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 目的地への道のりは、決して楽なものではなかった。無数に生い茂る木々が行く手を阻んでいるのに加え、傾斜のある山道を縦走するというその行為は、かなり体力を消費する。体力に自信があるわけではない稔にとってはなおさらだった。
 まさかこんな道を通るなんて…。
 思い通りに前進する事が出来ず、稔はついため息をついてしまう。しかし仕方がない。目的地である住宅地へ向かうには、この険しい道のりを通らなければならないのだ。なにせゲーム開始から1日半が経過した今、禁止エリアはかなり数を増やしており、住宅地へ向かう迂回ルートもすでに禁止エリアへと変化しているのだ。そのために、住宅地へ行くには、もはやこの道を通るほかには無いのである。
 とはいうものの、少し足を滑らすだけで、はるか下まで転げ落ちそうな、この急角度の山道には、さすがに多少足がすくんでしまう。
 そんな気持ちの乱れに苦戦する稔に対し、運動神経抜群の浩二は、軽快に進んでいく。稔の物と合わせて、デイパック二人分を持ち歩いているとは思えないほどの身軽さには、つい感心してしまう。稔はとにかく、浩二の後を必死でついて行こうとした。
「雲行きが怪しくなってきたな」
 稔のペースに合わせながら、先に進んでいた浩二は、突然上空を見上げながら呟いた。
 稔もそれにつられて空を見上げると、確かに先ほどまで青く澄んでいたはずの空が、小汚いねずみ色へと変化し、工場の煙突から舞い上がった煙のような黒い雨雲が、だんだんと頭上に集まってきていた。この様子だと、どうやら一雨降りそうである。山の天気は変わりやすいというが、ここまでのものなのかと思ってしまうほどの、突然の変化であった。
 そんな空の様子を見ていた稔は、なぜか不安を感じていた。その理由は分からない。しかし、動物的感覚というものが稔にも備わっているのだとしたら、おそらくそれが働いたのであろう。
 だめだ。なんで弱気になってるんだ僕は。今はとにかく、浩二を信じてついていかなくちゃならないんだ。余計なことで心配なんてしてちゃ駄目じゃないか。
 稔は事を順調に進めるためにも、頭の中に張り付いた不安を、一生懸命はがし落とそうとした。しかし、そんな稔の努力は報われなかった。なぜならば予想していたとおり、ねずみ色の空に浮かぶ真っ黒な雨雲たちが、ついに雨を地上へと放ちはじめたのである。
「ああ畜生。本当に降ってきやがった」
 浩二は本当に悔しがっているようだ。それもそのはずである。今自分たちが歩いている場所は、山中の土の斜面上なのである。もしこのまま雨が激しくなってゆけば、それによって地面はぬかるみ、足を滑らせてしまう危険性が増してしまうのである。そうなれば最悪の事態をまねく恐れもある。
 稔は再び斜面の下へと目をやった。この斜面は絶壁という訳ではないので、転げ落ちても命に別状は無いと思われるが、それでも所々の地中から頭を出している、大きな岩の姿を見ては、さすがに無傷でいられるとは思えない。
「稔、そこは左側に生えてる木の枝に掴まりながら通れ」
 先に進みながら、頭を稔の方へと向け、稔が通り抜けるのに苦戦しそうな個所で、的確にアドバイスする浩二。それによって、転落の可能性に恐れを抱き、足をすくませている稔でも、なんとか難所を次々と通過していくことが出来ていた。さすがはどんなときでも冷静に行動できる浩二である。稔はまたも浩二を頼りに思った。
「ところで稔」
 稔が難所を何とか通過したのを確認した後、浩二は突如話し掛けてきた。
「さっきの放送だと、どうやらアイツも死んじまったらしいな」
 浩二が言う“アイツ”とはおそらく、クラス一の優秀な頭脳の持ち主である姫沢明の事であろう。以前、浩二が言った“自分たち以外に脱出を考えているかもしれない奴”というのが、まさにその姫沢明だったからだ。
 確かに稔も思った。中学生とは思えぬほどの、尋常ではないほどの秀才ぶりを誇る明なら、もしかすれば、このプログラムから脱出する方法を考え付けるかもしれないからだ。しかし、脱出を試みたのかどうかは定かではないが、とにかくその明すらも死んでしまった。
 それほど、このプログラムから脱出するなどという考えを実現させるということは難しいことなのだ。
「うん。もしかしたら自分たち以外のクラスメートたちも、別ルートで生還してくれるかもしれないって希望も持っていたけど、それも無残に打ち砕かれちゃったよ」
 本当に残念そうに言う稔を見て、浩二も同じく残念そうだった。
「まあな。それだけこのプログラムからの脱出って行為が難しいってことだ」
 浩二はその後、一瞬押し黙ったが、すぐに、
「だけど俺は、それでもこの計画を、絶対に成し遂げてやる」
 と強く言い放った。その言葉は一句一句すべてに力が込められているようだった。
