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−時を越えた迷宮(2)−

 兵庫県立竹倉学園。それは、かつて大火災によって姿を消してしまった松乃中等学校や、これまで真緒達が通い続けてきた梅林中等学校の姉妹校であり、偏差値、進学率、共にトップクラスを誇る県内有数の進学校でもあった。
 大正四年創立という、三校の中でもっとも長い歴史を持つこの学園は、もとは男子禁制の女学校として栄えていたが、昭和五十六年に校舎が増設されたのを期に、狭められていた門を大きく開け放って男子をも招き入れるようになった。
 今から五年前、その竹倉学園がある事件の舞台になろうとは、いったい誰が予想しただろうか。
 後に起こった更なる惨事、松乃中等学校大火災の陰に隠れて人々の記憶からだいぶ薄れてしまっているが、真緒は姉妹校で起こったその竹倉学園大火災のことを、今でもよく覚えている。当時小学四年生だった彼女にとって、ニュース番組にて放映されていた校舎の崩れる様やモザイクのかかった焼死体の映像は、あまりに衝撃的すぎたのだった。
 そんな真緒だったからこそ、風花が放った一言には余計に驚かされることとなった。
「まさか……」
 何もかもが信じ難い。風花が十八歳であったということも、あの竹倉の事件に関わっていたという事実も。真緒がこれまでに頭の中で築き上げていた常識からは、その事実はあまりにかけ離れすぎていた。
「それ、本当なの? 面白がって私を騙そうとしているんじゃないの?」
「そんなわけないでしょ。何一つ得することなんて無いんだから」
 風花に嘘をついている様子はなかった。
 その話が本当だとするなら、彼女から中学生らしからぬ大人っぽさを感じてしまうのは、まさに自分よりも歳上だったからと説明できる。告白してきた男を全員ふったのも、歳上にしか興味が無いという彼女にとって、三年遅れで産声を上げた男たちなど「お子様」でしかなかったからと言える。
 しかし、そのことに気付けた者は今日まで一人もいなかった。成長期の過ぎ去るのが早い女性の場合は十二も越えてしまえば、たった三つ程度の歳の差なんて一見しただけでは分からないのだ。たとえ外見的に明らかな違いが見られたとしても、周りよりもちょっと大人っぽいと思われるだけであろう。
「じゃあ仮に、蓮木さんが本当に十八歳で、竹倉の火災を経験していたとして、どうして梅林中に、しかも私達と同じ学年へと入ってくることになったわけ?」
 全焼した松乃中とは違い、半壊で済んだ竹倉学園は事件の半年後には復旧していた。だから母校を失った真緒たちのように転校する必要などなかったはずだ。ましてや三つも下の学年にわざわざ移るなんて、おかしいとしか思えない。
「私だって、出来れば三年も遅れをとりたくはなかったわよ。だけど負傷してしまったからには仕方が無かった」
「負傷って?」
「倒れてきた壁に、運悪く押し潰されてしまったのよ。全身の骨が粉々に砕かれた。とてもすぐに学校に戻れる状態じゃなかったわ」
「そうか。完治するまでに時間がかかって、再び学校に通い始めた頃には三年もの月日が経過していたというわけね」
「いや、四年経っていたわ。竹倉の火災が発生したのは2002年。当時の私は一年生で十三歳だった。そして梅林の二年生として復帰したのが2006年、十七歳の夏。出席日数と学力に問題が見られなかったおかげで、かろうじて一年生をやり直さずには済んだというわけ」
 謎が一つ解け、真緒はポンと手の平を叩こうとしたが、輸血の最中でチューブが腕に接続されている状態だったので断念。
「竹倉に戻らなかった――いや、戻れなかったのは事故による精神的外傷のせい。意外だと思うかもしれないけど、災禍を体験して以来、私は恐ろしさのあまりかつての学び舎には近づくことすらも出来なくなってしまったの。四年間にもわたるベッド上の拘束から開放されてから、一度だけ足を運んだことがあったけれど、遠くから校舎の姿を見ただけで、足がすくんで動けなくなった」
