188
−焔に刻まれし紋(4)−

 床に転がっている相沢智香の遺体の傍に立つ二人の男は、互いに真剣な眼差しをして相手と向き合っている。嵐の前の静けさなのか場の空気が妙に落ち着いていたが、むしろそれが緊張感の増大を助長しているようだった。
 いったい醍醐のどういうところが父親として失格なのか。そして彼はいかなる過ちを今も継続させ続けているというのか。
 一呼吸おいて桂木は言った。
「醍醐。お前は誰よりも娘のことを大切に想っていたというが、親子の間に亀裂を走らせたのは、他ならぬお前自身だ」
 確信めいた言葉に、醍醐の様子に明らかな変化が表れる。戸惑いと動揺が入り交じっているような、曖昧な表情に汗をうかべていた。
「事の起こりは今から三年ほど前。松乃の火災が発生するよりも以前のことだ。とある冬の日の夜、心臓に病を患っていた一人の女性が病 院で静かに息を引き取った。彼女には家族がいた。夫と、娘が一人。女性が息を引き取る際、娘は側について涙を流しながらその最期を看取った。しかしその場にいるべきもう一人の人物――夫の姿は何処にも無かった。信じられないことに、夫は妻の最期を見届けることよりも、急遽入った仕事のほうを優先してしまったんだ」
 熱が入り、桂木の口調が強くなる。
「その夫はもともと過剰なほどに仕事熱心な人物で、以前から妻とはすれ違いを繰り返していた。当然、そんな様子を目にしていた娘が快い思いをしているはずがなかった。幼い少女の目から見ても、非があるのは間違いなく夫のほう。日に日に病状が悪化して窶れていく母を庇い続けているうちに、少女は自らの父親に対して敵意を抱くようになっていった。そんな中で起こった母の死。娘が父親から完全に離れてしまう十分すぎる理由となった。分かるか? この話に出てくる父とは醍醐、お前のことだ。そしてその娘の名前は葉月」
 神妙な面持ちを保ったまま、一切醍醐は口を開こうとしなかった。震える手の中で銃をぎゅっと握り締め、激怒していつ発砲するか分からない。彼はいったい今何を考えているのか、とうてい桂木の知るところではなかった。
「まあこれくらいは、お前自身も前々から理解していたことだろう。いくら仕事に一番力を注いでいたといっても、やはり娘と心が離れてしまうのは辛かった、と、そんな心情を察することは難しくない。父親として当然の感情だろう」
 桂木の声がする以外には、しんと静まり返った部屋。なんだか不気味だった。だがふいに醍醐が口を開く。
「前置きはもういい……。いったいお前は何を知っているというのだ? いや、それ以前に、何故ワシと娘の関係をそんなにも理解している?」
「聞いたのさ」
「誰にだ?」
「お前の娘をよく知る人物からだ――。いいか醍醐。これから話すことはお前にとって大きなショックとなることだろう。だが絶対に目を逸らすな。刮目して聞くんだ」
 真実はあまりに残酷過ぎる。相手がいかな悪人であろうとも、桂木はできることなら他人の汚れた過去をほじくり返すような真似はしたくなかった。しかし、ここまで来てしまってはもはや隠すわけにはいかなかった。
「母親が死に、お前の娘、葉月さんは悲しんでいた。そして、次第に父親に対する憎悪を膨張させていった。父が母の精神に負担をかけさえしなければ、病状の悪化は防げたかもしれない。そうでなくとも、せめて最期に看取りに来てくれさえすれば、母も少しは救われたかもしれない、と、葉月さんは父親に対して大きく失望した」
 まるで本の物語でも子供に読み聞かせているかのような口調で語る桂木は、喉の奥で何度も言葉を詰まらせそうになるも懸命に絞り出す。
「だが、失望されるだけならまだよかったのかもしれない。妻が亡くなったことで自ら悔いるべき父親が、平気な顔をして娘に接してくる。葉月さんはそれを許しがたく思った。もしかすると、お前は自分なりに反省した結果、これからは家族をもっと大切にしようと思って行動しただけかもしれない。しかし葉月さんはそうとは捉らえず、ただ憎しみばかりを膨らませてしまった。そして、ついに殺意が芽生えてしまった」
 ふいに醍醐が驚いた顔をする。
「殺意、だと……」
 その反応は桂木が想像していた通りのものであった。
 やはり醍醐は、娘が思い悩んだ果てに行き着いた場所がどこか分かっていなかったのだ。
「母が死んで、父が敵にまわって、まだ幼い少女は何か別の支えを必要としたんだ。丸裸な身を守ってくれる強い力が。そして葉月さんは迷走の果てに、ある日、近所の商店である物を購入した」
 醍醐の額に汗が浮かんでいる。なんとなく嫌な予感はしているようだ。


