010
−危険な邂逅(1)−

 懐かしい夢を見た。
 育清園の裏手にある三十坪ほどの菜園で、自由気ままに戯れる子供達に囲まれて、白髪交じりの中年男性が雑草をむしっている。
 彼は園長の尾藤泰彦
「だいぶ育ってきたな」
 ツルが伸びてきた野菜を愛でながら、彼は優しさに満ち溢れた顔から笑みを溢した。
「先生、なに笑っているの?」
 無邪気に遊びまわっていたはずの子供達が、いつしか尾藤の周囲に集まり、皆が一様に不思議そうな顔をしていた。
「育てていた野菜たちが、だいぶ大きくなってきていてね」
 青葉を掻き分けて出てきたナスを見せてくれる尾藤。すると先頭にいた男の子が、ナスと尾藤の顔を交互に見比べ、よく分かっていない様子で首をかしげた。
「野菜が大きくなると、先生は嬉しいの?」
「ああ、そりゃあ手塩にかけてきたものが育ってきてくれたら嬉しいさ。植物も、人もね」
 そう答えながら子供達を見る尾藤の目には、一切の迷いも無かった。
 子供達は幼いながらも、彼の言葉の意味を理解した様子で、純粋で曇りのない眼をキラキラと輝かせた。
「先生、私もお野菜育てるのお手伝いする」
 一人の女の子が前に出たのをきっかけに、他の子供達も「自分も」と次々と手を上げ始めた。
「それじゃあ一緒にお水やりをしようか」
 傍らの水道に用意していたじょうろを持ってきて、数の限り子供達に配る。
「畑が広くて大変そう。ちゃんと終わるかな……」
 そう呟いた男の子に、尾藤は優しく微笑みかけて言った。
「大丈夫。皆で力を合わせれば、できないことなんて何も無いのだから」



 けたたましいベルの音で、沖田秀之(男子四番)は目を覚ました。なぜか手足に痺れを覚える。が、重い身体をゆっくり起こす。
 気だるい一日がまた始まるのかと思うと、非常に億劫な気分になる。学校に行くのが面倒くさい。
 今日の朝ごはんは何だろうか? 尾藤園長特製のスクランブルエッグだったらいいな。
 などと、まだ虚ろで回転の鈍い頭でぼんやりと思いにふける。
 しかし今朝はルームメート達がやけに静かだ。低血圧の純平はともかく、落ち着きの無い啓太は目覚ましの音で飛び起きては、いつも騒がしくしているのに。
 身を起こして周囲を見回したとき、秀之は初めて、自らの置かれている状況の異変に気が付いた。
 ここは育清園の自分達の部屋ではなく、時間もまだ朝ではない。頭上に天井は無く、遠くに月が一つ浮かんでいるだけの暗闇が広がっていた。
 柔らかな布団の代わりに身体の下にあるのは、一面砂に覆われた地面。そして、波が押し寄せる音が近い距離から聞こえてくる。どうやらここはどこかの海岸のようだ。
 そこまで分かってから秀之は、自分達が共和国戦闘実験第六十八番プログラムに強制参加させられ、催眠ガスのようなもので眠らされたことを思い出した。
 秀之の目を覚まさせたベルの音も、思えば自分達の部屋にある目覚まし時計のものとは違った。
 ジリリリリ、という、例えるならば非常ベルのようなそれは、眠りにつく者すべてを覚醒させるべく、かなり離れた場所から未だ発され続けている。
 どこかにスピーカーか何かが設置されているのだろうか。
 などと分析を始めたとき、ブツンという音が聞こえたかと思いきや静かになり、一呼吸おいて聞き覚えのある男の声が耳に飛び込んできた。
『あーあー、聞こえているでしょうか』
 やはりスピーカーを介しているのか、元の声より少しくぐもっているように聞こえるものの、神経質そうな話し口調などから、すぐにプログラム担当教官の江口恭介であると分かった。
『皆さんおはようございます。見知らぬ場所で目覚めて多くの方が動揺していらっしゃるでしょう。逆に既に察しがついている方もいらっしゃるかもしれませんが、説明させていただきます。皆さんにはサンセット号の中で催眠ガスで眠っていただき、我々の手によりプログラム会場内へと運ばせていただきました』
 ということはつまりここは、サンセット号内の食堂にてモニターを通して見た、烙沿島であるらしい。
 鬱蒼と茂る木々に囲まれた不気味な島の姿が思い出される。自分が今そこにいるのだと思うと、なんだか不思議な気分になった。
『ランダムに一人一人違う場所に配置しましたので、すぐには島のどこにいるのか分かり難い方もいらっしゃると思いますが、それは後に各々で確認してください。さて、現在時刻は二十三時五十五分。もうじき日付が変わり、それと同時にゲーム開始となります。その前に少しだけ、手短に説明させていただこうと思いますが……、皆さんの傍に、見慣れないバックがありますよね』
