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 敵だ。
 氷川恵(女子18番)は遥か前方に自分以外の生徒が潜んでいるのを確認した。
 ここは深い森の中。視界は悪く、こちらが大きな音でも立てない限りはこちらの存在がバレる事などはないだろう。
 元々少し細めである目をさらに細め、ゆっくりと敵に向かって接近する恵。その細い目は少々たれ目ぎみであったが、鋭い眼光のためか、それがまたいっそう相手に気迫を与えるであろう外見にさせていた。しかしそれがまた彼女の顔には妙にマッチしており、顔全体のバランスが上手くとれているようだった。
 そんな恵に支給された武器は『トカレフ』。拳銃の一つなのだが、彼女に支給されてこの銃には“特別付録”が付いていた。その特別付録とは『サイレンサー(消音機)』であった。つまりこれを銃に装着することによって、銃を撃ったときの火薬が破裂する音を抑えることが出来るのである。要するに何処で銃を撃ったとしても、その銃声を聞きつけて敵がその場に押し寄せてくるという心配が無いのだ。
 これを手にしたとき、彼女はとてつもなく恐ろしい考えを頭の中に巡らせた。
 これで安心して殺しが出来る。
 恵はクラスメートの死など何とも思ってはいなかった。それには理由があった。
 実は恵は最初から飯峰中の生徒だった訳ではなかったのだ。彼女は三年の一学期に兵庫県から引っ越してきた転校生だったのだ。つまり彼女が今のクラスに入ってから、まだ三ヶ月と少ししか経過していないのである。
 となると彼女がクラスメートの死に平気でいられるわけにも説明が付く。
 今のクラスの中で3ヶ月程度しか生活していない恵には、まだそこまで深い仲にまでなった友人は存在していないのだ。もちろんそれなりに仲良くしている子も何人かいたが、それも恵にとってはどうでも良い存在だったのかもしれない。現に今現在女子は七人を残し、それ以外の十六人は既に死亡しているというのに(このとき恵はまだ倉田麻夜と時任乙葉の死亡は知らなかった)、恵は涙を流すことすらなかった。
 もちろん男子の死などには全く関心すら持っていなかった。
 そんなクラスメートたちの命より、恵は自らの命を重視していた。今のどうでも良いようなクラスメート達より、一、二年のときに一緒に過ごしてきた兵庫県の友人たちに会いたい恵は、こんな所で死ぬわけにはいかなかったのだ。だから恵は冷酷非道になることを選んだ。
 目の前の敵は自らこの手で始末してやる。
 恵はサイレンサーを装着したトカレフを握り締めた。
 恵が一歩一歩近づいて行くが、前方の敵は全くその存在には気づいていないようだった。ただ地面にしゃがみこみ、まるで夜が過ぎるのを待っているかのように微動だにしない。
 相手の正体が誰なのかはここからはよく見えない。しかし相手が誰だろうと関係ない。射程距離まで近づいたら、迷うことなく撃ってやる。
 恵はそう決めていた。しかしヘマをやらかしてしまった。
 パキッ
 気をつけてはいたのだが、ついうっかり枝を踏んでしまった。その枝の折れる音にさすがに気づいた前方の敵は「だれ!?」と叫んだ。恵はその声で敵の正体を
佐藤千春(女子7番)だと認識した。
 千春とは転校以来、一度すら口をきいたことも無い。つまり恵にとってクラスメートの中でもさらにどうでも良い存在であったといえよう。それに千春は少々ずる賢い所があると聞いたことがある。放っておいても恵にとってデメリットはあってもメリットなどは無いだろう。この場で始末することに決定である。
「氷川さん?」
 千春が相手の正体を恵だと認識したようだ。恵よりもさらに小さい目を見開かせながら千春は恵にゆっくりと近づいてこようとする。
「よかった。私一人でずっと恐かったの。ねえ、氷川さんなら大丈夫よね? 私と一緒にいてくれるよね?」
 その千春の台詞を聞いた恵にむしずが走った。
 なにが「氷川さんなら大丈夫よね」よ。私とあなたが仲良くしたことなど一度も無いわ。それだというのになれなれしい。はんっ、アンタの考えていることなんてお見通しよ。そう言って私に近づいて、この銃を奪い取るつもりなんでしょ。そんな手には私は引っかかったりしないわよ。
 恵はまだ安心した表情で近づいてこようとしている千春に向かい、構わずトカレフの銃口を向けた。すると驚いた千春の表情が歪んだ。
「な、なにをするの氷川さん!?」
 驚いた表情で千春が恵に問い掛ける。恵は構わず言った。
「アンタをこの場で殺すのよ。生かしていても良いことなんてなさそうだしね」
 その声はものすごく冷酷であった。恵自身もそう気づいていたが、それに関しては何とも思わなかった。そう、恵は完全に殺人マシーンへと変貌していたのだ。
「ま、待ってよ! 私は氷川さんを殺したりなんかしないわ! ねえ、仲良くしようよ!」
 必死に命乞いをするその千春の声も、もはや雑音にしか聞こえなかった。
 そしてついに、恵は銃口を千春に向けたトカレフの引き金を絞った。
 ガシャン
 サイレンサーの装着されたトカレフからは、銃を発砲したとは思えないほど、火薬の破裂音は全く聞こえては来なかった。しかし銃を撃った衝撃はサイレンサーでは抑えることはできない。銃を初めて撃った恵は衝撃でふんぞり返りそうになった。
