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−ひびわれた深層(6)−

 固く冷たい金属の塊が、仄かに赤く熟し始めていた果実の真っ芯を貫いていく。そんな全ての終焉を告げるかのようなイメージが、雷光の如く頭の中を走った。
 私は死んだ……。
 頭がふらつき倒れそうになる。身体にかかっている重力が一変する感覚に包まれ、まるで天と地が一瞬にして逆さまになってしまったかのような錯覚を与えられる。重い身体を現世に残し、魂のみが空へと昇ろうとしているのだと悟った。
 人は言う。天へと昇った人間の魂は、最終的に三途の川というところに行き着くのだ、と。そこを渡った先に待っているのは死の世界。命を落とした者達が漂う、現世とは異なる空間である。
 あたしはこれからそこに向かうことになる。先に亡くなった父親や、クラスの友人達は、対岸で手を振ってくれているだろうか。
 千秋は本当に申し訳ないという気持ちになった。皆の思いを背負っていくために、プログラムという地獄から生き延びてこの命をずっと継続させていくと誓ったのに、そのたった一つの決意すらも達成させることが出来なかったのだから。
 身体にかかる傾きがさらに急角度になっていく。ほどなくして、全身を地面の上に打ち付けることになるはずだった。
 だが、倒壊しようとしていた身体が急に、ぴたりとその動きを止める。背中も頭も腕も――足の裏以外は、身体のどの部位も地に触れはしなかった。
 不思議に思って背後を見る。すると、泥にまみれた自らの右足が後ろに伸びて、傾いた身体をしっかりと支えているではないか。
 いったいこれはどういうことだろう? 頭を撃たれたはずなのに、妙に意識がはっきりしている。思考もちゃんと働くし、それを全身に伝える神経系統も正常な様子。
 全身がしっかりと機能している。
 千秋は訳が分からないまま、視線を桜の方へと向けた。
 彼女の手に支えられたマシンガンの銃口は、確かにこちらに向けられている。そして、今もまだトリガーは最後まで引き絞られたままだ。だけどおかしなことに、銃口からは一筋の硝煙すら上っていない。弾は一発たりとも飛び出してこない。
 ――そういえば、音、鳴ったっけ?
 思い返してみて気がついた。桜がマシンガンの引き金を絞るのを見てから今まで、至近距離であるにもかかわらず、銃声は全く聞こえてきていない。どういうわけか、千秋に向けられたマシンガンは桜の意思に反して、たった一発の銃弾すらも吐き出さなかったようである。
 マシンガンが壊れていたのだろうか。
 千秋は考えた。
 そういえば、銃器は銃口から水を入り込ませたりしてはならないらしいと、以前風花から聞いた。桜は一度水に浸かってしまっているし、その際に銃が機能を失ってしまったのかもしれない。いや、結論を出すには早すぎる。マシンガン自体に問題は無く、単にタイミングよく弾詰まりが起こったというだけという可能性もある。あるいは、既に弾が切れていたのかも……。
 千秋は銃器について詳しい知識を持っているわけではない。そのため、考えて浮かぶのは根拠のない憶測ばかりだ。確信を持てる説など一つもない。ただ、いずれにしろ、脅威だった敵のマシンガンが、今この瞬間は全くの無力となってしまっているのだけは事実である。
 トリガーにかけた指で引いて戻してを何度も繰り返しつつ、不思議そうに頭を僅かに横に傾けている桜の姿が、危険の過ぎ去りをはっきりと物語っているようだった。
 助かった。
 千秋はほっと肩を撫で下ろす。
 そう、本来の身体能力だけを比べれば、千秋が桜より劣っているということもないだろうし、そのうえ相手は手負いの身だ。最も厄介な存在だったマシンガンが効力を失ったとなれば、もう目の前の小さな少女はさほど恐ろしい存在ではない。
 頭部のダメージによって平衡感覚に支障をきたしているのか、桜の全身がまた一度、前後に大きく揺れる。どうやら彼女の身体も限界が近いようである。
 純白だったはずの毛髪の一部が真紅に染まり、その先から血液の玉が一定間隔で滴り落ちていく。地面に転がる石の表面に、不規則な形の赤い花のような紋が次々と描かれていた。
 そんな最中、一度足を止めてしまっていたはずの桜が突然一歩前へと踏み出す。
 僅かな油断から緊張の糸を緩めてしまっていた千秋は、それに反応することが一瞬遅れてしまった。気付いた時には、目の前に迫った相手は武器を持つ右手を大きく振りかぶっていた。
 ふいに、左のこめかみから強い衝撃が走る。殴られたのだ。
 血管が集中する頭部は傷が一本走った途端、大げさなほどに激しく血を噴出し始める。
「ぐっ……」
 頭蓋骨の中で脳がぐらぐらと揺れるような感覚に襲われ、千秋はよろけながら二、三歩後ろへと下がる。そして、何かに躓いたわけでもないのに、そのままの勢いで転んで尻餅をうった。
 視界がぼやけ、そして揺れる。でも、ゆっくりと近づいてくる桜の手の中でマシンガンが不気味な光沢を放っている様は、何故かはっきりと目に焼きついた。
