011
−危険な邂逅(2)−

 潮風が吹き付ける海岸をゆっくりと歩く人影は、肩にかけたバッグの意外な重さに、早くも音を上げそうになっていた。
 細身で小柄なその正体は、足立宏(男子一番)
 彼は、海とは反対側の茂みの中から沖田秀之に覗かれていることに気づいておらず、砂浜に僅かに残されている移動の痕跡も、完全に見落としていた。まさか自らが参加することになるとは夢にも思っていなかったプログラムに突如巻き込まれたことにより、情緒不安定な状態に陥ってしまい、冷静に周囲に注意を払えるほどの余裕なんて残されていなかった。
 寒いわけではないのに身体の震えが止まらず、俯き加減になりながらしきりに、両腕で自らの肩を抱いたり、癖毛でもじゃもじゃの頭を抱えたりを繰り返した。
 歩を進めるごとに、力が入らない足を砂にとられ、体勢を崩してしまいそうになる。
 決して強くはない彼の精神はかなり深くまで恐怖に蝕まれており、それに伴って気力が急激な速度で奪われていた。
 怖い……死ぬのは嫌だ……。
 クラスメート達に自分が殺される不吉な映像が、何度も頭の中をよぎる。気弱で力の無い自分は、皆にとって格好の標的なのではないか、という、悪い考えばかりに頭の中を支配されていた。
 プログラムに巻き込まれる以前の平和な日常においても、宏は弄られ役としてターゲットにされることが多かった。そして、そのポジションに大いに不満があっても、反抗することが全くできなかった。
 弄られる程度ならまだ良かったのかもしれない。特に関口康輔(男子十二番)たち不良グループからは、ほぼ苛めに近いことをしつこく繰り返され、学校に通うのが憂鬱に感じるほどになっていた。
 そんな昨日までのことを思い出すだけで、さらに気分が沈み、蓄積されたストレスが我慢の限界点まで迫ってくるのが自分でも分かった。
 なんとかして落ち着かなければ、気がどうにかなってしまいそうだった。しかし死と隣り合わせのこの状況下では、むしろストレスは一方的に溜まっていくばかり。
 まるで脱出不可能な迷宮に迷い込んでしまったかのような、どうしようもない状況だ。
 宏はおもむろに肩にかけたバッグを引き寄せ、政府からの至急品である飲料水のペットボトルを取り出し、口に含んだ。喉の渇きを癒せば、少しは気分が落ち着くかもしれないと思ったのだった。しかし残念なことに、そのくらいの事では状況は何も好転しない。
 ボトルの蓋を捻り、バッグに戻そうとしたとき、開いたファスナーの隙間から“武器”が姿を覗かせた。
 ドクン、と胸が高鳴る。
 自分の身を守るために必要な物であるとはいえ、死を直接的に連想させるその存在は、なるべく目にしたくは無い。
 武器を隠すように、そっとその上にペットボトルを乗せ、そそくさとファスナーを半分だけ閉めた。半分開けておいたのは無意識だが、いざというときに武器を取り出しやすいようにしておかないと不安、という気持ちの表れなのかもしれない。
 宏はバッグから目を逸らすようにして前を向き直った。
「誰? そこのアンタ!」
 視線を進行方向に向けると同時に、誰かから声をかけられて飛び上がりそうになった。
 今まで余所見をしていたせいで気づかなかったが、前方に誰かが立っている。
 しまった。誰にも遭いたくなかったのに、つい他の事に気を散らせて、こんなにも相手の接近を許してしまうなんて……。と宏は自らの不用意さを心底恨んだ。
 ほんの数メートルという距離なのに、暗さのせいで相手の顔がはっきりとは見えない。しかし癖のかかった髪を少し伸ばしているのは分かるし、スカートを穿いていることから、女であるのは間違いない。そして背は、小柄な宏ですら見下ろすほどに低い。
