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−死を呼ぶ邂逅(8)−

 自信に満ちた言葉を圭吾が放つと同時に、妖刀紅月の刀身はよりいっそう輝きを増す。剣豪の腕に力が漲ったために刀も喜悦しているのだろうか。まるで紅月自身が固有の意志を持っているかのようだった。
「目指すべき所が明白になれば、そこに向かって全力を出して突き進むことができる、ということかしら?」
 霞は、バカじゃないの、と、つい吹き出してしまう。
「すると何? 目的が定まっていなかったほんの数十秒前までと比べて、今のあなたはずっと強くなっているとでも言うつもり? 身体的にはどこも成長していないくせに」
「ああ、つい先ほどまでの俺は弱かったさ。だから、何も考えずただ力を追い求めていただけの二年前も、結局お前一人を無事に救い出してやることすらも出来なかった」
 顔を覆い隠す包帯の下で、ピクンと霞の眉が動くのが分かった。
「まだそんなデマを吐き続けるつもりなの? あまりしつこいと、さすがにイライラしてくるんだけど」
「デマじゃあない。真実だ」
 彼女の身体を打ち震わせる不快感が空気中を伝播し、こちらの肌にビリビリとした感触を与えてくる。一触即発状態の重々しい緊張感が二人の間に漂う。
「その減らず口、二度と叩けないようにしてあげるわ」
 と、霞はあからさまに不機嫌そうな表情を浮かべながら、強く地を蹴って駆け出した。開いた両方の掌を、長く鋭い槍の如く真っ直ぐ前に突き出している。高まった握力に物を言わせて、次に触れるものを容赦なく捻り潰すつもりなのだ。
 二本の腕は圭吾の喉元へと向かっていく。その動作は相変わらずとてつもなく早い。ゆうに五メートル以上は開いていたはずの二人の間の距離は一瞬にして縮まり、瞬きしているうちに包帯ずくめの鬼の顔が目と鼻の先にまで迫っていた。
 霞の口元が不気味に歪む。敵の突進を事前に読んでいた圭吾も既に紅月を高く振り上げていたが、自分のほうが先に相手を仕留めることができる、と、彼女は確信していたのだろう。
「死ね」
 真っ白い掌に力を集約し、標的へと飛びかかる霞。しかし、そこにはもう圭吾の姿は無かった。霞の手が届くよりも一瞬早く、彼は後方へと飛び退いて難を逃れていたのである。
 全て圭吾の計算どおりであった。
 敵の身体が十分に間合いの中に入ってきていることを確認し、霞の手が空を切っているその隙に、紅月を素早く振り下ろす。
 霞はどうやらこの展開は予想していなかったらしい。血走った眼を大きく見開きながら、空中で身体をよじり、迫る刃を必死になって回避しようとしていた。バランスを失い崩れた体勢のまま倒れるも、そのまま地面の上を転がって、刀の間合いから一旦離れる。だが圭吾もむざむざ敵を逃がそうとはしない。最初の一太刀がかわされるや否やすぐに後を追い、再び距離を詰めて素早く薙ぐ。
「でやっ!」
 掛け声と共に刃の切っ先が大気を上下二段に分断する。ヒュンと鳴る音の鋭さが、いかに刀が早く振られたのかを物語っていた。だがそれでも霞を仕留めるには至らなかった。彼女は危機を感じると、体勢を立て直すことを後回しにしつつ、転がったまま近くの藪の中へと入り込んでいってしまったのだ。
 姿の見えない相手を深追いすることはあまりに危険だ、と、圭吾は一時的に攻撃の手を休める。だが相手が動き次第飛びかかれるよう構えは崩さない。せっかくこちらが戦いの流れを掴んでいるのだ。このチャンスをみすみす逃してしまうわけにはいかなかった。
 すぐに霞の居場所は分かった。彼女の動きにあわせて藪がガサガサと音を立てながら揺れていたから。
 圭吾は紅月を振りかぶって飛びかかろうとしたが、藪の手前で足を止めた。
「よくも、やってくれたわね」
 立ち上がって緑の中から姿を現した霞の手には、いつの間にか銃が握られていたのだ。そう、彼女が飛び退いた先というのはデイパックを放置していた場所で、圭吾の攻撃から逃れた一瞬の間に、予備の武器を取り出していたのだった。
「潰れろ!」
 包帯越しにでも分かるほどに血管を激しく浮き上がらせた手の中で、真っ黒い拳銃が爆音を響かせながら火を放った。
