022
−暁の空に響く戦慄(1)−

 けっして眠っていたわけではない。しかし、極限状態の中で精神的に疲労が溜まりつつあり、さらに暗闇に視野を狭められていたこともあってか、時々意識が遠のく瞬間は確かにあった。
 小さい頃に口ずさんでいた歌についての記憶が、頭の中に蘇ってきたのは、そんな一時の無意識な中でのことだった。まるで夢でも見ていたかのように、当時の光景が映像として頭の中に鮮明に浮かんだ。
 なぜこのタイミングで、そのような記憶が呼び起こされたのだろうか。
 沖田秀之(男子四番)は、この烙焔島に足を踏み入れて以来、なんとも形容し難い不思議な感覚にとらわれていた。
 島の名前は聞いたことがなく、海岸から山の中まで歩いてきた中に見覚えのある景色もなかった。ここに来たのは初めてのはず。なのに、郷愁というかノスタルジーというか、どこか懐かしいような気分に囚われていた。
 この島のどこが、秀之にそのような感覚を抱かせたのかは分からない。この島特有の自然の香り、あるいは気候なのか、僅かに残る故郷の記憶と何かが重なったのだろうか。
 いずれにしろ、そのあやふやな懐かしさが、秀之に歌のことを思い出させたのかもしれなかった。

――アカイハナを見たらお家に帰ろう。カイブツ達が出る前に。

 秀之は歌詞を頭に思い浮かべながら、何気なく周囲を見渡すが、植物だらけの風景の中に、赤い色をした花は見当たらない。
 なぜだか分からないが、少しほっとした。
 時刻はもうじき朝の六時。真上で吹き抜けになっている木々の隙間から、光を帯び始めた東の空がぼんやりと覗き、ただ暗かっただけの景色に色味が感じられるようになってきている。
 視野も大きく広がった。ほんの少し前までは認識できなかった景色の細部から離れたところまで、今ならしっかりと見ることができる。
 太い木の幹に巻きついて伸びる植物の蔦。岩の表面に薄く張り付いた緑色の苔。木の葉の表面に浮かんだ無数のごく小さな水滴。
 人の手が全く加わっていない未開拓な大自然の光景は、町で常に人に囲まれて生活していた秀之にとってどこか非現実的で、自分は本当にプログラムに巻き込まれたのだと、改めて思い知らされた。
 非現実的といえば、もう一つ。
 今、秀之の隣には一人の少女が、後ろ手に縛られた状態で座っている。
 黒いミディアムショートをカチューシャで押さえているヘアースタイルが特徴的なその少女は、森下藍子(女子二十番)。どうやら以前から秀之に対して好意を抱いていたようで、プログラムの最中だというのに、時と場所を考えもしないで告白をしてきた、なかなかクレイジーな人物だ。
 元より藍子のことを、性質こそ未だ不明だが『警戒レベル』として用心していた秀之は、彼女の言動から異常性を垣間見たような気がして、緊張感を高めないわけにはいかなかった。
 告白に対して即座にOKを出すことはできないと伝えた秀之だったが、藍子はそれでも「一緒にいたい」と訴えてきた。当然これも見返りもなしに受け入れられる話ではない。
 なのに、なぜ二人は今一緒にいるのか。これはもちろん、藍子と行動することには利点があると、秀之が考えたからに過ぎない。
 十徳ナイフというハズレ武器を引いてしまった秀之は、生き延びる為にどうにかして強力な武器を手にする必要があった。そこで注目したのが藍子に支給されていた“銃”だった。
 おそらく銃火器の類は、プログラム中に支給される武器の中では当たりに属すると思われる。それが手間なしに入手できるのなら、多少の条件を飲むのも仕方がないと考えたのだった。
 銃が欲しかった秀之と、一緒にいたいという藍子の利害が一致したことにより、藍子の銃は秀之に渡り、藍子は秀之と共に行動することを許された。
 双方に利益があって円満に取引が成立していると、傍目からも見えることだろう。ところが、ここで秀之の言葉がとても巧みだった。一対一として成り立っていたレートを、まるで藍子の方に大きな利益があるように錯覚させたのだ。
 銃を手にした秀之は恩着せがましくこう言った。「俺がお前を守る」と。
 するとどうだろう。武器を奪われたはずの藍子だが不思議なことに、秀之に守ってもらえる、というこれ以上ない特典を手にしたかのようになっている。