「だ、黙ってないで答えなさいよ!」
 強気で威勢の良い口調の相手も、この状況に怯えているのか、声がうわずって発言の所々で吃っている。
 右手の指に挟んでいるのはタバコだろうか。小さな赤い点が鈍く光っているのが見える。
 このクラスで喫煙者は数少なく、女子では根来晴美(女子十三番)の一人しかいない。
 宏が黙っていると、晴美と思われる相手は痺れを切らしたのか、吸いかけのタバコを投げ捨て、バッグから何かを取り出した。どうやらそれは懐中電灯だったようだ。ふいに宏は光に照らされ、闇夜にその姿を強制的に浮き上がらされた。
「……なんだ、グレイマンじゃねーか。びびらせんじゃねーよ」
 こちらの姿を確認するや否や、相手は舌打ちしながら、すぐに懐中電灯の光を消した。この暗闇で光はあまりに目立ちすぎて、さらに他の誰かに見つかりかねないため、危険だと判断したのだろう。
 ちなみに「グレイマン」というのは、空飛ぶ円盤や宇宙人に関係する雑誌記事やテレビ番組の中で、よく取り扱われる宇宙人のタイプのひとつ、グレイ型宇宙人をもじった晴美の造語。背が低くて頭が大きい宏を馬鹿にする際、彼女たちが面白がって使っていた呼び名だ。この悪意の塊でしかない呼び名のことを、宏は心底嫌がっていた。
「……やっぱり……君は、根来さん?」
 恐る恐る聞いてみる。
「あ? そうだけど、それがどうしたよ?」
 その返事を聞いて、宏はまた頭を抱えたくなった。よりによってプログラムで最初に出会ったのが、いつも自分を虐げてきた不良グループの一人だなんて、あまりに不運すぎる。
 すぐにでも走って逃げ出したい気分だった。しかしそれはできない。宏の目の前で、晴美は腰に挿していた武器らしきものを持ち上げて構えたのだ。不用意に背中なんて見せられない。
「そうだ。グレイマンさぁー、あんたの武器、私にちょうだいよ」
 晴美は武器を構えたまま、じりじりと距離を詰めてくる。
 暗さでよく分からなかった晴美の武器の姿が、近づくごとにだんだんと明らかになってきた。小さな身体に似合わない、巨大で重厚なその刃。生肉業者が家畜を屠殺する際などに用いられるブッチャーナイフだ。独特の形状を持つそれは「叩き切る」という性質上、分類的にはナタや斧に近い。


「ねぇ聞いてんの? あんたなんかが持っててもしょうがないからさー、私が有効に使ってあげるっつってんの」
 何も動きを見せない宏に苛立っているのか、晴美の口調が荒くなる。
 そんな上から目線の彼女だが、いつも苛めている宏が相手だからといって、警戒心を解いたわけではないようだ。ブッチャーナイフの巨大な刃をちらつかせながらも、こちらから視線を外さないようにしながら、慎重に一歩一歩ゆっくりとしか近づいてこない。宏の武器の正体が不明なせいもあるだろうが、殺し合いという初めての経験に、彼女も未だ恐怖心が抜け切らないでいるのが見て取れる。
 身体の小さな晴美が、怯えながらも表面的には威勢良く振舞っている姿は、さながら外敵に対して威嚇する小動物のよう。しかしそれは可愛らしいなんてものではなく、その牙をむいた攻撃的な様が、宏にはこの上なく醜悪に思えた。
「何か言えよ、てめー。相変わらずキモチワリーな」
 下品で女らしくもない悪意のこもった言動が、宏のストレスをさらに蓄積させていく。
 本来晴美は大した力も無いくせに、いつも口だけは達者で憎たらしい。関口康輔や彼氏である田神海斗(男子十六番)といった不良仲間とつるむことで、気持ちが大きくなっているのだ。