 圭吾は咄嗟に横へと飛んで、銃口の狙いから間一髪で逃れる。銃弾が長い黒髪を掠めていったが、なんとか身体の方には傷を負うことなく済んだ。しかしまだ気は抜けない。接近戦でならこちら側に僅かにでも分があったが、相手が再び銃を手にしてしまった以上、またもや形勢は逆転してしまったと言える。圭吾は弾が詰まって不能になってしまったデザートイーグルを、先ほどどこかに放ってしまったのだ。
「わざわざ力で抑え込もうなんて、面倒くさい真似はもうしないわ。刀で反撃されないよう十分に間合いを開きながら、銃で確実に撃ち殺してあげる」
 ゆっくりと霞が距離を詰めてくる。樹の後ろへと退避してしまっている圭吾を銃で狙える位置へと移動しようとしているのだ。戦いの様子から、彼女はもうこちらが銃器なんて持っていないと分かってしまっているだろう。だからまだ気持ちに余裕を残しながら、悠々と近づいてくることができるのだ。
 圭吾は必死に頭を働かせて、この場を乗り切る方法を考えた。しかしそんな都合の良い名案が思いつくはずがなかった。銃の射程と刀の間合いではあまりに差が大きすぎる。こちらが決死の覚悟で飛び出していったところで、遠距離から身体を貫かれてしまうのは目に見えている。それに、相手の銃はまだ十分に弾を残しているはずだ。撃ち出された弾全ての狙いが外れてしまうなんて展開は、とても期待できない。
 ザッザッ。
 奥歯を噛み締めながら紅月を力強く握る圭吾の耳に、草を踏みしめる霞の足音が入ってくる。どうやら弾除けとなっている樹から一定の距離を保ちながら、回り込むように狙撃ポイントへと向かっていっているらしい。
 グズグズとしている時間はもう無い。このままじっとしていても、どうせ数秒後には狙い撃ちにされてしまうだけだ。それなら、相手が銃撃の体勢につく前に、一矢報いるつもりで飛び出し、不意打ちに出たほうが良さそうだった。もちろんそれは奇襲と呼べるのかどうかも分からないような、無謀すぎる突撃だと分かっている。しかし、圭吾はもう覚悟を決めていた。
 そもそも、身体能力では負けていないにしろ、武器にあまりに大きな能力差があり、勝ち目が薄いなどとは初めから分かっていた。むしろここまで食い付き続けることができただけでも奇跡的だったのかもしれない。
「俺もついにここで終りか……」
 大きく息を吸い、決死の覚悟で飛び出そうとした。そのとき、
『朝六時になりましたぁ。それでは早速ですが、五度目となる放送を始めさせていただきますねぇ』
 スピーカーを通した田中一郎のネチネチとした声が、島全体に響き渡った。戦いにばかり集中していて気がついていなかったが、もう完全に朝を迎えていたのである。いつの間にか薄暗がりの森林の中に陽光が仄かに差し込んできていた。
 霞の足音が突然止まった。おそらく放送に耳を傾けているのだろう。しかしその間も銃撃の構えを解く様子は無かった。
『それではまず、毎度おなじみとなりました、死亡した生徒の発表を始めますねぇ』
 田中は生徒の出席番号と名前を、死亡した順番に読み上げる。
『今回はちょっと多いですよぉ。女子十二番、中沢彩音。女子六番、熊代フミ。女子十七番、福原千代。女子十九番、松原雛乃。男子三番、小倉光彦。女子九番、里見亜澄。女子十四番、羽村真緒。男子二十番、湯川利久。男子八番、白石幹久。女子八番、後藤蘭』
「えっ?」
 全く同じ瞬間に放たれた圭吾と誰かの声がかぶった。霞だ。彼女は何が起こったのか理解できていない様子で、呆然と中空を見つめている。
『以上。六時間の間に死亡したのは十名。生き残っているのはついに六人だけとなりましたぁ。それでは、禁止エリアの発表を行いまぁす』
 もはや霞の耳に、田中の声なんて入ってきていない様子。彼女はおそらく今聞いたばかりの話を素直に受け止められず、頭の中で物事の整理がつかなくなっているのだろう。
 自分の欲を満たすためなら、満面の笑みを浮かべながら学校の校舎一つを燃やしてしまうような凶悪な、それでいて計算高く頭の切れる悪魔のような男――湯川利久の死亡。復讐の対象である彼を自ら打ち倒そうと心に決めていた霞にとって、それは信じ難いことであると同時に、信じたくない事実なのであった。
