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−死を呼ぶ邂逅(3)−

 一回り小さくなってしまったように思える丸い肩が、目の前で過剰なほどに大きく上下しているのが気になった。千秋は前に回り込んで覗き込む。
「……」
 つい言葉を失ってしまう。心配していた通りであった。
 カラーチャートの中ではおよそ青と白の中間辺りに位置するであろうという淡色が、少女の生気を吸い取りながら、肉体の表面上に薄っすらと侵食していっている。一度は回復の兆しを見せていた風花の顔色が、歩き出して間もなくのうちにまた元に戻っていってしまったのだった。
 苦悶に表情が歪んでいる。究極に整った造形の美が、次第に失われていっているように感じた。
「蓮木さん……。大丈夫?」
 同じ質問を何度も繰り返す千秋。自分で言いながら無意味な発言だと思った。
 大丈夫なはずが無い。体調が優れない風花の様子は、病院を出発した直後からおかしかった。息遣いが荒くなって、肩の動きが大きくなった。それから重力に抗えなくなったかのように背中が前に小さく屈曲し、前後に動くだけで良いはずの足が、無駄に左右のステップを踏む回数を増やしていった。たぶん、風花はもうとっくにオーバーヒートしてしまっていたのだ。全身が悲鳴を上げているにも関わらず、無理にモーターを全速で回してしまったがために熱が発生し、コイルを焼き切っていった。それが結果的に、彼女の身体からさらに活力を奪うという結果に繋がっていった。
「比田くん!」
 千秋は先を歩く男の大きな背中を呼び止めた。
「もう止めさせようよ!」
 千秋は飲食店の手伝いとして毎日のように働いていたために、重いビールケースや米袋などの運搬に慣れていた。それでも爆弾を持って山肌を進むということはさすがに辛い。だけど、風花が自らの身体を壊しながらも我慢して歩いているのを、これ以上黙って見続けているのはもっと辛かった。
「あたしが代わりに持つ。それじゃあ駄目なの?」
 自分の身体が壊れてしまうかもしれないけれど、それでも仲間が破滅に向かって進んでいるのを無視するよりはマシだ。千秋はそう目で訴えかけた。だが、
「駄目だ」
 圭吾は一蹴した。
「……どうして?」
「蓮木に余計な負担をかけることになるだけだからだ」
 強靭な腕で持ち上げられた爆薬入りのドラム缶が、圭吾の身体の動きに合わせて百八十度回転する。
「お前が代わりに犠牲となれば、蓮木に圧し掛かっている重みは、物理的には確かに無くなるかもしれない。しかし、奴が精神的に感じている重みはそれに反し、さらに倍増してしまうだろう」
 プライドや責任感に圧迫されながらも、風花は物理的な負担を受け持つことによって色んなものを発散し、自分を保っている。その様は不安定に揺れ動きながらも傾かない、両極の重さがつりあったシーソーのよう。もし今ここで物理的な重みを取り除いてしまえば、対極に存在する精神的な重みを安定させられるものが無くなり、彼女は瞬く間に押し潰されてしまう。彼はきっとそう言いたいのだ。
 蓮木の思い通りにやらせてやれ。
 圭吾の表情を解読すると、以上のような言葉が浮かんだ。
 千秋は何も言い返せない。一日前なら圭吾に何を言われようが構わず、主観的に正しいと感じた選択肢へと迷わず手を伸ばしていただろう。しかし、蓮木風花という人物の内面を色々と知ってしまった今では、圭吾が提示した別の選択肢のほうを選ぶべきだと思えてしまう。
「まあ、蓮木も頑張ってくれていて、俺たちと歩くペースはそんなに違わないし、今のところこのままでいいだろう。体力に限界が訪れてしまったら話は変わるが。幸い敵はまだ付近にはいない」
 圭吾の目がまたレーダーへと向けられる。現在、病院とダムの中間地点。目的地まで残すところ百メートルといった場所だ。距離はあまり大したことは無いが、急角度の斜面を歩かなければならないのが結構辛い。
「なあ、春日」
「なに」
「地球が宇宙の中に誕生する確率って、どれくらいだか知っているか?」
「何よ突然」
 足が滑らないよう石の出っ張りにつま先を引っ掛けながら、訳が分からないといった表情を形作る。
「分からないわよ。そんなこと」
 千秋が言っても、圭吾は振り返らず前を向いたままだった。二人の後ろで風花は相変わらず身体を軋ませながら懸命に歩いている。前で行われている会話は全く耳に入っていない様子。
「それじゃあ質問を変えよう。目覚まし時計の部品をバラバラにして、箱の中に入れて振る。はたしてそれでもう一度、元の目覚まし時計が形作られることはあると思うか?」
「無いわね。ビスの一本がネジ穴に入って合致することすら」
「そう。元の形を取り戻す確率は非常に低い。そして、地球が誕生する確率ってのも、実はそれとあまり変わりないのではないかと言われている。地球を形成している物質を全てバラバラにして一度宇宙に放り出してしまえば、元の形に戻すことはもうほとんど不可能なんだ」
 圭吾の言葉がどんなことを意味しているのか、全く理解できない。自然と眉間に縦じわが生まれる。
「難しく考えるな。ただ、一度破壊されてしまったものを、再度元の形に組み立てるのは容易ではないという喩えのつもりだった。俺たちは今、生き延びるため必死に前へと歩んでいる。そして現在進行中の悪足掻きが後に成功すると想定してだ。はたして、俺たちは無事に元通りの生活を手にすることが出来ると思うか?」