 クラスメートにちょっかいを出すときも、実際に手出しするのは康輔や海斗ばかりで、卑怯にも晴美は離れた場所から煽るのみ。しかし彼女がけしかけることによって、康輔や海斗の嫌がらせがエスカレートしているのも事実で、しかもそれを分かって楽しんでやっているからたちが悪い。
 いわば、男二人が点火する役割なのに対し、晴美は炎が燃え広がりやすくなるように油を撒き散らしておく係。
「お前みたいな奴がすぐ近くに存在しているだけでさぁ、なんだか私イライラするんだよ」
 プログラム中においても、彼女は宏を傷つけようとする姿勢を変えはしないようで、宏が何も言い返せないのをいいことに、さらに調子に乗って言葉での暴力をひたすら振りかざし続けた。
「グレイマンさぁ、さっさと地球から出て行って、自分の星に帰れよな」
「クラスの誰もあんたにいて欲しいなんて思ってないんだからさ」
「ねぇ、話聞いてんの? 武器だけ置いて、さっさとどこかに消えろって言ってんの。分かる?」
 浴びせられる悪態の数々。その一つ一つが、不安定になっている宏の心をかつて無いほどに大きく揺さぶった。
 何かがピンと張り詰められるのを感じた。
 これはいわゆる我慢の糸という物だろうか。だとするともう切れる寸前だ。
 晴美の憎たらしい言動に言い返せないことが、宏の苛立ちをさらに急速に募らせていた。
 既に二人の距離は、手を伸ばせは相手に届くほどに迫っている。
 晴美は一気に宏の懐に飛び込み、肩にかけていたバッグの紐をつかんで無理やりに奪おうとする。
「いいから、さっさとそれよこしな!」
 宏は肩にかけた紐を必死に掴んで抵抗していたが、硬い革靴の爪先で膝を蹴り上げられて、一瞬手を離してしまいそうになった。
 蹴られた箇所がズキズキと痛む。晴美の脚力なんてたいしたものではないはずだが、丁度骨が通っている部分を狙われたせいか、意外にもダメージは大きかった。
 苦悶の表情を浮かべる宏を見るや否や、晴美は調子に乗ってさらに二発、三発と蹴りを繰り出してきた。
 しかしそれに反発するかのように、宏はバッグの紐を握る手にさらに力を込める。
「てめっ、クソ生意気に抵抗してんじゃねぇよ! マジむかつくヤローだ!」
 なかなか宏からバッグを引き剥がせず、晴美のイライラも最高潮に達したようだった。
「なによその目? キモチワリーんだよ、この宇宙人野郎! さっさと死ねや!」
 彼女の怒声に周囲の空気が振るわされたその瞬間、それは前触れ無く唐突に起こった。


 宏は自らの頭の中で、プツンと何かが音を立てて弾けるのを感じた。それはまるで、使い込まれた琴線が張りに耐えられなくなって切れたかのよう。
 極限にまで膨張したストレスのせいで、宏の中に存在する我慢の糸が切れたのであった。
 精神を固定していた糸が切れると、自我はすぐに崩壊して巨大な噴火が始まる。
 苛立ちを溜め込むだけ溜め込んで、我慢の限界が訪れたときに一気に大爆発を起こすというのが、警戒レベルである足立宏の特徴。
 中学に入ってから、怒りに任せて暴れたことは何度かあった。だが今回は 蓄積されたストレスが巨大だっただけに、噴火のほうもかつて無い激しさだった。
 宏は半ば無意識に、脇にかけていたカバンに手を突っ込み、武器を掴んですばやく取り出した。
 武器は筒状の形をしており、安全装置の機能を成すピンが取り付けられている。
 ピンに指をかける動作に気づかれたのか、突如晴美に突き飛ばされて倒れ込む宏。はずみでピンが外れ、取り落とした武器が二人の間で転がった。
 晴美の視線が砂の地面に落ちた武器へと向くが、すぐにその正体が何なのかは分からなかったようだ。そのタイムロスが彼女にとって命取り。
