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−焔に刻まれし紋(3)−

 怜二が手袋を外したところを見るのは、千秋にとってはこれが初めてだった。
 よほど二年前の事件を思い出したくなかったのか、火災の痕跡が残された右手を、ずっと封印し続けていた彼。人前で火傷の跡を晒すのは、怜二にとっても初めての経験だったかもしれない。
 高温の熱風に焼かれた肌の様子は、隠し続けていただけの事はあってかなり酷かった。こちらに向けられた手の甲の表面は、広域に渡ってケロイド状態になっている。膠原繊維が過剰に生成されたことによって、かさかさの肌が不規則かつ不自然に隆起しているのが遠目にも分かった。
 そのあまりに痛々しい光景が、否が応でも松乃中等学校大火災のことを鮮明に思い出させてくる。
 崩れる校舎。逃げ惑う生徒。高熱に飲まれて消えていく命。当時の状況が生々しく蘇ってきて、千秋は思わず頭を抱えたくなった。
 ところが、肝心の霞は全く動じていない。
「なにそれ。そんな火傷なんか見せて、私が怖気付くとでも思った?」
 冷め切った口調だった。だけどそれも当然だろう。霞の暴走を止めることに、火傷の跡を晒すことがどう関係しているのか、千秋だって全く理解することが出来ない。
 いったい怜二は何を考えて、手袋を外して見せたというのだろうか。
「御影」
「何よ」
「お前は、二年前の火災に巻き込まれて以来、何らかの理由でクラスの皆を恨んでいた。そして今回、その恨みを晴らすべく、凶行に走ることとなった。そうだろう?」
「ええそうよ。今さら何を言っているの」
 怜二は自らの掌をじっと見つめていたが、すぐに霞の方へと意識を戻して、その手を強く握り締めた。
「本当に、それでいいのか? お前が殺そうとした者たちの中に、お前のことを想ってくれていた人間がいたかもしれないと、考えたことはないのか?」
すると、霞は笑い出した。
「ははっ。何を言い出すかと思えば……」
 無知な男に対して呆れているような、乾き切った笑い声だった。
「お人よしが過ぎる考え方ね。あなたまさか、そんな言葉で私が、クラスメートを殺していったことを後悔するか、そこまでいかなくとも、せめて動揺くらいはするだろうとでも思っていた? だとしたら、とんだお笑い種よね」
 この人は完全に自分の殻に閉じこもってしまっている。だから、他人が言っていることなんて一切信用することができないのだ。と、千秋は一連の様子から霞の精神状態を理解した。
「殺してしまう前に、甘ちゃんに教えておいてあげるわ。何故私が同じクラスの人間達を皆殺しにしようと思い立ったのかね」
 霞の口調が急激に荒くなる。
「おっしゃるとおり、全ての発端は二年前よ! あの火事のとき、私は瓦礫に挟まれて身動きがとれなくなっていた。炎が勢いを増しつつ迫る中、私は必死になって助けを求めたわ。だけど誰も救いの手を差し伸べてはくれなかった!」
「それで、あたし達のことを憎むようになった、ということ?」
 恐る恐る千秋が口を挟むと、霞は突然振り向いて銃を向けてきた。
「そうよ! あなた達に分かるかしら。肌が焼けるほどに熱された空気に身を包まれることが、どれほどの苦痛なのか。そして健康的だったかつての容姿を奪われて、化け物のような姿に成り果ててしまった自分を鏡越しに見たときのショックが。火事の後も悠々と自由な日々を過ごしていたであろう、あなた達がとてつもなく恨めしかったわ」
 霞の眉間に深くしわが走るのが、包帯で顔の皮膚を隠されているにも関わらず分かった。彼女の内に存在するとてつもなく巨大な憎しみと殺意が、さらに大きく膨らんでいっているのだ。
「プログラムに参加できたのは幸運だったわ。ここならいくら人を殺そうとも、咎めるものは何もない。そして復讐の対象となる愚かしい生き残りはもう僅か……。もうじき全てが終わるのよ」
 霞の表情が大きく歪んだ。そして包帯を巻かれた白い手の人差し指が、マシンガンのトリガーにかけられる。
「皆死んで当然なのよ。自分が助かることばかりを考えて、苦しむ私のことなんて視界の端にも入れようとしなかったのだからね」
「それは違う!」
 千秋に向けられたマシンガンから弾が発射されそうになったとき、怜二の怒声が霞の動きをぴたりと止めた。彼はまるで正拳でも繰り出すかのように、握り締めた拳を真っ直ぐ前に突き出している。
「違うって、何がよ?」
 霞が怪訝そうに聞くと、怜二ははっきりとした声で答えた。
「お前は何も分かっていない。誰も救いの手を差し伸べてもくれなかっただと? 馬鹿言うな。お前のために命を張って、灼熱の炎に立ち向かってくれた人間はちゃんといた!」
 霞は、キッ、と目つきを鋭くさせ、マシンガンを千秋から怜二へと向け直した。
「陽動作戦のつもりか知らないけど、私、そういう嘘は大っ嫌いなのよ!」
 そして銃口が音を立てながら眩い光を連続して放つ。だが、霞のモーションから瞬時に危険を感じ取った怜二が、樹の陰に退避する方が一瞬だけ早かった。