 撃ち出された銃弾はまっすぐに千春に向かっていった。そしてそれは軌道から考えて、千春の胸部を撃ち抜くはずだった。しかし恵も千春も予想すらしなかった出来事が起きた。
 千春の脇から突如人影が飛び出したかと思えば、その人影が千春に向かう銃弾の軌道上に立ちはだかったのだ。
 その正体が誰なのかを確認する間もなく、撃ち放たれたトカレフの銃弾は突如飛び出してきた人影の胸部に命中したのだ。
 胸部に銃弾を受けた人影はその場に倒れ込んだ。
 恵がその人物を見ると、その正体は
姫沢明(男子20番)であった。
 男子生徒の中では、おそらく須王拓磨の次に長いであろう長髪と、ピンクがかった細めのレンズの眼鏡を装着しているその出で立ちは、まるでどこかの音楽プロデューサーを思わせた。
 恵は驚いた。
 自分の身を投げ出してまで、なぜ千春を助けようとしたのか訳が分からなかった。
 恵が撃ち出した銃弾は明の左胸の辺り、まさに心臓があるべき場所に直撃していた。まず生きてはいないであろう。そう、恵は本当に人を殺したのだ。
 このクラスの人間を殺すことなどなんとも無いと思っていた恵であったが、実際にそれが現実となると、なぜかいい気はしなかった。当然だろう。常人が殺人を犯して平然としていられるはずがないのだ。つまりそういう意味で恵はまだ常人の域を脱してはいなかったと言える。
 しかし恵は止まらなかった。まだ目の前には殺し損ねた敵、千春が怯えながら立っているのだ。彼女も殺さなくては自分が生き延びる事などは出来ない。
「や、やめて!!」
 再び銃を構えた恵を見て、またしても命乞いを始める千春。しかし恵は止まらない。
 恵は今度こそ千春を確実に始末するため、銃口を向けたまま千春の方に歩みだした。距離をつめてから発砲するつもりなのだ。
 すると千春は後ずさりを始める。しかし背を向けることを恐れているのか、走り出したりなどはしなかった。
 人間が山で熊に遭遇した時、背を見せて逃げるよりも、相手のほうに顔を向けたまま少しずつ後ずさる方が効果的というが、このときの千春はまさにこれと同じであった。
 恵は構わず千春に向かう。途中、明が倒れている側を通過しようとした。そのときであった。
 倒れていた明が突如起き上がったのだ。そして同時に恵に飛び掛ってきた。
 明が死んだと思い込んでいた恵はこれには本当に驚いた。
 生ける屍…ゾンビ?
 恵の頭の中に突如こんな言葉が浮かんだ。心臓を撃たれたのに起き上がる明を見て、そうとしか思えなかったのだ。
 飛び掛ってきた明に向かい、再び銃口を向ける恵。しかしその手を明に押さえられる。
 明はさらにその銃を奪おうとした。
 恵は焦った。この銃を奪われてしまえば、自分の命がこの場で尽きるのは明白であったからだ。なんせ恵は明に向かい、一度銃を発砲したのだ。そんな恵を明が見逃すはずなど無いと思った。
 恵は必死でトカレフを握り締める。しかしそれは無駄に終わった。もみあいの末、明に銃を奪われてしまったのだ。
 終わった…。
 恵が明の方を見ると、明は奪ったばかりの銃を恵へと向けていたのだ。恵は自分の死を覚悟した。
「撃つなら撃ちなよ」
 恵は投げやりに言い放った。すると明は薄く微笑むと意外な言葉を返してきた。
「俺は君を殺す気なんて無いさ。ただ君がこの銃を持ったままでいるのはちょっと危険に思ったから奪い取っただけだよ」
 恵は銃を撃たないと言う明の言葉に多少意外に思った。
「何言ってるの? アンタは私に一度撃たれたのよ。この場で殺しておかないと危険だと思わないの?」
 だが明は恵のその台詞には答えず、ポケットから何かを取り出した。それは携帯電話だった。それを見た恵はさらに訳が分からなかった。
 何? どこかに電話でもかけるとでも言うの? バカじゃない? 電話は使えないって、あの榊原とかいうジジイが言ってたじゃない。
 恵のその思いをよそに、明は携帯電話のボタンをプッシュしだした。その動きを見て恵は気づいた。どうやらこの男、電話をかけているわけではなく、なにか文字を打ちこんでいるようだった。
 そうとう使い慣れているのか、その文字の打ち込みは、そこらの女子高生よりも早いであろうというくらいのスピードであった。
 文字を打ち込み終えた明は、その携帯電話のディスプレイを恵に見えるように顔に近づけてきた。まだ銃口が恵の方へ向いたままだったので、しかたなくその文章を読んだ。
『いいか。俺達に付けられているこの首輪、実は盗聴器が内蔵されてるんだ。つまり俺たちの会話はすべて、あの榊原とかいう教官に聞かれてるんだよ。というわけでこれからは盗聴されるのを防ぐために声ではなく文字で会話するんだ。いいな?』
 恵は自分もポケットから携帯電話を取り出し、今の明と同様に文字を打ち始めた。
『どういうことか分からないわ。たしかに盗聴されているっていう話には驚いたけど、いったい何を聞かれて困るっていうの?』
 すると明、
『絶対聞かれたら困る話があるんだよ』
『何よ。聞かれたら困る話って?』
 恵は目の前にいる相手と文字で会話をするということに多少苛立ちを感じていた。しかし次の明の打った文章を読んだ時、さすがに驚かずにはいられなかった。
『脱出プラン』
 そう一言だけ書かれていた。



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