72 恵は溜りに溜まった疑問に耐え切れず、明に聞かずにはいられなかった。 『いったいどういう事なのかそろそろ説明しなさいよ』 すばやく打ち込んだ携帯電話の画面を明に向ける。すると明は恵よりも倍は早い打ち込みで返す。 『君たち二人は、この島の外の人たちと連絡を取る手段は無いと思っているか?』 この明の質問には恵はおろか、隣で明が打ち込んだ文章を読んでいた千春も首をひねった。当然である。この島の周囲の電話局をすべてを政府に押さえられている現在、外部との連絡など取れるはずが無い。つまり明の質問への回答はNOと決まっているのだ。それなのに明は何故わざわざこんなことを聞いてきたのか、それが恵たちには理解ができなかった。 そんな恵たちの反応を見た明はクスッと笑ったかと思うと、再び携帯電話の文字打ち込みを開始する。 『トランシーバーって知ってるか?』 読んだ恵もすぐに返す。 『馬鹿にしないで。それぐらい知ってるわよ。だけどそれがどうしたって言うの?』 『今俺達は電話をかけることができない。それは自分と相手の間の中継地点である電話局が政府に押さえられているからだ。ところがだ、トランシーバーという物は自分と相手との間に何も無いが、それでも相手にきちんと声を届けることが出来る。つまり途中で中継点を切断される恐れの無いという点では、電話よりトランシーバーの方が優れているとも考えられるんだ』 明の返答を読むが、意図がよく掴めない恵はさらに首をひねるばかりであった。しかし明は続けた。 『まあつまりだ。電話が使えないんだったら、そのトランシーバーのように、電話局を経由しないでも外部と連絡を取る方法を自分たちで作ってしまえば良いってことさ。政府の奴等も、まさか中学生がそんなことをするなんて考えてもいないだろうから、おそらくこの島の周りに妨害電波を放っているなんてこともないだろうしね』 恵は驚いた。 まさか、本当にそんな事が出来るとでも言うのか? しかし恵はまだ納得ができなかった。 『ちょっと待ってよ。トランシーバーってそんなに遠くの人とは交信できないんでしょ? この島から本州までは、たぶん相当な距離が離れているだろうし、もし連絡手段を自分たちで作ろうとしても、そんな距離まで電波が届かないんじゃない?』 『大丈夫。その問題もすでに解決済みさ』 すると明は先ほど茂みから引っ張り出してきた、奇妙な装置を指差した。 『この機械が外部との連絡を取る最終手段さ。つい二時間ほど前にやっと完成させた。 確かに距離の問題は少々あったけど、要するに“電波が届くように”作れば良いんだ。まあこの程度ならある程度機械に知識のある奴なら作れるんじゃないか? 本当はトランシーバーみたいに声で連絡を取る装置を作りたかったんだけど、さすがにそこまで精巧な物を作る時間はなかったから、仕方なく俺はこの手段を選んだんだ』 明は装置へ手を伸ばしたかと思うと、装置の側面にある小さな出っ張りを数回押した。どうやらボタンのようなものがあるらしい。 明はボタンを短く三回押したかと思えば、今度は少し長めに三回、最後にまた短く三回、合計で九回押した。それを見ていた恵と千春は、明がいったい何をしているのか分からなかった。 明がボタンを押してから数秒後、突如謎の装置から、高い機械音が鳴り出した。しかしその音は大変小さく、耳を澄ましていないと聞き逃してしまいそうなくらいの音であった。 「ピ、ピ、ピ、ピー、ピー、ピー、ピ、ピ、ピ」と九回鳴った。 『これはモールス信号さ』 明はまたしても携帯電話に打ち込んで見せた。 『今俺が送った文字は三つ。短い音が三回で“S” 長い音が三回で“O” そして最後にまた“S” つまり“SOS”という言葉を送ったんだ。そして今それに反応して、相手も同じ言葉を返してきてくれたってわけだ。俺はこのモールス信号で、すでに一時間以上前から外部と交信を続けている。そしてこの島からの脱出計画を進めていたんだ』 この姫沢明という男、こんな何も無いに等しい島の中で、寄せ集めの材料だけでこんな通信手段を手作りで作ってしまったというのか。 恵はまたしても呆気にとられた。 しかしまた新たな疑問が浮かんだ。恵はすぐさまそれを明に問い掛ける。もはや完全に明の計画に興味津々だった。 『確かにその通信手段は驚いたわ。でもいったい誰と交信しているって言うの?』 恵がその文章を打ち込み終わり、明に見せたと同時に、携帯電話を持っていなかったのか、千春がノートの切れ端かなにかにペンで書き込んだ文章を明に見せた。 『本当に島の外の誰かと連絡をとることが出来たとしても、それでどうして脱出方法を考えることが出来るって言うの?』 二人に同時に質問されながらも、明は全く焦ることなく冷静に返した。 『トロイって知ってるか?』 