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−真性自己愛者(2)−

 鏡と対面していた目を窓の外へと向け直し、達郎は「ほう……」と声を洩らした。
 鏡に映した自分の姿に夢中になっていて気付くのが遅れてしまったが、相手はいつの間にかもう目と鼻の先にまで迫っていたのだった。背中にかけたギターケースなど見なくとも、今やその正体がはっきりと分かる。短髪というには中途半端に伸びてしまっている髪をジェルでツンツンに固めている女なんか、このクラスでは里見亜澄(女子九番)以外にはありえない。顔の表情まではまだ辛うじて見えないものの、達郎が狙っている次なる獲物とは彼女に間違いないと、もはや断定すらできる。
 当然のことだが、亜澄は周囲を警戒している様子だった。道の真ん中を歩きながらも、しきりに辺りを伺っている。武器は――どうやら手に持っているらしいが、ちょうど彼女のデイパックの後ろに隠れてしまっているようで、何なのかは知りようが無い。
 達郎は窓を少しだけ開く。なにがしら物音がしたとしても激しく降る雨にかき消されてしまうだろうけど、それでも相手に気付かれてしまうという可能性はあるので、とにかく細心の注意を払いつつ、ゆっくり慎重に行った。
 幸いにも風はそれほど吹いていないので、窓を開けたことでカーテンが激しく波打ったりはしなかった。なので、もしもこちらの部屋に目が向けられたとしても、そこに人が潜んでいるとすぐにばれたりはしないはず。達郎は安心して僅かに開いた窓の隙間にジェリコの銃口を差し込んだ。
 あとは時が来るのを待てばよい。現在既に亜澄は銃弾の届く距離にまで入ってきてはいるが、確実に仕留めるにはまだ遠すぎる。逃げられてしまっては元も子もないので、せめて顔がはっきりと見えるくらいに迫ってくるまでは耐え忍ぶことにした。二階からの狙撃なんてもちろん初体験ではあるが、それぐらい近づいていれば大丈夫だろう。
 弾は何発だってあるんだしな――。
 ジェリコに装填されている弾丸は十発。これだけあれば一人の人間を仕留めるくらい十分かもしれないが、それで駄目だった場合も想定して、同じく弾を限界まで詰め込んだグロックも既に準備してある。合計で二十六発。弾の詰め替えなど行わなくても、一気に連射することが可能だ。これではもはや亜澄に逃げ延びる術なんてない。などと思うと、達郎の笑いは止まらなかった。
 ただ、一つだけ気になることがある。
 里見亜澄はもともと音楽をこよなく愛していた女であり、中学校へと上がった頃から、よくフォークギターを抱えて駅前へと出向き、一人で夜遅くまで歌うようになっていた。ところが二年前の松乃中大火災以来、彼女の様子は少しおかしくなってしまったようなのである。学校に行くときだろうと、買い物に出かけるときであろうと、いつ何処にいる時でも絶対に愛用のギターを片時も手放そうとしなくなったのだ。達郎だって常に手鏡を携帯するよう気をつけてはいるが、ギターとそれでは全く次元が違う。
