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−死を呼ぶ邂逅(2)−

 正面玄関のガラスを割って病院から出入りしていると、自分たちの隠れ場所が敵にばれてしまう可能性が高い。千秋達はそう考えて、外からは目立たない場所にあるICU集中治療室の窓をこれまで出入り口として使っていた。だが、もうここに戻ってくることはないだろうから、わざわざ建物の裏にまわって窓から出る必要なんて無い。
 三人はガラス扉の錠を内側から解除して、建物の真正面からゆっくりと軒下に姿を現した。カーテンと窓が閉め切られていた室内よりは、やはり外は明るくて空気も新鮮で清々しい。冷たい空気が妙に心地よく思えて、両手を大きく広げながら深呼吸したいという衝動に駆られた。しかし荷物がかなり重いため、実際には腕を上げることはままならなかった。
 千秋、圭吾、風花の三人は、それぞれ左右どちらかの手で爆薬入りのドラム缶を持ち上げている。このまま目的地の黒部ダムへと歩いて向かうのだ。本当は自動車にでも荷物を積んで運び出したいところだが、病院内に停まっていた車はどれも、キーの保管場所が分からず使用できない。一つにつき五キロ以上はゆうにあろうという爆弾は、人力だけで簡単に持ち運べるものではなかったが、それでも今回は直接手に持って移動するしかないのだった。
 もちろん、手押しの台車に積んで運ぶという方法も考えられたが、ぬかるんだ山道では車輪が土に沈んでしまい、かえって大変そうであった。
「蓮木さん、大丈夫?」
 苦しげな顔をしながら懸命に爆弾を持ち上げている風花を心配し、千秋は横から覗き込むように声をかける。
 体調不良を訴える仲間に重い荷物を運ばせる訳にはいかないと考え、当初、三つある爆弾のうち二つは圭吾、残る一つは千秋が持つと決めていた。それなのに出発間際になって突然、「みんなに迷惑をかけるわけにはいかないから」と、風花は圭吾が持っていた爆弾のうち片方を、半ば奪い取るような形で自ら手にしたのである。きっと彼女の中にあるプライドが、仲間の足手まといになることを許さなかったのだろう。また、十八歳である風花には風花なりの、年上の意地というものがあるのかもしれない。
 風花らしいな、と千秋は思った。
 だが、今回の重労働はプライドだけで乗り越えられるような、楽なものでは決してない。健康な人間であっても険しい山の中で重い荷物を持ち歩くのはかなり大変なはずだ。ましてや身体がふらつくほどの体調不良に陥ってしまっている少女が、およそ二百メートルもある距離を倒れることなく歩き切ることができるのか、はっきり言って疑問だった。
「蓮木さん――」
「大丈夫よ。ちゃんと目的地まで到達してみせる」
 きしむ身体に鞭を打ち、苦悶の表情を浮かべる風花。彼女の頑張ろうとする姿を見てしまうと、伸ばしかけた手を静かに引っ込めるしかなかった。
 風花はきっとプライドだけではなく、成功するかどうか分からない脱出計画を自分が考案したという、責任感をも背負ってしまっているのだろう。だから、せっかく話に乗ってくれた仲間達だけに重労働を任せてしまうなんてできず、計画のために自らも力の限り尽くそうと身体を張っているわけだ。
 荷物を代わりに持ってあげるなんて行為は、風花にとっては余計なお世話でしかないのだろう。圭吾もそれを悟ったために、持っていた爆弾一つを素直に渡したに違いなかった。
「念のために、目的地までの道筋を、最後にもう一度確認しておこう」
 レーダーの表示へと目を向けて、付近に危険が迫っていないことを確認すると、圭吾は爆弾の缶を一度軒下におろし、地図を広げた。細かな凸凹によって形成されたいびつな形が姿を現す。プログラム会場の鬼鳴島の全形図だ。
