009
−闇の世界(9)−

 数十人の屈強な兵士と、たった一人の女子中学生。比べるまでも無く、双方の戦力差は明らかなものである。しかし、いざこの場で対面しているのを見ると、不思議なことに、一概に亜里沙が一方的に押されているようにも思わなかった。彼女が放つ異様な気迫が、相手一人一人のそれに全く圧されていないのであった。
 兵士達にいっせいに銃口を向けられて動けない亜里沙と、担当補佐官である岡野と矢口を押さえられて、同じく下手に次の手に出られない兵士達の間に訪れた、一時の膠着状態。
「た、担当補佐官は絶対安全やって聞いてたのに、話がちゃうやんけ! 誰か助けてくれ!」
 額に銃口を向けられたままの矢口が、視線だけを部屋じゅうに駆け巡らせ、誰とも構わず助けを求める。
 小柄な岡野も銃を奪われてしまった今、亜里沙によって地面に押さえつけられたまま抵抗することができないでいる。
「おい女! 死にたくなければ、すぐさま二人を解放しろ!」
 亜里沙を取り囲む兵士達の中の上官らしき男が言う。岡野と矢口には構わず撃つ、なんて選択肢は今のところ無い様子だ。
 売れっ子芸能人であるエアートラックスは、タレント事務所にとっては多大な金を動かす商品であり、万に一つそれを傷つけるなんて事があっては、いくら軍でも許されないのかもしれない。
 しかしそんなことには構わず、亜里沙は一切話を聞き入れる様子を見せない。
「放してほしいのなら、すぐにこの船を本土に戻しなさい」
 主張する彼女の凛とした態度は、今まさに命の危機に瀕している者のそれにはとても見えない。その迷い無い行動は、なにやら強い意志を礎に成り立っているように思えた。
「残念ながらそれはできない。プログラムは予定通り行われなければならないからな」
「この男がどうなってもいいの?」
 話を聞きいれようとしない兵士を睨みつつ、矢口に向けていた銃の引き金を僅かに絞ってみせる亜里沙。ギリギリの攻防が静かに続く。
 だが実際のところ、彼女の思惑を適える事は非常に厳しいだろう。いかに亜里沙の気迫が相手に劣っていないにしても、多勢に無勢であるのは確か。十数人いる兵士達全員の気持ちが折れるまで、人質に向けた銃をちらつかせて粘るのは、あまりに勝機が薄すぎる。
 勢い余って飛び出してきたものの、亜里沙本人が今一番それを分かっているのではないだろうか。
「千銅さん! 早く銃を捨てて二人を解放して! じゃないとあなたの方が撃たれるわ!」
 須王望が亜里沙に向かって言った。
 クラスメートの中には亜里沙の行動を無責任に応援していた者もいたかもしれないが、そんな中での望の判断は冷静だった。確かに勝算が薄いここは、兵士達の要求を飲んで、引き下がることが正解であろう。
 亜里沙は体制を崩さず、自分に向いた銃口一つ一つへの警戒を保ちつつ、少しの間考えていた。
 全員が緊張して見守る中、矢口の額に向けられていた銃口が静かに下ろされる。
 床に押さえられていた岡野は圧迫が緩んだ瞬間に転げるように亜利沙から離れ、ピークに達していた緊張から解き放たれた矢口が、崩れるようにして倒れこんだ。
 亜利沙が銃をその場に落とすと、一定の距離を保っていた兵士達が包囲網を急速に縮めて、改めて反逆者を取り囲んだ。
「おい、千銅はもう銃を放しただろ! 話が違うぞ」
 清太郎が詰め寄ろうとすると、少し背が低めな兵士が振り返って、制するように今度は彼に銃を向けた。
「どうやらこの女は放っておいたら危険なようだからな。危険分子は早めに処分しなければならない」
 真っ向から軍に反逆し、その上ずば抜けた身体能力を見せた亜里沙は、プログラムを進行するにあたって少なからず脅威に値する存在だと判断されてしまったようだ。
「そんな! 卑怯だぞ!」
「亜里沙は言われた通りにしたのに!」
「軍なんてやっぱ信用ならねぇ!」
 今まで黙っていた生徒達の中から、口々に怒声が飛び交いだした。もちろんそれは全員ではなく、一部の怒りを抑えきれない者や、単なる命知らずの者に限られてはいたが。
 一方、秀之は動かない。むしろ亜里沙一人だけに向いている危険を無意味に周囲に分散させないように、下手に行動するな、と心の中で皆に向かって叫んでいた。
 亜里沙には悪いが、自らに火の粉が降りかかってくるのだけはゴメンだ。
「こ、こいつら!」
