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−真性自己愛者(1)−

「美しい……」
 とある民家の二階。音楽CDやらポスターやら、人気男性アイドルグループ関連のグッズが一面にひしめいており、以前は歳の若い女性が使っていたのだろうと思われる部屋の中で、坂本達郎(男子七番)はキャスター付きの椅子に腰掛けながら、手鏡の中に映る自分の姿を見つめていた。
「ああ、なんて美しいのだろう」
 うっとりと溜息を吐く彼。
 長く伸ばした黒髪に指を絡ませて優しくかき上げると、手入れの行き届いたストレートはほとんど乱れることなく、さらさらと、あるいはふんわりと宙でたなびく。高い鼻を中心に整った顔立ちはもちろんのこと、それら全てをひっくるめて鏡を通して見える自らの姿が、気品に満ち溢れていてとても美しいものであるように感じられた。ネクタイとワイシャツの一番上のボタンを外しただらしない格好がまた、セクシーさに磨きをかけているようにも思える。
 達郎はいつどんな時であろうと、手鏡を携帯するのを常に忘れないようにしている。美しき我が姿を偽り無く映し出してくれる鏡という物が本当に好きだったからだ。
 童話の白雪姫なんかでは、「この世で最も美しい者は誰か」と問いかけた継母が鏡に『最も美しい者』からあっさりと除外されていたが、それは彼女の容貌が所詮その程度のものだったからに過ぎない。真の世界一美しき人物の問いかけに対しては、鏡は絶対に否定的な答えを返したりはしないはずである。
「鏡よ鏡よ、この世で最も美しい者とは誰?」
『はい、それはもちろん坂本達郎様でございます』
 ほら、鏡はやはり分かってくれている。その証拠に、目の前に存在する楕円形の異空間には、間違いなく世界で最も美しいその者が、ありのままに映し出されているではないか。
 達郎はこの世に生きとし生けるものの中で、自分こそが最も美しい存在であると信じて疑わなかった。そして真性のナルシストである彼は、「我こそは全世界中から崇められるべき、唯一無二の光である」なんて、ある意味危険ともいえる思想まで首からぶら下げて生きてきたのだった。きっとそのせいだろう。ある時期から達郎は鏡に映る自分以外の人間に目を向けるということが、全く出来なくなってしまった。それはまさに自己愛性人格障害の症状。発症したのがいつの頃だったかはもはや誰にも分からないが、少なくとも二年前の兵庫県立松乃中等学校大火災が起こるよりも以前だったというのは確か。美しいと信じてやまない自らの顔に火傷を負うのを恐れるあまり、達郎は降り注ぐ火の子の中で助けを求める者たちには全く目もくれなかったのだった。
 そんな彼だったからこそ、今回巻き込まれたプログラムの中でも、全く罪悪感など覚えずに凶行に走ることが出来たのだろう。そう、達郎は既にクラスメートを一人手にかけている。幻覚に操られるがまま発砲してきた氷室歩を、銃撃戦の末に眉間を撃ち抜いて殺害したのだ。
 訳の分からないことをぶつくさと呟きながら達郎の前に姿を現した彼女。焦点の定まらないぎょろりとした目つきは狂気に満ち溢れていて、今思い出しても鳥肌が立つ。
 あんな醜い姿の女に生きる資格なんてあるはずがない。生き残るべきはもちろん美しき者に限る。すなわち優勝するのはこの僕――坂本達郎であるべきなのだ。
 そんな思いから、結局達郎はプログラムに乗ることを決意し、自らの生存を邪魔する可能性のある者全てを消し去ろうと考えたのだった。しかし歩を殺害した後に運悪く天候が崩れ、雨に濡れるのを嫌う彼はすぐ近くの民家に避難せざるを得なくなってしまった。達郎が活動を一時中断し、今も部屋の中に留まり続けているのには、そういう理由があった。
 身動きせず一箇所に留まり続けたのが幸いしたのか、達郎は歩を殺害して以来、他のクラスメート達とはニアミスすらしていない。おかげで自慢の顔に傷が付くなんて事態は起こらなかったし、生き残りの人数が元の半分以下になるまで自分の手を煩わせずに済んだ。これはまさしく幸運。もはや運命を司る神までもが「美しい者」が生き残ることを望んでいるとしか思えない。まあそれも当然のことであろう。この麗しき美貌に傷がつけば、全世界にとっても大きな損失となるのだから。
 唯一不安なのは、こちらが戦線から離脱している間に、自分以外のゲームに乗った者達がどれだけ装備を強化したのか、ということ。殺害したクラスメートの武器を奪って戦力を高めるということがプログラムにおいては当然とされているにも関わらず、達郎は長期間民家の中に潜み続けていたせいで、結局今になっても獲得できた武器といえば、氷室歩から奪った拳銃一丁のみであった。だがそれもさほど悲観するほどのことではないかもしれない。初めから達郎に支給されていた拳銃、ジェリコ941は「当たり」に属する武器であるのは間違いないし、歩を殺害することで得た武器もこれまた拳銃。ジェリコ941とグロック19の二丁拳銃。いくら自分以外にもやる気になっている生徒がいるとしても、これを上回る装備を整えている者なんてそんなに多くはいないはずだ。
 そこまで考えて勝利の可能性を感じた達郎は薄く笑みを浮かべた。そしてまた手鏡に映り込んだ「美しき者」を見つめながら、さらさらのストレートをかき上げる。
 さて、休憩も十分に取ったことだし、そろそろ僕も外へと出て邪魔者たちを排除するべきだろうな。この雨の中、外に出るというのはなんとも憂鬱であるが……。
 達郎はキャスター椅子に座ったまま窓際へと移動し、カーテンを少しだけ開いて外の様子を伺った。雨の勢いは相変わらずで、止みそうな気配など全く無い。いくら今が殺し合いゲームの最中であり、邪魔者を減らすために、または武器を手に入れるためにも外に出るべきだとはいっても、自慢のさらさらヘアーが雨に塗れて肌に張り付くというのは、出来ることなら避けて通りたいものだ。だがわがままばかり言っていても仕方が無い。早く家に帰ってシャワーも浴びたいことだし、ここは少しの間辛抱するべきだ。
 そう考えて窓から離れようとした、まさにその時、達郎がいる民家の前からまっすぐに伸びる道の遠くで、何者かが十字路を曲がって姿を現した。再び窓に張り付いて正体を見定めようとしたが、相手との距離がまだ長すぎて顔はとても確認できない。かろうじて服装から女子であることだけは分かったが。
 まあそんなことはこの際どうでもいいだろう。今はとにかく、こちらが動こうと思った途端に都合よく獲物が現れてくれたということを、素直に喜んでおけばよいのだ。
 達郎は二つある銃のうち、自ら使用した経験のあるジェリコの方を右手に構えながらカーテンの裏に身を潜ませる。その時、相手が銃の射程距離に迫ってくるまでは少し時間がかかりそうだったので、もう一度鏡を覗き込んで自らの美しき姿を堪能することにした。
「鏡よ鏡よ、このプログラムで生き残るべきはいったい誰?」
『はい、それはもちろん美しき坂本達郎様でございます』
 鏡に映し出された微笑みも、きっと彼には美しいものとしか見えていなかっただろう。しかし実際のところ、果てしない悪意に満ちたその顔つきはとても醜悪で、『美』からは明らかにかけ離れていた。


 達郎が自分の姿に目を奪われている間に、十字路から現れた獲物はだんだんとこちらに近づいてきている。
 その人物は黒いギターケースを背負っていた。

【残り 十八人】
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