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−帰ラズノ島−

 一発の乾いた銃声に耳を貫かれた瞬間、俺は一目散に走り出していた。
 恐怖のあまりに顔が自然と強張り、大粒の汗が体中から吹き出してくる。
 高い木々がひしめき合う薄暗い森の中を駆けている間、先程見た恐ろしい光景が頭の中を何度もよぎり、そして“彼女”に追い付かれていないか、絶えず後ろを振り返って確認し続けた。
「なんで……俺たちが殺されなければならない……」
 息絶え絶えになりながら呟く。冷酷非道な相手の手にかかってしまった仲間の姿を思い出すと、涙が溢れ出てきて止まらなかった。
 そう、俺達には命を奪われなければならない理由なんて何一つ無いはずだ。
 二ヶ月前に船舶免許を取得したという大学時代の友人に引き連れられるがまま、当時の仲間で集まってクルージングを楽しんでいただけなのだから。
 この島を最初に目の当たりにしたのは、かなり沖の方に出てきたときだった。地図によると「烙沿島(らくえんじま)」というらしいその島は、土地の大半が鬱蒼と繁る木々に包まれていて、とても不気味な雰囲気を醸し出していた。一見した限りでは人が住んでいるようには到底思えず、おそらく無人島であろうとメンバーの間で見解が一致した。
 好奇心旺盛な一同は面白半分に上陸し、自然に支配された道無き道を探検気分で進んだ。
 その最中に突然襲撃を受けたのだった。
 ……だめだ、いくら考えても俺達が“彼女”に銃口を向けられた理由が分からない。こちらに何か非があるとしても、せいぜい勝手に島へと侵入したことくらいだろう。しかしそれも死罪に相当するものだとは、百歩譲っても思えない。
 そもそも“彼女”はいったい何者なのだろうか。
 無人島だと思われたこの島でいきなり姿を現した謎の女は、こちらの存在を確認するや否や、俺を除いて六人いたメンバーをライフルで次々と射殺していった。一目散に逃げ出してしまったので確認は出来ていないが、たぶん俺一人を除き、仲間はそのときに皆やられてしまっただろう。
 ほんの一瞬しか見ていないはずなのに、あの恐ろしい殺人鬼の姿ははっきりと覚えている。そして頭から離れない。
 一般的な大東亜人のそれとは違う、鮮やかな青に彩られた目に、色素の抜けた金色の髪。その西洋人を思わせるような外見がとても冷たく感じられて、恐怖はよりいっそう大きく膨らんだのだった。
 もし、彼女にもう一度出会ってしまったら、生きてこの島を出ることは叶わないだろう。だから俺はひたすら走った。浜に停めてきたクルーザーを目指して。
 仲間達に悪いと思いつつも、自分一人だけでも逃げ帰るつもりであった。たった一つしか無い自らの命は、誰だって惜しく思うに決まっている。
 植物の葉にでもやられたのか、サンダル履きで肌が剥き出しだった両足に細かな切り傷がいくつか走っていたが、もはやそんなことなど気にする余裕も無かった。
 途中、脱げそうになったサンダルに気をとられているうちに転んでしまったりもしたが、すぐに立ち上がって体勢を整えて走りだした。
 ほどなくして、深い森は終わりを告げて、広大な海原が姿を現した。
 これで無事に本島へと帰還できる、と喜んだのもつかの間、そこはクルーザーを停めてある浜辺ではなく、高い岩場の上だった。切り立った崖から下を見下ろすと、打ち寄せる波が岩にぶつかって大きくはねる様が確認できた。
 どうやら道を誤ったようだ。クルーザーを停めてある浜には、ここから海沿いに少し移動する必要がある。そしてこの急な崖を下りるのは危険過ぎるため、少し道を引き返して、途中からもう一度浜を目指し直さなければならなかった。
「畜生……。ぐずぐずしていたら追い付かれてしまうってのに……」
 と、海面へと向けていた目線を上に持ち上げると、崖の先端に何かが立っているのに気がついた。地平線の傍で佇む太陽の光を背に受けたそれは、逆光のため黒く潰れて見えており、最初は岩の塊か木の幹かと思っていた。しかし眩い陽光に向けて目を細めて凝視しているうちに、岩でも木でもないと分かった。
「そ、そんな……」