 収拾がつかない状況に苛立った兵士が声を張り上げようとした時、部屋の隅で座っていた江口恭一が、神経質そうに人差し指で眼鏡を持ち上げる仕草をしながら立ち上がった。
「全員元の配置に戻りなさい」
 それは生徒達にではなく、亜里沙を取り囲んでいる兵士達に向かって言ったようだった。
「えっ? 教官、それではこの女は――」
「そんな女一人、大した脅威ではないでしょう。それよりも、こんな少女にまんまとかき乱されてしまったあなた達のことを見ていて、私はそちらの方が不安でなりませんね」
 その静かな言葉の中には、膨張した苛立ちが込められているように感じた。
 担当教官にこう言われてしまっては、さすがに兵士達も素直に亜里沙から離れるしかない。すごすごと引き下がる彼らの表情はガスマスクに隠されていて見えないが、釈然としない顔をしているのが容易に想像できる。
「千銅さんも、もう二度とこんな馬鹿なことはしないでください。今回は聞き訳が良かったから大目に見たものの、もしまたこんなことがありましたら、最後まで言うことを聞いてくださらなかった笹野先生たちみたいに、今度こそ死んでいただくことになりますから」
 そう言って江口は、今度は部屋の隅ではなく、壇上へと戻っていった。途中で止まってしまっていたプログラム説明の続きを、先の件で萎縮してしまったエアートラックスの代わりに行おうと判断した様子だ。
「烙焔島の説明が途中でしたね。この島は数十年前から誰も足を踏み入れていない、いわゆる無人島なのだそうですが、今回初めてプログラム会場として使用されることとなりました。従来のプログラムと同様、会場内では何をするのも可。建造物に忍び込むのも、そこで調達した道具などを使用するのも自由です。数日前に現地入りした先発隊によって既に会場の準備は整えられていますので、皆さん気兼ねなく戦ってください」
 モニターにはいつの間にか、島の簡易地図らしき静止画が表示されていた。
 島の上面図がエリア毎にマス目状のラインで区切られ、随所に建物や洞窟らしきイラストが描かれている。
 烙焔島――。
 秀之はその島の存在が頭に引っかかっていた。
 亜里沙が兵士達に抵抗したのは、一見するとプログラムの進行を妨げる狙いがあったように思えるが、よくよく考えると妙な点がいくつかあった。
 彼女の意外な身体能力には目を見張るものがあるが、それにしたって、榛名一成の一件により、中学生たった一人の小さな抵抗なんて、この場においては何の意味も成さないと、亜里沙だって理解できていたはずだ。それなのに何故、彼女はあんな無意味な抵抗をしてみせたのか。
 それと、彼女がエアートラックスの二人に襲い掛かったタイミング。確か、矢口がプログラム会場について話し出したときになって急に、いつも落ち着いている彼女が珍しくあからさまに動転していた。
 あの島には亜里沙以外の誰も知らないような何かが隠されているというのだろうか?
「さて、会場に到着するまではもう少しだけ時間がかかりそうですね」
 江口がモニターと腕時計を交互に見やる。
 モニターに写る霧がかった島の影はまだ小さく、確かにすぐに到着とはならない様子だ。
「そうですね。それでは皆さんに、今回プログラムに参加するにあたっての意気込みを、順番に発表してもらいましょうか。生き残る自信が無い方は、友達に向けてのメッセージでもいいです。宣誓の句、辞世の句とでも言いましょうか。まあ、句になっていなくていいですが」
 これまた趣味の悪い提案だと思った。殺し合いが始まることに意気消沈して、一言発するだけで泣き出してしまいそうな生徒だっているのに、いったい何を喋らせたいのか。
「そこにいる、男子九番の佐久間祐貴くんから」
 江口のすぐ近くの壁際に立っていた祐貴は急に指名されて、動揺したのか持っていた携帯ゲーム機を取り落とした。
「えっ? ええ……と」
「なんでもいいですよ。殺し合い頑張ります、とか、みんな今まで仲良くしてくれてありがとう、とか」
 すると祐貴は焦りのためか急いだ様子で、「ドラクエクリアしたかったです」と思いつくがまま口にしていた。
「次はその隣にいる、女子七番、朱雀院小町さん」
 祐貴の言葉に反応することなく、淡々と次の生徒を指名する江口。
 生徒の側も声が詰まりそうになりつつも、抵抗してはならない、という思いで無理やりに言葉を搾り出していく。