 確かに、寝転がっていた秀之の身体の脇に、持参したショルダーバックの他にもう一つ、自分のものではないドラムバックが置かれていた。
『その中には、島で三日間生活するにあたって必要と思われる食料など最低限の装備、そして武器が入っています』
 ガスの影響か未だに百パーセントの力が入らない手を伸ばし、カバンの紐を持って砂の上をズルズルと引き寄せた。
 一文字に閉じられていたジッパーを開き、中を確認しようとするが、暗闇のせいで何が入っているのかすぐに分からない。
 自らの身体が月明かりを遮断していることに気づき、身体の位置をずらしてみる。すると幸いなことに、色々な物が入っている一番上に、懐中電灯が横になっているのが見えた。すぐに手にとって中を照らしてみる。
『それらを駆使して戦ってもらうわけですが、以前説明しましたとおり、武器の当たり外れは様々。何が入っているのか確認した後、その特性を考えてしっかり綿密に戦略を練っていただきたい』
 烙焔島の地図、方位磁石、ビニール製のカッパ、ミネラルウォーターのペットボトル二本、固形栄養調整食品『カロリーブロック』が次々とカバンの中から姿を現す。そして最後に出てきたのは、掌に収まるサイズのステンレス製の物体。試しに手に持って弄くってみて、それが何なのかようやく分かった。
「まじかよ……」
 どうやらこれが秀之に支給された武器であるらしい、と理解した途端、自然と声を出してしまっていた。
『話している間に時間になったようですね。手元の時計がたった今、午前零時を指しました』
 呆然としている秀之をよそに、相変わらず江口は淡々とした口調。丁寧な解説も一貫して江口個人の感情はこもっていないように感じられた。エアートラックスが行ったオリジナリティ溢れる説明とは対照的で、ある意味無駄がないともいえるが、仕事のため仕方なくこなしているような無機質な印象を強く受ける。
『それではただ今より、プログラム開始です』
 そう言い切ると江口の声は、プツンという音とともに途切れ、それと同時に、微かに聞こえていた無線機器特有の雑音も聞こえなくなった。
 波の音だけが辺りを支配する中、秀之は砂の上で体操座りの体勢になりながら呆然とする。
 これからいったいどうすればいいんだ……。
 掌に乗せた“武器”を見つめながら途方に暮れる。
 小型のナイフはじめ、缶きりや栓抜きなどの多彩な機能がついた折りたたみ式のそれは、十徳ナイフであった。いわゆるアーミーナイフやキャンピングナイフとも呼ばれたりする品だが、そんなことはどうでもいい。
 これでいったいどうやって身を守ればいい?
 ナイフという名前がついているだけに、一応凶器としての使用もできるが、どちらかというと日用品としてのイメージが強い。すすんで戦いに挑んでいくにしろ、あるいはひたすら防御に回るにしても、あまりに頼りなさ過ぎる。
 プログラムが始まって早々、大きな壁にぶつかってしまった気分だった。
 これは早急に作戦を練る必要がある、と二つのカバンを持って這いずるように海岸を少しだけ移動する。障害物が一切無い砂浜のど真ん中で佇んでいては、いずれにしろ暗闇とはいえ危険すぎた。これからはどんな危険な武器と思想を持った人間がやってくるか分からないのだ。わずかな隙が命取りになる可能性がある。
 秀之が今いる海岸は、行楽地の海水浴場のような整備はされておらず、波に打ち上げられた海草や貝殻が辺り一面に散らばっており、地面はかなり凸凹していた。波打ち際から後ろに下がっていったところには、防波堤も道路も存在しておらず、代わりに真っ暗な森の入り口が待ち構えている。逆にそれを好都合だと、秀之は思った。
 月明かりに照らされるうえに見通しが良い砂浜よりも、木々や茂みで視界が悪くて暗い森の中のほうが、身を隠すにはうってつけだ。
 これからどうするか、安全を確保してからゆっくり考えるべきだと判断し、森の中に移動することを決める。
 身を屈め、一歩進むごとに足跡を丁寧に消し、慎重に進んだ。砂の地面は人がいた形跡をはっきりと残してしまうので厄介。隠れ場所がいくら優れていても、そんなはっきりとした目印が残っていては元も子もない。
 砂浜がきれいに整備されていなかったのが逆に幸いした。いくら丁寧に足跡を消そうとしても、その消そうとした跡自体が残ってしまうところ、元々の地面が凸凹していたため、多少残ってしまう程度の形跡はほとんど目立たない。
 時間をかけてゆっくり移動し、ようやく森の入り口にたどり着いた。
 近づいて改めて見ると、森の暗闇はより深く奥まで広がっているように感じられた。木々の合間を腰の高さほどまである雑草に埋め尽くされている様は、足を踏み入れるのを一瞬躊躇してしまうような不気味さがある。自分が身を潜ませるよりも先に、誰かが隠れているかもしれないという思いに駆られるのであった。あるいは蛇や野犬といった野生動物への恐怖心もある。