 桂木は少し躊躇したが、なんとか心の中で一歩を踏み出した。
「葉月さんが購入したもの、それは刃渡り十センチ以上はゆうにあろうかという果物ナイフ。殺傷能力は十分すぎるほどにある。精神が崩壊しかかっていた彼女は、あろうことか、自分という存在を存続させるために最も害となる者をこの世から消そうと考えてしまったんだ。ターゲットとなった人物はただ一人。醍醐一郎――葉月さんの実の父親であるアンタだ」
 息継ぎするのも忘れて言い切る。ただ立って話していただけなのに、遠泳でもした後のように疲れてしまっていた。
 以前から知っていたこととはいえ、やはり一度大きな衝撃を受けた話を他人にも聞かせるということは、精神的に楽なことではなかった。しかしそれでも、今まさに精神に大きなダメージを受けたばかりの醍醐と比べれば、幾分マシだったのかもしれない。
「……それは、確かなことなのか? お前が勝手に作った話じゃあないのか?」
「残念ながら全て事実だ。その証に、俺は葉月さんがどんな人物だったかも知っている。目のぱっちりした可愛いらしい顔付きをしていて、セミロングにカットされた髪には緩やかに癖がかかっていた。特技はピアノの演奏で、将来獣医になることが夢だった……」
「よくわかった。もういい……」
 醍醐は桂木の語りを止めさせる。他人に話したことの無い娘について、それだけ知っていれば真実の証明として十分だと判断したのだろう。
「あいつ、獣医になんてなりたいと思っていたのか……。知らなかったよ……」
 醍醐は全身の力を抜かれたかのように、壁にもたれかかる。そして、本当に父親失格だな、とうなだれた。
「いままで話したことは全部、春日千秋さんが教えてくれた」
 桂木が言うと、醍醐は力無く目を上げた。
「春日千秋……というと、確か今回のプログラムに参加している……」
「ああ。彼女とは以前からちょっとした知り合いでね、ふとしたことがきっかけで、話をしてもらったことがあるんだ。そのときはまさか、話に出てくる葉月さんの父親に、こんな形で会うことになろうとは思ってもいなかったがな」
「……世間は狭いものだとは、よく言ったものだ」
 醍醐は自嘲気味に笑う。
「ところで、葉月のことをよく知っていたようだが、その春日千秋さんとやらは葉月の何だったのだ?」
「親友ですよ。中学に入ってから知り合ったらしいですけど。そして、父親への殺意のみにとらわれて道を見失ってしまいそうになった葉月さんの、新たな支えでもありました」
「なるほどね」
 醍醐はとっくに銃口を下ろしていたが、ついに銃そのものを手から離し、足元に落とした。
 金属の塊が床にぶつかる、固い音が部屋に響く。思っていたよりもあっさりと、彼は桂木への殺意を失ってしまったようだ。
「家族に良い暮らしをさせてやりたいと、最初はそんな気持ちで打ち込み始めた仕事だったが、いつしか当初抱いていた思いも忘れて仕事にばかり没頭するようになってしまった。だからつい、妻が倒れた、と葉月から電話がかかってきた時も、いつもの通り薬ですぐに回復するのだろうと勝手に思って病院にも駆けつけなかった。妻が死んで初めて過ちに気付き、これからは残された娘だけでも大切にしていこうと誓ったはずだったが、またしても空回りだったようだな」
 活力を失った父親の姿はあまりに惨めだった。声をかけることすら躊躇らわされてしまう。
「俺は本当に大馬鹿者だ。自らの復讐心を、娘も望んでいることだろうと勝手に決め付けて――、その親友たちをも殺そうとしてしまった」
「残念ながら、今更後悔しても遅いです。春日さんと同様に葉月さんの親友だった相沢智香さんは、よりにもよってあなたの手によって殺されてしまった。それだけではない。羽村真緒さん達も、あなたが管理していたプログラムの中で命を落としてしまった。当然、死んでしまった者はもう二度と帰ってこない。何をしたって手遅れだ。だが、少しでも被害の拡大を抑えることはできる。不幸中の幸いか、春日さんはまだ生きている。今なら彼女の命を救うことができるはずだ。醍醐。自分の娘のことを想ってやれるのなら聞け。すぐにプログラムを中断させるんだ」
 醍醐の立場的に、それは到底あっさりと従うことができるような話ではない。しかしここにきて彼は、今回のプログラムの存在意義に疑問を感じ始めており、すぐに首を横に振ったりもしない。様々な思いが頭の中で交錯し、迷いが生じてしまっているのだ。
「……しかし、いくらなんでも担当教官がプログラムを中断させるなんて前代未聞なことを、政府や軍が許してくれるはずが――」
 弱気な発言をする醍醐。だが既に考えは桂木の側に傾きつつある様子。
 もしかすると、と思い始めたときだった。二人がいる部屋の前に、何者かの影が立ち止まっていることに気がついた。

【残り 四人】
←戻る メニュー 進む→
トップに戻る



SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送