「私は殺し合いなんてしたくない。皆ともっと楽しく過ごしたかった」
 と弓削君江(女子二十二番)
「もし島で出会っても、私はみんなを攻撃したりなんてしないよ。だからもし出会ったら、落ち着いて一回ちゃんと話し合おうよ」
 と市川啓子(女子二番)
「描いている途中の絵を完成させたかったです」
 と三好伸一郎(男子二十三番)
 生き残ることを既に諦めている様子の者や、前向きにまだ他の者と関わりを持とうとする者など様々いるが、今までのところ、殺し合いについて前向きな言葉を発する者は出てきていない。
 秀之は一人一人の言葉を、一言一句逃さないよう真剣に聞いていた。身を守るために、実はこの時間は重要な意味を持つと判断したためだ。
 ここでの発表が、それぞれの行動方針を大まかに示すこととなるはず。もし殺し合いに前向きなことを口走る者がいれば、その生徒には注意すると事前に決めることができる。もちろん、そんな後に不利になるようなことをわざわざ言葉にする者などいないかもしれないが、秀之には人並みはずれた観察力と洞察力がある。嘘の発言をしている者がいれば、気づくことができるかもしれない。
 すると案の定、ある生徒の番が来た時、秀之の中ですぐさま警鐘が鳴り響いた。
「仲良しだった皆と命を奪い合うなんて馬鹿げていると思います。私は絶対にゲームになんて乗りません」
 そう言ったのは御手洗曜子(女子十八番)。秀之は直感的に、彼女の言葉は嘘であると思った。
 一見違和感の無い発表だが、どこかたどたどしく演技臭い喋りに感じたのだ。実際、曜子は嘘つき癖がある警戒レベルであるため、注意するに越したことは無い。
 これに気づいたことによって、秀之はこの発表会は重要だと改めて思った。こうして一人一人の内面を探っていけば、プログラム中に近づいてはならない人物を判断することができる。
 しかしそんな思惑とは裏腹に、ここからしばらく、秀之にとって平和な発表が続いた。いくら卓越した観察力を持ってしても、それぞれの短い発表で内側を探るのには限界があり、一人二人と引っかかりを覚える生徒はいたものの、決定打を下せる発表をする者はなかなか現れない。
 そしてやってきた清太郎の発表。
「戦うつもりはありません。その上で行動したいと思います」
 当然そこに黒い部分は見られない。秀之もそれには安心させられた。
「私も絶対に戦いません。皆のことが大好きだから……」
 清太郎の次に指名された望の言葉も同様に真っ白だ。常日頃の様子から、ここは絶対安全だと思っていたところなので、当然といえば当然だった。
「オイオイオイ。なんだ、生っちょろいこと言う奴ばっかりだな」
 突如、平和に水を差すように出しゃばってくる者がいた。
「てめぇらさ、自分は人を殺すつもりはねぇ、みたいなこと言ってっけどさ、本当は殺る気マンマンだったりするんじゃねぇの? ここで安心させておいて、近づいてきたらグサッとするんだろ?」
 姿を見るまでも無く、声を聞いただけで危険レベルの兵藤和馬だと分かった。
 彼の言葉により、生徒達がざわつきだす。ここまで平和的な発表ばかりで少し安堵の空気が漂いだしていた最中、一部のクラスメート達の猜疑心が呼び起こされてしまったようだ。
 確かに嘘をついている者がいるかもしれない、という負の考えが、場に急速に広がっていく。
「なあ、転校生の辻斬り狐さんよぉ。あんたはここにいるフニャチン達と違って、面白いこと言ってくれるんだよなぁ?」
 唐突に辻斬り狐に話を振る和馬。


「ヘケケケケケケッ! ナンダオ前? ヤケニ堂々トシタ奴ダナ」
「いやなに、粗チンどもの甘っちょろい発言に吐き気がしそうでさぁ。ここらで誰かに一発かましてほしいわけよ」
 いったい彼はどういうつもりなのだろうか。この状況に臆している様子は微塵も無く、むしろ楽しんでいるように見える。
「ソリャア、僕ハ皆殺シマクルヨ。トクニカワイイ女ノ子ガイイナァ。逃ゲ惑ウトコロヲ後ロカラ抱キツイテ、ソノ未熟ナ身体ヲメッタ刺シニシテヤルンダ」
 興奮気味に放す姿を見て、ほとんどの者が恐怖に怯えているようだった。
 既に分かりきっていたことだが、この辻斬り狐という男は文句無しに危険レベルである。人を殺したいという思いが前面に出過ぎていて、むしろ彼を危険だと思わない者がいるとしたら驚きだ。
「ハッハッハ! やっぱアンタ面白れぇわ!」
