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−時を越えた迷宮(1)−

 銀色に光り輝く医療器具を抱えた白服が、患者が横になっているベッドのまわりで慌ただしく動き回る。
 病院内ではよく見られる、ごくありふれた光景であるが、今まさに手当てを受けている最中である羽村真緒(女子十四番)の目に映っている様子は、とある一点においてそれとは全く異なっていた。本来は医師か看護婦によって行われるはずの処置に、手を出しているのはグレーのブレザーを着た女子中学生。
 ベッド脇に立つスチール製の支柱には透明の血液パックが吊るされており、そこから伸びた細いチューブの先端が、真緒の白い腕に接続された。
「よし、これで終わり」
 準備が一段落ついたらしく、蓮木風花(女子十三番)は首を大きく回しながら、すぐ隣にあった丸いステンレスチェアーに腰を下ろした。神経を使う作業に疲れたのか、両足を真っ直ぐに伸ばしながら、握り締めた拳で自らの肩を叩いている。
 一分間に十五から二十滴というゆっくりとしたペースで、つい先ほど自ら抜いたという新鮮な血を真緒の体内へと送り始める風花。これから最低五分間は、患者の側にいて状態の観察をしなければならないらしい。不適合輸血の早期発見、また、細菌汚染によるエンドトキシンショックやアレルギー反応によるアナフィラキシーショックなどが起こった場合の対処、などなど、重要な役割がまだ残されているのである。
 交差適合試験を省いた大変粗雑な輸血なため、通常よりも注意を払わなければならないのだと風花は言っていた。そして問題が見られなければ、輸血速度を一分間に六十から八十滴といった通常ペースにあげるのだという。
「なにか身体に異常を感じたら、すぐに私に言いなさいよ」
 風花の少し大人っぽい声が耳に入ってきたので、真緒は頭を傾けてベッド脇にいる彼女を見た。
「蓮木さんは大丈夫なの? 私のために、身体から血をたくさん抜いたんでしょ」
「あなたは余計な心配はしないの。貴重な血液を提供してくれた私のことを、ただありがたく思っていればいい」
「う、うん。ありがとう」
 はきはきとした強い口調を前にしては、真緒はただ素直に従うしかなかった。というより、あの比田圭吾すらも手の平で転がしてしまうような人間に逆らえる者など、同い年の人間の中には存在しないように思える。単に気が強いだけではなく、「逆らえない」と思わされてしまうような独特の雰囲気が、彼女に纏わりついているのである。
 それにしても、薄暗がりの中で見ても風花の顔は相変わらず綺麗だ。目も鼻も口も、個々のパーツの形が整っているだけでは飽き足らず、その並びも絶妙なバランスを保っている。
 同性である自分の目にすらそういうふうに映るのだから、思春期の男子たちにとって、彼女はきっと意識せずにはいられない存在であったに違いない。百人の男に告白されるもその全てをあっさり断ったという風花の『百人斬り女伝説』のことも、少し前までは誰かが面白半分に生み出した作り話だと思っていたが、今では「真実かもしれない」という考えの方が強まってきている。
 本人に聞いて確かめてみようかな……。
 伝説は真実を語っているのだろうか。真緒は溢れ出す好奇心を抑えることが出来なかった。
「蓮木さん、一つ聞いていいかな?」
「なに?」
「あのね、蓮木さんがこれまでに百人の男の子をふったっていう噂があるじゃない。あれって本当なの?」
 風花は両手を頭の後ろで組み、背筋を伸ばしながら「ああ、その話」と面倒くさそうな顔をした。
「愚問ね。単なる作り話よ」
「えっ、そうなの?」
「噂として広まっている間に、真実に尾鰭背鰭を付け足されたのよ。いくらなんでも、そんな数の男に告白されるなんてあるはずないでしょ。誰から交際を申し込まれたことがあるかなんて一々覚えてはいないけれど、全部合わせても百には遠く及ばないはずだわ」