「そういえば、前にも貴方と同じようなことを言っていた奴が何人かいたわ。自分が助かりたいがために口からデマカセ吐いたんでしょうけど、誰がそんな見え透いた嘘を馬鹿正直に聞くものかしら。あんまり鬱陶しいものだから罰を与えちゃったわ」
「それって、まさか……」
 嫌な予感でも走ったのか、顔をしかめながら樹の陰から出てくる怜二。
 霞は目を細めて言った。
「磐田猛と比田圭吾だったかしらね。あること無いことほざくからイライラして、つい死なせちゃったのよ」
 一瞬、辺りに静寂が訪れる。
「なんてことを……」
 やがて口を開いた怜二は、とてつもなく大きなショックを受けているようだった。握り締められた拳がわなわなと震えている。彼はその男子二人に対して、何か特別な思い入れでも持っているのだろうか。
 そう言えば、かつて猛は仲間として信頼できる人物に、怜二と圭吾の名前を挙げていた。そして圭吾も猛と怜二を信用しているようだった。
「まあ、比田君に関しては、とどめをさせるには至らなかったんだけどね。白石さんに横取りされちゃって。でもまあ結局はちゃんと死んでくれたわけだし、邪魔した白石さんもこの手で片付けることができたし、結果的には何ら問題無かったんだけどね」
 満足気な語りが続く中で、怜二が「俺が間に合ってさえいれば……」と悔しそうに呟くのを、千秋は確かに聞いた。
「あら、がっかりしてどうしたの? 土屋君、私が言ったことに何か問題でも?」
「……お前は一番手出ししてはならない人間達を死なせてしまった。何故それが分からない」
 霞が、プッ、と吹き出した。先程は眉間にしわを寄せて、不愉快さを露にしていたのに――。意外に感情の変化が激しい。
「まさかあなたも、私を助けたのは自分達だって主張するつもり?」
「ああ」
「あらら、クラス中に虚言癖が蔓延しているのかしら。これはますますあなた達の処分を進めていかなければならないようね」
「聞け! 御影!」
 突然怜二が叫んだ。
「俺達がお前を助けたというのは嘘なんかじゃあない。紛れも無い事実だ。俺がお前の手を握り締めて引っ張り、猛と圭吾が瓦礫を持ち上げて支えてくれていた。誰しもがすぐに逃げ出したいと思うであろう、あの灼熱地獄の中で、お前のために命を張った人間は確かにいたんだ。それをお前は知らないばかりか、果ては命を救ってくれた恩人まで手にかけてしまった――。これが事実でも、お前はまだ自分の行いは正しいと言い張れるのか!」
 怜二の勢いに圧倒されて、千秋はもはや口出しすらできない。耳から入ってくる言葉を並べ、ただ整理するだけで精一杯だった。
「こんなこともうやめろ……。復讐なんて馬鹿な真似は。いや、お前がしているのは復讐ですらない。ぶつけようのない怒りを発散させるための、単なる憂さ晴らしだ!」
「黙れ!」
 霞が発した大声に驚き、千秋は跳び上がりそうになる。対して怜二は山の如し、動かない。
「勝手なことばかりウダウダほざきやがって! そんなに妄想話が好きなのなら、すぐに夢の中に送ってやる!」
「妄想なんかじゃない! 証拠はここにある!」
 と言って、怜二は前に突き出したままの自らの拳に目を向けた。
「これが、俺達がお前を助けたという何よりの証明だ」
 霞が鼻で笑う。
「あなたのその手が? まさか火傷を負っているのが、灼熱の中で私の手を握っていた証だ、なんて言うつもりじゃないでしょうね。馬鹿じゃないの? そんないつ何処で負ったかも分からない火傷なんかで騙されたりはしないわ!」
 霞が言っていることはもっともであった。しかし怜二の態度は変化しない。
 彼は言った。
「ただの火傷の跡ではそうかもしれない。だが俺がお前に見せたいものはこんなものなんかじゃあない。真実を示す証拠とやらは、今俺がこの手に握っている」
 怜二は拳から力を抜き、ゆっくりと広げる。決して時間のかかる動作などではなかったが、このときばかり千秋には何故か時の流れが、急にゆっくりになったように感じた。怜二が発するただならぬ雰囲気に感覚を狂わされていたのかもしれない。
 ほどなくして、握り締められていた手が完全に開かれた。グーがパーに変化したことにより、初めて露になった掌。手首の辺りから始まっている火傷の跡は、指先にまで及んでいた。想像していた以上に酷い様子に、千秋は思わず目を覆いたくなった。
 僅かに吹いていた風がふいに止み、辺りの茂みのざわつきが静かになる。
「どうして……」
 霞が口を開く。彼女の様子は先ほどまでとは打って変わり、明らかに一変していた。両の目を大きく見開いて、驚きのあまりか声を震わせる。
「どうして“それ”がそこにあるのよ!」
 信じられないとでも言いたげな顔をする霞。
 彼女が急変した訳が、千秋には全く分からない。
 全ての謎を解くための鍵は、霞が口にした“それ”が指すもの――。
 怜二は少し悲しそうな表情を浮かべた。

「分かったか、御影。ショックを受けたかもしれないが、これが真実なんだ……」

【残り 四人】
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