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 突如恵の顔が、緊張のため強ばった。
 何か聞こえる。
 ガサガサと、それは紛れもなく、誰かが草むらの中を走りながら近づいてきている音であった。耳を澄ますまでもなかった。その音は後方から聞こえてくる。つまりその方向から何者かが近づいてきているのだ。
 恵はばっと振り返った。すると森の奥から恵めがけ、一直線で走ってくる者の姿が視界に飛び込んできた。肉付きの良い身体でドシドシと大地を震わせるがごとく、豪快に突き進んでくるその姿は、まるでイノシシであるかのようだ。
 その者は両手に大きなショットガンを抱えている以外は、支給されたデイパックどころか何も持っていない。どこかに捨ててきたのだろうか。だがそんなことはどうでもいい。今はこの者、
吉本早紀子(女子22番)から逃走するのが先決である。
 冷静なる恵は直感したのである。恵めがけて猛進する早紀子はこのゲームに乗った側の人間であると。
 くそっ!なんでこんな大事なときに敵と遭遇してしまうのか!
 神が見ていてくれているのだとしたら、恵はこの運命の鉢合わせを実現させた神を怨んだであろう。
 とにかく恵は走った。いくら防弾チョッキを着込んでいるとはいっても、安全なのは胴体部分だけである。頭部や下半身は全くの無防備なのだ。
 相手の武器はショットガン。恵のトカレフよりも数段強力であるこの銃器の前では、防弾チョッキの効果を存分に発揮できないまま、死に追いやられる事も充分に考えられる。限られた時間の中で目的を達成しなければならない今の恵は、ここで応戦するよりも逃走を選ぶ方が賢明だと判断したのである。
 幸いなことに、相手はクラスの女子の中で最も巨体の早紀子。足の速さに自信がある恵が追いつかれることはないだろう。問題は逃げ切るまでに早紀子の銃弾を避け続けることが出来るかということである。
 案の定、早紀子は恵を追いかけながらショットガンを撃ってきた。
 ドンッ
 恵の耳に銃声が入ってきた。耳を貫くような大きく高い銃声は、弾が当たらずとも恵に不安感を与えた。
 恵は実感したのだ。今の自分は死神に追いかけられ、そのうえ死の銃弾がすぐ横を通過していった。今の一撃は命中しなかったが、逃げ切るまでの数十秒間、まだまだ早紀子はショットガンを撃ち続けるだろう。そのすべてを避けきることが出来るか。それはかなり難しい課題であった。
 恵は少しでも早紀子の足止めになればと思い、走りながら後方にトカレフを連射した。以前と同じく、サイレンサーが取り付けられたトカレフからは、まるで銃を撃っているとは思えないほど、火薬の破裂音は全く聞こえなかった。それが裏目に出た。早紀子を怯ませるために撃ったのだが、銃声が全くしなかったことにより、そのトカレフからは威圧感など微塵も感じられなかったのである。そのせいか、銃を撃たれたというのに、追跡する早紀子は全く怯むことはなかった。
 当然走りながら撃った銃が命中することもない。それでも恵は諦めることなく、何度も引き金を引き続けた。次々と放たれる銃弾一つ一つに、恵は命中してくれと願いを込めたが、それもむなしく全弾外れるという結果に終った。


 その間にも早紀子は容赦なくショットガンを連発する。撃ち出された散弾は、空中ではじけて分裂すると、恵のすぐ側の木々に、次々と蜂の巣のような細かな穴を無数に作り出した。
 まずい!このままではやられる。
 恵は弾の切れたトカレフに弾を詰め込もうとするが、全力疾走しながらの作業はなかなか上手く行かない。
 そんな恵の焦りに追い討ちをかけるがごとく、早紀子はまだまだと弾丸を放つ。そのうち一発の弾が恵の顔の側を通過し、頬がいやに重圧のかかった風を感じた。
 危なかった。もう少しで頭を撃ち抜かれる所だった。
 早紀子の方も、全力疾走で追いかけながらの狙撃に苦戦しているのだろうか。それとも無数に立ちはだかる木々を避けるために、小刻みなジグザグ走行をする恵に、なかなか照準が合わせづらいのだろうか。とにかくなかなか恵には命中しなかった。
 とりあえず頭と下半身以外を撃たれた場合は大丈夫だ。防弾チョッキの効果は、恵が明を撃ったことによって、皮肉にも証明済みだったからだ。そのおかげで多少はショットガンによる恐怖は軽減されていたのであろう。恵は何度も耳に入ってくる銃声に怯むことなく、そのすばらしき快足を発揮し続けていた。
 そのせいか、既に恵と早紀子の間の距離は、かなり開いていた。もう一息で早紀子の追跡を免れることが出来るであろう。恵の中に、徐々に安堵の思いが広がっていった。
 だがその時だった。また立て続けにドンドンと銃声が聞こえたかと思った瞬間、突然恵は背中にとてつもない痛みを感じた。どうやら銃弾の内一発、いやその一発が分散して細かくなったものが恵の背中に命中したようだった。弾の貫通は防弾チョッキが防いでくれたが、痛みだけはどうすることもできなかったようだ。それでも万が一防弾チョッキを着ていなかったら、これが致命傷になっていたであろう。
 恵はそれでも痛みに耐えながら、今まで通りに逃走を続けた。このまま追いつかれては、いずれ防弾チョッキの効果が届かない身体の部分もやられるだろう。その瞬間が恵、及び明と千春の最後でもあるのだ。なので三人の生命を背負っている恵はこんな所で死ぬわけにはいかなかったのだ。
 恵は自分の限界を超えているスピードで駆けた。そうなると、もはや早紀子に追いつける要素はなかった。
 これだけの距離が離れてしまえば、早紀子の狙撃が命中する確率は相当低い。それに早紀子の体力も限界であるはずだ。
 そんな恵の予想通り、気がつけば後方に早紀子の姿は見えなくなっていた。そう、何とか逃げ切ることが出来たのだ。
 恵は早紀子に撃たれた背中に目をやる。転校生であった恵が三年のはじめに購入した、クラスの誰の物よりも新しいセーラー服に、散弾が貫通した数十もの穴が開けられていた。もはや制服としては使い物にならないだろう。それでも命が助かっただけでも幸運であった。
 それよりも今は目的地の集落へと向かうことが大事だ。早紀子に目的地の方角がバレてはいけないと思った恵は、あえて少し違う方角へと逃げたのだ。これも冷静であった恵だから出来た判断だったのであろう。
 とにかく今はその目的地まで移動することが優先である。まだまだ時間に余裕はあるが、それでも少しずつ時限式起爆装置の発動時間は迫ってきている。のんびりとしている余裕はない。それに早く移動しなければ、またあの早紀子に追いつかれる恐れもあるのだ。
 多少違う方角に逃走したとはいっても、この場所からなら目的地はさほど遠くはない。すぐに到着できるであろう。
 恵は少々感じる背中の痛みに耐えながら、また目的地へと向かった。
 自分の帰りを待つ二名の同士のためにも。



【残り 15人】



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