 実際のところ秀之にとって、自分以外の誰かを守ることなんて二の次なのだが、秀之に盲信している藍子の頭にそんな疑いは当然ない。
 まんまと相手にお得感を与えることに成功した秀之は、調子に乗ってさらにもう一つ注文をつけた。それが、藍子の両手を縛ることだった。
 いくら秀之のことを盲信している相手とはいえ、本質が見えない藍子という人物を傍で自由にさせているのは怖い。何かをきっかけに豹変して寝首を掻かれる、なんてことが起こらないとは限らないからだ。
 とはいえ、危険と隣り合わせの殺し合いゲームの最中に、そんな話を素直に受け入れる人物なんて普通はいないだろう。しかし先の取引レートの錯覚もあってか、あるいはただ秀之と一緒にいられることに浮かれていたからか、馬鹿な藍子はそれをあっさりと承諾してしまった。
 危険視している相手の自由を奪いつつ武器を得る。まさに秀之の思う壷であった。
 だが思いのままに事が進んでいたのはここまでで、この後、予想もしなかった誤算に秀之は頭を抱えることになった。
 藍子から得た武器を改めて確認したところ、それは、銃器は銃器でも『信号銃』であることが発覚したのだ。発光弾を打ち上げることで自分たちの居場所を他者に向けて知らせることができる、いわゆる救難信号などに用いられたりする道具である。当然殺傷能力は望めず、身を守るために心強い武器とは言い難い。
 秀之はため息をつきながら、右手に握った信号銃をぼんやりと眺めた。
 明るくなってから改めて見てみれば、普通の銃ではないと一目瞭然だ。銃弾を発射するには口径が不自然に大きいし、作りがそもそも安っぽい。銃火器に詳しいわけではない秀之だが、それにしても何故こんなことにも気づけず、必死になって藍子と交渉していたのだろうか、と今更になってバカバカしく思えてきた。
 今の秀之は、腕を縛られた危険なお荷物を一人抱えてしまっただけの状態。
 こんなことなら武器のことなんて気にせず、とっとと藍子から逃げておけば良かった、と後悔。
 そんな秀之の憂鬱も知らず、当の藍子は眠そうにウトウトとしながら、幸せそうに秀之にもたれかかってきている。大げさに肩を揺らして、何度も振り払おうとしてみたものの、彼女は一瞬起き上がるだけで、すぐにまたこちらに戻ってきてしまう。
 まったく、いい気なものだ。こちらが神経を尖らせて周囲を警戒しているというのに、よくも隣で堂々と眠れるものである。
「おい、森下。森下」
 呼びかけつつ、身体を強く揺らす。
 すると藍子は「んぁ?」と間抜けな声を漏らしながら、閉じていた目をゆっくりと開いた。
「……ごめん、私寝てた?」
 涎がこぼれ落ちそうになっていた口元を慌てて拭いながら、未だ半開きのままの目を秀之に向ける彼女。
「いや、寝ててもいいんだけどさ。あまりもたれかかってこられると、お前の身体が邪魔して、いざという時すぐに動けないからさ」
「申し訳ない……」
 素直にそう答えると、藍子は上半身を直立させ、眠りに落ちないよう耐え始めた。木の根と石だらけでごつごつしている地面は嫌なのか、寝転がって眠るという考えは無いようだ。
「お前、見かけによらず図太い奴だな。普通この状況で、こんながっつり眠れやしないぞ」
「そうかなぁ」
「そうだって。いつ誰に襲われるかも分からないしさ。それに昨日、あんな色々と人が死ぬのを見たばっかりで……」
 秀之は話を途中で切って口をつぐんだ。そういえば、昨日船の中で死んだ面々の中に、藍子が仲良くしていた人間もいたのだ。思い出させて気持ちを沈められてしまっては面倒くさい。
 幸い、寝ぼけているせいか、藍子は秀之の話をとくに気にしている様子はなく、あくびをしながら頭を前後に揺らしていた。まだ眠気は完全に抜けていないようだった。
 地面からつき出している岩に腰掛けて楽にしているが、両腕を後ろで縛られて支えがないせいか、今にも豪快に倒れてしまいそうである。
「気をつけないと倒れるぞ」
 ふらつく藍子の肩を支えて揺れを止めようとした。