 数秒の間をおいてそれは小気味の良い音で破裂し、辺りを瞬時に白煙で包み込んだ。
「な、なによこれ!」
 あからさまに動揺した声を上げ、急に激しく咳き込みだした晴美。さらに目の痛みを訴えはじめ、涙が出てきては止まらない様子。
 宏に支給された武器とは催涙弾であった。いわゆる手榴弾の一種だが殺傷能力は無く、その代わりに目や呼吸器官を刺激するガスを飛散させる。まともにガスを受けてしまった人間は、たちまち潰れるような目の痛みに襲われ、視界を完全に奪われることとなる。
 催涙弾は二人のちょうど間で破裂したのだが、白煙が潮風に流されていってしまってからも息苦しさにのた打ち回っている晴美とは対照的に、宏は悠々とした面持ちでその場に立った。自分に支給された武器の正体は当然知っていたので、破裂する直前に目を瞑り、息を止めていたのだった。
「クソ宇宙人野郎が! どこにいる!」
 晴美は溢れ続ける涙を片腕の袖で拭きながら、やみくもにブッチャーナイフを振り回す。強気な態度は形だけで、実際は目が見えない恐怖に怯えているのが見て取れる。汚い言葉遣いが涙声のせいか痛々しい。
 そんな晴美を、宏はいとも簡単に突き飛ばして倒し、ブッチャーナイフを奪い取った。
「嫌っ! ちょっ、やめて!」
 砂の上を這いずるように逃げ出そうとする少女の背中を、宏は容赦なく踏みつける。
「うわああああああああああああっ!」
 大きな叫び声をあげながら、力任せにその巨大で重厚な刃を振り下ろした。
 硬いスイカに包丁を下ろしたときのような感触が手に伝わる。
 ナイフの刃は晴美の後頭部から垂直に入り、頭蓋骨のど真ん中をきれいに割った。
「あぶぅっ!」
 晴美の口から叫び声なのか嗚咽なのか分からないような声が漏れる。
 刃は頭部の三分の一ほどの深さにまで入っていて致命傷には違いないが、辛うじて彼女はまだ意識を失っていないようだった。
 勢いよく血飛沫を振り撒く頭を踏みつけながら、宏は力ずくでブッチャーナイフを引き抜いた。そしてさらに、二発、三発とガンガン叩きつける。
 一度亀裂が入ると頭蓋骨は案外脆いようで、最初は力いっぱいに振り下ろしても半分も割れなかった頭が、目に見えてその形状を変化させていった。
 最終的にそれは粉々になっていたのか、もはや頭の形をしていなかった。制服を着た女の身体の首から上に、大量の毛が混じったミンチ状の肉片が散らばっているのみ。
 止めどなく噴き出している血液を吸い込んで、砂浜は赤黒く染まっていった。
 瞬発的に多大な力を発揮して体力を消耗した宏は、ぜいぜいと息を切らしながら、その場にへたり込んだ。
「あはっ……、あはははははははっ!」
 ひとしきり大きく息を吸い込んで吐いてを繰り返して、呼吸が落ち着いてくると、今度は笑いがこみ上げてきた。形容し難い爽快感に包まれ、解放された気になった。
 なんて心地良いことだろう。自分を虐げてきた人間をぐちゃぐちゃに潰すことで、こんなにも心が晴れ晴れとするものなのか――。
 もはや痙攣すらしていない晴美の亡骸を一瞥し、ニィッと歯を見せて笑みを浮かべる。
 宏の中で一つの考えが纏まりつつあった。それは晴美と共に宏を迫害し続けてきた、関口康輔と田神海斗に対する復讐劇。
「関口、田神、待っていろ! 今から僕がお前達をぶっ潰しに行ってやる!」
 立ち上がり、広い砂浜のど真ん中で大声で笑う。
 赤黒い血を滴らせるブッチャーナイフが、月明かりを浴びて、刃を鈍く光らせていた。


 根来晴美(女子十三番) - 死亡


【残り四十七人】

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