「へ……へぇ……」
 聞いているうちに、だんだんと頭の中が真っ白になっていく。話の内容があまりに非現実的すぎるものだったから。
 風花にとってはありふれた日常の出来事なのかもしれないが、覚えていられないほど告白されるなんて、ほとんどの人間にとってはありえないことだ。悲しいかな、風花と真緒の間には、縮める事の出来ない大きな差が存在しているのであった。
「で、でも、どうして誰も受け入れなかったの? 近づいてくる男子がそんなにもいたのなら、一人くらい気に入る人はいたんじゃないの?」
「私、年上にしか興味無いのよね」
「全員ふった理由ってそれっ?」
 てっきり意中の人が他にいるために他を拒み続けていたのではないかと考えていた真緒は、風花の放った不意打ちに頭を殴られたような感覚を覚えて、うっかり声を張り上げてしまう。声帯の振動が腕にまで響いてきて、撃たれた傷がまたジンジンと痛み出した。
「安静に、って言ってるでしょ」
 風花は呆れた顔をして真緒の頭を優しく撫でた。もしかしたら彼女、自分の発言がどれほど凄いものなのか、分かっていないのではないだろうか。
「いや、ごめん。蓮木さんって、なんか本当に凄いよね。なんだかありとあらゆる点で、私なんかとは比べものにならない。大人っぽいというか」
 美しいラインを描く全身のプロポーション。いわゆる「お姉系」という部類に属するであろう整った顔立ち。外見を少し見比べてみても、子供っぽさが抜けない真緒とは違って、風花からは既に大人の魅力が感じられる。化粧なんかも既に手慣れてしまっている様子で、母親の化粧品を隠れて一度使ったことがあるだけの自分なんかでは、比較対象にすることすらおこがましい。
 風花から「大人っぽさ」を感じられるのは、なにも外見に関してのみではない。クラス内では群を抜いて頭が良く、それでいて知識がとてつもなく幅広い。真緒の腕の傷を縫合し、さらには輸血までたった一人で施行してしまったり、とても中学生の成せる業とは思えなかった。
 容姿端麗。頭脳明晰。これらの言葉がここまでぴったりとあてはまる完璧超人は、少なくとも梅林中の生徒の中には見られない。
「どこを見てみても、とても私なんかと同じ歳だとは思えないよ」
 お世辞でもなんでも無い。真緒は全てにおいて風花のことを心から尊敬し始めていた。自分の子供っぽい部分にコンプレックスを感じていたからこそ、大人っぽさを感じさせる同級生に憧れを抱いてしまうのだった。
「あたりまえじゃない」と、風花は白く繊細な指先で自らのウエーブをかき上げた。柔らかい髪が空を舞い、ふわりと戻っていく様はとても優雅。
「だって私、十八だからね」
「………………。はい?」
 一瞬、自分の耳に入ってきた言葉の意味を、真緒は理解できなかった。


 十八……。十八といえば九の倍数。九人対九人の野球の試合がちょうど出来るという数字。年齢だと、R指定のスプラッタ映画やポルノ雑誌なんかが見れるようになるラインで、中学三年であり現在十五歳の自分よりも、三つ上……。
「じゅ……じゅじゅじゅじゅじゅじゅ十八歳ぃぃぃぃっ!」
 じっくりと時間をかけて風花のとんでもない発言を理解しようとした真緒だったが、頭の中を整理すればするほどに、さらに訳が分らなくなっていった。
 十八歳といえば、高校三年生か大学の一回生。場合によっては社会人になっているような年齢だ。当然、中学三年生である自分なんかと同じ教室の中で過ごすなんてありえないはず。
「あれっ、もしかして比田くんから聞いてなかった?」
 動転する真緒をしばらく不思議そうに見ていた風花は、しっとりと潤う桃色の唇を動かして言った。
「私、五年前の竹倉学園大火災の被災者だったのよ」と。

【残り 十二人】
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