 そりゃあ、なけなしの小遣いを溜めに溜めてやっとのことで購入できたというマイギターがどれだけ大切なのか分からなくも無いが、あんなかさばる「お荷物」を殺し合いゲームの中ででも持ち歩くなんて、全くもって理解できない。しかも亜澄が持っているそのギターとは価格五万円ほどの代物で、楽器店のセール時なんかには全く同じものが二割引で販売されているのを見たことがある(実は達郎も以前ギターに興味を持ったことがあったのだが、Fコードに挑戦した際に行き詰まり、あっさりと断念したのだった)。それぐらいの値段なら少し時間をかければ買い換えることも可能なはず。生と死の間を彷徨っている最中にまで大切に持ち歩くほどの価値があるとは、とても思えない。
 まあ、今となっては、そんなことはどうでもいいだろう。里見亜澄はもうすぐ死ぬのだ。こんな些細な疑問なんて、あと何秒かした頃には全く意味の無いものになってしまう。
 亜澄は既に隣の家の前まで来ている。女にしては気の強そうな凛々しい表情も、雨の中であろうと今やはっきりと見ることができる。
 達郎は民家の前を通り過ぎようとするツンツンヘアーにしっかりと狙いを定めた。いまさら躊躇なんてしない。頭の中で「三、二、一」と自らカウントし、そして、引き金を絞った。
「じゃあね里見さん。美しい僕が生き残るために、死んでもらうよ」
 それが世界の為になるのだからね。
 一発の銃声が辺りに響き渡り、それと同時に窓の外で亜澄の身体が大きく揺れるのが見えた。しかし被弾したわけではないらしい。達郎の銃は僅かに狙いがずれ、相手は銃声に驚いて身体を一瞬飛び上がらせただけ、といった様子だった。となればここで攻撃の手を休めるわけにはいかない。恐れおののいた相手に逃げられぬよう、二発目、三発目、と達郎は続けざまに撃つ。
 身を隠す障害物なんか付近に無くて、さらにどの方角から発砲されたのか分からず、その場でうろたえることしかできない亜澄。背後で向かいの民家のブロック塀が部分的に砕け、破片がばらばらとアスファルトの地面に散った。反動の大きさのせいで狙いが定まらず、撃ち出される弾丸は次々と標的から逸れてしまうのである。だが連続してトリガーを引き続けている達郎にはまだ焦りの色など見られない。なんせ二丁の銃には未だ二十発近くもの弾が残されているのだから。そういえば氷室歩と対峙した時もそうだった。ちゃんと狙いを合わせて撃っているつもりでも、なかなか的に当たらず、結局は「下手な鉄砲も数撃てば当たる」という言葉の通りに勝利をもぎ取ったのだ。一度そういう経験をしていたからこそ、達郎にはまだいくらかの余裕があったのだろう。
 どうせどれか一発は当たるに決まっている。なんて考えていた時、ジェリコに装填されていた弾十発を全て撃ち切ってしまった。達郎は弾の切れた銃を放り出し、側に用意していたグロックにすぐさま持ち替える。
 そうやって素早く次の攻撃に取り掛かることが出来れば、何ら問題はないと思っていた。だが、短時間で仕留めることが出来ず、相手にこちらの位置を探る時間を与えてしまったことはまずかったようだ。
 どうやら狙撃者達郎の居場所は民家の二階であるとばれてしまったらしく、今、亜澄の強い視線は間違いなくこちらへと向けられている。
 へっ、今さら気付いてももう遅いよ。逃げる暇なんてありゃしないんだから。
 グロックの銃口を窓の隙間に差し込んで、再びトリガーを絞ろうとした。ところがその刹那、驚いたことに、これまで一方的に攻撃を受け続けてきた亜澄が、いきなりこちらに向けて何かを構えたではないか。デイパックの裏に隠れてさっきは見えなかった彼女の武器。
 あれは、銃か?
