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「はっ!はっ!」
 床一面に畳が敷かれた館内には生徒達の掛け声がこだましていた。
 ここはとある空手道場。館内の広さは通常の学校の体育館と同じくらいの広さといったところだろうか。唯一学校の体育館よりは天井は低いが、それは生徒達の動きを妨げることなどはなかった。
 道場の真ん中では、中学校の2、3年生及び、1年生の中の有力選手が組み手の実戦練習を行っており、端の方ではそれ以外の一年生が掛け声とともに、ひたすら拳を何度も自分の前に突き出すことを繰り返していた。
 またその全員が男子というわけではない。人数の比率は圧倒的に少ないが、男子に混じって何パーセントか女子もいる。彼女たちも毎日男子と差別無く、全く同じメニューをこなしているのだ。
「よぉーし。本日の練習はこれまで!」
 道場のど真ん中に仁王立ちしている、一見ちょっといかつい顔をした館長が大声で言った。
「オスッ!有り難うございました!」
 一対一の実践練習をしていた生徒達がその場で全員きちんと起立したかと思えば、皆が同時に頭を深く下げた。あまりにも全員のタイミングが合っているその様は、まるで軍隊の中の光景を思わせたほどだ。

 当時中学の1年生であった剣崎大樹は、自分の荷物を整理し、帰り支度をすでにほとんど整えていた。だがそんな大樹を館長が呼び止める。
「おい剣崎」
 館長が手招きする姿を見た大樹はすぐそちらへ向かった。
「何ですか?館長」
「最近のお前はかなり好調だな」
「ありがとうございます」
「それでだな。3ヶ月後の大会にお前の名前を登録しようと思ってるんだ」
「本当ですか!」
 大樹は幸喜の声を挙げた。なぜならこの大会、実力を認められた者以外の参加は許されないばかりか、それぞれの道場の主力選手数人しか出場することができないという、いわば中学生空手界の大会の中では、まさに頂点に君臨する大会といっても良いほどのものなのだ。そんな大会のレギュラーに選ばれたとあっては、多少クールな所がある大樹でさえも喜ばずにはいられなかった。
「ああ本当だ。そこで一応聞いておくが、お前はこの大会に参加したいか?」
 館長のこの質問への回答は当然決まっていた。
「もちろん参加したいです」
「そうか。ならば数日中にエントリーしておく。お前には本当に期待しているんだ。大会までの3ヶ月、今まで以上に気を引き締めて練習するんだぞ」
「はい!有り難うございます!」
 大樹の威勢の良い返事を聞くと、館長はニヤッと笑いその場を去っていった。大樹はその後ろでついガッツポーズを取ってしまっていた。

「ふーん。アンタも選ばれたんだ」
 帰り道の途中、大樹の話を聞いた、道場に通う女子の一人、新城忍が言った。
「実は私も選ばれたんだ」
 その大会は男子の部と女子の部に別れており、当然女である忍は女子の部のレギュラーに加えられたのだ。
「本当か!良かったじゃないか!」
 大樹は心から祝福した。そんな大樹を見、忍はクスッと笑って言った。
「お互いがんばろうね」
「ああ、絶対に優勝してやる」
 大樹のその言葉には強い決意が込められていた。


 大会当日。大樹はこれまでに感じた事のないほどの緊張感に襲われた。当然だった。道場でいくらその強さを示してきた大樹とはいっても、実際に公式戦に出場する事は初の試みなのだ。
 この3ヶ月、大会に向けて以前よりもさらにハードな練習を続けてきたが、果たしてそれだけで勝利をものにする事は出来るのであろうか。
 大樹の試合は今、会場の真ん中で行われている試合が終わり次第始まる。要するにこの次の試合なのである。
 時間が進むにつれ、大樹の緊張感がさらに高まってきた。
 会場の端に、ちょうど大樹と対峙する場所に立つ一人の選手。どうやら彼が大樹の最初の相手らしい。見たところ体格は大樹とほとんど同じといったところだが、筋肉の締まりも良さそうで、かなりの実力者であるように感じた。それを見て道場の人間以外との試合経験のない大樹は少し気疲れを感じた。
「おぉぉぉぉぉぉ!!」
 会場内に観客の歓声が響いた。大樹はふと会場の端で行われている試合に目を向けた。どうやらその試合の決着が付いたようだ。それは忍の試合だった。
 忍と対峙しているどこかの道場の、忍よりも一回り体格の大きい女子。あれが忍の対戦相手だったのだろう。
 2人は互いに頭を深く下げ控え席へと戻っていこうとした。その途中、忍は何かに気がついたのか、突如大樹の方へ駆けてきた。忍は大樹の側に来て言った。
「私は勝ったよ」
 どうやら今の試合は忍が勝ったようだ。さすがだ。試合は見ていなかったが、自分よりも一回り体格の良い選手に勝てた忍は本当にすごいと思った。
「さすがだな。おめでとう」
「次、アンタの試合なんでしょ」
「ああ」
 大樹の声が多少勢いをなくしていた。忍は長年の付き合いもあり、すぐにそれに気がついた。
「な〜に柄にも無く緊張してんのさ。さあ、がんばってこい!」
 そう言って背中をドンと押した。