 そのとき、「ブツン」と電子機器の電源が入ったような音がどこかから聞こえ、数秒間の「ザザザ」といった雑音が響いた後、聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。
『あーあーあー、聞こえとりますー?』
 あまりに大きなボリュームに、秀之のみならず、意識が半分遠のいていたはずの藍子も一気に覚醒して、しきりに周囲を見回しだした。
 音の感じから、すぐ近くにスピーカーが設置されているのが分かるが、見える範囲には確認できない。
『すんません。ちょいと音がでかかったみたいやな』
 ボリュームが先程よりも下がって安定すると、自然と不快な雑音も収まった。
『失礼、それでは始めますよ。第一回目の放送ターイム!』
 TV番組のコーナータイトルを発表するかのようなテンションと、独特の関西イントネーションでの喋りは、エアートラックスの岡野のものに間違いなかった。どうやらルール説明時に話していた、六時間おきに行われる放送の第一回目が始まるようだ。つまり今はちょうど朝の六時というわけだ。
「沖田君、これって……」
「ああ、確か禁止エリアの発表があるとか言ってたな」
 今までの六時間は、島内のどこにいても大丈夫だったが、これから先は指定された区域が一時間ごとに順に立ち入り禁止になる。情報をしっかりメモしていなければ大変なことになるため、慌てて地図と筆記用具を用意しようと鞄に手をかけた。
『では早速、これから六時間の禁止エリアの発表に参りますか』
『岡野さん、それよりも先にやらんとあかんことがありますよ』
 岡野の喋りに横から入ってきたのは、当然矢口だ。コンビなだけに、さすがに手慣れた軽快な掛け合いである。しかし秀之は声の感じから、どうも彼らのテンションが上辺だけの空元気であるように感じた。どういう理由でそうなったのかは定かではないが、もしかすると、千銅亜里沙(女子八番)に銃を向けられたりした船の中での一件が、未だ堪えているのかもしれない。
『そうやったそうやった。うっかりしてたわ』
『もぉー、しっかり頼んますよ。じゃあ僕が言っちゃいますね』
『頼む!』
『分かりますた。それでは発表します。この六時間の間に亡くなった方々ー!』
 矢口の言葉を聞いて、秀之は地図に向けていた顔を上げた。
 放送は禁止エリアを発表するためだけに行われるのかと、勝手に思い込んでしまっていた。まさかこんなことも発表するのか。
『矢口さん、これ皆さん驚いてるんとちゃいますか?』
『放送内容については、ルール説明時に深く触れてはいなかったですからね。そうなんですよ皆さん、放送ではこんな発表もあるんです。はたして何人のお友達が息を引き取ったのか、状況把握するためにしっかりと聞いていてくださいね』
 傍を見ると、藍子の顔が明らかに引きつっている。クラスの皆が殺し合いなんかに乗るはずがない、などとといった淡い期待を打ち砕かれてしまうのが怖いのだ。
 そんな期待が幻想に過ぎないのは、既に秀之も承知している。船内で殺された三人の他に、プログラム開始後にクラスメートが人を殺す現場を一件見ており、その他に何発かの銃声を耳にしてもいる。戦いは確実に各所で始まっているのだ。
 果たして何人が亡くなっているのか、明日は我が身といったこの状況で、秀之とて冷静に聞いていられるものではなかった。
『では、死んだ順番に発表しますね。女子五番、越野光。男子十九番、榛名一成。女子三番、小栗佳織』
 まず呼ばれたのは、船内で政府軍たちに殺害された三名。
 小栗佳織(女子三番)の名前が呼ばれた際、藍子が下唇を噛んで悲しそうな表情を浮かべた。仲良くしていた友の死をあらかじめ知っていたとはいえ、改めて現実を突き付けられると、平静を保ってはいられなかったのだろう。
 さて、秀之にとって問題はここから先。 “生徒同士の殺し合い”で何人が死んだのかだ。
 矢口が続けて名前を読み上げていく。
『女子十三番、根来晴美。男子十五番、高橋宗一。転校生、辻斬り狐。男子八番、雉島樹。女子十五番、雛菊咲耶。男子十三番、瀬戸口信也。男子三番、大瀧豪』
 先の三人を除いて、その数じつに七名。これは秀之が思っていた数字を上回る結果だった。