 千秋の頭から噴出したばかりの血が、グリップにべったりと付いている。
 弾が撃てないからといって、まさかマシンガンで殴ってくるなんて予想していなかった。
 側頭部に手を当てると、自らの血のぬめりが直に感じられる。痛みに耐えかねて傷口を開放したときにはもう、元の色が分からないほどに掌全体が真っ赤になっていた。
 気分が急激に悪くなり、吐き気すら覚えた。
 このとき、武器の有無に関係なく、もし桜と戦ったとして勝つことはできないと、千秋は悟った。いくら武力の差が縮まろうとも関係ないのだ。
 武器が使い物にならなくなっても、身体がどんなに傷ついても、目の前の少女は前進を止めはしない。クラスメートを殺すことを唯一の目的として、誰のどんな説得にも耳を傾けないだろう。
 もはやロボットよりも、ぜんまい仕掛けの玩具とでも言ったほうが適当だ。他人の操作によって道を曲げることも無く、ただひたすらに真っ直ぐ進んでいくのみ。前進をやめるのは、巻かれたぜんまいが切れたときか、最後まで道を進みきったときのみ。すなわち、自らの命が尽きてしまうか、クラスメート全員の殺害というゴールに行き着かない限り、進行が終わることはないのだ。
 彼女の心はまさに「無」だ。感情に左右されて道を見失うこともない、ある意味無敵の精神の持ち主。仮に千秋が戦いを挑んで組み合っても、心の強さの差によって、打ち倒されてしまうに決まっていた。
 千秋にとどめをさすべく、眼前まで迫った桜は再びマシンガンを振り上げる。逃げ出す暇なんて残されていない。
「やめて」
 消え入りそうな声で叫ぶ。当然、桜の心に届くことはなかった。熱湯の中に放り込まれた氷のように、みるみるうちに解けて消えてしまう。
 説得は無意味。戦いでは負ける。逃げることは出来ない。では、どうすればいい?
 千秋は冷静に働かない頭で必死に考える。時間が無さ過ぎるうえ、焦るあまり頭が混乱し、名案なんて何一つとして浮かんでこない。
 そんな様子に構うことなく、桜は限界まで高く振り上げたマシンガンを、思いっきり振り下ろした。
「ひっ」
 千秋は反射的に横に転がる。タイミングが良かったのか、マシンガンは頭を掠めていったものの、直接殴られずには済んだ。しかしこれで終わったわけではない。桜はすぐにもう一度武器を振りかぶり、更なる攻撃を仕掛けようとしている。
 このままではだめだ。何か、こっちも武器になるものを探して応戦しないと……。
 策の一つも浮かばないまま、千秋は何かに頼りたいあまり、自らのポケットの中を弄り始めた。完全に混乱していた。こんな状況下で突然、ポケットからこの場を乗り切れるような武器が出てくるはずがない。もしそんな都合のいいものを身につけていたとしたら、もっと早くに出して使っていたはずだ。千秋はそれにももう気付けないというほど冷静さを失っていた。
 神頼みに近いといってもいい彼女の行動は、傍から見ればとてつもなく愚かだった。正常な人間なら、少ない時間をそんな無駄なことには使わず、より確実性の高い打開策を見出すべく、頭を働かせるはずだ。
 何か……何か出てきて!
 祈る。すると千秋の指先に、何か硬いものが触れた。藁をも掴む思いでそれを取り出し、目の前に持ってくる。ライターだった。ヤスリと発火石をすり合わせて着火するごくありふれた安物ではなく、防水性に優れた少し上等なタイプ。
 こんなもの、どうして持っているんだっけ?
 千秋はもちろん喫煙者などではない。だから、普段からライターを持ち歩いていることなんてことなんて無い。どうしてポケットから出てきたのか理解できなかった。が、ふいに思い出す。羽村真緒や比田圭吾たちと共に山代総合病院に立て篭もったとき、料理のためにカセットコンロを使用した。その際、病院の中で探し出したライターを着火に使ったのだった。
 どうやら無意識のうちに、それを自らのポケットの中に仕舞い込んでいたらしい。
 だが、今さらライター一つが出てきたところでどうにもならない。
 いくら混乱していようとも、さすがにそれくらいはすぐに分かる。
「ひぃっ」
 再び悲鳴を上げる千秋。桜が振りかぶったマシンガンが、頭に振り下ろされようとしていた。
 打つ手をなくしてしまった千秋は、なにも考えず、無心でライターを前にかざし、弱々しい炎を必死に灯した。桜が一瞬でも怯んでくれればいいと、再び藁をも掴むような思いで起こした行動だった。
 もちろん、無の心を持つ桜に対して効力など無いに等しいなどと分かりきっていた。だけど、そんな予想に反して桜は、ライターの炎を見た瞬間に、振り下ろそうとしていた手の動きを止めた。
「えっ」
 訳が分からず千秋が目を上げると、桜はマシンガンをゆっくりと下ろして一歩下がった。
 一瞬怯むどころではない。桜はがたがたと身体を震わせている。石膏像のように形を変えることが無かった表情が、千秋の目の前で初めて歪んだ。
 指先で炎の熱を感じながら考えた。

 まさかこの子、火が怖いの?

【残り 五人】
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