 しかし悠長なことは言ってはいられない。少しの間耳を済ませて、何かが動く音や気配は無かったため、意を決して身を滑り込ませた。
 隙間無く伸びている植物の葉が顔に当たり、思っていた以上に居心地が悪かった。自分が隠れる直径五十センチほどのスペースのみ草木を踏み潰し、いい具合に空間ができてからようやく座って落ち着くことができた。
 周りは雑草と大木に囲まれており、近くを通る人間がいたとしても、すぐに気づかれるようなことはおそらく無い。逆に葉の隙間から外を覗くと、先ほどまでいた海岸が恐ろしいほどにはっきりと見渡せた。
 自分は先ほどまであんな目立つところで佇んでいたのかと思うと、少しぞっとした。
 さて、これからどうしようか……。
 なるべく身体を小さく折り畳んだ体操座り状態のまま地図を広げ、髪をぐしゃぐしゃと握り締めて考え悩む。
 一つはっきりしているのは、自分は絶対に死にたく無いということ。つまりたった一人の優勝者しか生き残れないというプログラムに巻き込まれてしまった以上、死なないためには優勝するしかなく、そのためには何をすべきかを考える必要がある。噂に聞く、プログラム優勝者に与えられるという一生の生活費補償と、総統のありがたいサインが欲しい訳では断じてない。あくまでも自らの命が惜しいというだけだ。
 中には他の誰かに優勝を譲る、などという甘っちょろい考えを持つ生徒もいるだろう。しかし秀之はそうはなれない。十五年間ずっと自分の命を最優先に生きてきた人間が、簡単に方針を変えられるはずが無かった。
 とはいえ優勝するのは容易なことではない。確率だけで考えても、現時点で四十八分の一という高倍率。そしてプログラム参加者の中には近寄ることすら控えたいような危険な敵が何人も存在しており、これは生き残るためにはよっぽど綿密に戦略を練らなければならない。
 もとより秀之とて人を殺すという行為には大いに抵抗があるし、積極的に戦いに挑んでいくつもりなんて毛頭無かったが、武器に頼れないとなった以上、いかにして上手く自身を守備するかを考えるべきだった。
 極力誰にも近づかない、というのが一つの手としてあるだろう。人目につかないどこかにずっと隠れて潜み、時間の経過を待っているだけで、その間に周りが勝手に殺し合って人数を減らしていってくれるはず。ただ問題なのが、人数が少なくなった頃に生き残っている者たちは、他人の武器を奪ってきて装備をかなり強化しているだろう、ということ。そこに秀之が初期装備の十徳ナイフ一本だけを持って挑んだところで勝ち目は無い。要するに戦いを避けつつも、来たる時に備えて、自らの装備を強化していく必要がある。
 さて、その武器だが、いったいどうやって集めればよいか。
 確か船の中で行われた説明で、島内で物品を調達しても良いという話があった。一箇所に留まるのではなく、歩き回って武器にできそうな物を探してみるべきなのかもしれない。
 それよりも確実なのは、強力な武器を既に得ている誰かと手を組むということだろう。戦いを有利に進められる人間の傍に、コバンザメの如くついて歩く。自分に近いところに常に強力な武器が存在しているというのは、格段に安心感があるに違いない。
 色々考えた結果、誰かと手を組むというのが一番良い考えのように感じた。
 こうなってくると次に問題になってくるのは、どういう人間と組めば良いのか、ということ。
 強い武器さえ持っていれば誰でも良い、というわけではない。こちらの提案を聞き入れる気も無く、秀之の姿を見るや否や攻撃してくるような者はいるであろうし、一度手を組むことを了承してくれても途中で態度を翻して裏切ってくる者もいるかもしれない。近づく相手は慎重に選ぶべきである。
 ここで浮かんだのは、安全レベル、注意レベル、警戒レベル、危険レベルという、秀之が区分けしたクラスメートたちの危険度に応じて、対象者との距離を判断するという案。
 相手の性質を探るという自らの能力にかなりの自信がある秀之は、それなりの成果はあげられるだろうと期待する。プログラムという極限状態において、どのレベルの人間までは近寄って大丈夫かというライン引きさえ正しくできれば、おそらくほぼ完璧だ。
 クラスメートたちの顔を一人一人思い浮かべながら考えた。