 人間気持ちを整理するのには時間がかかるもので、ゲームが始まったばかりのしばらくの間は、殺し合いを受け入れて動き出せる者なんて、さほど居ないだろうと思っていたのだった。
しかし考え改めてみれば、死んだ七人がそれぞれ別の人物の手にかかったとは限らない。実際にゲームに乗った人間は数名でも、中に大量殺人を遂げた者がいて、それがこの死者七人という結果を招いたのかもしれない。
 いずれにしろ今回の放送をきっかけに、ゲームに乗る人間がさらに増えることが予想される。クラスメートの中に殺人者がいる現実を突きつけられた今、周りが敵に見えてしまう恐怖が広く蔓延し、防衛本能を過剰に働かせ、挙句に殺意を生み出す者がこれから次々現れると思われる。
 一度発生した疑心暗鬼を止めるには、何か大きなきっかけが必要だが、そのきっかけとやらが、秀之には全く見えなかった。
『ここまでに亡くなったのは、計十人ですね。悪くないペースですよね、岡野さん』
『せやな。皆この調子でこれからも頑張ってなー』
 それにしても意外なのは、ゲームに乗ることを高らかに宣言していた、辻斬り狐(転校生)の早々の敗退。彼が特別ヤバイ人間であることが分かっていただけに、それをあっさりと退場させたのは誰なのか、秀之は妙に気になった。
 辻斬り狐と同じく転校生の鳴神空也山田花子、あるいは危険レベルの兵藤和馬(男子二十番)による仕業か、などと考えてみたりもしたが、今のところどれも確証はない。結局のところ、この先誰に用心すれば良いのかは、今まで通り秀之自身の勘に頼るしかないわけだ。
『で、次はこれから六時間の間に立ち入り禁止になるエリアの発表ですね。ルール説明時にも話しました通り、禁止エリアに足を踏み入れてしまうと首輪が爆発してしまいますので、皆さんしっかりメモを取るなどしておいてくださいね』
『矢口さん丁寧にありがとう。それでは発表しますね。まず一時間後の午前七時に、H-2が最初の禁止エリアになります。続いて八時にD-5。九時にF-8――』
 秀之は地図を凝視しながら、岡野が読み上げるエリアのマスに時間を記入する。正午までに立ち入り禁止になる計六つのエリアを、間違えないように一つ一つ慎重に確認した。うっかり一マスでもズレて間違った記入をしてしまっていたら、それが原因で命を落としてしまうことがあるかもしれない。
 幸い藍子も隣で放送を聞きながら、秀之の地図を眺めているので、書き込みに間違いがあれば指摘されるはずだろう。
『さて、次回の放送はまた六時間後――つまり正午となりますね。それまで今のペースを崩さないようにしつつも、適度な睡眠と食事はとって、皆さん健康的に殺し合いましょう』
 健康的に殺し合い、などとよく分からないことを岡野が言って放送を切ろうとすると、
『ちょっと待て』
 と男の声が割り込んできた。
『えっ……江口教官……』
 スピーカー越しだが、声の様子から岡野の緊張した様子が伝わってきた。
『代われ』
 空元気な芸人とは打って変わってテンションの低い中年男性の声が島に響きわたる。
『あー……担当教官の江口です。こいつらが今“いいペース”とか言いましたが、私の感覚からすればまだ遅いくらいですね』
 声量こそ大きくないものの、そこには形容しがたい妙な迫力があった。エアートラックスの二人が萎縮してしまうのも当然か。
『私、無駄な時間は嫌いなんですよ。皆さんの動き次第でプログラムは最長で三日かかりますが、正直なところ三日間もこんな島でじっとしているなんてまっぴらです。スピーディに殺し合って、さっさと終わらせて帰りましょうよ』
 船の中で彼を見ていた時も感じていたが、この担当教官、プログラムに対してどうも冷ややかな所がある。さほど興味がなさげというか。ルール説明や定時放送の大よそをタレントに任せてしまうあたりも、熱意のなさの現れであるように思った。
 江口はいったい何故、プログラムの担当教官なんかをしているのだろうか、などと余計な疑問を抱いてしまう。
『よろしく頼みますよ。それではまた六時間後に』
 その言葉を最後に、放送は唐突に、ぶつんと切られた。
「やっぱり、やる気になってる人もいるんだね……」
 名簿を見つめながら、藍子が力なくつぶやいた。
