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 7−Eエリアに位置する唯一の建造物、つまりかつての生徒たちの出発地点である分校の一室で、一人の男はじっと盗聴機器に耳を向けていた。
 担当教官である彼は、かなり前から一人の生徒の行動と言動を監視し続けていた。その生徒とは、もちろん妙な事を口走っていた杉山浩二である。そして杉山が口走った妙な事とは、『脱出計画』というキーワードであった。
 それはありえない発言であった。なぜならば、政府によって生徒たちの脱走を完全阻止されているプログラムの中では、杉山の発言を実現させる事は、100パーセント不可能であったからだ。しかし、過去に2人の人間に脱走されたというプログラムの歴史が存在する以上、高を括っているわけにはいかない。
 榊原は生徒の脱走を少なからず恐れていた。
 自分がこのプログラムを司る最高責任者である以上、生徒たちは絶対に逃してはならない。万が一逃げられるような失態を犯してしまえば、上官たちにどのような罰を与えられるか…。たまったもんじゃない。
 喉の渇きを感じた彼は、目の前のテーブルの上に乗っている、熱々の湯飲みを掴み、ズズズと音を立てながら、なみなみと注がれていた緑茶をすすった。
 彼の手元には、杉山浩二に関する資料が集められていた。
 あの要注意人物から目を離さないためには、まずそのデータを調べておく方が良いと判断したのだ。集めた資料に一通り目を通した後も、念のためにと何度も同じ資料を読み返した。そういうところから察すると、そのいかつい外見とは裏腹に、彼は意外と小心者であるのかもしれない。


 杉山の資料を読めば読むほど、その全てが興味深く感じられた。
 運動能力の高さは以前から目を付けていた項目であったが、意外なのは、彼の成績であった。このプログラムから脱出するなどと言っていたわりに、杉山の成績は、さほど大したことは無かった。
 榊原が思うに、このプログラムから脱出する方法を考え付こうとするならば、相当な頭脳が要求されるはずだ。このクラスの秀才である、姫沢明や島田早紀などならともかく、彼ほどの頭脳では、普通に考えればこのプログラムからの脱出を考えるなど、到底不可能に思える。
 やはりハッタリだったか?
 回答の見えない難問に、榊原は自らに何度も答えを見出すように問い掛けるが、当然ながらはっきりとしない。
 彼はその間も盗聴の手を緩めはしなかった。杉山と桜井の間で交わされる会話は、機器を介し、全て榊原の脳へと送り込まれていた。少しでも不審な言動があればすぐに気付くはずだ。
 また、彼らの居場所も、巨大モニターに映し出された、島の地図によって全て把握できている。現在モニターの地図に映し出されている数字は全部で11。その内、青が8つ、赤が3つである。その中の青の11番から目を離さなかった。
 青の11番は、常に青の9番を引きつれ、ひたすら山岳地帯を移動した後、8−Fエリアへと到達。島の南東に位置する住宅街である。以前杉山達がここへ来ていたことは確認済みであったが、榊原が奇妙に思ったことはそれではなく、なぜもうじき禁止エリアへと変化するこのエリアへと移動してきたかということであった。
 しかし、ここで突如、盗聴機器を通して聞こえる二人の会話に変化が現れた。今まで何度も口にしてきていた『脱出計画』に関する話、それら全てがウソであると杉山が証言し始めたのだ。
 なんだ? いったいどういうことだ?
 榊原は意識を全て耳へとかき集め、とにかく会話を拾う事のみに努めた。そこから聴こえてきた会話の全てが、榊原の想像の斜め上を通過していた。まったくの予測不能であった。まさか杉山は桜井を殺害する為に、あそこまで完璧な演技を続けていたのだとは。
 その後、桜井稔が何度か反論すると、二人の間の空気が一変したようだったが、それでも杉山は覚悟を決めたようだった。ほんの少し沈黙が流れた後、榊原の耳にもバァンと銃声が聞こえた。機械を介して間接的に耳に入ってきた音とはいえ、それは大変大きな音であった。瞬間、榊原の耳が耳鳴りを起こしたほどだ。
 榊原はすぐさまモニターの地図に目を向けると、8−Fエリアに先ほどまで表示されていたはずの、青の9番が消えていた。
 榊原が聞いていた会話と銃声、そしてモニターから消えた桜井稔の出席番号。これらが示す意味は容易に分かったが、さらに追い討ちをかけるように、兵士の一人が駆け寄ってきた。
「榊原さん! たった今、男子の9番が死亡しました! 殺害したのは…」
「男子の11番だろう?」
 兵士は榊原に言葉を遮られ、
「は、はい! その通りであります!」
 とそれだけ言った。
「分かった。もう持ち場に戻って良いぞ」
 榊原にそう言われ、兵士はすぐさま戻っていった。
 まさかこんな事になるとはな…。
 名簿上に、新たに打ち消し線を一本書き加える榊原だったが、なにかあっけにとられたようだった。
 まあ良い。杉山の脱出計画が全てウソなのなら、これで心配事は全て無くなった訳だしな。それにしても杉山、面白い奴だ。親友までもああも完璧に騙し通すとはな。さすがトトカルチョで多数の票を集めただけの事はある。
 榊原は再び緑茶を口に含みながら、なんとなくモニター地図に視線を向けた。杉山は桜井稔を殺害した後、数分間その場にとどまっていた。
『…本当にすまない…稔』
 榊原の耳に、再び杉山の声が飛び込んできた。完全に泣き声となった弱々しきその声に、杉山の心情が込められているようだった。親友を殺害してしまった悲しさに、彼はしばらくその場を動けなかったのだろう。
 少しすると、杉山はようやくその場から動き出した。もう少し親友の亡骸の側に付き添っていたかっただろうが、彼は急いでその場から離れなければならなかったのだ。もうじき禁止エリアになってしまうからだ。
 モニターの左方、つまりは西の7−Fエリアへと猛スピードで移動する、青の11番こと杉山浩二は、どうやら時間内に禁止エリアから逃れる事が出来そうであった。
 だがここで榊原はとある事に気がついた。7−Fエリアには、まるで杉山が向かってくるのを待っているかのように、同じ場所からじっと動かない数字が表示されていたのだ。
 あの数字は…。
 榊原の顔に笑みがこぼれた。
 カカカッ! どうやらまたしても面白いことが起こりそうだな。
 榊原はほくそ笑みながら、湯飲みの底に残った最後の茶を飲み干した。


 
『桜井稔(男子9番)・・・死亡』


【残り 10人】



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