 和馬は腹を抱えて笑い出した。辻斬り狐の異常性を前にして笑うこの男もまた異常。
「よーし、だったら俺も言ってやろ」
 ニィと不気味に笑う彼。上下の前歯四本ずつが全て金歯で、その不気味さに拍車がかかっている。
「俺も誰かに会ったら、そん時ゃ容赦なくぶっ殺してやんぜ。もちろん男も女も関係なくな。脳天ぶち抜いて、そいつが誰か分からなくなるくらいにまでグッチャグチャに潰してやっからな。覚悟しとけよテメェら」
 そのゾッとせざるを得ないようなおぞましい事を言い放つ彼もまた、やはり絶対に近づいてはならない人間だ。男子の中では辻斬り狐と和馬が群を抜いて危険な存在であり、そんな二人がすぐ傍で向かい合っている様は、地獄の光景のようにすら思える。
「ヘケケケケケケケケケッ! ナンダ、コンナ面白イ奴モコノクラスニイタノカ。コリャアマタ楽シクナッテキタヨ」
「言ってろよ。その仮面で隠した、ぶっ細工そうなツラを、さらにガタガタに潰してぶち殺してやっからよ」
 ここでゲームに乗り気な態度を見せていれば、周囲から警戒され、いざプログラムが開始してから不利な状況に陥るのは明らかだ。しかしそれを厭わずに、こうも堂々と好戦的なアピールをできるのは、自分は戦いに負けることは無いという自信の現れだろう。
「なあ、お前も早くなんか言えよ」
 和馬は次に亜里沙に話を振った。基本的にここでの発表は江口の指名順に行われていたが、生徒達の自発的な発言も認めているようで、和馬の勝手な話の振りを咎める様子は無い。
「さっきエアトラに襲い掛かった時でさぁ、テメェが只モンじゃねぇってことはもうバレバレなんだよ。俺はお前にも期待してんだからさ、澄ました顔で黙りこくってねぇで、さっさとなんか話してくれよな」
 和馬は挑発するように、執拗に亜里沙を引っ張り出そうとする。だがなかなか亜里沙はそれに乗らない。
「……とくに言うことはありません」
 最終的に彼女が発したのはこれだけだった。
 これには和馬は、面白くない、といった様子で、上がりに上がっていたテンションを鎮めて、そこからは江口に進行を任せて黙り込んだ。
 他に注目の転校生二人もいるが、ここも双方とも特に何も話しはしなかった。
 最後の生徒が発言を終えると、結局のところ辻斬り狐と和馬の発言のみが印象に残ることとなっていた。
 ただ、秀之にとっては色々と収穫はあった。注意すべき人物は何人か浮かんできたし、その他の人物の方針もなんとなく見えてきた。これはプログラムの中で色々と役立つ情報なはずだ。
「さて、だいぶいい時間になってきました。会場の島も近づいてきましたし、そろそろプログラムの説明は終了しましょう」
 そう言うと、江口はエアートラックスの二人を引き連れて、食堂から出て行こうとした。
「お、おい、ちょっと待てよ。俺達はこれからどうすればいいんだ?」
 不良グループの田神海斗が、三人を呼び止めようとした。
 島に着いたらどうやって出発してゲームが開始されるのか、そこのところの説明を受けておらず、このまま食堂に放っておかれても、まず最初に何をすれば良いのか分からない。
「気にしなくても大丈夫ですよ。次に気がついたときにはもう、あなた達は島にバラバラに散っていますから」
 江口達は廊下に出ると、外から扉を閉め切ってしまう。すると部屋に残っていた兵士達が、どこからかボンベのようなものを持ってきて、その先に取り付けられたホースから白い気体を一斉に噴射し始めた。
 たちまち部屋中が白い霧のようなものに包まれていく。


「うわ! なんだこれは!」
 ガスマスクをつけていない生徒達は、喚いたり咳込んだりしつつ、たちまち、一人、また一人と倒れていく。
 秀之もまた、急激に身体が重くなっていくのを感じていた。
 これはまさか――催眠ガスか?
 白い気体の正体に気づいた頃には、ほとんどのクラスメートが地面に伏していた。だが視界が悪い中、一人の少女が未だ霧の中に立っているのを、秀之は確かに見た。
 モニターに映る絡焔島を見つめながら、力強く拳を握り締める千銅亜里沙。
 いったい、彼女は何を考えているのだろうか――。
 ぼんやりと思った直後、秀之の意識は完全に闇に包まれてしまった。


【残り四十八人】

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