 ゲーム開始後にクラスメートの死に直面し、別の戦いが起こっていたことにも気づいていた秀之とは違って、何も知らなかった藍子はまだ現実を受け入れられずにいるようだった。
 秀之も自らの名簿に目を落とす。現在生き残っているのは四十一人。早くもスタート時の五分の一ほどが脱落してしまった計算になる。
「本当にクソみてぇなゲームだな」
 そんな悪態が自然と漏れる。
 死者の名前を塗り潰したボールペンのラインがあまりに無機質で、人間の命というものが物凄く軽いもののように錯覚してしまいそうになる。プログラムを考えた政府の人間達は、もしやそんな病気の末期を迎えているのではないだろうか。
 人として当然持ち備えているはずの価値観が欠落してしまっている馬鹿な政府の掌の上で転がされ、無意味に命の危機に曝されているのかと考えると、腹が立って仕方がなかった。
「やっぱり、沖田君は優しいね」
 いたたまれない表情をしていた秀之の顔のぞき込みながら、突如藍子が言った。
 虚を衝かれた秀之は、彼女が言っていることの意味が理解できなかった。
「俺が……優しい?」
「うん」
 うっすらと穏やかな笑みを浮かべた彼女の顔には、確信から成る自信が滲み出ているように見えた。
「沖田君ってさ、普段は他人に興味なさげにしているけど、たまーに関心を見せて表情に出す時があるんだよね」
「何のことだか俺には分からねぇな」
「私には分かる。だって、ずっと沖田君のことを見てたから」
 両手を縛られたままの彼女は、不安定に身体を揺らしながら、ずいと上半身をこちらに乗り出してきた。
 まだ中学生の秀之は、異性に対して十分な免疫をもっているという訳でもなく、急に近い距離に顔が迫ってきて、内心慌てずにはいられなかった。
 彼女はこの距離感をなんとも思わないのだろうか。
「例えばさ、増田君とかが関口君たちのグループに虐められているのを見たときとか、一見気づかないくらい僅かにだけど、沖田君って不快な顔をするんだよね」
 昔のことを思い出しているかのような遠い目をしながら藍子が語る。
「で、さっき死んだ人の名前が読み上げられたときもそうだった。死んだ人の欄に線を引きながら、ちょっと歯を食いしばってた」
 放送の時のことを思い出す。
 死んだ十三人の名前が読み上げられるのを耳にしながら、俺は誰かの死に悲しんだり、怒りを覚えたりしただろうか、と。
「沖田君はさ、自分のことを、他人に興味を持てない人間だと思い込んでいるんだろうけど、実際はそんなことないと思うよ。周囲の人たちに対する優しい想いを、心の奥底に持っているのに、それに自分自身気づいていないだけ」
 藍子は熱弁しているが、当の本人はどうも釈然としなかった。思い当たる節がないというか、少なくとも彼女が語っているようなことを意識してはいなかった。
 本人に自覚が無い以上、藍子の話は創作か妄言と考えてしまっても仕方がない。
 恋は盲目とよく聞くが、彼女の発言もまさにその一種ではないかと疑ってしまう。秀之のことを好き過ぎるがあまり、勝手な理想像を思い描き、それを真実と勘違いして押し付けてきているのかもしれなかった。
 こういうご都合主義の妄言が出てくるあたり、彼女の異常性の一端を垣間見てしまったようで、なんだか少しゾッとしてしまう。
「自分のこととはいえ、俺にはよく分からねぇな」
 実体のない話をとっとと終わらせるべく、曖昧な言葉で逃げてこの場を切り上げようとする秀之。ありもしない話で持ち上げられている時間は、とてつもなく無意味で無駄で、この上なく気持ちが悪かった。
「持ち上げられても天狗にならないところがまた、謙虚ですごくいいと思うよ。私、沖田君のそんなところも大好き」
 秀之の気も知らないで、藍子はさらにストレートに想いを言葉にしてぶつけてきた。
 いくら大好きと言われても、期待させるような返事はできないと言うのに。
 何故、よりによってこんな面倒な女と一緒に行動してしまったのかと、改めて頭の中が後悔の念でいっぱいになった。


【残り四十一人】

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