「だから梅林へと転校してきたというわけか」
「そうよ。事態を察してくれたある教師が、私と境遇の似た人間達が集まったクラスへと、やさしく引き入れてくれたのよ。そのクラスというのが梅林中三年六組。松乃中等学校大火災、被災者特別学級だった」
「その教師って、もしかして、私達の担任だった桑原先生……」
「ええ……。別に被災者同士で傷を舐め合いたいとは思っていなかったけど、彼の心遣いにはとても感謝した」
 さすが桑原先生、と真緒は思った。大人し過ぎて頼りなさげに見えるが、実はこうやって常に生徒達のことを最優先に考えてくれている、とても尊敬できる教師なのだ。
 真緒はふと、ここから生きて出ることが出来たなら、また桑原先生とも会えるだろうか、なんて考えてしまった。最後まで生徒達を戦わせたくないと主張し続けたために、政府の手によって抹殺されてしまったとも知らず。
「きっと彼こそが、教師のあるべき姿だったのでしょうね。被災してから、どんな人の良さそうな教師も信用してなるものかと思うようになっていたけど、彼と出会ってからは考えを改め直さないわけにはいかなかった」
「被災した時、向こうの先生と何かあったの?」
「羽村さん、竹倉学園がどうして燃えたか知らない?」
 風花は伸ばしていた右足を引き寄せて、左膝の上に組みながら質問した。
 そういえば、ニュースかワイドショーで聞いたことがある。出火原因が未だはっきりしていない松乃中等学校大火災と違い、竹倉の一件は事故発生から一ヶ月も経ったころには、その全容がほぼ明らかにされていたのだった。
「たしか教員の一人が頭から油をかぶって焼身自殺したって……、あっ」
「その通りよ。そしてその教師は私のクラスの担任だったの」
 なるほど、だから教師を信用できなくなったのか。
 だんだんと風花の身の回りで起こったことが鮮明に見えてきた。
「でも、学校の中で自殺するなんて、その先生はいったい何を考えていたのだろう」
 真緒は竹倉で教師が焼身自殺したということは覚えているが、その動機が何だったかは忘れてしまっている。いや、そもそも知っていたのかどうかも分からない。小学生の時の古い記憶など、五年も経てばかなり風化が進んでしまっていた。
「何も考えていなかったのよ。理由無き自殺だったからね」
「どういうこと?」
 真緒は訳が分からず聞き返す。理由も無く自殺する人間がいるなんて、彼女の常識では考えられないことなのであった。
「羽村さん、エンゼルって聞いたことある?」
 気のせいだろうか。これまで僅かにではあるが余裕を漂わせていた風花の表情が、にわかに真剣になったように思えた。


「エンゼル?」
「それこそが、竹倉で教師が焼身自殺した原因だったのよ」
 エンゼル……エンジェル……天使……。駄目だ、いくら考えてもそれが何なのか分からなかった。物なのか、場所なのか、それとも特定の人物を指す代名詞なのか、それすらも分からない。
 真緒が自らの頭で答えを出すのを待っていた風花だったが、いつまで経ってもきりが無さそうと踏んで先に回答を始めてしまう。
「一時的に裏世界で出回っていたドラッグよ。産出地は明らかになっていないけど、東南アジアから海を渡って入ってきたという説が最も有力。体内に取り込むことで至高の快楽を得られるために、嗜好者達の間ではまさに天使の恵みとして重宝されていたらしい」
「それがどう教師の自殺と関わっていたの?」
「エンゼルはとても中毒性の強い薬物でね、得られる快感は確かに最高のものらしいんだけど、その代償はとても大きかったの。心拍数が大幅に増加することによって、脳障害、記憶力の低下、幻覚や妄想などが引き起こされる。そんなものを長期間摂取し続けている人間がいたとしたら、最後にどうなってしまうと思う?」
