097
−旅立ちの試練(2)−

 病室から出た千秋は、暗闇の奥へと真っ直ぐに伸びる廊下の真ん中に立ち、全方位をぐるりと見渡した。その結果視界に入ってきたのは、壁に等間隔で並ぶ病室の扉、それと廊下の突き当たりにある階段とエレベーターホールだけ。人の姿は見られなかった。
 さて、比田くんはいったいどこにいるのだろうか。
 この広い建物の中からたった一人の人間を見つけ出すなんてなかなか大変そうであるが、おそらくここからそんなに離れた場所には行っていないと思う。なので手始めに、出てきた病室の正面にある扉から開けてみることにした。
 引き扉の取っ手を握る腕に力を入れる。中に何が待ち構えているか分からないが、付近に敵がいないということはつい先ほどレーダーで確認したばかりなので、それほど不安に感じたりはしなかった。
 ほんの少しだけ勇気を振り絞って扉を開け放つ。するとドア枠の向こうに、六つのベッドが並ぶどこかで見たことのあるような病室が姿を現した。人の気配はない。どうやらここではないらしい。
 千秋は開けたばかりの扉をゆっくりと戻して、はぁ、と色んな気持ちの混ざったため息を吐いた。
 もしかして、すぐ近くの部屋にいるだろうなんて考えは甘かったのだろうか。そういえば、さっきは敵の存在ばかりを気にしていて失念してしまっていたが、レーダーで圭吾の位置もしっかりと確認しておくべきだった。
 なんてことを考えながら、次に斜め向かいにある扉の前に立った。風花たちのいる病室の隣だ。
 引き戸をスライドさせると、やはりほとんど同じ内装の六人部屋が現れた。ただ今回は先ほどと違い、内部からは人の気配が感じられる。覗き込んでよく見ると、壁を背もたれにしながら窓辺に座り、僅かに寝息をたてている男の姿が確認できた。
 ビンゴ。やはり圭吾は自分たちの近くにいた。そして驚いたことに、風花が言っていた通りに、鞘に納まった真剣を手にしたまま眠っているようだった。
 圭吾を起こさぬように千秋は忍び足で部屋に踏み込む。足音はほぼ完璧に殺せていたはずだった。ところが、人の気配を感知して覚醒したのだろうか、圭吾は閉じていた目を突然見開いて、手にしていた刀を瞬時に千秋の方へと向けて構えた。恐ろしいほどに素早い反応だ。
 鞘と擦れ合った刀身が震える「チィィィィン」という固い金属音を耳にしながら、もしも自分がやる気になっている生徒であったとしても、この男の寝首を狩るなんてことは絶対に出来ないだろう、と思ってしまった。
「……何か用か?」
 少しの間を置いて、出入り口の側に立っている少女の正体を把握した圭吾は怪訝そうに尋ねてきた。眠りを妨げられてしまったからなのか、少々機嫌を悪くしているように感じる。
 千秋は言葉で返すよりも先に、まずは暗闇の中でも圭吾の顔が見えるというくらいの位置まで歩み寄った。用心深い相手はまだ刀をこちらに向けたままだったが、そんなのは全く気にしない。
「少し話をする時間をもらえる?」
 隣に並ぶように窓際に腰を下ろす千秋のことを、圭吾は特に拒んだりはしなかった。そしてようやく刀を鞘の中に納める。それは無言の了承であると勝手に決め付けても、おそらく問題はないだろう。
「比田くんって、道場の時期跡取りだって昔から決まっていたんだってね」
「……蓮木から聞いたのか」
 知らないところで自分の身辺事情を掘り返されていたことが気に食わないのか、圭吾は眉の間に少ししわを寄せる。以前の千秋だったら圭吾そんな態度を見たらこれ以上話を続けることなんて出来なかったかもしれないが、相手のことをある程度理解できている今なら、さらに深い部分にまで踏み込むことも不可能ではない。
「お父さんのこと、尊敬していたの?」
「……」
 圭吾は何も答えない。心の内側にまで進入してきた目の前の女を追い払う気は無いようだが、一文字に閉じられた口を割るつもりも無いらしい。
 このまま一方的に質問し続けても、きっと埒があかない。
「私はね、自分のお父さんの事を本当に尊敬していたよ」
 沈黙を破るべく千秋は自分のことを話しはじめた。圭吾が口を噤んだままだからその代わり、なんていう訳ではない。相手のことを根掘り葉掘り聞き出そうとしながら自分のことは伏せたままだなんて、失礼にも程があると思ったからだった。
「お父さん、結婚してすぐにお母さんに先立たれちゃってね、ずっと男手一つで私を育んできてくれたんだ。もちろん色々と苦労はあったらしくて、育児を投げ出したく思うことも一度や二度ではなかったみたい。だけど、お父さんはそれでも私を愛し続けてくれた」
 一人で勝手に喋り始めた千秋のことを、圭吾は少し訝しげに見ている。しかし、話はきちんと聞いてくれている様子。
「決して器用とは言い難い人だった。料理以外には何も出来ないし……。でもね、お父さんはその唯一の得意を生かして、私を一から鍛えてくれた。そのおかげで春日千秋という一人の少女は、こうして今ここに存在しているの」
「知っている……」
 その話は以前どこかで耳にしたことがある、と、圭吾は立ち上がって言った。
「あれっ、これって結構有名な話だったっけ?」
「お前の母親の死については知らなかったが、父親から料理を教わっていたということは、かなり前から存じていた」
「ああ、なるほどね」
