことを、今さらながら責めずにはいられなかった。
 だが、全てはとうの昔に過ぎ去ってしまったことだし、嘆いていても仕方が無い。とにかく今は生きて帰れるということを素直に喜び、そして死んでしまった友人達の思いを絶やさぬよう懸命に努めようと、無理やり気持ちを切り替えた。今頃天国にいるであろう真緒たちも、そうすることを一番望んでいるに違いなかった。
 気合いを入れるつもりで千秋は拳を握り締める。と、肩の傷がまた急激に痛み出した。出血多量が影響してか、頭がフラフラしている。
 皆が風花のことを一番心配しているが、実は千秋だって安心は出来ない状態であった。
「ところで――」
 ふいに風花が木田の方へと顔を向ける。意識が薄らいできているうえに船酔いまで起こしているのか、表情が少し辛そうだった。
「どうしました?」
「ちょっとね……。根本的な疑問が残されているので、その辺りをお聞かせ願おうかと」
「何のことだか分かりませんが、私に答えられることならば、何でも伺いますよ」
 木田は両手を軽く広げて見せた。
「なら、遠慮なく質問させていただきます。――とりあえず、こうして船に乗せて頂けたのはいいものの、これからどうやって私達を本島に帰すつもりなのでしょうか? 優勝者は一人、とプログラムのルールに定められている以上、二人以上の帰還なんて政府が許してはくれないと思うのですけど……」
 もっともな疑問だった。確かに、前代未聞の事態に戸惑うことしかできなかった下級の兵士達とは違って、政府の中枢機関は相手にするにはやっかいだろう。複数の生徒が生還するという悪い前例を残さないためにも、何らかの手を打ってくることが予想される。
 だがそんな心配とは裏腹に、木田は緊張の抜けた柔らかな表情を変えることは無かった。
「なぁに、政府からは帰還の了承を得ているし、心配することはないさ。今回の事故を漏洩させないために、島で全員射殺するべきという考えもあっただろうが、そんなことよりプログラム本部の火災について事情聴取したかったのだろうな。貴重な証人である君達をちゃんと本島に連れ帰って話を聞き、今後同じような事故を起こさないためにも対策を練っておく必要があるから」
 全員射殺する可能性って、さらっと恐ろしいことを言ってくれる。
 それにしても、事情聴取されるといったって、こちらは霞が話してくれたこと以上の証言なんて出来ないが、果たしてそれで政府は満足するのであろうか。
「本島に着けさえすればあとはもう問題無い。複数の生徒の生還は、絶対に世間に知られてはならないが、万事解決する方法は考えてある」
「三人とも助かることができると言うの?」
「ああ、勿論だ」
 その方法とは? と千秋が問おうとしたとき、一瞬早く言葉を発した者がいた。
「盛り上がってきているところ申し訳ないが、三人とも助ける必要なんてありませんよ」
 それは怜二の声だった。理解し難い発言に、千秋は違和感を覚え振り返る。正体不明の不安に襲われた。


「ちょっと、それってどういう……」
 詰め寄ろうとしたところで、千秋は言葉を失ってしまった。
「こういうことだからだ」
 ガチャリ、と金属性の部品が駆動する音が聞こえる。
 いったいいつの間に手にしたのだろうか、怜二は拳銃を握り締めていた。
「つ、土屋君……。いったい、どういうことなの?」
 突然身体が震えだす。なんとか怜二に問いただそうとするも、掠れた声しか出てこなかった。
「今まで黙っていてすまなかった。一連の悲劇について、全てもう解決したと皆は思っているのだろう――。だが、話はまだ終わっていない――」
 次の言葉が発せられるまでのほんの一瞬の間が、千秋には永遠に続く静寂のように思えた。
 怜二の唇がゆっくりと動く。

「実はこの中に一名、断罪されるべき人物がいる」

【残り 三人】
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