「うーんと……。上手くは言えないけど、正気を失って常人からは考えられないような行動に出る、とか? ほら、よく薬物乱用者が事件を起こすことってあるじゃない」
「その通りよ。私のクラスの担任だった山峰道夫教諭もまた、エンゼルの使用者だった。そして五年前のあの日、突然頭から油をかぶって自らに火をつけた。これが理由無き自殺の真相よ」
 風花の口調は実に淡々としていた。だけど表情はやはり真剣なままだった。
「事件が起こるよりも前から山峰先生の様子がおかしいとは思っていたのよね。でもまさか薬物に手を出していたとは、全く予想できなかった。一生の不覚だわ」
 なんてこった。
 真緒は風花の話を聞いて大きな衝撃を感じた。
「私、竹倉の火災の裏にそんな事実があったなんて、今の今まで知らなかった……」
「無理もないわ。どういうわけか事件の後も、エンゼルに関する話はほとんど報道されていなかったからね。私は入院していた病院で、偶然そんな噂話を耳にしてしまったけど」
「でもそれっておかしくない?」
 普通、あんな大きな事件があったら、教師が自殺した経緯なんかも事細かに報道されるはずだ。なのに最も重要ともいえるキーワード『エンゼル』が全く世間に広まっていないなんて、なんだかちょっと不自然だ。
「やっぱり、羽村さんもそう思う?」
 風花が足を左右逆に組み替えた。
「私思うの。もしかしたらあの事件の裏では、私達の知らない巨大な何かが動いていたんじゃないか、って」
「暗躍機関……」
「ありえるわね。この国の腐った政府、麻薬組織、反政府テログループ、怪しい集団はいくらでも存在する」
 そしてその謎の集団が、自分達にとって不都合な事実を闇に隠した……。
 だんだんと話が大きくなってきた。なんだかテレビドラマか映画の世界にでも迷い込んでしまったかのよう。
 真緒は寝転がりながらぼんやりと白い天井を仰いだ。
「エンゼル、か……。なんだか信じられないな。そんなものが全てを狂わせたなんて」
「怖いのは、これからまた同じような出来事が起こる可能性があるということ。今はエンゼルに改良を加えられ濃縮された『ホワイトデビル』という、さらに中毒性の高い薬物が世に出回っている。これらが消え去らないならば、また第二第三の惨事が起こらないとも限らない」
「天使に擬態していた白い悪魔が、ついに姿を現した。そんなところか……。笑えないね」
 風花曰く、使用者に快楽を与えるホワイトデビルには、一時的に筋力を増強させるなどの副作用があり、好奇心から手を伸ばす人間が後を絶たないのだという。しかし中毒性の高まったそれを使用し続けると、当然身体は内部から破壊されていく。一度薬に依存してしまえば、抜け出すことは難しい。そうして悪魔に魅入られた人間の多くは、人生を短く締めくくってしまうのだそうだ。そう、どんな理由があろうと白い悪魔には絶対に、手を出してはならないのである。
「五分経ったわ。どうやら異常は無いようね。あなた本当に運がいいわ」
 風花は立ち上がって器具に手を伸ばし、真緒へと送られる血液の流れを速めた。
「用があるから、ほんの少しだけ席を外すわね。大丈夫、すぐに戻ってくるから心配しないで」
 そして彼女はそのまま足早に出口へと歩き、病室から出て行ってしまった。いったい何の用があるのだろうか。
 ……もう考えるのはよそう。
 今日は難しい話に直面しすぎて疲れた。風花の正体が分かった。竹倉の火災から、いろんなことを知ることが出来た。それだけでもう十分じゃないか。
 真緒は強い眠気に襲われて大きな欠伸を一つした。腕の痛みから逃れるためにも、このまま眠ってしまいたかった。

【残り 十二人】
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