 自分のものよりも一回り大きいそれを確認した瞬間、達郎は急いで背後へと飛び退き、部屋の中心にまで緊急退避していた。それと同時に外で亜澄の銃が、ダララララララ、と不気味な唸りをあげ、先ほどまで達郎が側にいた窓のガラスが、大きな音を立てながら派手に砕けた。
 畜生。まさかあいつの武器がマシンガンだったとは。
 カーテンを突き破った弾丸が天井の蛍光灯を破壊する音に驚いて、とっさに頭を抱えながら床の上に屈みこんだ。もはや窓際は危険。マシンガンの銃声はすぐに止んだが、堂々と外に顔を出すなんてことはできやしない。
 壁伝いに窓に近づいて、頭半分だけで外を覗きこむことにした。亜澄はまだ外で待ち構えているのか、それともこちらを始末する為に民家に踏み込んでくるのか、とにかく相手の動きが気になって仕方が無かった。
 恐る恐る割れた窓から外を見ると――、意外にも亜澄は道を真っ直ぐに走って一目散に逃げていた。どうやら彼女、危険を犯してまで達郎に仕返しするつもりなんて無いらしい。余計な戦いは避けるべきだと判断したのだろう。
 とにかく、相手が簡単に立ち去ってくれて助かった。せっかく現れた標的を仕留めることが出来なかったというのは少々不満であるが、マシンガンとの真っ向勝負では、いくら銃を二つ持っていようともこちらが不利だ。今は命が助かったことを素直に喜ぶべきだろう。
 ほっ、と溜息を吐いた瞬間、頬の辺りで鋭い痛みが走った。何事かと思い、達郎はすぐさま手鏡で自分の顔を確認する。嫌な予感がした。そして、あまりのショックに身を凍らせた。
 なんということか、この麗しき美貌が、頬に走った一本の赤い直線によって穢されているではないか。割れた窓ガラスのほとんどは閉められていたカーテンに受け止められたようだが、ごく僅か部屋の真ん中辺りにまで飛んできた破片もあったらしいので、きっとそれによって傷を負わされたのだろう。
 頬の傷からは赤い血液が少しずつあふれ出し、ゆっくりと顎の先へと向かって垂れ始めている。達郎はそのおぞましい光景を前にわなわなと震え始め、そして知らぬ間に大声で叫んでいた。
「あの女、ぶっ殺してやる!」
 世界一美しかった顔を血で汚され、怒りに我を忘れた彼は、マシンガンの脅威なんて頭から完全に排除し、一心不乱に階段を駆け下りた。そして未だ大雨が降り続けている外に、何の躊躇も無く飛び出す。先ほどまで雨に濡れるのを嫌がっていた彼からはとても考えられないような行動だ。しかしせっかく外へと出たというのに、亜澄の姿は既にどこにも見られなかった。当たり前だ。一度でも銃なんかで狙われれば、誰だってすぐにそこから退避したくなるものだ。
 だが、既に亜澄の姿は見えなくなっているというのに、頭に血が上ってしまっている達郎は諦めきれず、相手の逃げた方向へと駆け出す。さらさらだった髪も今や濡れに濡れて乱れており、ガラスの破片による切り傷から流れ出た血は、雨に滲んで頬じゅうにうっすらと広がっている。それは鏡に写して見てはいけないというほどの、まったくもって酷い有様であった。
「くそっ、あいつどっちに行きやがった」
 やっとのことで到達した十字路の中心に立って全方位をぐるぐると見回すも、亜澄が逃げた方角は分からなかった。姿が無くて足跡も残されていなければ、むやみに走り回っても無駄足に終わってしまうだろう。いくら達郎が頭に血を上らせていたといっても、これ以上の深追いは意味を成さないと、すぐに判断することくらいは出来た。ただ、このまま黙っていては腹の虫がおさまらない。
「いつか見つけ出して、絶対にぶっ殺してやるからな、里見ぃ」
 言い捨て、元いた民家へと自分の荷物を取りに戻ろうと身体の向きを反転させた。そのとき、達郎は何かを見て、急いで塀の後ろへと身を滑り込ませることとなった。少し前に亜澄が現れたのと同じ方角に、新たに別の人物の姿が見受けられたのだった。全身に包帯を巻いたおぞましきその姿はもちろん、御影霞(女子二十番)
 達郎は突如吐き気を覚え、口元に手の平を当てた。
 なんなんだ、あの姿は。醜い。醜すぎる。
 ひたすら美というもののみを追い求め続けていた彼にとって、霞の姿はあまりに強烈過ぎたらしい。拒否反応を起こした体がにわかに震えており、言い知れぬほどの不快感が込み上げてくる。
 殺さなければ。美しい者が生き残る為――世界を浄化する為に、醜い者はすべて葬り去らなければ――。
 相手はおそらくまだこちらの存在に気付いていない。静かに後をつけていきさえすれば、きっと背後から難なく仕留めることが出来るはずだ。
 グロックを握る手に妙に力が入る。顔に傷を負わされ、さらに亜澄に逃げられてしまったせいで、極めて不快な思いをしている達郎の暴走は、もはや誰にも止められない。

【残り 十八人】
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