恵は明の返した言葉の意図がまたしても分からなかったが、とりあえず考え付くことを返した。 『あのギリシャ神話に出てくる国のこと?』 『そう、あの有名なトロイ戦争で滅びたといわれているトロイだ』 恵は昔本で読んだことがあった。 その昔、トロイの若き王子パリスが、ギリシャのスパルタ王の娘、ヘレネと共にトロイの国へと駆け落ちしてしまった。そのことにスパルタ王が怒り、ついにギリシャとトロイの間で戦争が起こった。 ギリシャはトロイの国へと攻め込んだが、なかなかトロイの城を落とすことができなかった。そこでギリシャ側はとある作戦を実行した。それはギリシャの兵を内部に仕込んだ、大きな木馬をトロイへ送るというものであった。 トロイ側は木馬を受け取ると、ギリシャが降伏したと思い込み、喜んでギリシャの贈り物である木馬を城内に引き込んだのだ。するとその夜、闇に紛れて木馬から次々と出てきた兵士が内側からトロイの城門を開き、もう去ったと思われていたギリシャ兵達がトロイの城になだれ込み、火を放ったのだ。 ギリシャの木馬の作戦にまんまとはめられたトロイは、それを最後に滅んだ。 たしかこんな話だったはずだ。トロイ側もまさか自分たちの城に引き込んだ木馬の中に敵の兵が潜んでいたなんて思ってもいなかったであろう。そう考えると何とも恐ろしい話であるようにも思える。 しかしこの話とさっきの私たちの質問にどんなつながりがあるって言うのだろうか? 恵はさっきから疑問を抱いてばかりいる自分の頭が疲れだしているように感じた。 『だが俺が言っているトロイはちょっと違う。 今この大東亜共和国は根から葉まですべてが腐っている。それはきっと多くの国民が思っている事だろう。すると当然、その国を治めている政府へ反発を抱く者が現れる。実はこの国にはそう言った人間が集まった“反政府組織”が存在するんだ。知っていたか?』 明が突然言い出した、その今まで聞いたことも無いような話に恵は驚いた。 反政府組織…そんなものが存在していたなんて…。 明は驚きを隠せないでいる恵と千春の反応にはさほど気にせず、再び文章を打ち込む。 『その反政府組織っていうのがなかなか良く出来た組織でね、あまりにも巧妙に活動しているため、政府の人間にはその存在すら知られていないんだ。それもそのはずさ。なんせその反政府組織の人間が何十人も政府の人間の中に紛れているんだ。そしてその人たちが政府の機密情報などを得て、それを裏から組織に伝え、それに合わせて組織も動く。だから絶対に見つかることが無いんだ。 まあ政府の人間も知ったら驚くだろうな。まさか隣の椅子に座っている人間が反政府組織の人間だなんて思ってもいないだろうからな。 とにかく上手く敵の陣地に潜り込んで、そこから敵陣を攻めようとするこの組織の活動の仕方が、あまりにもトロイの木馬作戦と酷似していることから、そこからもじってこの組織は通称“トロイ”と呼ばれるようになったんだ。』 明の打ち込む文章を読めば読むほど恵は気が遠くなっていく思いだった。今まで自分の頭の中に形成されていた情報の数々が裏返されたのだ。そうなるのも無理はなかった。 『そして実は俺の親父もこの反政府組織トロイに属しているんだ。そして数年前まで組織はこの共和国戦闘実験第六十八番プログラムの仕組みなんかも調べていたらしいんだ。そこで俺は考えた。もしかしたら親父ならこのプログラムからの脱出方法を知っているかもしれないってね。俺は急いでこの遠距離通信型モールス信号機を制作し、親父と連絡を取ってみた。そうしたら案の定だった。組織は数年前にこのプログラムからの脱出方法を解明していたんだ』 明が少し興奮気味で打ち込んだ文章も、もはや恵は夢なのか現実なのか判断することができなかった。 『そして一時間の通信でここまで解明することが出来たんだ。見てくれ』 明はデイパックの中から何かを取りだそうと探りはじめた。 「ねえ佐藤さん。姫沢っていったい何者なの?」 四月に転校してきたばかりで、明の事をあまり知らない恵は、側の千春に小声で聞いた。常識では考えられないような明の行動に、恵はもう聞かずにはいられなかったのだ。 「すごく頭の良い人よ。今まで定期試験でも学年一位しかとったことがないのよ」 恵は思い出した。それは恵がこちらの学校に転校してから一度だけ行われた定期試験。その順位表が廊下に張り出されていたとき恵は確かに見ていた。表のてっぺんに『第一位 姫沢明』と表記されていたことを。 「みんな彼をこう呼ぶの…天才青年姫沢明」 千春の視線もどこか遠くを見ているようだった。 【残り 15人】 トップへ戻る BRトップへ戻る 71へ戻る 73へ進む |
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