 安全レベル――。高槻清太郎(男子十四番)須王望(女子六番)に代表される、クラス内で最も安全とされる者たち。ここは共に行動することとなってもまず問題ないだろう。深く付き合いがある清太郎のことは、いついかなる時であろうと誰かに危害を与えるような人間ではないと理解しているし、比較的秀之とは関係が薄い望に関しても、内側に黒い部分が全く見られないことから信用できると思った。
 注意レベルの者たちについても、まあ近づいても大丈夫と言える範囲内だろう。気を付けるべき点はそれぞれにあるが、こちらが注意を怠りさえしなければ、被害を加えられることはまず無いだろうし、各々が持つ害そのものもそれほど大したものではない。例えば新谷明斗(男子十番)の隠し事にしたって、直接自らに災いとして降りかかることはあまり考え難いし、秀之が気づいて問い詰めればちゃんと打ち明けてくれるはずだ。
 逆に絶対に接近を許してはならないのは、危険レベルの人間達。兵藤和馬(男子二十番)など、元より信用できる要素なんて皆無な存在だが、さらにサンセット号内で殺し合いに乗る気満々なあんな宣誓を聞いてしまった以上、端から敵だという認識で構えておかなければならない。辻斬り狐(男子二十五番/転校生)についても同様だ。この二人からは殺し合いについての肯定的な発言を聞いているため、判断を下すのは非常にたやすかった。
 一方、千銅亜里沙(女子八番)は軍に対して反抗的な姿勢を見せており、プログラムについて否定的なのかと思われたが、あの行動の意味することが不明な以上、気を許すわけにはいかない。何を考えているのか分からないというのは、ある意味一番危険とも言えるのだ。
 ここまでは深く考えるまでも無く、はっきり対応を決められた。問題なのは微妙な危険度に位置する警戒レベルの者たち。
 危険レベルの一歩手前というだけあって、片時も気を抜けない連中であるのは確かだが、プログラム内において命に関わるほどの害を持つのか、現時点では判断し難い。一人一人その特性が異なるうえに、森下藍子(女子二十番)のように性質が不明な人間もいて、よけいに複雑だ。
 とはいえ、敵か味方かというと、現時点では限りなく敵に近いとして危険視する考えなのだが、その判断の正誤を確認するために、プログラム中に警戒レベルの人間と出会うとどうなるのか、事例サンプルが欲しい所である。
 思い悩んだ秀之は、何気に茂みの中から外の風景を覗いた。相変わらず砂浜は広く凸凹で、暗闇の奥からは断続的に押し寄せる波音がごうごうと轟いている。ただ一つ、先ほどとは明らかに違う点があった。夜空に浮かぶ月の光に照らされて微かに浮かぶ人影が、広い砂浜をゆっくりと移動しているのが見える。
 さすがにどきりと胸が高鳴った。秀之が目覚めたときに座っていた辺りを、つい今しがたその人影が通過したのである。もし森の中に移動していなければ、確実に遭遇してしまっていた。
 あの人影はいったい誰なのか、秀之は目を凝らしながら分析する。
 衣服のシルエットから男子であるのは分かった。そこから髪型、体格、歩き方などの情報をプラスし、より少ない人数に絞っていく。すると全ての計算の結果該当したのは、偶然にもたった一人。
 足跡を消しておいて本当に良かった。
 秀之がそう思うのは当然だった。なぜなら人影の正体は、現時点では近づいて良いのかどうか判断ができていない、警戒レベルの人間だったからである。
 大人しく身を潜め、相手が過ぎ去るのをただ待とうと、茂みの隙間を閉じようとしたときだった。秀之から見て、人影が歩いている方向とは反対側から、波打ち際に沿ってさらにもう一つ別の影が近づいてきていることに気が付いた。当然それもまたクラスメートの一人だ。
 なんということだろう。このままではほんの数十秒後には、二つの人影が対面してしまう。しかも新たに後から現れたほうの影も、正体を探った結果、とある警戒レベルの生徒が浮かび上がってきた。
 警戒レベルと警戒レベルの遭遇――なにやらとんでもない事態が発生しそうな気がする。
 いやな予感が次々と頭の中を駆け巡った。
 だがこれはいい機会なのかもしれない。プログラムの中で警戒レベルの人間に遭ってしまったらどういうことが起こるのか、参考にすることができる。
 そんな考えがよぎった瞬間、秀之はすぐさま身を乗り出して、外の様子をじっくり観察する体勢をとっていた。強過ぎる猜疑心に育まれ、彼の中に存在する探究心もまた、とてつもなく肥大化していた。
 二つの影の距離は、残すところ三十メートルといったところ。いくら辺りが暗く、足音が細波にかき消されると言っても、双方が相手の存在に気づくまでに、そう時間はかからないだろうと思われた。


【残り四十八人】

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