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−真実への扉(2)−

 山全体に立ち並ぶ背の高い木々の間を、身体の小さな少年一人がとぼとぼと歩いている。
 柔らかな髪の先から水玉を滴らせている彼、白石幹久(男子八番)は放心状態に陥ってしまっているのか、ポケットの中にハンカチが入っているというのに、一向に頭を拭こうとはしない。俯き加減になって虚ろな目を少し下へと落としたまま、まるでぜんまい仕掛けの玩具のように、余計な動き一つせずにただただ前進ばかりを続ける。手にはツルハシを持ったまま。金属部の先端にこびりついていた血液はもう、雨水によってほとんど洗い流されてしまっている。
 妹である白石桜(女子十番)の解放を望む幹久に湯川利久(男子二十番)が出した、「クラスメートを三人殺せ」という課題。その制限時間は深夜零時までで、もうとうに過ぎてしまっている。そのため幹久にはもはや武器を持たなければならない理由なんて無かったのだが、ツルハシを手から離そうなんてわざわざ考えている余裕も無かった。要するに彼は無意識で今もツルハシを持って歩いているのだった。
 幹久が向かっているのは利久と初めて遭遇した場所。制限時間を過ぎたら、課題を達成できたかどうかに関係なくそこに戻ってくるよう利久に命じられていた。
 はたして桜は今もまだ無事でいるのだろうか。
 幹久はふと大切な妹の姿を頭の中に浮かばせた。
 全く同じ日に生を受けた自らの分身とも言うべき存在。誰よりも自分に近い人間であった彼女とは、まだ立って歩くことも出来ないようなころから、いつも一緒に過ごしてきた。
 同じ部屋の中で過ごして、同じ食べ物を食べて、同じテレビ番組を見て、同じ玩具で遊んで、と、まるで一つの身体を共有していたかのように、全く同じ道筋を歩んできた。その過程で見てきた妹の笑顔はとても輝いていて、見ているとこちらも自然と笑顔を浮かばせてしまうのだった。
 そんな幸せだった日々が、今は恋しくて仕方が無い。
 突然目の奥から何か熱いものが込み上げてきて、幹久の瞳に映る景色が大きく歪まされた。
 幹久は妹を救うため、クラスメートを二人も殺してしまった。叶昌子と安藤幸平。自らの手をクラスメートの血で赤く染めてしまった彼はもう、幸せだったあの頃に戻ることなんてできない。もし桜が無事に解放されるとしても、二人並んで手を繋いで歩くことなんて二度と叶わないのだ。罪人となってしまった幹久は、穢れてしまったてのひらで純粋無垢な妹の清らかな身体に触れたくはなかった。
 でも桜が無事でいてくれるのならそれでも構わない。それどころか、かけがえの無い大切な妹が助かるなら、もはや自らの命を代償にすることすらも惜しくは無いと思っていた。
 気がつくと、幹久はいつの間にか目的地のすぐ近くにまで到達していた。いくら歩いても一向に変化しないように思える森林内の景色だが、地表の凹凸の形や生えている植物の種類などで、現在位置を把握することは意外と難しくは無かった。
 桜たちは近くにいるだろうか。
 幹久は額に汗を浮かべながら、頭を回して周囲の様子を伺った。比田圭吾に刀で斬られた腹部の傷が痛い。滲み出した血がブレザーを広範囲に渡って汚している。
「ゆ、湯川くん。戻ってきたよ……」
 恐る恐る声を出す。すると斜め奥の茂みが突然ガサガサと音をたてて揺れ始めた。ひっ、と幹久が声をあげて身構えた直後、枝を掻き分けながら湯川利久が姿を現した。その後ろから、なぜか黒いレインコートを羽織っている桜も。
 よかった。とりあえず彼女はまだ生かされていた。とはいっても、ほっと安心している場合ではなかった。
 利久は身体についた木の葉を手で払いながら、幹久を一瞥し、ふんと鼻を鳴らす。
「お久しぶり。桜のお兄さん。よく生きて戻って来られたね」
 それが彼の第一声だった。まるで幹久を歓迎しているかのように、目を細めながらにっこりと微笑む。しかし表に見せる彼の顔は偽りだと分かっている。仮面一枚を引き剥してしまえば、そこには牙をむき出しにした鬼の姿があるはずなのだ。
「約束、覚えているよね」
「う、うん」
「それなら話は早い」
 利久は桜の腕を引っ張って自分の側に引き寄せ、白髪に支配された真っ白い頭にマシンガンの銃口を押し当てた。
「お前がこれまでどんな行動をとってきたかは全部知っている。ずっと聴いていたからな」