 それは質問なんかではないとすぐに分かった。圭吾はしつこいくらいに『全てを元通りにすることは不可能に近い』と述べてきた。そう、これは全てを覚悟できているのかという確認だ。プログラムから脱走する者が現れれば、もちろん政府は黙っていない。刺々しく鋭い牙をむき出しにして、地獄の底まで脱走者を追い続けるだろうだろう。上手く島から逃げ出すことができても、死と隣り合わせの状態のまま一生を送らなければならないのだ。
「大丈夫だよ」
 千秋は言った。
「もう何もかも覚悟はできている」
 真緒の死と直面した時、決心は既に固まっていた。大好きだった親友達の分まで生きてやるんだ、と。だから回答に迷うことも無かった。
「……そうか。それなら良かった」
 圭吾が何を考えているのかは分からない。しかし気のせいか、彼は少し安心したかのように表情を緩ませた。珍しい一面を見たのかもしれない。
 すると突然、圭吾は持っていた爆弾の缶を千秋のほうへと突き出してきた。
「いきなりで悪いが、これを持って先に行っていてくれ」
「えっ」
 耳を疑った。一つだけでもかなり重い爆弾を、女の子にもう一つ持たせるなんて――いや、そんなことより、いったいどういう理由があって、千秋たちだけ先に行かなければならないのか。
 全く分からない。
「早く。後ろから誰かが来ているんだ」
 圭吾はレーダーを見ながら少し焦っている様子だった。
「病院の近くを歩いている人間がいるのには先ほどから気付いていたが、全く見当違いの方向へと動いていたから油断していた。突然方向を変えてこっちへと向かってきている。たぶん、土の上に残された俺たちの真新しい足跡にでも気付いてしまったのだろう」
「もう近くまで来ているの?」
「いや、距離はまだかなりある。草の中に隠れた足跡を探しながらの追跡なら、あまり素早くは近づいてこられまい。しかし、こちらのペースがあまりにも遅すぎる。じきに追いつかれてしまうだろう」
「だから、あなたが一人残って、その人を足止めするというの?」
 風花が聞いた。顔色を悪くしながらも威厳のある口調は変わらなかった。
「そのつもりだ。とはいっても、まだ相手が敵だと決まったわけではないが。仲間になれる奴だとしたら、そいつと一緒にお前達を追いかける」
「でも、もし敵だったとしたら、あたし達を先に行かせるために戦うんでしょ?」
「ああ」
 圭吾は答えてからすぐに、「時間を稼いでからすぐにお前達と合流する」と訂正した。だが千秋は納得できない。
「犠牲になるつもり?」
「犠牲じゃない。ただ、こうすることが最善の策だと判断しただけだ。相手が強力な武器を持った敵だった場合を考えると、このまま三人でのろのろと歩き続けていることは得策ではない」
「でも……」
「いいから、早く行けと言っているんだ!」
 千秋の言葉は全く受け入れてもらえない。圭吾は一度決めた考えを簡単に変えてしまうような人間ではなかった。
「行きましょう、春日さん」
 風花はあっさりと圭吾の脇を通り過ぎて、一人で先に進もうとしている。これには驚くしかなかった。
「そんな……。どうしてそんなあっさりと、比田くん一人を置いていくことが出来るの?」
「いいから早く。あなたこそ、比田くんの決心を無駄にするつもりなの?」
「いや、そんなつもりは毛頭無いけれど……」
「じゃあ急ぎなさい。今はこんなところで無駄な時間を過ごしている時間は無いのよ」
 身体は触れていないのに、なぜだか風花に手を引かれているような感覚がする。
 圭吾の決心は本物であると、千秋もとっくに察していた。自分達がここに残っていると、それこそ彼の負担になってしまうのだとも分かっていた。ただそれについて納得ができなかっただけ。
「何もかもが元通りにはならないかもしれない。そう決心できているんだろ?」
「……ええ」
「それじゃあ早く行け」
 圭吾はぷいと後ろを向いてしまい、自分達が歩いてきた斜面を静かに見下ろしている。ここで相手を待ち受けて、場合によっては時間稼ぎのために戦うつもりなのだ。
「分かった」
 千秋はしぶしぶ事態を受け入れた。そして爆弾を一度地面の上に置き、圭吾の前に回り込む。
「言われたとおり、あたし達は先に行くことにする。そのかわり、比田くんには代わりにこれを持っていて欲しい」
 一時的に預かっていたデザートイーグルを手に持って差し出す。
「これを受け取って、無事にあたし達と合流する。そう約束することが条件」
「分かった」
 重い爆弾を持ち続けたせいで充血し、真っ赤になってしまっていた手で、圭吾はデザートイーグルを素直に受け取る。
「無理はしないで。足止めだけでいいんだからね」
「ああ。それより、のんびりしている暇は無い。さっさと行け」
 悪い虫を払うように手を振る圭吾。とても楽しんでいられるような状況ではなかったけれど、彼の様子を見ていると、「相変わらずだな」と、少し表情が緩んでしまった。不思議だ。表情が緩んだ拍子に、涙腺の締まりまで悪くなってしまったようだ。目尻から何かが流れているのを感じた。
「死ぬなよ」
 風花の言葉に、圭吾は何も答えずにひらひらと手を振った。
「行きましょう」
 爆弾二つを持ち上げるのに手間取っている千秋を尻目に、風花はよろよろと歩き出す。力ないその身体の動きは不安定で、滑らかな曲線に形作られた丸い肩が小さく震えている。後ろを向いているので顔は見えない。しかし、圭吾一人が時間稼ぎのためにここに残ることについて涙しているのは、自分だけではないとすぐに分かってしまった。

【残り 六人】
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