099
−旅立ちの試練(4)−

「あれっ、おかしいな……」
 エレベーターホールの付近に辿り着いた春日千秋は、不思議そうに周囲をきょろきょろと見回している。蓮木風花に見せてもらったレーダーの表示を頼りにやって来たというのに、どういうわけか比田圭吾の姿がどこにも見られないのである。
 念のためにと捜索範囲を広げて近くの部屋も一つ一つ覗いていったが、結局それも無駄足に終わる。どこかに隠れているという可能性も考えて、クローゼットの扉を開けてみたりもしたが、そもそも圭吾がそんなところにいるはずなど無かった。
 しかし、レーダーで表示されていたはずの場所に誰もいないというのは、いったいどういうことなのか。
 千秋は少し考えてから、自らの思い違いに気付く事となった。確かに、レーダーは生徒がどこにいるかを正確に映し出すが、あくまでもそれは上面図としてであり、高度まで示しはしない。つまり千秋がいる階のエレベーターホール付近にいると思われた人物は、全く別の階にいるという可能性もあるわけだ。
 となると上か下か?
 山代総合病院は四階建てであり、現在千秋がいるのはその三階。すなわちここで言う「上」とは四階、「下」は一階と二階を指す。
 千秋はとりあえず階段を伝って下へと降りてみることにした。出発の準備をすると言って病室を出て行った圭吾は、施設数の多い階下で物資を漁っている可能性が高いと考えたのだった。
 自分の考えが間違っていなかったと知ったのは、それからすぐのことだった。建物一階の総合受付フロアに辿り着いた時、ちょうど近くの扉が開いて圭吾がそこから出てきたのだ。既にいくつかの部屋を回って簡単に準備を整えてきた後らしく、水の入ったペットボトル、それと何に使うつもりなのか透明の大きなビニール袋なんかも手に持っている。そして支給武器の妖刀「紅月」は腰のベルトに固定されて、いつでも引き抜けるような状態にあった。
「今度は何の用だ」
 またしても自分の前に現れた千秋にうんざりしている様子で、圭吾はこちらの姿を確認するや否や表情を少し歪ませた。用があるなら一度で済ませろ、と鋭い目つきが言っている。相手の事を気にもしないで、ここまであからさまに嫌な顔ができるってある意味すごい。
「比田くん、もしかして一人で行くつもりなの?」
 気迫に飲まれて一歩後ろに下がってしまいそうになるのを堪えつつ、問いただした。それに対して圭吾は「当然だ」とだけ返して横を通り過ぎようとする。千秋は慌てながら両手を広げてそれを止めた。
「いったい何のつもりだ。そこを通せ」
「待って。あたしも一緒に連れて行って」
 力いっぱいに言うと、圭吾は「はあ?」とまた眉をひそめた。
「なぜ俺がお前なんかを連れて行かなきゃならないんだ」
 迅速に任務を遂行したいと思っている彼が、足手まといになりかねない少女と一緒に行動するなんて御免だと思うのは当然の事だろう。しかし、いくら煙たがられようとも、千秋はここで引き下がるわけにはいかなかった。
「あたし、このまま全てを人任せになんてしたくない。真緒のために何かしたいのよ」
 磐田猛に、比田圭吾に、と、千秋は他人に助けてもらってばかりいる。そのくせ自分はたった一人の幼馴染のために、ほとんど何もしてあげる事ができなかった。大事なときに手をこまねいてばかりいる自分なんて大嫌い。だからこそ、脱出計画を成功させるため――真緒を生かすために、自分だって少しは力になりたいと思ったのである。しかし圭吾は断固として聞き入れてはくれない。
「馬鹿げたことを言うな。お前の気持ちは分らんでもないが、ついてきたところで足手まといになるだけだ」
「足手まといになんかならないよ。荷物運びだって手伝うし」
「たかだか十数キロ程度の荷物くらい、俺一人だけで十分だ」
 一袋につき五キログラム強の重さがあると思われる農業用肥料――硝酸アンモニウム、それが数袋集まると十数キロ、という計算。
「でも――」
「でも、じゃない。大体お前の身体は長きに渡る緊張の中で相当疲労しているはず」
「いくらか休息をとったから、もう大丈夫よ」
「信用できんな。とにかく、本当に羽村を助けたいと思っているなら、俺の邪魔にならないよう静かにしていろ」
 結局、彼は肩で千秋を押し退けて歩き出してしまった。だが、このときの千秋は普段からは考えられないほどしつこく、そのおかげで圭吾はすぐにまた足を止める事となる。
「いったい何のつもりだ」
 さすがの彼も驚きの声を上げずにはいられなかったのだろう。進行方向に再び割り込んできた千秋の手には、フロアの隅に落ちていたモップの柄が握られており、まるで敵を前にしているかのようにそれを構えていたからだ。
「ついて行くのを許してくれるまで、ここは通さない」
 自分のやっている事がおかしいなんてことくらい、千秋自身分っていた。しかしこれも自らの手で幼馴染を助けたいがためにとった行動だ。今更後に退くなんてことはできない。
「ふざけるのもいい加減にしろ。そこを退け」
 圭吾もこれには苛立たずにはいられなかったようだ。ただでさえ時間が惜しいというときに、少女の訳の分からない戯れに付き合わされてしまったせいで、イライラが限界点近くまで募ってしまった、とそんな感じ。
 対して千秋はなかなか強情で、圭吾にいくら詰め寄られようとも意思を曲げる気なんて無く、いつまで経っても「退かない」の一点張り。それがまた圭吾の苛立ちに拍車をかけることとなった。
「本当にそこを通すつもりは無いんだな」
「ええ。あたしの同行を認めてくれない限りは、絶対に」
「そうか」
 どういうつもりなのか、圭吾は前へ前へと進もうとしていた足を止めて、気だるそうに自分の腰元へと手を動かし始めた。何をするつもりなのか千秋がじっと見ていると、驚いたことに、彼は妖刀紅月を鞘から引き抜いてそのまま構えたではないか。圭吾を前にモップの柄を構えていた千秋と全く同じように。
「お前がそこを退かなくても、俺が無理やりに退かしてやる」
 聞き間違いなんかじゃなく、圭吾は確かにそう言った。一瞬単なる冗談か脅しのつもりなのかと思ったが、その目つきは真剣で、とてもハッタリであるとは思えない。
「五秒待とう。それまでに道を開けなければ、間違いなく俺はお前を斬ることになる」
 これもまた嘘なんかじゃない。彼が放った言葉だけではなく、殺気がこもった目つきまでもが真っ直ぐ千秋に向けられている。
「5……、4……」
 カウントが始まる。
 力の入った圭吾の大きな手に握られながら、紅月は暗闇の中で刀身を怪しく光らせていた。

【残り 十八人】
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