 試合時間はすぐにやってきた。
 大樹と相手はお互いにその場で深く頭を下げ、すぐに位置についた。お互いに目を合わせる2人。
 強い。
 大樹は長年の勘で、すぐに相手の力量を把握した。
 はたして俺の力で勝てるだろうか。
 試合はすぐに始められた。そして緊張の為か、大樹にはその後の記憶が無かった…。


「退いてくれ!」
 担架を持った2人組の男が会場内に駆け込んできた。倒れた選手の周りを取り囲んでいた野次馬たちも、さすがにこれには退かざるをえなかった。しかしこの騒ぎの当事者であった大樹はその場から全く動こうとはしなかった。
 大樹の足元に倒れている一人の選手。ついさっきまで大樹と試合を行っていた対戦相手だ。それはぴくりとも動く気配が無かった。


 大樹は事態を把握しようと自分の記憶を探るが、どうしたことか思い当たる事が何一つなかった。というよりもまるで消し飛んでしまったかのように、ついさっきまで行われていた試合の記憶そのものが無かったのだ。そんな大樹に事態を正確に把握することなど出来るはずが無かった。
 だが倒れた選手を見て分かったことがあった。その選手の首がありえない方向に曲がっているのだ。これが意味することは一つしかない。
 死だ。
「この人ですか!!」
 倒れた選手の元に駆けつけた2人組の男、救急隊員は側の野次馬に聞く。
 野次馬の一人が「そうです」と言うのを聞くと、すぐさま選手の身体を担架に乗せ、疾風のごとく会場を飛び出して行った。しかしあの選手が助かることはないだろうと、それを見守っていた誰もが思っていた。
 その後すぐに会場の外で救急車のサイレンの音が遠ざかっていくのが聞こえた。
 俺が殺したのか!?
 試合中の記憶がすべて吹き飛んでしまっている状態の大樹は頭を抱えた。訳が分からなかった。
 自分は緊張しながら試合に臨み、気が付くと目の前にあの選手が倒れていた。
 思い出せるのはこれだけだった。
「剣崎、気にするな。お前は悪くない! あれは事故だ! お前の技は正確に決まっていた! あれは頭から倒れた相手側の過失だよ!」
 大樹の側にいた道場の館長が元気付けるように言った。しかし当然だが大樹が落ち着きを取り戻せることなど無かった。

 この大東亜という国は、こんな所でも異常な部分を見せた。一人の死者が出たのにも関わらず、この後の試合も、まるで何事も無かったかのように正常に行われたのだ。もちろん一回戦の勝者である大樹は二回戦進出であり、その試合も差し支えなく行われたのだ。
 だが精神状態が不安定になっていた大樹がその試合で勝てるはずが無かった。
 試合前に精神的にほとんど死人状態になってしまっていた大樹は、その実力を発揮することなくあっさりと敗退した。



「というわけだ」
 大樹のその話に雅史はただ呆然とするしかなかった。
 まさか…剣崎が過去に人を死なせていたなんて…。
 しかし雅史にはまだ分からなかった。その話は確かに雅史に衝撃を与えたが、それの何処が、大樹に殺人を平気に行えるようにさせた出来事なのかという説明が不足していたからだ。
 その雅史の疑問を感じ取ったのか、雅史が聞くよりも早く大樹が話しはじめた。
「しかし俺は次の年、再びこの大会に参加した。忌まわしい過去を封印してだ。すると俺は見事にその大会の頂点に立つことが出来た。つまり優勝したってことだな。
そう、俺は気づいたんだ。人の一人や二人死なせたことをいちいち気にしていたら、本来の実力を発揮できるはずが無い。だから俺は決めた。
いくら人を死なせようが構わない。すべては自分が勝つための通過点にすぎん。その通過点を遮る者がいたら構わず葬ってやるくらいの勢いで戦ってやるんだと」
 大樹は力強く言いきった。
 雅史はやっとすべてを理解することが出来た。だが納得ができなかった。
 確かに大樹の言っていることは間違っていないかもしれない。しかしそれが本当に良い回答であるとも思えなかったのだ。
 いったい何が正しい考え方なのか?
 雅史は頭が痛くなる思いだった。
 突然大樹が立ち上がった。
「これだけ待っても帰ってこないんだ。おそらくこれ以上忍を待っていても無駄だろう。仕方ない。俺達から探しに行くぞ」
 大樹は急に話題を切り替えたかと思うと、雅史を待つこともなく自分の荷物だけを持ってさっさと歩きはじめた。
 雅史もすぐさま立ち上がり、荷物を持って大樹の後を追うように歩きはじめた。しかし雅史の頭の中はもはや正常に働いておらず、なぜ大樹に着いて行こうとしているのか分からなかった。
 大樹と雅史の間はかなり離れていたが、雅史はその距離を保ったまま着いて行った。



【残り 16人】



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