「俺たちが今いる山代総合病院はここだ。で、目指している黒部ダムは二百メートルほど北上した、島の中心部よりも少し下辺り。地図を見る限り、その間には大きな川も谷も無いようだから、このまま真っ直ぐ向かえばいいように思える。しかしだ」
 圭吾は言葉で説明しながら指先で、病院とダムの間の一点を指し示す。
「比較的このあたりは周囲より生えている木々などが密集しておらず、視界が広くて人目につきやすい。敵に見付からないよう安全に事を進めるには、そういう危険が考えられる区域を避けて通るべきだろうと思われる」
「それじゃあ回り道になっちゃうけど、少し西側にでも向かって出発し、ゆるやかな弧を描くように歩いた方が良さそうね」
 千秋が横から地図を覗き込みながら言うと、圭吾は小さく頭を縦に振りながら「そうだな」と呟いた。
 大きな荷物を三つも持っていて、さらに体調が優れない者までいるこのグループは、戦闘時に有利だとはあまり言い難い。もちろん、突出した身体能力を持つ圭吾や、当たり武器の一つであるデザートイーグルなど、頼りになる存在はいくつかあるのだが、やはり望まれない戦闘は出来るだけ避けたかった。
「とはいっても、移動できるエリアがかなり狭まってしまっている今、どこを通っても敵と出会ってしまう危険が無くなったりはしないがな」
「でも、ほんの少しの違いが運命を左右することもあるし、こうやって小さな事に注意を払うのも、馬鹿には出来ないと思うよ」
「もちろんだ。それはもう嫌というほど実感している」
 皆それぞれ、敵との遭遇によってもたらされる災難の恐ろしさをしっかりと理解しているため、過剰なほど慎重に物事を考えて行動することについて、異論を唱える者なんていない。
「それから、あともう一つ」
 ようやく出発かと思ったところで、圭吾は先ほどから大人しい風花へと目を向けて、真っ白な手に握られていた自動拳銃を問答無用で奪い取った。
「なんのつもりよ?」
 何も聞かされていなかった風花は、当然顔をしかめて圭吾を見る。
「発案者の責任だからと言って、お前が荷物一つを持ち運ぶことに文句は言わない。しかし、今のお前を見ていると、とても戦える状態だとは思えない。この銃はもっと元気のある別の人物が持っていた方が良いだろう」
 千秋はそれを聞いて、てっきりデザートイーグルは圭吾が持つのかと思った。だが、
「おい」
 圭吾はゆっくりとしたモーションで、銃を千秋の方へと放った。慌ててそれを受け取ると、ずっしりと金属の重さが手に伝わって、危うく前へと転んでしまいそうになった。
「えっ? えっ?」
 状況を理解できず、千秋があたふたとしていると、圭吾はさも当たり前のようにあっさりと言った。
「とりあえず、そいつはお前が持っていろ」
 お前とは、もちろん千秋のことである。初めて手にした銃の冷たい感触が、千秋の全身から汗を吹き出させる。
「あ、あたしが銃を持っているなんて、そんな……」
「べつにそれを使ってお前一人で戦えと言っているわけじゃない。ただ、体調の優れない蓮木の負担を少しでも軽くさせてやろうとしただけだ。それくらいの重荷、お前にならどうってことないだろう」
 そういうふうに言われてしまうと、千秋にはもはや言い返す言葉なんて無いのだった。爆弾の材料を集めて病院に戻った後、半ば強制的に千秋は数時間の休息をとらされたため、体力的には圭吾よりも回復しているはずなのだ。
「決まりだな」
 圭吾が先頭に立って歩き出すと、風花も爆弾の取っ手を両腕で持ち上げ、よろよろと続く。
 数秒間、千秋はその場で呆然としてしまったが、すぐに我に帰って、急いで二人の跡を追う。
 持ち上げたドラム缶が、先ほどよりも重く感じられたのは気のせいだろうか。

【残り 六人】
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