 身体を震わせながら唾を飲み込むと、ゴクリという音がいつもに比べてやけに大きく聞こえた。
 崖の先端に立っていたのは、俺の仲間達をゴミのようにあっさりと葬り去った、あの女だった。全力疾走していた俺はいつの間にか追い越され、この岬へと先回りされてしまっていたらしい。
 足にはそれなりに自信があっただけに、こうも簡単に追い抜かれてしまっていたことを一瞬不思議に思ったが、よくよく考えてみれば、初めから逃げるには不利な状況だった。この島は俺にとっては完全にアウェーだし、素足にサンダル履き、と走るのに都合のいい恰好をしているとは言えなかったのだ。
 とはいえ、やっぱり“彼女”の姿を見ていたら、あっさりと先回りされてしまったことを驚かずにはいられない。なぜなら、相手はせいぜい小学校の三年生か四年生くらいにしか見えない、幼い少女だったのだから。
 髪が乱れるのも構わず、一心不乱に走ってきたのだろう。肩の辺りまでのミディアムショートが乱れたまま潮風に揺らされており、肌を唯一隠しているクリーム色のキャミソールの紐が片方、肩からずり落ちている。だが不思議なことに、汗をかいている様子はなく、呼吸を荒げることもなく、全く疲れていないようだった。いったいどれほどの体力の持ち主だというのか。
 彼女の身体つきは華奢で、キャミソールから伸びる手足は細い。もし素手と素手での組み合いになったとしたら、負けることはまず無いだろう。だが、そんな弱々しい外見とは裏腹に、少女には形容し難い威圧感があった。
 震える足から力が一気に抜けてしまい、たまらず俺は地面の上に尻餅をついた。少女は小さな身体には似合わない大きなライフルを両手で抱えており、それをゆっくりと俺に向けて構えたのだ。
「よ……よせっ! 撃たないでくれ!」
 両手を前に出して、命だけは、と懇願する。
 端から見ればなんと情けない光景であろうか。二十代後半にもなった良い大人が、十歳前後の少女を前に身を震わせながら命ごいするなんて。
 潮風に金髪を乱されながら、青い目の少女は、じっ、と俺の方を見ていた。まるで何かを観察でもしているかのように。
「1……」
「えっ?」
 少女がなにやらぼそっと呟いたが、聞き取ることができなかった。緊張のあまり相手の声に意識を集中させることができていなかったのは確かだが、それ以前に彼女の声が小さ過ぎた。俺に対して何かを言ったわけではなく、単なる独り言だったのだろうか。
「な……なぁ。何が何だか分からないけどさ、俺達が悪いことをしたなら謝るよ。だから頼むから銃を下ろしてくれよ」
 混乱する頭の中を全力で整えようとするが、それだけ言うのが精一杯だった。
 銃口は下りない。地面に尻をつけた体勢の俺を、少女はなおも静かに見ているだけだった。
「……帰さない」
 ほどなくして耳に飛び込んできたその言葉に、俺は背筋が凍り付くのを感じた。
 銃口は俺の眉間をしっかりと捉らえている。そして、細い腕に浮かび上がっている筋の動きから、少女の指先が引き金に力を加えようとしているのが分かった。
 その瞬間に銃声が頭の中で反響し、視界全体が真っ赤に染まった。


 いったい彼女は何者なのか。
 何故自分達は殺されなければならなかったのか。
 そして、この島の正体とは……。
 全ての謎は解けることなく、俺の意識と共に闇の中へと葬られることになってしまった。

「……この島に足を踏み入れた者は、誰一人生きて帰しはしない」
 銃口から立ち上る白煙が、彼女の言葉に合わせて僅かに揺れていたが、当然それを目にすることも叶わなかった。

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