 しかし、そんな浩二の強い意志を洗い流そうとするかのように、降り始めたばかりの雨は、徐々に徐々にと激しくなりつつあった。するとそれにつられて、稔たちの足の下でも、水が染み込んだことにより、がっちりと固まっていたはずの地面が、だんだんと柔らかくなってきているようだった。このまま降り続けると、地面が水に溶かされ、歩くことすらままならなくなるだろう。ゆっくり歩いている暇はない。
「浩二、地面がだんだん柔らかくなってきてるよ! このペースだと住宅地に着く前に、歩けなくなっちゃうよ! だからもうちょっと急いで歩こうよ!」
 このペースで歩かなければならないのは自分のせいであると分かっていたため、浩二に対して罪悪感を抱いていた稔は、意を決してペースアップを要求した。自分のことなどに気を使わず、浩二は浩二のペースで進んでくれということである。
「気にするな稔。俺はお前のペースに合わせるよ。だからゆっくりでも良いから、慎重に進め」
 どうやら浩二には、稔を置いてまで先に進んでいく気は無いようである。罪悪感が頭から離れず、スッキリしない稔であったが、浩二がそう言うのなら仕方が無かった。それならば、少しでも浩二のペースを上げるためにも、自分も一生懸命ペースを上げるしかない。
「分かったよ浩二。それじゃあ僕も出来るだけペースを上げるようにがんばるよ」
 稔は自分に鞭を打ってがんばる事にした。このように、努力を惜しまない考えを持てるところが、この桜井稔という男の長所でもあった。
「ああ、がんばれ! だけど絶対に安全にだけは気を付けろよ」
 まるで幼い我が息子へ向かっているかのような口調で、浩二は前方10メートルほど先から言った。
 稔はすぐさまペースを上げようとした。ぬかるみ始めた地面に足をとられぬよう、先ほどまでよりも、慎重かつスピーディに足を運び始めた。もちろんペースを上げれば、それだけ焦りにより危険は増すだろう。しかし、今はそんなことを気にしている余裕などは無いのである。
 数メートル先では、先に進む浩二が稔の事を気にしつつ、自らも難所にさしかかろうとしていた。そこは大変な急角度の斜面で、デイパック2人分を持ち歩く浩二にとって、かなり通過は難しいと思われた。
「浩二! 大丈夫?」
 後方から心配した稔は声をかけた。
「大丈夫だ」
 すると浩二は肩にかけていたデイパックを足元に下ろすと、一つを斜面の上へと放り投げた。そして続けざまにもう一つのデイパックも放り投げ、最後に身軽になった自らが、その斜面をひょいひょいと登っていった。さすがである。
「結構急な斜面だから、稔もここは注意して登れよ」
 斜面の上で、先に放り上げたデイパック二つを担ぎ上げた浩二は、まだ下で苦戦している稔に向かって警告した。
 稔は浩二が難所をいとも簡単に通過した事に感心しつつ、今度は自らがその難所に差し掛かり、緊張が高まっていた。浩二はいとも簡単に登ってしまった斜面だが、すでにぬかるみ始めているそこは、稔にとっては決して楽に登れるような場所には思えなかった。
 確か浩二はここの出っ張りに右足をかけて登ったはずだ。
 浩二が登った時の様子を頭の中に鮮明に映し出し、その通りに行動する稔。すると始めの一歩は難なくこなす事が出来た。
 そして次はそこの地面の凹みに左足を置いたはずだ。
 同じく2歩目も浩二と全く同じ行動をとり、何とか少しずつ上がっていく事が出来た。
 なんだ。意外と簡単じゃないか。
 事が上手く進んでいるために、稔は徐々に自信を持ち始めた。恐怖感などはほとんど消え去っていた。そのために、浩二ほど簡単にとまではいかないが、それなりのペースで難所の斜面を上がっていく事が出来た。
 次は右足をそこの地面から突き出している岩の上にかけて…。
 もうすぐ難所は終わりを迎えようとしていた。稔は思い出したとおり、突き出した岩の上に足を置こうとした。しかしここで予想外の事態が起こった。稔が岩の上に足を置いた瞬間、地中に埋まっていたハズの岩が、ぼこっと出てきてしまったのである。おそらく水分を吸った土が柔らかくなっていた為、稔の体重が加わった瞬間、土は岩を固定することができなくなってしまったのであろう。
 そんな突然の事態に、予想すらしていなかった稔の対処は遅れてしまった。
「うわわっ!」
 足元の岩が突然転がりだし、稔はバランスを崩してしまった。
「大丈夫か稔!」
 事態に気がついた浩二が、数メートル上から叫んだ。しかし事態は追い討ちをかける。バランスを崩した場所がぬかるんだ斜面の上だったために、足を滑らせた稔は、その斜面を一気に滑り落ちてしまった。しかも、難所の斜面からすべり落ちた後も、その勢いは止まらず、稔の身体は遥か数十メートル下にまで転がり続けたのだ。
 途中、土の中から頭を覗かせている岩のいくつかに、身体をたたきつけられながら、稔はどんどん下にまで転がっていった。
「うわああああ!」
 岩にぶつかるたびに感じる痛みに耐え切れず、悲痛な声をあげながら、稔は転がり続けた。


【残り 11人】



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