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−真実への扉(8)−

 後藤蘭(女子八番)は薮の中に身を潜ませて、視界を遮る木の葉を手でかき分けながら、少し離れた位置に立っている少女の姿を見つめていた。
 分厚い眼鏡のレンズの下で鋭く目を光らせている彼女は、つい先ほどマシンガンの銃声を聞きつけて、この場へと駆けつけてきたばかりであった。だけど、眼前に広がる凄惨な光景を目にすれば、ここでどんな惨劇が起こったのかはだいたい想像することが出来た。
 首から上の大部分が損失してしまっているものと、身体中を銃弾で貫かれているらしきものといった死体が二つ転がっている。その間に立って、静かに死体の片方を見下ろしている女は、カラスみたいな黒いレインコートに身を包んでいて顔が分かりづらいが、白石桜に間違いは無い。
 たぶん彼女が二人を手にかけたのでしょうね、と、蘭は桜の手に握られているスコーピオンサブマシンガンを見ながら思った。実際には、一人は首輪の爆発によって命を落としていたのだけど、そうとは知らない蘭は、「もうっ、私ったらどうしてこんなにも理解が早いのかしら」と勝手に自分の推理に酔い痴れる。
 勤勉少女である蘭は、定期試験のたびに成績上位を常にキープするほどの優秀生であった。得意な課目は英語、国語、理科、社会、数学。基本五科目なら何だってお手なもの。そして発達した頭脳に対して過剰ともいえるほどの大きな自信を持っていた。
「知能の低い猿たちなんかいつ死んでも問題無いけど、私みたいな優秀な頭脳がこんなところで消えちゃったらもったいないわよね。クラスの皆には悪いけど、今回は私が生き残らせてもらうわよ」
 と小さく微笑する蘭は武器を手にしながら、殺意に満ちた目を桜の方へと向け続ける。実は彼女、プログラムに巻き込まれたと知った時点から、一人で生きて帰るためにクラスメート全員を殺害する算段をしていたのである。出発前からかなり堂々とした態度をとっていられたのも、早くに行動方針を固めることが出来ていたからだった。
 ゲームが始まってからしばらくはどこかに身を潜ませて、人数が少なくなるのを待ち、残りが一桁近くになってから自分も動き出す。そしてある程度強力な武器をそろえている生徒を狙って倒し、自らの装備を整える。これが蘭の考えた作戦だった。そして人数が少なくなるまで隠れ続けるという点については既に成功しており、あとはマシンガンやら他にも何か有能な武器を持っていそうな桜を倒せば、全て計算通りに事が進んだということになる。優勝までの道のりはもう長くない。
 でも、どうやってあの子を殺そうかしら。
 蘭の武器はスタンガン。電流の走る先端部を身体に押し付けることができさえすれば、簡単に相手を気絶させることができるだろうけど、どうやって近づくかが問題だった。こちらと桜の間には結構な距離があるので、茂みで身を隠しながら静かに近寄っていく必要がある。しかし、あまり近づき過ぎるとこちらが仕掛けるよりも前に、相手に気づかれてしまう恐れがある。つまり最終的にはスタンガンを構えながら数メートル離れた場所から桜に飛び掛からなくてはならないわけで、優れた瞬発力を発揮できるかどうかが重要になってくる。相手にマシンガンで反撃するだけの時間を与えてしまうと、襲い掛かったこちらが逆に命を奪われてしまうだろう。
 しかし正直言って、蘭は勉強には自信があったけど、身体を動かすことにおいては無能もいいところだ。運動なんて知能遅れの猿たちだけでやっておけば良い、と、いつも体育の授業なんかは冷嘲しながら見ていたのだ。おかげで通知簿の体育の欄は毎回「1」ばかり。そんなわけで素早く相手に飛び掛かれるかどうかと自問しても、自信を持ってイエスと答えることなんて出来るはずがなかった。
 だが、さすがは優秀な頭脳を持つ彼女。すぐに解決策を見出し、ポケットの中から小さなビニール袋を取り出した。中には白い粉末が何グラムか入っている。その正体はホワイトデビル。そう、彼女は薬物に手を出しているという中学生のうちの一人だったのである。
 机に向かうことをライフワークにしている蘭だって、勉強のし過ぎで疲れることはある。ある時彼女はその疲れを取り払うため、ものは試しと薬に手を出してしまった。そして予想以上の素晴らしい効果を体感して以来、ホワイトデビルの虜になってしまったのだった。