 ポケットから取り出した盗聴器の受信機を、幹久にも見えるよう高く掲げた。
「叶と安藤を殺したんだろ? 平和主義のシスコン野郎がまさかここまでやってくれるとは、はっきり言って思ってもいなかったよ。てっきり襲い掛かった相手からの返り討ちにでもあって、すぐにジ・エンドを迎えるかと思っていたんだが」
 意外や意外、と指先で受信機をトントンと叩く。
「でもさ、せっかく頑張ってもらって悪いんだけど、それだけじゃ駄目なんだよなぁ」
「……」
 分かっている。利久は三人殺せと言ったのに、幹久は二人しか手にかけていない。最低限のノルマを達成できていないのだ。
「惜しかったな。制限時間ギリギリにせっかく三人目となる獲物を見つけたというのに、まさかその相手が比田たちだったなんてね。そりゃあお前なんかじゃ敵わないわ。でもさ、あのとき近くに春日千秋もいたんだろ? 非力な女の方からさっさと殺しておけばよかったのに。もったいない」
 クックック、と何故か笑い出す利久。頭のてっぺんから顎の先にかけて彼の顔に亀裂が走り、その下から本物の顔がこちらを覗いたような気がした。
「さて。結果的にお前はクラスメートを三人殺すことなんて出来なかった。というわけで、約束どおり妹には死んでもらうとしようか」
「ま、待ってくれ」
 ドロドロになった地面の上に膝をつき、幹久は利久に向かって土下座をした。濡れ鼠になりながら地に伏している姿はあまりに情け無いと、自分でも分かっていた。
「たしかに僕は湯川くんの出した課題を果たすことができなかった。だけどちょっと待ってくれ。僕はどうなってもいいから、桜だけは……」
 涙声となった自らの言葉が、何故か二重になって聞こえた。幹久が持つ盗聴器の発信機を経由して、利久の受信機からも全く同じ声が放たれていたのだ。利久は、ははん、と口の端で笑う。
「自分は死んでもいいから、妹だけは見逃してくれとでも言うつもりか?」
 利久が目を細めながら見つめている手前で、幹久は一呼吸おいてからしっかりと頷いた。
「やっぱりか。まあ、お前がそう出ることくらい、なんとなく予想していたさ。兄妹愛か……泣かせるねぇ」
 利久は目から溢れる涙を拭うような素振りを白々しく見せる。口の端が笑ったままだった。
「でもさ、その要求を飲む訳にはいかないよなぁ。なぜなら俺は初めからお前のことも消すつもりでいたし。だからさ、もともと無いに等しかったお前の命なんかじゃあ、妹の命を買うことなんて出来ないんだよ」
「そんなこと言わないで。お願いだ。桜だけは助けてくれ」
 幹久は地面に頭をこすり付けながら再び懇願した。もう額も前髪も泥まみれだ。
 するとそのとき、視界の隅で利久が手をゆっくりと動かすのが見えた。桜の頭に押し当てていたマシンガンを、幹久のほうへと向けなおしたのだ。
「なんだ、お前。妹のためになるのなら、喜んで死にたいとでも言うのか?」
 利久がどすの聞いた声で尋ねてくる。幹久はそこに殺意に近い感情が込められているのを感じ取り、つい身体を震わせてしまった。マシンガンの引き金にあてた指を、利久がほんの少しでも引きさえすれば、こちらの命なんて一瞬にして消されてしまう。そんなことを思うとやはり恐ろしくて強がりを通すことなんてできなかった。
「震えているじゃないか。所詮、お前だって本当は自分の命が惜しいクチなんだろう? 死ぬのはやはり怖いんだろう?」
 利久はその場に屈み、低い体勢をとる幹久の顔を覗き込んだ。
「なあ。もし見逃してもらえるなら嬉しくないか?」
 いったいどういう風の吹き回しか分からないが、利久が唐突にそんなことを言い出す。
「そりゃあ、もちろん……」
「そうか。なら助けてやってもいいぜ」
 幹久は、えっ、と顔を上げた。相手が何を言ったのか、一瞬理解できなかった。
「助けてやるって……」
「言葉の通りさ。命を助けてやると言ったのさ」
「まさか。本当に?」
「ああ。だが勘違いはするな。見逃すのはお前一人だけ。それも、ある条件を果たせればの話だがな」
 利久は幹久の顔から目を離し、立ち上がると、満面の笑みを浮かべて言った。
「今からお前と桜の二人――兄妹同士で殺し合ってもらう。もしも桜を殺すことが出来れば、俺はお前を見直し、無傷のまま解放してやる」

【残り 九人】
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