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 複雑な心境だった。何せ雅史たちに銃を向けている少女、石川直美は、同胞であった忍が探していた女子グループメンバーの中の、唯一の生き残りなのである。つまり、雅史たちは本来なら、これで目的の一つであった、“直美に会う”ということは達成できたと、一息つく事が出来るはずであった。しかし今、目の前の、戦場に放り出された赤ん坊の如く、たった一人では生きていくことはできないであろうほどのか弱き少女に、雅史は恐怖すら感じてしまっていた。
 直美が握っている銃。サイズは雅史のコルトパイソンと比べ、かなり小さい。しかしその殺傷能力に間違いがあるはずはない。今ここで直美が指を数センチでも動かせば、雅史の脳天に通風孔が開けられる事は明白であった。
 当然、大樹もすでに直美の存在には気づいている。しかし銃を持っていない大樹は、むやみにその場を動くことができない。戦うも逃げるもできず、ただ雅史と直美の様子を見つめることしかできないといった状態であった。
 直美はひたすら涙を流し、焦点のあっていない両目を、出来るだけ雅史の方向へと寄せ、その姿をはっきりと確認しようとしていた。
 直美の精神に異常が発生していたのは誰の目にも明らかであった。身体中をがくがくと震わせ、泥や土による全身の汚れにも目もくれず、ただただ必死に銃口を相手に向けようとするその姿を見ては、雅史は三人を殺害した犯人は、精神的に大ダメージを負い、正気を失っているこの少女なのではないかと、つい疑ってしまった。
 それはいくら人を思いやる心を持ち合わせていると定評のある直美が相手でも、決して安心してはいけないという、雅史の自己防衛の本能が自然と働いた結果、浮かんだ疑いであった。我を忘れている人間は、いつ何をしでかすか分からないのだ。
 そんな疑心暗鬼に苦悩する雅史の姿をじっと見ても、直美は一向に口を開かなかった。しかも様子から察すると、先ほどの雅史の声も、まるで耳には届いていないようであった。
 長い長い沈黙だった。全く動きを見せることのない直美。それに対峙したままどうすれば良いのか判断できない雅史。ただそれを見ていることしかできない大樹。三人がそれぞれの場を動くこともない静まり返った時間。しかしそれは誰かが声を発するだけでも、それが直美の中枢を刺激し、その手から銃弾を撃ち放つきっかけとなってしまうかもしれないというほどの、まさに一発触発の危険な状態であった。
 雅史はその危険な時間にだんだんと耐え切れなくなりつつあった。そしてようやく、再び口を開く決心がつきかけた頃だった。
「……が…たの…」
 何やら直美が口を動かした。しかし雅史には、直美が何と言ったのかがよく理解できなかった。
 雅史がどう反応すればいいのか分かっていないのを感じ取ったのか、直美は再び口を動かしはじめた。
「…た達が……を…したの?」
 またしても直美の言葉は途切れ途切れであった。だが、その途切れた文章に、まるでクロスワードパズルを解くような要領で、単語と単語の間に適当な言葉をあてはめていくことにより、雅史はようやくその言葉の意味を理解した。

−あなた達が皆を殺したの?−

 理解したとたん、雅史の口は勝手に動き出していた。
「違う! 俺達じゃない! 三人を殺したのは!」
 信じられなかった。雅史ははじめ、三人の女子を殺したのは直美かと、一瞬とはいえ疑った。しかし直美の方も、友人たちを殺したのは雅史たちではないかと疑っているのだ。
 よく刑事ドラマなんかを見ているとき、「犯人は現場に戻ってくる習性がある」という言葉を耳にするが、直美もそのようなことを考え、雅史たちを疑っているのだろうか。
 とにかく、自分は三人を殺してなどいないという事実は、当然だが雅史自身が一番知っていた。そのため、雅史は必死になって否定した。だがそれもよく聞こえていないのか、直美はなおも銃を下ろそうとはしなかった。
「本当だよ! 信じてくれ!」
 雅史の更なる悲痛な訴えが雑木林の中に響き渡った。しかし、またしてもその声は直美には聞こえていないようだった。
「許さない…絶対に許さない!」
 今まで焦点が合っていなかった直美の視点が、ふいに定まった。そしてそれは憎むべき敵だと判断した、雅史の方へと向いていた。
 更なる危険に背筋が凍りつく思いだった。
 違うんだ! 俺じゃない! 俺が殺したんじゃないんだ!
 雅史はもう一度、直美へと訴えかけようとしたが、銃を向けられていることの恐怖のせいか、なぜが口を上手く動かすことが出来ず、結局はただ空気を吐き出しただけとなってしまった。
 美咲達を殺した犯人だと思われただけでもショックを受けた雅史。それが更に銃を向けられ、今にも泣きたい気分であった。
「美咲も絵梨果も智里も、みんな大切な友達だったのよ…それを、あんなにも酷い姿に…」
 感情が高ぶっている直美にも、一向に涙が止まる気配が無かった。そして今にも引き金にかけた指に力を込め、発砲するかのようにも見えた。もはや一刻の猶予も無い。
 雅史は混乱する頭の中を可能な限り落ち着かせ、逃げるか、それとも反撃するか、説得を続けるか、どうするかを必死で考えた。しかしタイムリミットまでが短すぎる時間の中、冷静にそのどれかを選び出す事は出来なかった。
 ダメだ! 殺される!
 涙に真っ赤にされた目を見開き、雅史から視線を外そうとしない、我を忘れた直美を見て、雅史は自分の最期を覚悟すらした。
 そんな様子を見兼ねたのか、ようやく大樹が口を開いた。
「おい石川。忍がお前を探してたぞ」
 その言葉を聞いたとたん、突然直美の様子が急変した。微妙に合っていなかった視点は正常な状態へと戻り、かすかに銃口も下へと向けたのだ。そして口調もしっかりとしたのものに戻った。
「えっ…。し…忍が?」
 突如聞いた親友の名に、崩壊寸前だった直美の思考回路が刺激されたのだろうか。その急変ぶりは、まるで古いテレビを手で叩くと、画面の乱れが突然直るという現象のようだった。
 直美の様子が元に戻ったことに安心したのか、大樹はもう一度言った。
「ああ、あいつもお前に会いたがってたぞ」
 それを聞いたとたん、ついに直美の手から銃が離れ、そのまま地面へと落下した。


 直美自身は力が抜けたように、へたんと地面に膝をつき、声をだして泣き始めた。
 一人ぼっちで不安な時間を過ごした少女は、楽しい時間を分かち合ってきた親友に、生きてもう一度会いたいと願っていたのだろう。その友人の名が、空気に触れるだけで痛むほどに弱まりきった、一人の少女の心に癒しを与え、それが閉ざされた正常な回路を再び開かせたのだ。
「ううう……あぁぁぁぁぁぁ…!」
 今まで溜まっていた物が込み上げてきたのか、さらに流す涙の量を増幅させ、か弱き少女は地面に手を着きながら号泣し始めた。
 大樹はその様子を見た後、雅史の方へと振り向き、何か言いたげな表情をした。眉間にしわを寄せながらも、眉を垂らしたその顔は、大樹にしては珍しい、ちょっと人を哀れんだような表情だった。
 雅史も直美が泣き崩れたその様子を見て、身の危険が解除された安心と、直美への哀れみの二つの感情を抱き、何故か自分までもが泣きそうになってしまった。
 眼鏡の奥から流れ出た直美の清らかな涙が、乾いた地面を潤わせていった。



【残り 12人】



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