「要するに自分の身体能力を一時的にでも高めることが出来れば良いわけよね」、と蘭はさらに注射器をも用意する。彼女はホワイトデビルを体内に取り込んで、身体能力を一時的に大幅上昇させようと考えたのだった。
 普段は薬物を下から炙って、生まれた気体を鼻から吸っていた彼女だったが、血管への直接注射のほうが副作用の危険は大きいものの、より大きな効果を得ることが出来ると知っていた。そのため、持ち歩いてはいるものの滅多に使わない注射器を、今この場で取り出したのだった。
 薬で身体を強化しさえすれば、反撃する暇を与えることなく桜を仕留めることが出来るだろう。相手がこちらに気付いて振り向き、銃を構えて引き金を絞るよりも早く、スタンガンを身体に押し付けてやる。それだけの事を楽々とこなせる自信があった。
 蘭は早速ペットボトルの蓋に注いだ水で薬物数グラムを溶かし、それを注射器に吸い込ませた。伸ばした左の腕に針の先を指して、親指でピストンを押す。白濁った液体はゆっくりと身体の中に入っていった。
 待つこと数秒。すぐに身体に変化があらわれだした。心拍が小刻みになって血液の流れが速くなり、緩んで広がった血管が皮膚の表面に浮かび上がってくる。あまり運動をしなかったために締まりのなかった筋肉も締まってきて、全身にはっきりとした凸凹が出来上がってくる。
 さあ全ての準備は整った。あとは見つからないように標的のすぐ近くにまで忍び寄って、勢い良く飛び出すだけだ。
 幸い強い雨が降ってくれているし、こちらが移動する際に発される草木の擦れる音も桜の耳には届かないだろう。
 蘭は余裕綽々と、深い茂みの中を静かに進んだ。桜がこちらを振り向く気配はない。レインコートのフードで視界が狭まっているため、草木の不自然な揺れにも気付けないのだろう。ずっと男の死体を見つめたままだ。
 余裕ね。
 蘭の口元が不気味に笑った。早くあの白髪の少女にスタンガンを押し付けて捕らえ、小さな喉を握り潰してやりたい、と、隆起した筋肉達が騒ぎ出しているのだ。このウズウズした感覚を抑えるためにはもう、人を殺すしかないとすら思えた。
 さあ射程距離までやってきた。桜の右手から三メートルほど離れた位置にある茂みの裏に隠れた蘭からは、もう相手の姿が大きくしっかりと見えていた。飛び出せば一瞬にして仕留められそうな距離に思える。そして桜はまだ足元の死体へと目を落としたまま微動だにしない。
 勝負あったわね。
 蘭はすかさず茂みから飛び出した。発達した足の筋肉は、上半身をものすごい勢いで前方へと押し出し、手に握られたスタンガンは猛スピードで桜の首元へと迫る。相手には反撃するどころか、振り向いてこちらの存在を確認する暇すらなかっただろう。
 だがスタンガンの先端が首筋に触れるよりも前に、桜は既にマシンガンを持ち上げて蘭に狙いを定めていた。驚いたことに、彼女はこちらを振り向くどころか、死体を見下ろしたまま体勢を変えてもいない。レインコートのフードのせいで蘭の姿は全く見えていないはずなのに、マシンガンの銃口を正確に頭に合わせているのには驚くしかなかった。
「どうして……」
 桜は、蘭に逃げる暇さえ与えなかった。薬の力で筋肉を隆々とさせた襲撃者を、彼女は指先をほんの少し曲げるだけで、一瞬にしてあの世へと送ってしまったのだ。恐るべきほどの早撃ちだった。


 かつては優秀だったという自慢の脳の欠片を周囲に振りまきながら倒れた蘭は、桜はなぜ姿を確認しないでも相手を撃てたのか考えられもしなかっただろう。
 桜はとても優秀な人間だった。本人は気付いていなかったが、学習能力という点においては成績優秀な蘭よりも上。そんな桜は湯川利久に操られているうちに、人を殺すということについて色んな事を学んでいったのだ。銃の撃ち方から、相手を仕留めるために有効な手段など。そして彼女はいつの間にか、音で人間の位置を割り出す能力をも得ていた。だから腕を上げて銃の狙いを相手に合わせるという動作を、最小限の時間で行なうことが出来たのである。
 完全な殺人機械となってしまった桜。兄の死を目の前にして流し続けていた涙は既に枯れてしまっていた。


 後藤蘭(女子八番)――『死亡』

【残り 六人】
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