139
−蝕まれる陰樹(5)−

 辺りに響き渡る銃声に導かれ、土屋怜二は森林の中を全力疾走した。
 続けざまに聞こえた銃声は、少なくとも二種類はあった。たぶん拳銃を持つ誰かと、サブマシンガンを持つ誰かが一対一で戦っていたのだ。怜二は、そのうち片方は霞である可能性が高いと考えていた。銃声は彼女を見逃してしまった場所からそう遠くない所から聞こえたようだったから。
 早く。急がなければまた死人が出てしまう。
 一人が霞だとして、その相手が誰なのかは全く分からないが、怜二はとにかくこれ以上誰にも死んで欲しくないという一心で走り続けた。霞に殺人を重ねて欲しくないし、また逆に誰かが霞を手にかけてしまうのも防ぎたかった。
 腰の高さに伸びる木の枝を、身を低くしてくぐり抜ける。行く手に広がる薄いブッシュを大股になって飛び越えると、着地した時に柔らかくなっていた地面がビチャンと音を立てながら泥を飛び散らせた。
 マズイマズイ。あまり大きな音をたてると誰かに見つかってしまうかもしれない。
 とにかく今は銃撃戦が起こったと思われる場所へと向かうのが先決で、それまでは余計な遭遇は避けたかった。以前怜二を襲った安藤幸平のようにやる気になっている人物と出会ってしまったら色々と厄介だ。戦うにしても逃げるにしても無駄な時間を費やす羽目になる。もし銃声の主が霞だったとしても、その間にまたどこか遠くに移動されてしまう。せっかく会えるかもしれない状況になったというのに、そんなことになってしまったらまた一から捜し直さなくてはならない。
 そのとき、ふいに銃声が止んだ。しばらくマシンガンの音ばかり聞こえていたが、それとは別の一発の銃声が鳴り響いた途端、急に静かになってしまったのだった。
 まさか、決着がついたのか。
 怜二は焦った。戦いに決着がついたということは、双方のうちどちらかが命を落としてしまったという可能性が高い。
 御影か。それとも別の誰かが死んだのか。
 もはや足音なんて気にしている場合ではなかった。怜二はさらに走るスピードを速め、銃撃戦が繰り広げられていたと思われる場所を目指す。だが銃声が鳴り止んでしまっている今、怜二を導いてくれるものは何も無い。どの方角に向かえばいいのか、走っているうちに分からなくなってしまった。
 くそっ、いったいどっちに行けばいいんだ。


 怜二は周囲へと視線を配ってみる。するとすぐに足元の地面に目が行った。雑草に覆われている場所が多くて気付きにくくなっているが、地面の上には確かに何者かの足跡が縦に並んでいたのだ。激しく降る雨にかき消されることもなくくっきりと残っているということは、足跡の主はつい最近ここを通ったばかりだということ。銃撃戦を繰り広げていた人間のものである可能性が高い。
 すぐさま足跡の向く方角へと身体を返して走り出した。
 銃声が止んでからは、既に数分の時が経過してしまっている。急がなければならない。
 少しすると怜二の目に、森林の中ではあまり見慣れない色合いをしたものが飛び込んできた。それが何なのか瞬時には分からなかったが、走るペースを緩めながら落ち着いてよく見てみると、どうも人の身体であるらしかった。泥だらけになるのも気にせず身を倒し、ぴくりとも動かない様子から察するに、既に死んでいるようだ。
 駆け寄って誰なのかを確認する。
「里見……」
 死体の正体は、駅前のストリートミュージシャンとして学校内では少しばかり有名人だった里見亜澄。ハードワックスで立てていた髪の毛の束は、雨に濡れてしんなりと垂れてしまっている。少し鋭かった目も虚ろで、どこを見ているのかよく分からなかった。彼女が大切にいつも持ち歩いていたギターはケースごと何処かに置いてきてしまったのだろうか、とにかくこの付近には見られなかった。
 血の流れは一向に止まる気配はなく、死体の周囲にある水溜りはどんどんと赤く染まっていく。
「里見さん。君はいったい誰にやられたんだ」
 怜二は返事が返ってこないことを知っていながら、死体に向かって話しかけた。ここで起こったことを実際に目で見ていたのは彼女だけだったから。
 死体の状況からして、亜澄が銃で撃たれたのは間違いない。銃撃戦はこの場で行われていたのだ。だがいくら辺りを見回しても銃なんて何処にも落ちていない。きっと亜澄を殺した人物が持ち去ってしまったのだろう。
 まさか本当に御影さんが……。
 様々な思いを巡らせながら付近を調べていると、藪の裏に注射器が落ちているのを偶然見つけた。怜二はそれに見覚えがあった。
 これは……。
 ホワイトデビル、と直感的に思った。かつて対峙したことがある黒河龍輔が服用していた薬物だ。おそらくそれに間違いない。注射器の中に僅かに残っていた液体が白濁っていた。
 ホワイトデビルの注射器がここにあるというのは、いったい何を意味しているのか。考えるまでも無い。龍輔を殺した誰かがホワイトデビルを手に入れ、この場で自らの体内に注入したということ。
 マズイ。
 怜二の心臓が一度大きく鼓動した。状況はどんどんと最悪の方向へと進んでいってしまっている。
 ホワイトデビルを使ったという人物がもしも霞であったなら……本当に何もかもが手遅れになってしまうかもしれない。
 胸騒ぎ止はまらない。怜二は霞を追うためにまた足跡を探してみたが、広範囲に広がる草むらが邪魔をして一向に見つからなかった。

【残り 十人】
←戻る メニュー 進む→
トップに戻る



SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送