〜あとがき〜

今からおよそ一年前の、2002年の8月3日。私は自らのサイト『毒人間の館』を世に公開した。
現在と比ると、当時の我がサイトは規模も小さく、まさに赤子のような存在であった。

我がオリバト『岐阜県市立飯峰中学校三年A組プログラム』は、
そんな当時からサイト上に存在していた、まさに毒人間の館の原点でもあった存在と言えよう。

そもそも、私がバトルロワイアルという作品に出会ったのは、
和歌山県のとある古本屋に立ち読みしに行った時であった。

漫画コーナーに平積みされたバトルロワイアル1〜4巻を目にした瞬間、
私は何か惹かれるものを感じた。
手に取ってページをめくってみると、紙の上で凄まじき光景が繰り広げられていた。
理不尽な戦いを強いられた中学生達が、それぞれの想いを胸に、
そのはかなき命を奪い、そして奪われていくという悲しきストーリー。
私はすぐに、この作品の虜となった。

すぐに原作小説『BATTLE LOYALE』を購入した私は、数日かけて読破。
読み終えたとき、私は爽快感すら感じていた。
そして当然のように、映画版のビデオに手を出すまでは、さほど時間を要しはしなかった。

そんな私がある日、ネット上をブラブラしていた時、運命の出会いがあった。
これまでその存在すら知らなかった『オリバトサイト』という場所のひとつに、
行き着いてしまったのだ。

私は一心不乱にそのサイトのオリバトを読んだ。そして思った。
自分も、こんな素晴らしき作品を書いてみたいと。

ところが、私がオリバトを書き始める前には、幾重にも渡る困難が待ち受けていた。
まず、自らに小説を書けるだけの文章力が備わっていなかったということ。
高校時代の国語の成績が、10段階中4であった私の書く文章は、
とても他人に読ませることが出来るレベルではなかったのだ。

そしてもう一つの問題は、バトロワ原作が出版されてから、
既に一年以上もの時が経過していた当時、
オリバトサイトは恐ろしいほどに、その数を増やしていたのだ。
限りある読み手側の人間を、自らの小説に惹き込むには、
それら全てのオリバトにも負けぬほどの作品を作らねばならない。
その数が多ければ多いほど、難易度が上昇していくのは説明するまでも無いだろう。

それでも書きたいという衝動に負けた私は、ついにペンを手に取った。
大学ノートの一ページに、思いついた展開をとにかく書き込み、
後にストーリーの軸に合わせて再構成し直すという作業を延々と続けた。

気がついた頃には、命を得た46人もの生徒が、ノートの上を歩き始めていた。
その頃には、頭の中にその光景が鮮明と浮かび上がるほどになっていた。

2002年の7月。私はついにキーボードを叩き始めた。
中学時代に学校で教え込まれたブラインドタッチには問題は無かったが、いかんせん、
やはり文章力が無さ過ぎた。

私はサイトを世に公開する前には、既に七話もの展開を書き上げていた。
しかし処女作であったそれは、やはり目が痛くなるほどの代物だった。
だが困ったことに、当時の私はそれにも気がついていなかった。

そしてついに、毒人間の館、オープンの日を迎えた。
サイトをネット上に送り込むと同時に、公開したオリバトは1〜5話。ここから全てが始まった。
当時、リングや同盟等に全く参加していなかった我がサイトに来てくれた人の数など、
たかが知れたものだった。
しかし今冷静に考えてみると、逆にそれで良かったのだと思う。

日に日にその話数を増やしていくうちに、私は徐々に気がつき始めた。自らの文章力の無さに。
そして恥じた。何故私はこんな駄作を、こうも堂々と公開しているのだろうかと。

話数が70を超えた時に、私はついに解決策に乗り出した。
これまでに公開していた文章全てをプリントアウトし、その全てを舐めるように読み返した。
そして気になる文章を全てチェックし、修正作業を開始。
これによって、見るも無残な姿だった我が小説は、
とりあえず最低限の形にまでは持ち直したのだった。

初めから“挿絵付”という、ちょっと他のオリバトには類を見ないやり方で始めた私は、
文章と絵が上手く作れないという二重苦に嫌気がさしたこともあったが、
逆にそれが完成した時の達成感を忘れることが出来ず、気がつけば話数も100を超えていた。
始めた当初は、50くらいで終わるだろうと思っていたが、
書いているうちにストーリーが膨らんでしまい、
何時の間にかこうなってしまっていたのだ。
書いてた本人だが、本当にビックリだ。

この頃からだったと思う。私のオリバトの読者が徐々にだが増えていったのは。

掲示板で書き込まれる感想や、メールで送られて来る感想。
そして「面白かった」という言葉を目にするたびに、私のボルテージは最高潮に達した。

徐々に日常生活が忙しくなるも、私はもう止められなかった。
執筆作業を。

そして本日。ついに我がオリバトが終わりを迎えた。
連載開始から、じつに一年以上もの時が経過していた。

出来上がった作品を思い返してみると、詰めの甘かった設定から組み立てたにしては、
それなりにはまとまったストーリーにはなったのではないかと思える。
正直、ちょっとホッとした。

本日、この岐阜県市立飯峰中学校三年A組プログラムという作品の呪縛から、
ついに開放された。
しかし、何故かちょっと寂しさのような感覚を覚えるのも、これまた事実である。

これからもう少しの間、当作品完結記念の企画や、
ちょっとした改稿作業を控えているため、
もう少しの間だけ、繋いだ手を離すわけにはいきませんが、
私がこの作品から手を離すまで、どの道時間はさほど残されてはいません。
我が息子がいずれ一人立ちする日が来るのは、
この作品を書き始めた日から覚悟しておりました。

それでは、最後にこの作品に向けて一言。
長き執筆作業の間に、私自身を成長させてくれて有難う。
そして、作品を読んでくださった読者様方へも一言。

有難うございました。

【2003年8月21日 by:若丸進二】


トップへ戻る   BRトップへ戻る

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送