 もしも今回の放送に誤りが無いのだとすると、霞の復讐は永遠に達成されなくなってしまったということになる。二年という長きに渡って苦しめられてきた彼女にとって、復讐を遂げられないというのはとても耐え難いことであるだろう。
「……いったい、何処の誰が私の復讐の邪魔をした?」
 ギリギリと歯を噛み締める音が周囲に響く。
 圭吾も霞と同じく、誰が利久を殺したのかを疑問に思った。利久は元の身体能力はそれほど高くはないが、持ち前の知性や残虐さについては他の追随を許さないというほどのレベルに達していた。それに他の生徒を殺して回収していったという、彼の武器はまさに攻守において絶大な力を誇っていた。並の戦力しか持たぬ人間では利久を倒すどころか、まともにやり合う事すら難しいはずだ。
 田中は現在生き残っているのは六人だと言っていた。その中で正体が分かっているのは、圭吾とその連れであった女二人、千秋と風花。そして現在交戦中の霞。以上四名の中に、利久を殺したなんていう人物はいない。となると、正体不明の生き残り二人のうちどちらかが、利久を手にかけたというのだろうか。それとも――。
 放送はまだ続いている。圭吾は思考を一時中断して頭を切り替えることにした。
 意外な事態を前に動揺してしまっている霞は、あまりのショックのためか、圭吾に対して向けていたはずの注意を少し欠いている様子。飛び出すなら今のチャンスを逃してはならないと思われた。
『――午前十一時にI−6。以上禁止エリアの発表でしたぁ』
 田中の放送はもうそろそろ終わる。なんとかそれまでに勝負を決めてしまいたいところだ。
 霞の目線がスピーカーのある方へと向けられているのを確認して、圭吾は勢いよく樹の裏から駆け出そうとした。そのとき、視界の端になにやら気になるものが映った。
 数メートル横に離れた小さな崖の上に誰かが立っている。圭吾は急遽身体を止めて頭をそちらへと向けた。
 銃声でも聞いて駆けつけてきたのだろうか。崖の上には白石桜(女子十番)が立っていた。
「白石?」
 圭吾はその姿を見て目を大きく開いた。なぜなら彼女は小さな身体には似合わぬ大型の銃器を手に、色の無い冷たい視線をこちらへと向けていたから。驚いたことに、彼女が持っている銃とは、以前湯川利久が持っていたサブマシンガンと同じものであるようだった。


「まさか、お前が湯川を――」
 圭吾が口を開いた瞬間、桜が持つサブマシンガンの銃口が眩い光を放った。
 崖の上から掃射された銃弾の雨が辺りに降り注ぐ。突然割り込んできた第三者に対して、霞も圭吾も瞬時に対応することなど不可能であった。
 霞も急いで拳銃を相手へと向けていたが、反撃は全然間に合わない。血を振り撒きながら崩れ落ちる包帯ずくめの女の姿が、色眼鏡の茶色いレンズ越しに見えた。そしてその直後、圭吾の視界に横一直線のヒビが走った。眼球の真ん前で眼鏡のレンズが砕けたのである。フレームから外れたガラスの欠片が下へと落ちて、セピア色の風景が一瞬にして色付いた。
 陽光に照らされた緑の景色はとても美しかった。昨日から降り続いていた雨の滴が、植物の葉の表面で結晶のごとく煌びやかに輝いている。遠方には七色の虹の橋すらも見える。大東亜の本土に届いてしまってもおかしくないほどの大きさに思われた。だがその橋は中腹で途切れていて、どこにも繋がっていない。
 圭吾は力尽きてその場に倒れた。胸が苦しい。見ると、心臓近くに穴が二つ開いていた。頭にも弾が掠っていたようだ。上から流れてきた血液に視界を塞がれ、色鮮やかな景色は瞬く間に赤に支配されてしまった。
「春日……。蓮木……」
 心を許し合った仲間達の名を呼ぶ。虫の息となった彼の声はとても小さく、誰の耳に届くことも無い。しかし彼は急激に薄れゆく意識の中、命尽きるその瞬間まで、仲間の名前を呼び続けた。
 程なくして、比田圭吾は死んだ。
 彼の手は力を失っても刀の柄を握り続けている。紅月の刃は圭吾の血と陽光を浴びながら、ゆっくりと色褪せていった。


 比田圭吾(男子十七番)――『死亡』

【残り 五人】
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