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−焔に刻まれし紋(6)−

 曇り硝子の向こうで影が動いた。歪んだ戸板が軋み音をたてながら開き、廊下の様子があらわになる。
 そこには御堂一尉が立っていた。大きく広い背中を壁に預けた楽な姿勢でこちらを見ている。
「御堂?」
 醍醐は異変に気付いたようだった。教室の中に向けられた御堂の視線が、かつてなく冷たく感じられたのだ。彼が見ているのが桂木だったらそれもおかしな話ではないが、視線はどうも醍醐へと向けられているらしかった。上官に絶対服従だった男の様子としてはとてつもなく不自然だ。
「まさか、聞いていたのか……?」
 醍醐が質問する。部下に対する態度としては彼らしくない、恐る恐るといった感じで。
「ええ、聞きましたよ。扉の向こうでじっと息を潜めながら、密かに静かにね」
 御堂は一切表情を動かさない。笑うでもなく顔をしかめるでもなく。ただただ単調な口調が続いた。
「妙な胸騒ぎがしたので戻ってきてみれば、案の定……。まんまと言いくるめられてしまいましたか」
 両手を上着のポケットに突っ込みながらがっくりと肩を落とす。そして、はぁぁぁ、と長い溜息をつく。
「長きにわたって段取りしてきたというのに、最後の最後にこれですか……。まったく、どっと疲れてしまいましたよ。この落とし前、どうやってつけてくれるんですか?」
 明るい調子の軽い口調。しかし顔が全く笑っていない。怒りが溜まり過ぎて感情表現のコントロールができなくなっているのか。
「ちょっと待て、御堂。長きに渡っての段取りとは、いったいどういうことだ?」
 醍醐が聞く。
 担当教官である彼ですら分からないことがあるのかと、桂木は不思議に思った。
 再び溜息をつく御堂。
「いや、今回のプログラムが円滑に進むように、事前から色々と細工を施していましてね。ある生徒を外界から完全に遮断させるよう手回ししたり、結構手間をかけていたんですよ」
「まさか、その生徒って――」
 桂木が驚きの声を上げる。
「お察しの通り、御影霞ですよ。実のところ、醍醐教官が彼女に会いに行くよりもずっと以前から、我々は全身火傷の少女の存在を知って動き出していたんです。面会謝絶はこちらが工作するまでもなく本人の希望があってか既に行われていましたが、追い打ちをかけるべく病院に圧力をかけて手紙のやりとりすらできないようにさせました。その結果、私どもが思っていた通りに、怨恨を増大させた少女は立派に容赦の無い殺戮者に育ってプログラムの進行役を務めてくれました」
 予想だにしなかった話に言葉を失わずにはいられなかった。しかし疑問は残る。易々と御堂の話を信じることはできない。
「馬鹿な! プログラム参加校が決められるのはランダムで、しかもどんなに早くても開催年に入ってからの話だ。そんな前に梅林中が参加することが分かっていたはずがないし、当然、御影霞の周囲に工作をしようなんて考えつくはずもない」
「教官。それは『通常ならば』の話でしょう。今回は例外――全て意図的に仕組まれていたことなんですよ。梅林中被災者特別クラスは二年前の火災の直後に、プログラムの参加が決まった。政府と軍、それぞれの上層部では認識されていたことだったのですが、後から立候補してきたゲスト教官のあなたはそれを知らなかった。ただそれだけのことなんです」
 驚愕の内容だった。
 意図的に仕組まれていた――つまり千秋とそのクラスメート達は何者かの陰謀に巻き込まれたに過ぎなかった、ということ。
「納得できません! いったいどんな理由があって、従来のプログラムの取り決めに反してまでして、四十五人を作為的に地獄へと突き落とす必要があったのですか?」
 沸き上がる怒りを抑えることができない。理不尽とは思いつつも、これまでのプログラム参加校の選出方法においてはある種の「公平性」が確かにあった。しかし今回はそれすらも排除され、誰かの勝手な都合によって千秋達の死を勝手に決められてしまったというのだ。