 確かに、父に教え込まれた料理についての話なら教室内で何回か級友に話した記憶がある。それなら、圭吾がその事を知っていたとしても、何ら不思議はではない。
「それで、自分の事は明かしたから、今度は俺が話す番だとでも言うのか?」
「そんなつもりはないよ。もちろん話してくれるに越したことはないけれど、嫌なら無理に言わなくてもいい」
「なぜそんな事を聞こうとする?」
「比田くんを知りたいから」
 何年も同じクラスで過ごしていたはずなのに、接する機会がほとんど無かったがために、千秋は圭吾のことをあまりよく知らない。しかし、今後行動を共にするであろう仲間について気になることは、出来る限り知っておいた方が良いに決まっている。
 それと、ただ単純に比田圭吾という一人の人間について興味を持ち始めていたというのも事実であった。
「くだらない。だが、まあいい……。確かに、俺は自分の父親のことを尊敬していたさ」
 最後まで話してくれないかと思っていたが、圭吾は意外にあっさりと自ら口を割った。潔く全てを明らかにして、目の届かないところで勝手な話をされるのを阻止した方が良いと判断したらしい。
「父の剣の腕前は、はっきり言って一流だった。過信ではなく、俺も自分の力にはそれなりに自信があったが、奴からは一本すら取れたことがない。だから俺は時期師範なんて肩書きに興味はなかったが、奴を倒したい一心で剣を振るい続けた。父は憧れであると同時に目標でもあったというわけだ」
 一番手前のベッドの上に腰を下ろして、千秋と向かい合った形で圭吾は話す。口数の少ない彼にこれだけ語ってもらえたというのは、かなり貴重な事なのではないだろうか。
 これはきっと圭吾に仲間として認めてもらえた証なのだと都合の良いことを思ってしまったが、そう考えてしまうのも仕方がない。
「しかし残念なことに、俺は奴に一度も勝てないまま、プログラムに選ばれてしまった。おそらく父ももう生きてはいないだろう」
「比田くんがプログラムに参加するということに、お父さんが反対しただろうから?」
「ああ。そもそも曲がったことを人一倍嫌っていた奴だったからな。いくら剣の達人であろうとも、銃で武装した政府の軍に勝てるわけがない」
 全て風花が言っていた通りだ。
「ねえ、もしかして、比田くんが湯川の前から私たちを助けてくれたのは、同じくお父さんを殺された私のことを同情したからなの?」
「さあな。俺は特別な理由があってお前たちを助けたというつもりはないが――」
 おもむろにベッドから立ち上がって、
「もしかしたら深層心理のレベルでは、そういう思いもあったのかもしれないな」
 と、圭吾は言った。でもそれは彼がそういう風に考えたというよりも、千秋の言葉に対する的確な返答を探し出すのが面倒くさかったから、適当に相槌をついただけといった感じだった。だけどそれでも構わない。
「助けてくれて、本当に有り難う」
 千秋も窓際から立ち上がり、圭吾の前で頭を深く下げた。
 本当は、圭吾が助けてくれた理由なんてどうでも良かった。ただ、真緒の治療など何かと忙しくて、色んなことについてしっかりとしたお礼なんて言えていなかったから、改めて感謝の気持ちをとにかく相手に伝えたかったのだった。
「そんなくだらないことを言うためだけに、わざわざここを訪れたというのか?」
「仁義は大切にしなきゃいけないでしょ」
「本当にくだらないな。そんな事のために眠りを妨げられることになるなんてな」
 圭吾は小さくため息を吐いて、部屋の出入り口に向かって歩き出した。
「どこに行くの?」
「蓮木たちの所に戻る。すっかり目が覚めてしまって、もう寝付けそうにもないからな」
 長く見積もっても、圭吾は二時間も眠っていないはず。十分な仮眠をとれているとは思えないけど、彼ほど体力のある人間なら、多少睡眠時間が短いくらい平気なのかもしれない。
「俺のことよりも、お前の幼馴染のことを気にしたらどうだ」
 出入り口の前に差し掛かった時、圭吾は一度振り返って、ファッショングラスの茶色いレンズ越しに切れ長の鋭い目をこちらに向けた。
「真緒の事を?」
「ああ」
 治療も一通り済んだというのに、今更何を気にしろというのだ。
「蓮木が羽村に施した治療は確かに素晴らしかった。隙なんてほとんど無いに等しい。が、それだって所詮はその場しのぎの処置にすぎない」
「ちゃんとした医師に診てもらうべきってこと?」
「もちろん。それと――」
 圭吾がさらに何か言おうとした時、突然前触れ無く「ぐぅ」と奇妙な音が部屋中に響き渡った。千秋は一瞬何が起こったのか分からなかったが、数秒後に全てを理解してからは、赤面した顔を俯かせないわけにはいかなかった。
「そうそう、プログラムが始まってからろくに物を口にしていないだろうし、こういう時こそちゃんと栄養を取らせるべきだろう」
 絶妙なタイミングでお腹から豪快な音を鳴らした乙女の姿を見て、圭吾は少し呆れた顔をしながら部屋を後にした。
 恥ずかしすぎる。プログラムの最中ならではのブラックジョークというわけではなく、本当にいっそ死んでしまいたいと思った。
 だがこの一件のおかげか、千秋は直後にある案を思い付き、それを実行することになるのだった。

【残り 十八人】
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