106
−心は繋いで(2)−

 この病室内の雰囲気は、ここ数時間の間に何回変化したことだろう。千秋と圭吾が出て行って静かになったかと思えば、すぐに戻ってきて賑やかになり、そしてまた出て行って静かになって……、と、同じようなことが何度も繰り返されてきた。しかし、そんな慌ただしい出来事も、これからしばらくの間は起こりそうにない。しきりに出入りしていたあの男女が次に戻ってくるのは、何時間後になるか分からないのだ。
 現在病室内は、シーンと静まり返っている。
「二人、行っちゃったわね」
 千秋が扉の向こうに姿を消してからしばらく経って、窓際の椅子に座っていた蓮木風花がおもむろに立ち上がった。
「うん、そうだね」
 ぼんやりと返事をする真緒。額になにか熱いものが触れたので、少し驚いて顔を上げると、三年六組が誇る絶世の美少女の顔がズームアップに見えて、もう一度驚くことになってしまった。
「ふーん」
 いつの間にやら、怪我人が横たわるベッドの上に腰を下ろしていた風花が、真緒の短い髪の生え際あたりに手の平をあてている。細い指の一本一本が白くとても艶かしい。意外なことに、熱く感じられたのはそれだったらしい。
「相変わらず親友思いなのね」
 風花は目を細めながら、なにやら納得したように言った。だが、真緒には何のことなのか分からない。「私、千秋に何かしてあげたっけ?」と、つい真剣に考えてしまった。
「あなた、本当はあまり身体の調子良くないでしょう? それなのに、春日さんの前では『元気な羽村真緒』を無理に演じていた」
 返す言葉を見つけられないで黙ったままでいると、彼女はまるでこちらを哀れむかのような顔をしてそう言った。そのときになって、真緒は風花が何を言いたいのか、やっとのことで理解した。
 ああ、なるほどね。
 確かに現在、真緒の身体の具合は芳しくない。むしろ最悪の状態と言うほうが正しいくらいだ。頭はクラクラするし、視界は霞む。手にも足にも力が入らなくて、ベッドの上で上半身を起こすことすら苦痛に思えるのだった。だけど親友を心配させたく無いという一心で、これまで千秋の前ではできる限り、具合の悪そうな顔とやらを見せないよう気をつけてきた。その甲斐あって、長年付き合ってきた親友という立場である千秋の目を見事欺き、彼女を安心させることが出来た。
 しかし、まさか親友ですら気付けなかった真緒の演技が、第三者である風花に見破られてしまうとは思ってもいなかった。
「なかなかの演技だったわよ。部屋が暗いせいで顔色なんてよく分からないし、一見しただけでは、誰もあなたの体調不良になんか気付かない」
「蓮木さんには見抜かれたよ」
「それは仕方ないわ」
 私は普通じゃないから、と風花は苦笑した。
 真緒は首を傾げることしかできない。対面している少女は確かに自分とは違う雰囲気を身に纏っているように感じるが、いったい何が普通じゃないのか、具体的には何も分からないのだ。唯一、クラスの中で風花のみ松乃の火災を体験していない、という相違点を挙げることは出来るが、それだとむしろ、あんなまれに見る大きな火災に巻き込まれてしまった自分達の方が普通じゃないと言える。
 風花は「そこはべつに気にしなくていいわよ」と言うが、気になるものは気になってしまうものなのだ。
「ときに、羽村さんってA型でしょ」
「えっ?」
 突拍子も無く、いきなり急角度に方向を転換させる話の流れに、真緒はまた一瞬乗り遅れてしまう。
「くだらないことに頭を使うあなたって、とても几帳面そうに思えるのよ」
 ああ、なるほど。A型は几帳面、B型はマイペース、O型はおおらか、AB型はクールだけど表裏がある、なんてよく言われているが、それに沿って考えるならば、常に部屋が片付いていないと気になってしまうという自分は、確かにA型が一番ぴったりと当てはまる気がする。人によっては、そんなのあてにならない、と言ったりもするが、実は真緒の血液型は本当にAなのである。
「確かに私はA型だけど、そうなると蓮木さんはAB型かな?」
「妙にクールだったりするから?」
 一本取られたといった感じに、風花は口元に手を当てて小さく笑った。
 確かに彼女は同い年の女の子としては少々クール過ぎるように思える。しかし真緒はそれよりも「裏がありそう」という部分に注目したのだった。といっても、湯川利久のように性格に表裏があるというわけではなく、それ以外のどこかに、真緒の知らない陰の部分が存在しているように思えてならなかったのである。
「羽村さんって、なんだか面白い。妹に一人くらいほしいかも」
「妹に、って……、蓮木さんはもしかして早生まれ?」
「誕生日は四月十五日よ。ヘリコプターの日とか、象供養の日、それに、お菓子の日やら、中華の日とも呼ばれているわね」
「やけに詳しいね」
「私が生まれた大切な日だからね。前に調べたことがあるのよ」
 風花はさも当たり前のように言うが、真緒は自分の誕生日が何の日と言われているのか全く知らない。
「そんでもって一人っ子?」
「そう。姉妹のいる子のことは羨ましく思うわ」
「それは私も」
 よくよく考えてみると、真緒の周りにいつもいた友人達もまた、自分と同じく一人っ子であった。千秋も智香も、そして二年前に亡くなってしまったかつての友も。
 何気なくそれを口にしたときだった。
「ところで」
 風花はこれまで続いていた話を突然断ち切った。
「気になっていたんだけど、二年前、松乃の火災に巻き込まれた際に亡くなってしまったという親友とあなたたちの間に、いったい何が起こったというの? いや、もちろん無理に答える必要は無いんだけど」
 どうやら、真緒が親友達と共有していた過去の秘密について興味があるようだ。だが、こちらがそのことについてはあまり触れられたくないと思っているのを、風花はなんとなく察しているらしい。彼女の言葉が珍しく尻すぼみになっている気がした。
「変なことを聞いてごめんなさい。嫌なら今の言葉は無視してくれていいわ」
「ううん。全部話すよ」
 風花には色々と借りがあるというのに、それに対してこちらは何もお返しすることはできない。だからせめて、彼女の些細な好奇心を満たしてあげるくらいのことは、してもいいように思った。それに、共に生還することを誓い合った仲間に隠し事をするというのも、なんだか相手を信用していないようで嫌だった。
 まさか話してもらえると思っていなかったのか、少し驚いた様子で目を大きくしている風花の手前、真緒は一度だけ深呼吸をした。いくら自分で納得したことだとはいっても、やはり長年仲間内で封印してきた秘密の封を自ら切るというのは、安易に出来ることではなかった。
 ガラスを叩く豪雨の音で部屋の中はうるさいはずなのに、真緒は一時的にそれを感じていなかった。
 壁も、天井も、カーテンも、ベッドも、何もかもいつもどおりに真っ白の病室。二人の人間だけが妙に浮き上がっている。
「本当に、無理しなくていいのよ」
 風花のそんな言葉が耳に入ってくる。しかしその直後には、決心を固めた真緒は頭を上げて、強い目つきで風花の顔を見据えていた。そして、ゆっくりと口を動かす。

「ねえ、友達殺したことある?」

【残り 十七人】
←戻る メニュー 進む→
トップに戻る



SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送