「桂木。悪いが事情を話すことは出来ない。梅林中が選出された理由は重要機密らしくて俺も詳しいことは知らないし、仮に知っていたとしても政府に仇なす者には端から話すつもりはない」
 そして御堂は「もちろん醍醐教官にもですよ」と付け加える。
「自分で言うのも何ですが、軍の叩き上げでここまで上り詰めてきた私は上下関係には忠実で、もちろんゲストとはいえ高い地位に就いたあなたには最後まで懸命に従うつもりだったんですよ。でもあなたは私を裏切り、プログラムの責任者としてあるまじき様子を見せた。私情を挟んでゲームを中断させるかどうか悩んでしまった。まだ行動には移してはいないものの、その心の乱れは後に政府にとって障害となる。一度バランスを崩した積木はもう体勢を立て直せないものなのだから」
 と突如、御堂はポケットから出した手を腰にもっていき、何かを掴んだ。
「だから私は決めたのだ。いくら上官であろうとも、それが邪魔な存在となるなら排除してしまおうと」
 見ると、その手には醍醐の物と全く同じ種類の拳銃が握り絞められていた。固く冷たい銃口が照明の反射光と禍々しい殺意を放つ。
 逃れる暇など無かった。桂木が気付いた頃には銃は標的へと狙いをしっかりと定め、力の入った指によってトリガーが引き絞られようとしていた。
 目の前で起こったことが全てスローに見える。発射された弾丸が醍醐の腹部を貫くまでにかかった時間は僅か一瞬のはずなのに、なぜかその様子がはっきりと認識できた。
 背広の背中から吹き出した大量の血は床を真っ赤に染め、そこに臓器のかけらが降り注ぐ。まるで隻を切られたダムの如し、それらは止まることなく流れ続ける。
「うっ」
 醍醐は呻き声をあげながら、腹を押さえてその場にうずくまる。流石の彼も身体に大穴を空けられてしまっては、直立を維持することは不可能であった。
「醍醐!」
 桂木はすぐさま醍醐へと駆け寄ろうとした。しかし結局それは叶わなかった。
「勝手な動きを見せるなよ、桂木」
 御堂の銃が今度は桂木へと向けられていた。
「まったく。他人の心配なんかしていられる場合か。分かっているだろうが、政府を裏切ってプログラムの邪魔をしようとしたお前は、醍醐教官と同じく反逆者という立場なんだぞ。教官の身に起こったことが、今度は自分にも起こるとは考えないのか?」
 呆れた、とばかりに御堂が言った。
 桂木はもちろん身の危機を感じてはいたが、目の前で崩れ落ちた人間のことを黙って放っておくことなどできなかったのだった。それがいくら大切な人を地獄へと陥れた存在であっても、だ。
 罪を憎んで人を憎まず、なんて綺麗ごとを述べるつもりは無いが、少なくとも傷付いて倒れた者の横を、見て見ぬふりして通り抜けられるような冷酷な人間ではないと、自ら断言できる。
「御堂一尉。俺は絶対にあなたのような人間にはならない――。いつまでも人のことを思いやり、そして愛し続けることができる人間でいたいからだ」
 御堂には桂木の言葉がただの苦し紛れにしか感じなかったのだろう。彼は、ニッと微笑んだかと思うと、冷ややかな口調で言った。
「勝手にほざくがいい、不良品」
 すぐに近い距離から銃声が耳に飛び込んできた。そして腹部が急激に熱くなる。
 恐る恐る触れてみると、掌に濡れた感触が伝わる。目の前に持ってきて見た手は真っ赤に血濡れていた。



 プログラム本部では、木田聡が極度の緊張に陥っていた。
 数十秒前に聞こえた銃声は、間違いなくこの分校内で発されたものだ。
 醍醐たちにどこかの部屋に連れられていった桂木はまだ戻ってきていない。果たして彼は大丈夫なのだろうか。
 嫌な予感が頭に張り付いて離れない。
「桂木……」
 すぐにでも部屋を飛び出して助けに行きたいという思いに駆られた。しかし自分一人が行ったところでいったいどうなる、と、すんでのところで思い留まる。
 そんなとき、再び銃声が耳に入ってくる。
 桂木と同じく醍醐教官もまだ戻ってきていない。御堂一尉は一度帰ってきたが、すぐにまた姿を消してしまった。
 いったい今、何がどうなっているんだ、桂木――?

【残り 四人】
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